忘却への扉

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南方の島で・・・

2016-08-16 | 平和を

 【 戦争 いつの世も泣くのは女 】 新居浜市 女性( 54・主婦 )

 ◇陰膳という言葉を知ったのは、私が未就園児のころだ。私は徳島の田舎で3歳から祖母に育てられた。当時、小さな孫を祖母が1人で育てていた家庭は珍しかったと思う。収入は戦没した祖父の遺族年金のみ。祖母は「こうやって生活していけるのはじいちゃんのおかげ」と口癖のように言っていた。
 ◇祖父はマーシャル諸島で玉砕し、遺骨もない。食べる物もなく死んでいった祖父を思い、季節のものや珍しいものがあればまず仏壇に備えていたように記憶している。祖母は30代で女一人で、私の父と二人で朝鮮から引き揚げてきた。
 ◇戦争がなければ、和菓子店のおかみとして裕福な生活ができていただろう。敗戦で財産は没収されたそうだ。祖母にもっと戦時の苦労話を聞いておけばよかった。いつの世も男が戦争に行けば、泣くのは女だ。祖母は陰膳をしながら「もしかしたら南方の島で生きているかも」と考えたかもしれない。そんな祖母の気持ちに思いをはせ、いつまでも平和な世であることを望む。]
                    《 こだま 読者の広場 【 終戦記念日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 先日友人の墓参りに行ったついでに墓地内の戦死者の墓を見て回った。敗戦の色濃くなった南方の戦闘で亡くなったたことが墓碑に書き記されている。
 年齢は20代初めとか30代初めと若い死だ。軍国主義日本の海外侵略の暴挙がなければ死なずに済んだ命だ。機会があれば他の墓地でも戦死者の墓石を読み歩くが、敗戦間近に命を奪われた若者たちの多さに、大日本帝国と軍国主義を恨まずにはいられない。