アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

僧侶という仕事

2007年02月03日 18時40分01秒 | Weblog
 葬儀に参列してきた。僧侶7人というのは今まで参列した中では最高ではないかと思うが、数が多ければいいとは思わない。
 ぼくは自分が死んだら僧侶は要らないと思っている。お経の意味が分からない。分からないお経でどうなるのか。祖母が亡くなって4年目を迎えようとしているが、初七日でお経をあげにきた僧侶が「今祖母の霊がどこそこにいる」とか言った。どうやって分かるのか。それを説明できなければ、信じることは出来ない。
 また、戒名というのがわからない。祖母の戒名をつけた僧侶が祖母のことをどれだけ知っているというのか。一文字幾らという算術しかないように思う。ならば、戒名は要らない。要るのなら、ぼくは自分で考える。
 死者をおろそかにできない足元に付け込んでいるとしか思えない職業。信じるか、信じないか。それだけの問題ではないかと思う。
 あるお寺は信者から寄付をもらい、自宅を改築してかなりの批判を受けたという話を聞いたこともある。
 僧侶という仕事。わからない。