何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

安全管理の現場力

2009-03-03 22:35:11 | Book Reviews
「安全管理の現場力 ―スタッフへのアドバイス― 樋口勲・著、中災防新書019、2004年7月23日

p.25 「無事故無災害に不思議な無災害あり、災害に不思議な災害なし」

p.26 職場の安全活動も「先取り」の活動です。

p.33 安全管理に「対岸の火事」のような考えは厳禁であるということを意識しなければなりません。自分の職場はどうなのか? 類似の危険個所はないか? 類似の作業はないか? 必ず確認し、問題があれば事前に手を打つ、あらゆる事故、災害を「他山の石」とすべきであり、その積み上げが必ず災害防止につながるのだということを確信すべきです。

p.61 「ゼロ災」とは、単に数字的に災害がないということではありません。災害発生の可能性も含めて、潜在災害要因そのものを根絶してしまうことを「ゼロ災」といいます。

p.63 大切なのは、素直に(ヒヤリ・ハット)提案でき、その内容を全員が討議できる職場風土だと思います。

p.79 災害調査は、災害の程度に関係なく行わなければなりません。不休災害だから簡単に、重大災害だから慎重にということではありません。災害の程度はあくまで結果であり、たまたま災害の程度が軽かったということだけで、災害発生原因は同じであるということを意識して調査することが大切です。

p.116 「安全点検の結果、異常なしが三回続いたら気を付けよ」

p.122-3 安全教育は、ただ知識として理解していただけでは不十分なのです。内容を相手がしっかりと理解し、その理解を基本として「行動」してもらわなくては安全教育を行ったとはいえません。さらに、その行動は、継続的でなければなりません。安全教育は相手を育てるという気持ちで心を込めて行うのです。

p.134-5 「なぜ?」の分析でなく、「どうであったか?」を集めることです。「どうであったか」を集めれば「なぜ?」の分析はいつでもできます。「なぜ?」の調査は、個人の責任追及につながりかねません。関係作業者は失敗を恥じと考え、真因追究に誤りが生じます。

p.193-4 安全教育は「教える」ということと「育てる」ということから成り立っています。ハート面での対策として安全教育を考えなければならないのです。一般的に教育というと知識を与えることだけに主眼が置かれていますが、安全教育は与えられた知識をもとに行動できること、さらに必ず守るという態度を養成するものです。

p.198 職場の安全は、先取りです。

p.212 従来安全衛生対策はハード面とソフト面の両面から対応せよといわれていました。しかしながら最近の生産設備はほとんどライン化されシステム化されており、これら制御システムのことをソフトといいます。そこで、人の側面からの取り組みをより明確にするため、私はあえて「ハート面」での対応と呼んでいます。作業の効率化、コスト意識が強調され、ややもすると忘れられがちになる作業者という「人」の問題、すなわち「ハート対策」を強調したいからです。

p.217 私たちの周りにはたくさんの機械装置が設置されています。そして、それぞれにはいくつもの安全装置が設置されています。危険だからこそ安全装置が設置されているのです。なぜ安全装置が設置されているのかということをつい忘れてしまい、その機械装置は安全なものと勘違いをしています。
 なぜ、安全装置があるのか、どこに安全装置があるのか、それは正常に作動しているのか、安全装置を万一外したらどうなるのか、こういう基本的な教育が大切なのです。

p.230 「機械安全の分野に限っても、この機械はこれまでケガをしたことがないから安全であるというレベルから、危ない可能性のあるところをすべて予測し、危険なところは予防手段を施してあるから安全であるというのでは、安全のレベルが異なるはずです。機械安全における安全のレベルから言うと、わが国は前者をもって安全と考える傾向にありますが、国際的には後者のレベルをもって安全としています」

p.244 
●CHECK・・・・・結果を確認する
 ・結果を見て、計画どおりか確認する
 ・計画に盛られた目標値と比較してみる
●ACT・・・・・処置する
 ・結果が計画どおりであれば、その良い状態を引き続き維持していくために、やるべきことを考える
 ・計画どおりでなかった場合は、なぜそうなったかを考えて、改善策を立て、それを次の計画に役立たせる
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする