何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

経営、利益のためには安全を切り捨てる

2009-03-18 22:30:52 | 薬局経営
 院内調剤が復活の動き 薬価差益の確保と患者負担の軽減狙う(日経メディカルオンライン 2009.3.18より抜粋)

 外来処方せんの調剤を院内に戻す動きが出てきた。景気低迷に伴う受診抑制が顕著となる中、患者負担の軽減に加えて、薬価差益も確保しようというのが病院の狙いだ。

 2008年12月3日、三条総合病院(新潟県三条市、199床)の一室で、新潟県厚生農業協同組合連合会(新潟厚生連)常務理事の末武雅之氏は、同病院の近隣で薬局を開設する4薬局の関係者と、新潟県薬剤師会の担当支部の役員の前で次のように告げた。

 「近年の診療報酬改定の動きから、国策としての医薬分業は終わったと考えている」─。そして、03年から行ってきた院外処方せんの発行を09年春より原則中止し、患者の希望に応じて院内処方に変更していくことを通告した。

 また、同病院が今年1月、患者に対して院外処方の希望の有無についてアンケートを行ったところ、「院内処方の方が安くなる」などの説明は一切行わなかったにもかかわらず、68%が「院内で薬が欲しい」と回答した。院内調剤を開始して支払いが安くなることが分かれば、かかりつけ薬局を既に決めている患者を除き、9割前後の患者が院内調剤を選択するのではないかと予測する。

 こうした動きは新潟厚生連だけではない。例えば相模原協同病院(神奈川県相模原市、437床)では薬価差益を目的に、02年から開始した院外処方せん発行を05年に患者の自由選択制に切り替えた。

 同院では当初、5~6割程度の患者が院内調剤に切り替えると予測していたが、ふたを開けてみると、院内の方が薬代が安くなることを伝えただけで、98%の患者が院内調剤を希望するようになったという。

 もっとも、院内調剤への切り替えにはリスクもある。薬価差益が確保できるといっても、それはあくまで現時点でのこと。薬価改定次第では大きく変わる。仕入れには消費税が課される一方で医療は非課税となっているため、仮に消費税が引き上げられれば、差益は減る。さらに過剰在庫のリスクがあるほか、薬剤師の人件費も必要だ。事実、相模原協同病院では、「差益がなくなれば、再び院外処方にすることも考えていく」(事務部長の諸星敏廣氏)とのことだ。


 コスト、サービスの両面から医薬分業は再考の時期に 梶原 優氏 日本病院会常任理事
 今はコンピューターによって、院内でも併用禁忌や規格違いなどのチェックは簡単にできる。調剤薬局と同レベルのサービスを提供するのは難しくない。さらに医師にとって、採用薬が分かるのも利点だ。特に後発品処方が増える中で、信頼できるメーカーの薬剤のみを投薬できることは大きい。

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 (外来)調剤は、医療の一部ではなく、付属品のような扱いではないか。病院経営いかんで外部委託しても差し支えない、と考えているからできるのだろう。よくぞここまで薬剤師もナメられたものだと思う。
 差益確保のために、外来調剤用に増員されたという意味は、コンピュータ化すれば簡単にできると思われているようだ。経営や診療報酬体系次第で逆に切られる要素も含んでいるのだ。本来なら入院患者へのサービスをより充実させるべく期待されるのならまだしも、専門性ならぬ作業要員として考えられているかのようだ。

 そうまでしてしまった責任の一端は薬剤師にあるのかもしれない。医薬分業を見直すべきだとする意見は、受け持つ患者が異なり、できる業務内容にも違いがあるこを理解しない暴論のように思えてならない。

 後発医薬品も、病院側が信頼できるメーカーの薬剤を投薬すればよいなどというのは、患者無視、開局の判断を信用できないと言っているようなものだ。
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弾言

2009-03-17 22:11:16 | Book Reviews
「弾言 成功する人生とバランスシートの使い方 小飼弾・著、アスペクト、2008年10月6日

p.13 時給いくらで計算される仕事というのは、「ヒト」ではなく「モノ」だということ。

p.23 会社に残るべきかどうかの判断基準としてはもう1つ、いい仕事をしている人が身近にいるかどうかです。自分がその人の技を盗みたいという人がいるなら、安月給だとしても働いてしまうものです。
 もし、学ぶべき人や機会がないのなら、速攻で辞めるべきです。

p.27 その本を読む前の自分と読み終わった後の自分がどう変わったか。読書の質は、この差で測れます。

p.33 負け組の定義は「テレビを消せない人」。
 情報に対して受け身であることは、絶対にダメ。テレビ番組は、発信者の都合を、発信者のペースで、そしてあなたの時間を消費して受け取る仕組みになっています。
 テレビを見ないことは、禁煙するよりも効果があると弾言します。

p.55 ワーキングプアは「プア」と言われますが、実際は飢えていないんです。これはお金に飢えていないのではなく、どうしたら自分をよくできるかという向上心に飢えていないということ。成長したいという欲望が少ない人が多いように思います。

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登録販売者には何が求められているのか

2009-03-14 10:50:41 | よくわからないこと
 薬事法改正で登録販売者が設置されようとしているが、登録販売者は何を負っているのか、課せられているのだろうか。

「医薬品の適切な選択及び適正な使用に資するよう、一般用医薬品をその副作用等により健康被害が生ずるおそれの程度に応じて区分し、当該区分ごとの販売方法を定める等、医薬品の販売制度を見直し、医薬品の販売に関する各種規定の整備を図るとともに、いわゆる脱法ドラッグの製造、輸入、販売等を禁止する等の所要の改正を行う必要がある」


「この薬事法改正は、一般用医薬品の販売に関し、リスクの程度に応じて専門家が関与し、適切な情報提供等がなされる実効性ある制度を構築することを主眼としている。このような観点から、改正薬事法においては、一般用医薬品の販売にふさわしい、薬剤師以外の専門家として、登録販売者が位置づけられており、その資質を確保することは、一般用医薬品の販売制度の実効性を担保する重要な要素の一つとなっている。」

 これらの趣旨で、薬種商が(廃止~)リニューアルされ、旧来のOTC取り扱いの仕組みが見直された公的資格である。

 ドラッグストアでは、継続して売上を確保したいがための販売員資格と捉えていることはないだろうか。法的条件に沿うことを受け入れるといっても外面だけで、販売促進のため、企業の存続のための道具にすぎないようであれば、実態は何も変わらないだろう。
 
 OTCと言えども「薬」だ。OTCを(一人前の?)薬として認め、一般の商材とは区別し、適正使用かつ安全確保のために扱うことだ。ただし、それは薬学教育の違いから、第一種は除かれているにすぎない。しかし第二種までなら登録販売者でも安全が確保されるかどうかは疑問が残る。本当に安全だったのか、被害なあったのかなかったのか、あったとしたらどの程度だったのか、調べるすべがないからだ。趣旨の通りの思想で社会に機能すれば、の仮定の話だ。架空の話かもしれない。

 薬剤師が売ればそのようなことはないかというと、それもまた保証がない。適性使用や安全確保の具体的行動が伴わなければ、誰がやっても同じだからだ。ただし、仕組みとして薬剤師であればより適切に出来ることが期待できる、だから第一種まで(すべて)の医薬品の取扱いが認められているわけだ。

 制度上は薬剤師であっても、実質、現実においては、どのような行動をするかが問われる。制度で規定されたことを機械的にするようでは、国民のためというより自身の責任回避的な意味合いが前面に出てしまいかねない。物理的な体裁を整える程度の変化が求められているのではなく、薬学的に安全確保が実施できるかどうかだ。

 そうなってくると、安全確保は、処方せん調剤であろうとOTCであろうと区別はない。日頃、調剤で安全確保的取り組みや出来ていなければ、OTCでもそれほどのことはできないだろう。OTCへスイッチされた薬も、安全管理の必要性において変わる部分はない。

 「カタチだけ整えて薬剤師ですから」といって済ませているようでは、薬剤師以外の者から、外面を整備する程度でいいのだったら自分たちにも取り扱いができる、と言われるだろう。

 果たして、登録販売者は国民を薬の害から守るといった、人命を守ることを業務の根底に置いているだろうか。ましてやネット販売では薬の供給はできても、安全確保は到底、期待できないように思えてならない。
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断る力

2009-03-13 22:41:51 | Book Reviews
「断る力」 勝間和代・著、文春新書、2009年2月20日

p.49-50 「子どもサッカー」とは、戦略性も何もないまま、ひたすらボールを追いかけて、ゴールをめざすような、子どもたちがおこなうサッカーのことです。

p.62 「コモディティ」と「スペシャリティ」の一番の違いは何かというと、相手にとって、「コモディティ」はコスト勘定で処理をされるが、「スペシャリティ」は投資勘定として処理されるということです。すなわち、「コモディティ」とつき合うことはつき合う相手の売上や収入を上げることではないので、なるべく安い相手や使い勝手のいい相手を探すことになります。それに対して「スペシャリティ」になるということは、相手が実行しようとしている仕事の価値そのものを上げるため、たとえ対価を払ったとしても、それ以上の利益が得られる場合には、喜んで対価を払おうとすることです。

p.65-6 人づきあいで行うルールとして、直接対応した相手に、こちらが要望を受け入れたにしても、拒否したにしても、感情的な反感を持たれてしまった時点で、「ノックアウト」なのです。
 ノーを言う場合には、
◎こちらが意地悪で主張しているのではない
◎相手をわざわざ傷つけようとしているわけではない
◎相手の価値観は理解した上で話をしている
 ということを、心の底から相手との信頼をもって伝えないといけません。

p.95 「この商品(サービス)をぜひ、知りあいに勧めたいですか?」

p.95-6 通常の満足度調査では、たいへん満足・満足と取るとそれだけで80パーセントくらいになってしまい、役に立たないのです。それに対して、NPS(Net Promoters Score、推奨者の正味比率)を使うと、先ほどから説明してきた「無意識のレベル」、すなわち、「自分の信用をかけて、評価をかけてまで人に勧められるか」ということが判断されますので、より正確な調査になります。

 そして、このNPSが高いほど、業績が上がり、社員のモチベーションが維持されるため、短期的な利益や売上ではなく、顧客ロイヤリティを高めることを従業員評価やミッションとして使うことが企業の目標として行われているのです。なぜなら、短期的な利益はあくまでそのような顧客ロイヤリティの一部が収益化したものであり、もしロイヤリティが低いまま売上を上げていたら、競合他社の商品が出たときに簡単にスイッチされてしまうからです。

p.146 何かタスクを任され、それについて自分で判断し、行動し、その成果を自分の責任として披露をし、評価される。その繰り返しだけが、自分の責任能力を育成していきます。

p.156 何か対立が生じてしまった場合には、「圧倒的な事実」「圧倒的な証拠」が私たちの味方になります。どんなに相手が理屈をこねて、細かいことで攻撃してきたとしても、こちら側に実績があれば、相手は単に負け犬の遠吠えとして他者には映るわけです。したがって、対立が生じたときに素早く客観的な味方を多くつけられるよう、もともとのファンを作っておく、実績を上げておく方が、対立の中で「退治」というリスクが高い方法をとらなくても対応できることです。

p.173 努力というのはすなわち、
◎あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源をどのくらい、集中して「配分」するか
 という、「資源配分」の問題なのです。
 すなわち、努力については、以下の2点に集約されます。
◎自分がそういった時間を配分してもいないのに、他人が得意なことをうらやましがってもしようがない
◎どの分野が得意か不得意かというのは、自分のこれまでの時間配分の結果である

p.228 私たちがストレスを上手にコントロールしながら生きるためには、私たち自身が自分が行うことに効力感を持つ必要があります。すなわち、自分の努力が成果として現れて、それでしかも周りが感謝をする、自分の自尊心も満たされる、という好循環が必要なのです。

p.238 「断る力」を身につけるためには、常に建設的な流れに話を持って行けるだけの知識と知恵を蓄える必要があるのです。すなわち、
◎自分の○○という得意分野が、Bという目標達成手段として活用できる
◎その得意分野を活かすことのほうが、当初のAという命令よりも目標達成の可能性が高い
◎したがって、自分の得意分野を活かすことが、すなわち、相手にとってもメリットが高い
 ということを、相手にも即座に納得できる形で示すことが必要なのです。

p.278 人と関わり合うときに、むやみやたらに相手のあらさがしをして、批判を繰り返すことは、相手から学ぶことが何も出来なくなってしまいます。それは単に、相手が自分よりも劣っているところがある、あるいは劣っていないにしても、自分として相手に対して批判できることがある、ということを密かに喜んで、自分の優越感を満たすためのカタルシスとして利用しているに過ぎません。
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薬は自動販売機で売れるのか?

2009-03-12 22:34:47 | よくわからないこと
ネット薬局:市販薬販売で業界ルールを提示

 改正薬事法施行に伴い6月から一般用医薬品の通信販売が一部を除き禁止される問題で、インターネット上に店舗を持つ薬局で作る「日本オンラインドラッグ協会」は12日、販売継続に向け、安全確保のために作った業界ルールを厚生労働省の検討会で示した。

 薬のネット販売は、購入者への情報提供や、大量購入の防止などの面で問題があるとされる。業界ルールは(1)添付文書を表示し、顧客が既往歴などの質問に答えないと購入できない(2)1回で買える数量制限を決め、複数回の注文も合計数量をチェックする--などの内容。違法販売サイトと区別するため、店舗を都道府県への届け出制にし、ホームページでの表示義務を課すとした。

 これに対し、薬害被害者や日本薬剤師会からは「購入者の個人認証が可能か」「直接の会話なしに、不必要な購入をやめさせるなどの説得ができるか」といった疑問が出された。
毎日新聞 2009.3.12
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 インターネットは、生身の人を介さないシステムだ。遠隔地のものがやりとりを行うために、回線を使用するだけのこと。
 機械上の手続きで安全が担保できるというのなら、医薬品の販売は自動販売機だって可能である、ということにならないか。無人販売もOKということか。

 個人認証はタスポのようなカードで行えばよい。何なら、被保険者証にその機能をつければよいのかもしれない。

 安全を確保するうえで、対面販売という人を介する仕組みで行おうというのは、薬が必要な人に適切に使われる保証を、そこに委ねましょうと言っていることではないだろうか。もちろん、その人がいいかげんならダメだが、その人の質は薬剤師という国家資格で維持するとして、安全を守る方法論としてどういうものが適切かということのように思われる。
 
 システムは人が作るとはいえ、総合的な判断がシステムで賄えるのではないし、確認行為は一定のフローで代用できる、いわば専門性を問わない内容なのだろうか。それによって生命に影響を及ぼす医薬品が国民に供されていて、安全が守れると言えるのだろうか。
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最後のルール

2009-03-12 22:11:42 | Book Reviews
「最後のルール プロフェッショナルになる16条件 浜口直太・著、G.B.、2007年5月15日

p.14 仕事は人間的に成長する活動であり、職場はその現場であると理解できた。

p.72 プロは何のために仕事をするのかといえば、人間的に成長するためです。

p.75 目標や計画というのは変えられますが、志や理念というのはそう簡単に妥協できません。一生、死ぬまで追い続けなければならないものです。だから、プロフェッショナルたる者は、ずっと努力し続けるのです。

p.76 志、または理念は、自分のためだけだと行き詰ってしまいます。これは人間の本性です。人間は人のために生きてるようにできているのです。

 真のむろふぇっしょなるとは、自分の経験や知識を世のため人のために使っていく人です。だから評価されるし、また本物の努力をし続けられます。自分の関心が自分だけにあったら、真のプロフェッショナルとは言えません。

p.80 悪い結果も含めすべて自分の責任だと受け入れること。責任を感じなかったら、もう次はありません。それがプロとアマチュアの大きな違いです。

p.97 負のサイクル
 結果・成果を気にせず、ただ働く-->言われたことだけをこなし続ける-->自分自身が成長せず、結果・成果も出ない-->周囲はどんどん成長し、自分は退化する-->評価されず、期待もされなくなっていく-->大差をつけられ「負け組」入り-->結果・成果を気にせず、ただ働く

p.101 仕事を通じて周りの人に喜びを与えなければならない。それは相手に「ありがとう」と言ってもらうことなのですが、それがなければ本当の意味での仕事ではなく、機械的な「作業」止まりと言えます。
 仕事に対する評価は自分がするのではなく、他人がするのだということを勘違いしてはならないのです。

p.102 プロの世界は、他人の評価に尽きるわけです。自分がどんなにがんばった、どれだけ時間を使った、成果を出したと思っても、実際に他人が見て評価してくれなければプロの仕事とは言えません。

p.107 「仕事」は人との関わり通して成長していくということ。

p.110 プロとして目指すべきは「能力を含む総合的な人間的成長」です。

p.113-4 (仕事とは)誰かのためにやるとなると、そう簡単にあきらめるわけにはいかなくなります。使命があるので、何が何でも壁をぶち破らなければならなくなるものです。
 さらに世のため人のためになることには、終わりがありません。常に学び努力し続け、妥協は許されません。つまり、自分が成長し続けられるわけです。

p.124-5 自分には能力や経験、知識がなくても、一生懸命に世のため人のためにがんばっていれば、どんどん周りがよき理解者やファンになってくれるのです。そうすると必要な情報や人をどんどん提供してくれるようになり、次第に大きな力となっていきます。力がついていくわけですから、結果がでないわけないですよね。
 私はこれを「成功の方程式」だと思っています。世のため、人のためにプロ意識をもって一生懸命に仕事をすれば、必ず超一流のプロフェッショナルになれると。なぜかというと、評価するのは周りの人ですから。

p.152-3 成功した人の中には「好きなことをやっていますから」と言う人もいます。しかしそれには深い意味があって、自分のわがままを既にのり越えてもっと深いレベルで戦っているのです。
 単に本当に好きなことだけをやっていたら仕事ではありませんし、結果も出ません。わがままを抑えてこそプロなのです。

p.157-8 自分が成長しようと思ったとき、もっとも具体的な目標になるのは人です。その目標とする人を真似すればいいし、いいとこ取りをすれば効果が出ますから。ところが単なる目標、つまり自分だけの目標だと「絵に描いた餅」になりがちです。
 ですが現実にそれをやってのける「人」がいたら、その人を観察するだけでも非常に勉強になります。その人のやっていること、特にいいことを全部盗めばいいのですから。そうすることによって急速に進化、成長できます。
 つまり師という存在を作り、その人からいいところを全部盗むことがプロになるためのもっとも早い成長法なのです。

p.161 「人の短所は見ないでいい」のです。見た瞬間に学ぶ気をなくします。人間には必ず短所があるのですから。

p.162 いいところだけを見て成長しようとするのがプロなのです。

p.165 一生懸命に上司や師についた人は、部下や弟子の気持ちがわかります。どうやったら一生懸命ついてくるかということがわかっているので、すごく魅力的な上司や師にもなれます。

p.189 「学歴」、いい大学を出たという意味ではなく、学ぶ歴史のことです。学び続けた人が学歴のある人だと思います。学ぶ歴史を数多く持っている人が、幸せになれるのではないかと。
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実践副作用学

2009-03-11 19:32:15 | Book Reviews
くすりの副作用をどう考えどうとらえたらよいのか? 実践副作用学」 どんぐり工房・編、医薬ジャーナル社、2009年2月20日

 副作用を知るにあたり、その傾向を分析することが多かった。しかしそれにはある程度の症例数が集まらないと傾向は見えてこない。
 機序別分類をするにも、ある程度の症例を必要とするとはいえ、傾向を知るより少なくい数で、発生のメカニズムの分析が可能である。それによってある症例が副作用かどうか、その後どのような対応をとるとよいか、考えていこうとする。
 判断をし、何らかの行動をとるうえで、副作用の機序を把握することから始めてみたい。
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「主治医の判断」に預けて逃げる

2009-03-10 23:17:11 | くすり雑感
 COPDでは抗コリン作用のある吸入薬が第一選択とされるが、患者の多くは長年喫煙をした男性が多く、前立腺肥大症であることもしばしばである。抗コリン薬を使いたい、しかし疾病禁忌というジレンマがある。

 どうか前立腺肥大でもCOPDのために抗コリン薬は使うと言い張る医者が多い。使っていても大丈夫だと言うのだ。使っていて尿閉などで困ったケースに出会っていないというのである。

 あるメーカーに尋ねると、もともと禁忌だから使用したという文献はないという。しかし両疾病の年齢層は同じだから、使用例くらいあるのではないか、その事例ではいったい大丈夫なのかどうか尋ねるが、どうも返事は煮え切らない。

 問い合わせ者がなぜそこをつっこんで尋ねているのか、どのような患者がいて、どのような処方があって、どのように困っていて、そういう想像力がメーカー側には欠けているように思われる。「それはさぞかしお困りですねぇ」という雰囲気のかけらも見えてくることはいたって少ない。

 「使用するかどうかは医者の判断なので」という一言で済ませようとするメーカー。原則禁忌でも、承知で使うと言われれば、それ以上関知できないという。使ってくれるうえ、医者の責任でやるというのなら、メーカー側は内心、願ったり叶ったりだろう。
 しかしそれを調剤するかどうかは、薬剤師側の判断だ。どうしても危険性が高いというのなら、調剤拒否だってありうるのだ。メーカーは、医者が承知で処方したのだから、薬局はそれに従わざるをえないのではないか、と言っているも同然だ。医者が使用してもよいと言っても単純に首肯するのでは薬剤師法24条疑義照会の意にそぐわない。

 どうかメーカーは「医者の判断」に投げて、「薬剤師の判断」は無視して、疑問の核心から逃げているように思えてしまう。薬剤師側の判断に参考となる情報が提供されてもよいのではないだろうか。
 中には有意義な情報提供がなされることもないわけではない。

 いまだに「それは主治医の判断ですから、それ以上メーカー側としては申しあげようがありません」という口上が、あたかも切り札のように使われている。そういった問い合わせに対して真正面から向き合おうとしない姿勢を見直す時期に来ているのではないだろうか。
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破裂(下)

2009-03-10 22:14:51 | Book Reviews
「破裂(下)」 久坂部羊・著、幻冬舎文庫、2007年8月10日
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会営薬局が閉局

2009-03-09 22:29:36 | 薬局経営
 分業先進県の秋田県秋田市の「秋田中央薬剤師会営薬局」が今月末で閉局し、隣接する市立夜間休日応急診療所での院内調剤に移行することになった。

 同会営薬局は開設当初から赤字経営が予想されていたため、市からの補助金を受け、安定的な運営が行われてきた。しかし市の財政悪化により補助金が削減されるなど、赤字経営が続いていた。

 院内調剤への移行について、同市保健所が2月末の地元紙に対し、「院内処方の形に変更すれば、患者が薬局に移動する時間や手間も省かれ、サービス向上につながる」とコメント。

 秋田市中央薬剤師会は3日付けで、同市保健所に対し、医薬分業の精神、機能を否定した新聞報道の真意を質すべく、抗議を申し入れた。

 抗議文では、「医薬分業制度の本質とする安全な薬物療法を否定し、院内調剤の方がよいとする見解を公表した」と反発。さらに「総額1400万円の運営費用についても、この金額を補助金として交付できれば、会営薬局を問題なく運営できることが可能であり、行政機関の不備により閉局を余儀なくされる事態を回避することが可能であった」と指摘。
(以上、薬事日報 2009.3.9 より抜粋)
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 財政悪化とはいえ、市民の安全確保のための費用を削った秋田市保健所。夜間休日の医療提供体制を崩すこともいとわない。今後、院内調剤にするということは、同一施設内で院内調剤のフィーで医療を続けるということだろうか。

 医薬分業は、薬物療法が安全に進められるための、住民の安全を確保するための社会的システムだ。これまでの実態では、その意義に乏しいというのだろうか。かけた経費に見合った価値が得られていないというのだろうか。投資しただけの成果を見せろとでも言いたいのだろうか。

 市から医療の基本を崩すということは、市が医薬分業を否定するも同然だろう。夜間休日であるから院内でもいい、というものでもない。平日の日中であろうと、手間やコストをかけてでも安全確保の体制をとることに意味がある。移動時間や手間を省くことがサービスなのではなく、本質は安全を守ることだ。

 三条総合病院のときと根源は似ていて、いまだに医薬分業の意味を理解していない者の愚行ではないか。もちろん、薬剤師側は医薬分業による価値を実感させていく必要があるだろうが、そのような決定になってからでは遅く、そうなる以前からの“火の気”のないうちからの取り組みが問われていたのだと後悔される。

 強制分業でない以上、医療機関も行政も平気で医薬分業を平気で崩そうとする。診療所は市立であっても、会営薬局は市の施設ではなかったというかもしれない。しかし、医療は両方あって成立するものであり、薬局は削っても構わないものだと考えているとしたら、また考えられているとしたら、ゆゆしきことだ。

 ひょっとして医薬分業は緊急事態に陥ろうとしているのか。こうも簡単に院内調剤に戻ってしまうとは、それが全国展開しようとしているのだとしたら、新年度は恐ろしい年になるかもしれない。
Comments (3)
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破裂(上)

2009-03-09 21:51:35 | Book Reviews
「破裂(上)」 久坂部羊・著、幻冬舎文庫、2007年8月10日
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副作用情報に消極的

2009-03-06 22:28:51 | 薬害は人災だ
 SSRIによる“他人を傷つける行動”の副作用が業界紙に流れた。ある薬剤Pでは、28報告中23例において因果関係が疑われているが、そのうちメーカーが因果関係を認めているのはたったの3例にすぎない。むやみに因果関係アリと認められても困るのはわかるが、現場でそのように判断されているにもかかわらず、認めるための判断材料が足りないとしており、あらゆる角度から確認されなければ認められないとするようでは困る。真実を霧に包んでしまおうとしているかのように映る。

 また外資系B社では、副作用に関する記事を書籍で解説するにあたり、自社製品のブルーレターが一例として紹介されることを拒否した。理由は、少しでも自社品のマイナスイメージ的情報が、ひと目について欲しくないからだという。

 またO社では、自社製品の疾病禁忌症例について照会があった際、自発報告だけで文献はないと回答した。その後、照会先からある文献の所在を紹介され、提供が求められた際に初めて、実はその文献は知っていたことを認め、コピーを送付してきた。

 同じくB社でも疾病禁忌に関する問い合わせがあった際に、問い合わせ者は当該薬剤の合併症患者に対する危険性の程度をたずねたのだが、自発報告に見られた内容を答えるのみで、核心の疑問にせまる情報は提供して来なかった。


 お客さま相談窓口等の問い合わせ窓口は各社に設置されたが、安全性に関する情報の提供はことごとく消極的である。少しでもひと目につかないようにしたい、その話題が大きくならないようにしたい、などという意図が透けて見えるようなのはたいへん残念である。

 こうも続くと業界全体にその風潮があるのではないかと思いたくなるが、良心のある、安全性確保に前向きな製薬企業はきっとあると信じたい。
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ビジネス・プロフェッショナル

2009-03-06 22:15:10 | Book Reviews
「ビジネス・プロフェッショナル 「プロ」として生きるための10話 大久保幸夫・著、ビジネス社、2006年2月10日

p.4-5 プロにとってもっとも恥ずべき行為は、職業倫理に照らし合わせて「悪い」と判断されることが目の前で展開されているにもかかわらず、そのことに対して何も発言せず黙ってしまうことです。
 プロにとってのそのような行為は自己否定です。生涯の仕事として選んだ道に対する侮辱行為であり、プロ意識が欠如していなければ見過ごせるはずがありません。それにもかかわらず黙ってその仕事を受け売れているというのは、「プロ意識」が崩壊してしまっているからでしょう。

p.25 経営合理性の前に、従業員としての職業倫理を持っていなければ、長期的に見た場合にはむしろ企業にとっては大きなリスクになってしまう可能性がある。そのことを回避するために、従業員にはやはりプロフェッショナルとしての意識、評価が必要であるという考え方に企業も少しずつ変わってきています。

p.70 「自律の壁」を破るきっかけとなるのは、自分の視界が内向きか外向きかということが非常に大きなポイントとなります。

p.83 「あなたにはプロとして守るべき職業倫理がありますか?」
 この問いは、職業人から「求道者」としての域に達しているかどうかを聞いているのです。卓越したプロ医師がその職業倫理を守るのは、「そうしないと患者が危険だから」ではありません。ましてや「倫理規定にそう書いてあるから」でもありません。医師という一つの道を探究する人間として、社会に対してあるべき姿を追求しているのにほかならないわけです。

p.87-8 自分自身の内側からわき上がる意識、他者の目を通じて感じる意識、実技的な面から見て判別される意識、この三つの角度からの意識が合体してプロ意識が構成されていると考えています。

p.122 プロの世界にあって、企業社会の中での「配属」という出会いによって、お互いが望んだわけでも認めたわけでもなく引き合わされた両者の間で、師匠と弟子の関係が成立するかどうかというのは、実は大きな疑問です。

p.138 プロは、最新情報の学習を常にしています。プロは、自分の専門領域における情報を知らないということがあってはならないからです。

p.158 「道徳性を無視すれば、世の中のニーズに反してしまうために、結局は経済合理性や効率を損なう」という、主従でいえば「従」としての論理として道徳性が存在しているわけです。このため、自由競争の論理や管理の論理の中では、しばしば道徳性が無視されがちになります。その意味でいうと、「プロフェッショナル」は、「優れた仕事をすることそのものが喜び」なのであり、自制的な意味での道徳性とは異なり、道徳性を高め守ることそのものが一つの目的と化しているといえるのです。言い方を換えれば、「プロたるものは職業倫理を守るべき」なのではなく、「職業倫理を高め守ることがプロとしての道」だということです。

p.168 最初にその事象を認知した人が見て見ぬふりをする行動をとってしまうと、次にその事象を認知した人は言い出しにくくなるのです。すなわち、不正をもっとも早く発見できるプロが見逃してしまった瞬間に、傍観者が働いてその不正が止まらなくなってしまうのです。

p.170-1 自分の仕事の領域が、社会にどのような役割を持っているのか、いま自分が行う判断によってそれがどのような影響を与えるのかということについて、ビビッドに感じるのがプロなのです。

p.171-2 企業とはどうしても性質的に倫理が機能しにくいものです。なぜなら、企業は経営合理性に抗えないからです。経営合理性とは、人より儲けたいという利己心ではなく、株主のため、従業員のための考え方でもあるわけです。
 自らの収入を最大化するよりも、満足や他者の利益のためにすぐれた仕事をすることに専念するプロの論理は、会社の経営方針から生まれないからです。プロの論理は、プロの存在によって生まれるものなのです。

p.175 プロの論理がなぜ会社の論理と違うかというと、プロの論理は科学性や人間性に基づいたものだからです。会社の論理が合理的な判断の下に構築されるのに対し、プロの論理は真・善・美といった事柄が大きく作用します。

p.197 バブル崩壊以降、かつてブームになった成果主義は多くの問題を抱えています。なぜなら、成果主義は報酬制度であり、人材育成の制度ではないからです。つまり、育成をせずに、成果だけでは評価しようというわけですから、持続性がありません。これでは、企業の人材価値は目減りして、いつか競争力を失ってしまいます。過去の例でも、人材育成をコアとしない人事制度は必ず失敗しています。

p.204 低成長時代にあっては、売り上げも増えなければ収入も増えないわけですから、そこに価値をおこうと思ってもおけないわけです。すると人は自然と、自分自身のこだわりや満足に価値基準を合わせようとするものなのです。
 低成長時代にあっては個人の満足を求める人々のそうした傾向が、プロフェッショナルの構造とマッチングしていることがわかると思います。
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パーソナルブランディング

2009-03-05 22:43:42 | Book Reviews
「パーソナルブランディング」 ピーター・モントヤ、東洋経済新報社、2005年6月14日
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安全管理の現場力

2009-03-03 22:35:11 | Book Reviews
「安全管理の現場力 ―スタッフへのアドバイス― 樋口勲・著、中災防新書019、2004年7月23日

p.25 「無事故無災害に不思議な無災害あり、災害に不思議な災害なし」

p.26 職場の安全活動も「先取り」の活動です。

p.33 安全管理に「対岸の火事」のような考えは厳禁であるということを意識しなければなりません。自分の職場はどうなのか? 類似の危険個所はないか? 類似の作業はないか? 必ず確認し、問題があれば事前に手を打つ、あらゆる事故、災害を「他山の石」とすべきであり、その積み上げが必ず災害防止につながるのだということを確信すべきです。

p.61 「ゼロ災」とは、単に数字的に災害がないということではありません。災害発生の可能性も含めて、潜在災害要因そのものを根絶してしまうことを「ゼロ災」といいます。

p.63 大切なのは、素直に(ヒヤリ・ハット)提案でき、その内容を全員が討議できる職場風土だと思います。

p.79 災害調査は、災害の程度に関係なく行わなければなりません。不休災害だから簡単に、重大災害だから慎重にということではありません。災害の程度はあくまで結果であり、たまたま災害の程度が軽かったということだけで、災害発生原因は同じであるということを意識して調査することが大切です。

p.116 「安全点検の結果、異常なしが三回続いたら気を付けよ」

p.122-3 安全教育は、ただ知識として理解していただけでは不十分なのです。内容を相手がしっかりと理解し、その理解を基本として「行動」してもらわなくては安全教育を行ったとはいえません。さらに、その行動は、継続的でなければなりません。安全教育は相手を育てるという気持ちで心を込めて行うのです。

p.134-5 「なぜ?」の分析でなく、「どうであったか?」を集めることです。「どうであったか」を集めれば「なぜ?」の分析はいつでもできます。「なぜ?」の調査は、個人の責任追及につながりかねません。関係作業者は失敗を恥じと考え、真因追究に誤りが生じます。

p.193-4 安全教育は「教える」ということと「育てる」ということから成り立っています。ハート面での対策として安全教育を考えなければならないのです。一般的に教育というと知識を与えることだけに主眼が置かれていますが、安全教育は与えられた知識をもとに行動できること、さらに必ず守るという態度を養成するものです。

p.198 職場の安全は、先取りです。

p.212 従来安全衛生対策はハード面とソフト面の両面から対応せよといわれていました。しかしながら最近の生産設備はほとんどライン化されシステム化されており、これら制御システムのことをソフトといいます。そこで、人の側面からの取り組みをより明確にするため、私はあえて「ハート面」での対応と呼んでいます。作業の効率化、コスト意識が強調され、ややもすると忘れられがちになる作業者という「人」の問題、すなわち「ハート対策」を強調したいからです。

p.217 私たちの周りにはたくさんの機械装置が設置されています。そして、それぞれにはいくつもの安全装置が設置されています。危険だからこそ安全装置が設置されているのです。なぜ安全装置が設置されているのかということをつい忘れてしまい、その機械装置は安全なものと勘違いをしています。
 なぜ、安全装置があるのか、どこに安全装置があるのか、それは正常に作動しているのか、安全装置を万一外したらどうなるのか、こういう基本的な教育が大切なのです。

p.230 「機械安全の分野に限っても、この機械はこれまでケガをしたことがないから安全であるというレベルから、危ない可能性のあるところをすべて予測し、危険なところは予防手段を施してあるから安全であるというのでは、安全のレベルが異なるはずです。機械安全における安全のレベルから言うと、わが国は前者をもって安全と考える傾向にありますが、国際的には後者のレベルをもって安全としています」

p.244 
●CHECK・・・・・結果を確認する
 ・結果を見て、計画どおりか確認する
 ・計画に盛られた目標値と比較してみる
●ACT・・・・・処置する
 ・結果が計画どおりであれば、その良い状態を引き続き維持していくために、やるべきことを考える
 ・計画どおりでなかった場合は、なぜそうなったかを考えて、改善策を立て、それを次の計画に役立たせる
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