何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

患者は既にジェネリックを飲んでいることを知らない

2008-08-19 23:29:16 | くすり雑感
 あたかも先発品のようで、実はジェネリック扱いの医薬品は案外多いことを以前述べた。旧来の調剤でありながら、ジェネリックの調剤率を稼ぐ矛盾。

 ジェネリックの銘柄処方も少なくない。薬局はジェネリック変更を打診することなく、昔のままの調剤をすればよいから、説明の手間もかからず、汗をかかずに調剤率を稼げる結果となっている。
 
 患者は自らの服用薬において、どの薬剤が先発品で、どれが後発品であるか知らない(わからない)。患者から申し出なければ、そのまま調剤が進められてしまい、どうして薬局はジェネリックを勧めてこないのかと秘かに疑問に思っているかもしれない。そして自分の薬は、先発品ばかりだと思っているかもしれない。またそれは、ジェネリックに好感を持っていない患者にとっては好都合かもしれない。

 しかし、実は処方中には既にジェネリックが往々にして含まれている。知らぬは患者ばかりである。知らぬうちに、ジェネリックが使われているのだ。しかもメチコバールのように、薬価が最も高い後発品すらあるのだ。

 処方に対して、患者から尋ねられなくても、どれが先発品で、どれがジェネリックか、知らせたらどうだろうか。

 これまでジェネリックに慎重であった患者の中には、実は既にジェネリックを服用させられていたことを知って、驚く者もいるかもしれない。なぁんだ、ジェネリックを飲んでいても大丈夫じゃないかと、ならば先発品をさらに変更してみようかと、思う患者も出るかもしれない。

 またジェネリックを歓迎する患者では、その“勢い”で安心を深めてさらにジェネリックを期待するかもしれない。

 現実を知って、ジェネリック積極派も消極派も、新たな局面に進むことも予想される。それは概して使用促進の方向に向かうのではないだろうか。
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オシムの言葉

2008-08-18 22:26:34 | Book Reviews
「オシムの言葉」 木村元彦・著、集英社文庫、2008年5月25日

 本質を追求する原動力を湧き起こさせる指導者、ミスをミスで終わらせない指導者。

 ミスがただちに悪いわけではない。ミスしたことがない人はいない。ミスはどこでも誰でも起こりうる。準備を怠っていなかったか。日頃の取り組みを行い、十分活かしていたか。ミスから何かを学んでいるか。

 ミスを繰り返さず、成長できることが重要だ。

 
p.27 本当に強いチームというのは、夢を見るのではなく、できることをやるものだ

p.32 例えば5勝したとしよう。でも、全部1-0で内容も悪ければ、サポーターは決して競技場に来ないだろう。だからこそ、しっかりとしたチームを作りたい。

p.35 「ジュビロはJの中でナンバーワンのチーム。だから、そこに負けても恥ずかしいことではない。まずは、自分たちのサッカーを思い切ってやろう。負けてもいいから」

p.39-40 ―○○がミスをしましたが。
 「あなたは今までミスをしたことがありませんか?」「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」

p.49-50 サッカーにおいて最も大切なものはアイデアだ。アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。でもアイデアは練習だけでは身に付かない。鍛えられない。バルカン半島からテクニックに優れた選手が多く出たのは、生活の中でアイデアを見つける、答えを出していくという環境に鍛えこまれたからだろう。

p.139 システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを選手が探していくべきだ。
 システムは人の上に君臨するものではない。

p.144 ただ、それより重要なのは、ミスをしても叱っても使い続けるということだ。選手というのは試合に出続けていかないと成長しない。どんなに悪いプレーをした時でも、叱ったうえでそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる? その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。いつまでも殻を破ることができない。

p.223 私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものです。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーをしていたら、そのサッカーは面白いものになるのだろうか。
 観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。

p.289 私には、日本人の選手やコーチたちがよく使う言葉で嫌いなものが二つあります。『しょうがない』と『切り換え、切り換え』です。それで全部を誤魔化すことができてしまう。(ドイツ語には)『どうにもできない』はあっても、『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います。

p.307 プライオリティをプレーの質に置き、・・・

p.327 大金が稼げるからプロ、ではない。ファンが満足する魅力的なサッカーを、どこまでも追及する、それこそがプロだ、とオシムは言うのである。

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墜落の夏

2008-08-17 19:23:37 | Book Reviews
「墜落の夏 日航123便事故全記録 吉岡忍・著、新潮文庫、1989年7月25日
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神の火を制御せよ

2008-08-09 22:38:03 | 心に残ること
「成果だけ求めた科学者人生恥じる」 原爆開発参加者 悔悟の長崎訪問 米国離れたヒントンさん 西日本新聞 2008年8月9日 00:13

 米国の原爆製造計画「マンハッタン計画」に参加した米国人女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が8日、長崎市を初めて訪れた。無差別大量殺りく兵器として原爆が使われたことに憤り、祖国を離れたヒントンさん。爆心地に立ち、自らが生んだ核兵器の廃絶を強く願った。

 ヒントンさんは大学院で物理学の才能を認められ、24歳で計画に加わった。「砂漠に落として威力を知らしめ、ドイツの核兵器使用をやめさせるのが目的と思っていた」という。

 ウラン型原爆の広島投下を新聞で知り「まさか」と思った。3日後、プルトニウム型原爆が長崎に落とされたことも新聞で知り、二重の衝撃を受けた。米国の行為が許せず1948年に中国に移り住み、北京郊外で酪農をしながら核兵器廃絶を訴えてきた。

 ヒントンさんは米国の作家パール・バックの小説「神の火を制御せよ」のモデルとされる。邦訳を発行した東京の出版社の招きで初来日した。関係者によると「長年来日を希望していたが、機会が得られなかった」という。

 広島市に続いて長崎市に入り、長崎原爆資料館などを見学。展示された長崎原爆「ファットマン」の模型を無言で見つめ、熱線で溶けたガラスや重傷を負った人々の写真に「なんてひどい」とつぶやき、うつむいた。

 「私は研究成果だけを求める純粋な科学者だったことを恥じる。若い科学者には、自分の行為が招く結果を考えて行動してほしい」と静かに語った。


原爆開発:女性科学者が初来日 原爆ドームで絶句 毎日新聞 2008年8月6日 2時30分

 米国による第二次大戦中の原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が初来日し5日、広島を訪れた。数万人の命を一瞬で奪った科学に絶望して米国を離れ、中国へ渡って60年。科学者であることを捨て、酪農に従事したが、苦悩がなくなることはなかった。「自分がつくったものがどんな結果をもたらすのか。それを考えず、純粋な科学者であったことに罪を感じている」。しょく罪の意識から、広島訪問をかねて望んでいた。【平川哲也、黒岩揺光】

 「オーフル(awful、ひどい)……」。5日午後、原爆ドーム。ヒントンさんは鉄骨がむき出しの最上部を仰いだ。ドーム脇の英語の説明文を一語一語かみしめるように読んだ。「私はただ、実験の成功に興奮した科学者に過ぎなかった」

 1945年7月16日、米国南西部のロスアラモス近郊。立ち上る人類初の核実験のきのこ雲に、ヒントンさんは胸を躍らせた。原爆を巡るドイツやソ連との開発競争に打ち勝つため、42年に米国が始めた「マンハッタン計画」。最大時で12万9000人を動員した原爆開発計画が結実した瞬間だった。

 「科学を信じていた」。大学で物理学を専攻した21歳のころ、放射線の観測装置を完成させた才女は44年春、請われるまま同計画に参加した。ヒントンさんはプルトニウム精製を担い、全資料閲覧と全研究施設立ち入りを許可される「ホワイト・バッジ」を与えられた。約100人しかいなかったという。核実験の2カ月前にドイツは無条件降伏しており「研究目的の原爆開発であり、使われないと考えていた」。

 しかし8月6日。広島上空で原爆がさく裂する。新聞で原爆投下を知ったヒントンさんは声を失った。「知らなかった。本当に知らなかったの」と、まゆをしかめて話した。

 戦後は核兵器の使用に反対する動きに加わった。48年、内戦が続く中国・上海に渡った。内モンゴルに移住し酪農を営んだ。消えた足跡に、米国の雑誌は「原爆スパイ」と書き立てた。健在が知られたのは51年、全米科学者連盟にあてた手紙が中国の英字紙で報じられたからだ。それにはこうあった。

 <ヒロシマの記憶--15万の命。一人一人の生活、思い、夢や希望、失敗、ぜんぶ吹き飛んでしまった。そして私はこの手でその爆弾に触れたのだ>

 あの朝から63年。今なお後遺症に苦しむ人がいる。今なお米国を憎む人がいる。「なんと言えばいいか……」。ヒントンさんは絶句し、宙を仰いだ。
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プロジェクトX 新・リーダーの言葉

2008-08-08 23:42:10 | Book Reviews
「プロジェクトX 新・リーダーの言葉」 今井彰・著、文春文庫、2006年3月10日

 成功した人が成長を遂げたのではない。失敗したから成長があり、成功につながった。多くの失敗を恥じるのではなく、失敗に気づかず、失敗と認めず、そのままを続けていることを改めなくてはいけない。

p.27 「挑戦者に無理という言葉はないんだ」

p.46 「どんなものだって100%悪いものなんてないだろうと、俺は思っている。戦争だって病気だって、悪いに決まっているが、それを体験したからこそ初めて分かることだってあるんだ。なにしろ、逆境は自分で買おうと思っても買えないからな」

p.51 「ものを成し遂げるには、我慢がいる。耐え難い痛みでも耐えねばならないこともある」

p.76 「ライバルは他社ではない。お客の心だ」

p.81 「人間というものは、いつも『自分がいなけりゃ』とうぬぼれを持ち、肉体の最後の一滴を燃焼しつくすまで、天職をまっとうしようとするところに、大往生を遂げられるような気もする」
「困難にあわない人生というものはありえない。もしあるとすれば、それは怠けている証拠である」

p.153 「ものすごく難しいプロジェクトをやるときには、温厚な人がぽっと乗ったんじゃ何も起きない。突破口を開く時には燃える火が必要なわけです」

p.154 「人生、会社を選ぶのではない。仕事を選ぶんだと言い聞かせています。そして、いつもチャレンジです。情熱の持てる仕事ができるところなら、私は場所はどこでもいいんです。生涯、一技術者。就職はしますが、就社はしません」

p.196 「お客に『買ってくれ』というな。『買いたい』と思ってもらうんだ」

p.235 「技術者というのは、金のために仕事をするんじゃないんだ」

p.251-2 「カルテの表には、咳が出る、お腹が痛いって書きますね。しかしその裏、カルテの裏側を考える。カルテの裏には、その人の人生があると思うんです。親子の問題、嫁姑の問題、経済的な問題。その裏がわかるようになって初めて私は医療ができると思うのです」

p.286 「りんご道入りは、名誉や賞を得るために、はじめたことではない。我自身の体力の限界を、名もなく貧しく弱体の身を、人間らしく生きる道を求めて迷い込んだ道なのだ」
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墜落遺体

2008-08-07 21:34:41 | Book Reviews
「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 飯塚訓・著、講談社+α文庫、2001年4月20日

 墜落後、運び込まれてくる遺体の身元確認にあたった警官の立場からこの事故を振り返ったもの。猛暑の中、例を見ない事故に接し、誰もが精神を病む中、遺体安置所で任務を全うした警察官、医師、歯科医師、看護師たち。

 みなが極限状態に置かれた状態で触れ合う。こんな事態に立ち会うのはこれが最初で最後だろう。いかに普通に任務を果たすことが難しいことか。どんなに耐えても頑張っても、一瞬で身内を失った遺族と比べれば、恵まれていると思わなければいけない。いったい、誰が彼らを讃えるのだろうか。
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人は「話し方」で9割変わる

2008-08-06 19:59:33 | Book Reviews
『人は「話し方」で9割変わる』 福田健・著、経済界、2006年2月6日

p.38 会話には「思いがけなさ」がつきものである。話してみなければ、結果がどうなるかわからないのだ。相手はどう思うか。イヤな顔をされたり、恨まれたりしないか・・・・・と、気にしていたのでは、うっかりものも言えない。会話は楽しいどころか、どっと疲れが出てしまう。
 結果を気にするのは、よく思われたい、悪く思われたくないとの自己中心的態度とつながっている。相手を考えているようで、実は自分にとらわれている姿なのである。
 会話上手な人が輝いて見えるのは、自分にとらわれないで、生き生きと話しているからである。
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日航ジャンボ機墜落

2008-08-04 22:24:01 | Book Reviews
「日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時 朝日新聞社会部・編、朝日文庫、1990年8月20日

 今から22年前の8月12日の夕方、関越自動車道を藤岡インターから乗り東京方面に向かっていた。渋滞は覚悟だった。一般道を走る元気がなかった。
 国道18号線を走ってくると、途中、花火が打ち上げられている村があり、お盆の風情を一層強くしていた。信号で止まった時とか、進行方向にスターマインが上がると、一瞬疲れを忘れさせてくれた。

 関越自動車道に入って、間もなく渋滞に巻き込まれた。渋滞は先刻承知。ぼぉーっとしながら西の空を眺めていた。遠くに小さくでもいいから、花火が打ち上げられないかなぁ、と思っていたその矢先だった。

 はるか遠くの山の向こうが、オレンジ色に丸く染まった。いくつもの山の向こうに思えた。遠くにしては、大きかった。花火にしては、オレンジ色が濃すぎた。見たこともない尺玉でも、花火大会の締めに使ったのだろうか。

 それ1発でその後はなかった。

 その後、帰宅してテレビをつけた。おかしい。どの局も緊急特番で日航機遭難の報道一色だった。三国山脈のほうだというが、場所はわからない。安否が気遣われる。その方向に海はない。墜落するとすれば、山の中だ。あるいは村里だ。

 まさか。

 あの関越自動車道から見た大きなオレンジ色の光は、墜落の瞬間だったのではないか。信じ難かった。しかし、時間の経過とともに、どう考えてもそれしかなかった。

 ある時、県道を車で走って松井田を目指したとき、道に迷って思わず出たのが、ここを曲がると御巣鷹の尾根という標識のある交差点だった。その先何kmのところに慰霊碑があるのかわからないが、あの日、あの時。その場所にいたらとてつもない轟音と震動に出会ったかもしれない地点だ。

 オレンジ色の火の玉は、今も目に焼き付いている。


p.117 家族の悲しみの場面が、なぜニュースなのか。なぜ、新聞やテレビは、悲しみのどん底にある家族たちから、寄ってたかって「言葉」を引き出そうとするのか。そういう疑問や非難をつきつけられる時がある。だが、それは事故が起きた直後だからこそ聞き出せるのだと、記者たちは自分に言い聞かせている。二度と繰り返してはならぬ悲嘆の場面だからこそ、記録しておかねばならないのだ、と。

 本書は、日航機墜落を朝日新聞社が総力取材をした様子を中心に、その時の記者の視点による記録である。「沈まぬ太陽」(山崎豊子・著)が、被害者や日航職員に焦点を当てていたのとはまた異なる。

 あんなに大きなオレンジ色の夕日が西の空に見えたなんて、一瞬にしてありえないほど巨大な太陽だった。
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プロジェクトX リーダーたちの言葉

2008-08-03 20:13:15 | Book Reviews
「プロジェクトX リーダーたちの言葉」 NHKプロジェクトX制作班・今井彰・著、文春文庫、2004年3月10日

 患者から逃げてはいけない。
 患者から真の笑顔がのぞくまでは、まだ何か足りないと思え。
 患者が、心からの感謝をしていないうちは、まだ何かを忘れている、すべきことがあると思え。


p.46 普通の仕事のやり方をやっていたら駄目なんだ、と。技術開発というのは闘いなんです

p.54 この現場は普通と違う。自らを含め、一人一人が、日本を台風から守るというレーダーの意義を理解し、情熱を傾けなければ決して成し遂げられない。

p.73 橋を作る経験が人より余計にあったからといって、これは人生の価値とは全く別のことなんです。人生の価値とは何か、偉大なる人生とは、どんな人生を言うのか。これは非常に難しい問題なんです。

p.86 “医者とは何か”。医者というのは、患者のためにいるわけで、医者としての地位や名誉などどうでもいいことです。大切なのは、医者が患者から見捨てられないようにすることです。

p.89-90 『何のために生まれてきたのか』と言ったら、人を喜ばせて、人が喜んでいるのを見て自分もうれしいと思える人生でありたいと思うんです。医者はそれができるんです。

p.150 若に部下たちがついてくるかどうかは、リーダーの自分が苦しんだ量に比例すると思う

p.185 「人間的余級不満には、いろいろ問題はありますが、その中で最も大事なものは、“創造性”を発揮できないという不満です。それぞれの仕事はみな尊い。命令でやらされているんだという受身の姿勢でいる間は駄目であり、魂を込めて自主的に仕事ができるように、環境をつくってやることが大切である」と語り続けた。経営者たちには、一番重要なのは、人が人を使うという思想を捨てることであると諭した。

p.240 迷いはやる気の証拠。上に立つものは部下の迷いを晴らしてやる義務があるのであり、そのための力が必要である。

p.241 トップダウンでやろうとしたら、トップのとりまきが重要な役割をもつ。周りをイエスマンや茶坊主、現場を知らぬ官僚などで固めたら最悪の道をたどる。

p.260 我々の仕事は、地味で、隅でコツコツ黙々と作業している人、テレビとかなんかにあまり映らない裏の面の人たちの活動の方が、むしろすごいなと思います。

p.286 愛でしょうね、仕事に対する。自分の責任てのがありますよね。その中でいい仕事をしたいという気持ちは、職人はみんな持ってると思うんですよ。他にお金とか名誉とかってのは、あんまり考えないですよね、われわれは。

p.295 『プロジェクトX』に登場するリーダーたちも、ごく普通の人たちであり、市井に暮らす家庭人でもあります。しかし、いざ勝負どころでは、自分なりの決断で自分の出所進退を決めていく人たちです。大切なことは、自分が他者にならないということ。いついかなる場合でも、運命を切り開くのはわが手であり、常に自分は当事者であるという意識を明確に持ち続けていることが重要です。
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桐生第一、部員の不祥事でも甲子園出場へ

2008-08-02 00:03:22 | よくわからないこと
 情に流されてはいないだろうか。

 「辞退も出場も地獄」…桐生一、地元に賛否の声 8月1日7時51分配信 産経新聞

 野球部員が女子高生にわいせつ行為をしたとして逮捕された私立桐生第一高校(高橋昇校長)が31日、第90回全国高校野球選手権大会の出場を辞退する考えがないと表明したことを受け、群馬県内の関係者には賛否両論が広がった。記者会見を開いた高橋校長らは、部員がレギュラーとして県予選に出場していなかったためと強調。だが、地元からは「辞退もやむを得ない」と同校の判断を疑問視する声も出た。

 高橋校長は記者会見で、辞退しない理由として、部員が県予選に出場しておらず、甲子園出場メンバーに入っていないと強調。部員の心情については「レギュラー選手ではなく、気のゆるみがあったのではないか」と推察した。

 また、日本高校野球連盟が1日の全国理事会で出場を認める最終処置を下した場合でも、「選手は厳しい非難を受けると思う」と述べた。

 最終的には、本大会に出るか、出ないかの二者択一。条件付きなんていう中途半端なものはない。判断するには基準や視点が必要だが、いろいろなあるようだ。

○連帯責任
 組織的な犯罪でなければ、関係ないのか? 甲子園常連校であれば、不祥事を起こせばその時点で“夏は終わる”ことくらい、刷り込まれていたのではないかと思う。

○レギュラー
 補欠で県予選にも出ていないというが、れっきとした野球部員であり、陰でチームを支えた一人なはずだ。部員との関係は十分あったと考えてよいだろう。明らかなレギュラーとそうでないものの区別は? 補欠であっても、ベンチ入りした回数が関係するのか。またそれが線引きの基準として適当か。
 
○やったこと
 強制わいせつ、強姦未遂、れっきとした犯罪だ。殺人や、ナイフをふりまわすようなものでないからよいのか。ドラッグはどうだ。不倫じゃない。法で裁かれることをしたのだ。
 軽度の犯罪なら許されるのか。被害が軽度なら許されるのか。

○発覚のタイミング
 県予選前に起こったことならば、おそらく県予選出場は見送られたのではないか。予選中だったらどうか。不戦敗を免れただろうか。
 県大会で優勝したら、許されるのか。甲子園大会の期間中だったらどうなのだろうか。

○温情は彼らのためになるのか
 せっかく県大会を突破したのに、いまさら辞退だなんて厳しすぎるという意見もある。他の部員に罪はない。3年間の苦労を思えば、暖かい目で見てあげることが適切か。許される意義は何か。出場不許は、他の部員にとって重すぎる処置か。
 個人のしたことだから関係ないと、それで彼らは晴れ晴れするのか。まだ人生は長い。落差が大きいとはいえ、それもまた人生ではないのだろうか。

○責任
 野球部長や監督が生徒に代わって責任をとれば(辞任する)、よいのか。世間の納得は得られるのか。監督責任があるが、365日24時間監視できなければ、また彼らにもすべての罪を負えないのではないか。

○高野連の判断
 高野連の判断に委ねる校長、桐生第一側も、自己判断ができないようだ。任せているというのは、自身の判断能力を欠いているように見える。善悪の区別と同時に、罪の重さをはかりかねている。自分に甘いのではないか。
 高野連も出場を認めた。「認めた」のか、出なさいと「指示」したのか。前者なら桐生第一は出場してもいいですかと、お伺いをたてていたことになる。高野連の裁定に従うと、身を預けたのではなかったか。
 すべてを預け、そこで高野連は出場を「認めた」というのであれば、出てもよいというのは高野連としての意見にすぎないのであって、最終判断は桐生第一に任せた、という意味ではないのか。辞退するかどうかは、ご自身でお考えください、もし希望すれば出場は認めますよ、という意ではないのだろうか。

 このあたりの桐生第一の高野連に対する下駄の預け方の意図はよくわからない。
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経営戦略を問いなおす

2008-08-01 22:59:26 | 薬局経営
「経営戦略を問いなおす」 三品和広・著、ちくま新書、2006年9月10日

p.21 それなりに頭の良い人が、推論の過程を途中で間違えることは滅多にありません。間違えるとしたら、推論の前提となる仮定のほうです。

p.24 秋も深まってくると判で押したように「そろそろ来季の事業計画を考えないと・・・・・」と幹部陣が動きだします。これは、よくよく考えてみると、実に不思議な話です。戦略がカレンダーに連動して、定期的に策定されることになっているのです。

p.24-5 計画と戦略は別物です。計画の前に戦略ありき、そういう状態を作らないといけないのですが、コンセンサスを重視する日本の会社の中で、組織を動かすのは計画になっています。それがまずいのです。機を見るに敏という表現がありますが、計画の世界には、「機」の概念がありません。

p.34-5 売上は顧客なしでは成り立ちません。自社のプロダクトやサービスを、自由意思を持つ顧客が受け入れてくれて初めて売上が上がるのです。そのプロセスでは、他社のプロダクトやサービスも検討対象に入るでしょうし、支出をしないという選択肢もあります。そういう顧客を前にして売上目標を語るとは、何ともおかしな話です。顧客に向かって、購入目標を持てとでも言うのでしょうか。

p.46-7 (実質売上高における実質営業利益が経年で伸びている企業には)共通する特徴があります。手を伸ばせば届くはずの売上に、敢えて手をつけていないのです。言い換えれば、売上は伸ばすものではなく、選ぶものという意識がどこかにあるのでしょう。それらの企業に一貫性があるのは、経営体制に基礎があるのです。
 他方、(実質売上高における実質営業利益が経年で伸びていない企業には)創業者がそれなりの照準を持っていても、二代目以降、またはサラリーマン経営者が、拡大路線に走りやすいのかもしれません。
 いずれにせよ、規模を拡大したほうが負けという図式が成り立つことは、意外だと思いませんか。成長を「目的」とする愚が、これで少しは伝わるのではないでしょうか。売上は伸ばすより選ぶことが肝心なのです。また、そういう節操を保つことが、経営の奥義と知るべきでしょう。

p.65 経営戦略における「立地」、それは地勢上のそれではなく、社会におけるポジショニング、存在の意味をあらわす。社会の中で、どのような位置に存在するのか、どのような部分で機能や役割を果たしていくのか、社会の中での「立地」である。

 薬局は医薬分業推進により経済的には社会の中で大きな位置を占めるようになってきたかもしれないが、それは国民に処方せんによる調剤を医薬品の交付の側面で支えてきたものである。医療法改正や薬事法等改正で示されたように、これからは安全確保、適正使用のための服薬管理が要請される時代である。業務や行動の外観は似ていても、薬局が活動する社会の中で機能する「立地」は明らかに変わったと受け止めるべきではないか。同じ薬局であっても似て非なるものだ。そこに理念が転換できるかどうかが重要ではないだろうか。

p.105 押しつけられた仕事にのめり込む人はいませんが、自分で発案する仕事はやみつきになるのです。自分の創意工夫で組み立てて、やった仕事の結果が目に見える。そうなれば、仕事はもはや麻薬と同じです。面白くて面白くて、やめられるものではありません。

p.107 会社を辞める人間の大半は、やりたい仕事ができないがゆえに自ら去っていくのです。
 給料が安いと文句を垂れながらも会社人間になり、定年まで同じ会社にとどまる人がいるとすれば、打ち込める仕事があるからに他なりません。あくまでの人材第一主義という会社の成り立ちが先にあって、その結果として「終身勤務」が実現するに過ぎないのです。

p.109 良かれと思って出した企画なのに、上から正面否定されるという傷を負った社員は、二度と自分の頭を使わなくなってしまうおそれがあるのです。自分が良いと思うかどうかと無関係に、鶴の一声で物事が決まる場に遭遇すれば、最初から鶴の意向を確かめに行くのが合理的な適応行動になってしまいます。みんなが鶴の顔色を窺うようになると、上の人間の目が届く範囲でしか会社は仕事ができなくなってしまいます。その限界を超えて何かをしようとすれば、結果はガタガタ。

p.117 答えは立場間ギャップにあります。経営者が考える戦略は、会社をどうしたいです。ところが「戦略がない・・・・・」とつぶやく社員が探し求めるのは、自分が担当する事業をどうしたいのかという会社側の意思表示です。表面上の差は小さいように見えますが、ここには超えがたいギャップが横たわっています。

p.131 ビジョンの第二の意味は「未来像」となっていますが、これがあてはまるのは、ビジョンを言葉にした経営者の在任期間だけでしょう。

p.131-2 ビジョンが継承されないのはどうしてでしょうか。理由は大きく分けて二つあります。一つは、世の中が刻々と変わるからです。ビジョンを掲げた時の時代背景が関わっている。ビジョンを言葉にした瞬間、ビジョンの陳腐化が始まることは避けられません。
 もう一つの理由は、人の自我にあります。着任した以上は前任者との違いを打ち出そう。そう考えるのが、人のサガなのです。「前任者の路線を継承し・・・・・」と言うのは口だけで、内心は自己を打ち出すことに強烈な意欲を燃やします。

p.172 経営は何をもってするものなのでしょうか。答えは事業観です。事業観の形成には、観察が必要なので、全くの異業種から“落下傘”で降りてくる人に経営ができるかと言えば、難しいと思います。

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