<WBC>優勝トロフィーに背番号「25」 内川、先輩・村田への思い 3月24日19時56分配信 毎日新聞
【ロサンゼルス小坂大】チーム全員での記念撮影の後、輝く純銀の優勝トロフィーに背番号「25」のユニホームがのせられた。負傷のため、無念の途中離脱となった村田(横浜)のユニホームだ。グラウンドに持ち込んだのは横浜の後輩である内川。「村田さんがいたことを日本のみなさんに知ってほしかった」と話した。
村田が負傷したのはのは2次ラウンド1組1位決定戦の韓国戦。右太もも裏側の筋肉を損傷、全治6週間の重症でWBCどころかペナントレースの開幕出場も絶望になった。車椅子に乗って日本に帰国した村田は、それでも「日本のために頑張ってくれ」と、米国の仲間たちにエールを送った。
そんな思いを引き継いだ内川は、この日、「6番・左翼」で先発出場。3安打を放っただけでなく、守っても五回、左翼線に飛んだ長打性の当たりを素早く処理、強肩を生かした返球で走者を二塁で刺す好守を披露。日本でテレビ観戦した村田に届けとばかり、ハッスルプレーを見せた。
内川選手は、最後まで立派な働きをしてくれた。
村田選手は、ケガはしてしまったものの、最後までアメリカで待機していることはできなかったのか。あの歓喜の輪の中にいさせてあげられなかったのは、残念の一言に尽きる。村田選手の韓国戦の3ラン、存在の大きさを見せつけた一振りだった。
【ロサンゼルス小坂大】チーム全員での記念撮影の後、輝く純銀の優勝トロフィーに背番号「25」のユニホームがのせられた。負傷のため、無念の途中離脱となった村田(横浜)のユニホームだ。グラウンドに持ち込んだのは横浜の後輩である内川。「村田さんがいたことを日本のみなさんに知ってほしかった」と話した。
村田が負傷したのはのは2次ラウンド1組1位決定戦の韓国戦。右太もも裏側の筋肉を損傷、全治6週間の重症でWBCどころかペナントレースの開幕出場も絶望になった。車椅子に乗って日本に帰国した村田は、それでも「日本のために頑張ってくれ」と、米国の仲間たちにエールを送った。
そんな思いを引き継いだ内川は、この日、「6番・左翼」で先発出場。3安打を放っただけでなく、守っても五回、左翼線に飛んだ長打性の当たりを素早く処理、強肩を生かした返球で走者を二塁で刺す好守を披露。日本でテレビ観戦した村田に届けとばかり、ハッスルプレーを見せた。
内川選手は、最後まで立派な働きをしてくれた。
村田選手は、ケガはしてしまったものの、最後までアメリカで待機していることはできなかったのか。あの歓喜の輪の中にいさせてあげられなかったのは、残念の一言に尽きる。村田選手の韓国戦の3ラン、存在の大きさを見せつけた一振りだった。