何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

断る力

2009-03-13 22:41:51 | Book Reviews
「断る力」 勝間和代・著、文春新書、2009年2月20日

p.49-50 「子どもサッカー」とは、戦略性も何もないまま、ひたすらボールを追いかけて、ゴールをめざすような、子どもたちがおこなうサッカーのことです。

p.62 「コモディティ」と「スペシャリティ」の一番の違いは何かというと、相手にとって、「コモディティ」はコスト勘定で処理をされるが、「スペシャリティ」は投資勘定として処理されるということです。すなわち、「コモディティ」とつき合うことはつき合う相手の売上や収入を上げることではないので、なるべく安い相手や使い勝手のいい相手を探すことになります。それに対して「スペシャリティ」になるということは、相手が実行しようとしている仕事の価値そのものを上げるため、たとえ対価を払ったとしても、それ以上の利益が得られる場合には、喜んで対価を払おうとすることです。

p.65-6 人づきあいで行うルールとして、直接対応した相手に、こちらが要望を受け入れたにしても、拒否したにしても、感情的な反感を持たれてしまった時点で、「ノックアウト」なのです。
 ノーを言う場合には、
◎こちらが意地悪で主張しているのではない
◎相手をわざわざ傷つけようとしているわけではない
◎相手の価値観は理解した上で話をしている
 ということを、心の底から相手との信頼をもって伝えないといけません。

p.95 「この商品(サービス)をぜひ、知りあいに勧めたいですか?」

p.95-6 通常の満足度調査では、たいへん満足・満足と取るとそれだけで80パーセントくらいになってしまい、役に立たないのです。それに対して、NPS(Net Promoters Score、推奨者の正味比率)を使うと、先ほどから説明してきた「無意識のレベル」、すなわち、「自分の信用をかけて、評価をかけてまで人に勧められるか」ということが判断されますので、より正確な調査になります。

 そして、このNPSが高いほど、業績が上がり、社員のモチベーションが維持されるため、短期的な利益や売上ではなく、顧客ロイヤリティを高めることを従業員評価やミッションとして使うことが企業の目標として行われているのです。なぜなら、短期的な利益はあくまでそのような顧客ロイヤリティの一部が収益化したものであり、もしロイヤリティが低いまま売上を上げていたら、競合他社の商品が出たときに簡単にスイッチされてしまうからです。

p.146 何かタスクを任され、それについて自分で判断し、行動し、その成果を自分の責任として披露をし、評価される。その繰り返しだけが、自分の責任能力を育成していきます。

p.156 何か対立が生じてしまった場合には、「圧倒的な事実」「圧倒的な証拠」が私たちの味方になります。どんなに相手が理屈をこねて、細かいことで攻撃してきたとしても、こちら側に実績があれば、相手は単に負け犬の遠吠えとして他者には映るわけです。したがって、対立が生じたときに素早く客観的な味方を多くつけられるよう、もともとのファンを作っておく、実績を上げておく方が、対立の中で「退治」というリスクが高い方法をとらなくても対応できることです。

p.173 努力というのはすなわち、
◎あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源をどのくらい、集中して「配分」するか
 という、「資源配分」の問題なのです。
 すなわち、努力については、以下の2点に集約されます。
◎自分がそういった時間を配分してもいないのに、他人が得意なことをうらやましがってもしようがない
◎どの分野が得意か不得意かというのは、自分のこれまでの時間配分の結果である

p.228 私たちがストレスを上手にコントロールしながら生きるためには、私たち自身が自分が行うことに効力感を持つ必要があります。すなわち、自分の努力が成果として現れて、それでしかも周りが感謝をする、自分の自尊心も満たされる、という好循環が必要なのです。

p.238 「断る力」を身につけるためには、常に建設的な流れに話を持って行けるだけの知識と知恵を蓄える必要があるのです。すなわち、
◎自分の○○という得意分野が、Bという目標達成手段として活用できる
◎その得意分野を活かすことのほうが、当初のAという命令よりも目標達成の可能性が高い
◎したがって、自分の得意分野を活かすことが、すなわち、相手にとってもメリットが高い
 ということを、相手にも即座に納得できる形で示すことが必要なのです。

p.278 人と関わり合うときに、むやみやたらに相手のあらさがしをして、批判を繰り返すことは、相手から学ぶことが何も出来なくなってしまいます。それは単に、相手が自分よりも劣っているところがある、あるいは劣っていないにしても、自分として相手に対して批判できることがある、ということを密かに喜んで、自分の優越感を満たすためのカタルシスとして利用しているに過ぎません。
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