何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

小さいことにくよくよするな

2008-08-27 23:13:20 | Book Reviews
「小さいことにくよくよするな しょせん、すべては小さなこと リチャード・カールソン・著、サンマーク文庫、2000年7月1日

p.23 こんなはずじゃない、もっとよくなるはずだと思い込むいつものパターンに落ち込んだら、いまのままの自分でいいんだと心の中で言いきかせること。批判するのをやめれば、すべてはうまくいく。

p.94 サンフランシスコのベイ・エリアには有料の橋が五つある。最近、自分のすぐ後ろの車の料金を払う人が出てきた。自分の順番が来た人が料金徴収所で車を止めて一ドルを出すと、「あなたの料金は前の車からもらいました」と告げられる。これは見返りを求めず思いついたときに親切にする典型例だ。この小さな贈り物が後ろの車の運転手に与えるインパクトはの強さは想像できるだろう。

p.128 批判は、悪態と同じく、悪い癖でしかない。
 だれかを批判した直後の自分の感じ方を観察してみれば、自分が攻撃されたような、ちょっぴり後ろめたい気恥ずかしさに気づくだろう。そのわけは、自分が「批判したがり屋」だと世間と自分に向かって公言しているようなものだから。これはふつうは自慢できることではない。

p.134 人の意見を判断したり批判したりするときは、その人についてなにか言っているのではなく、自分は口うるさい批判屋なんだとPRしているにすぎないのだ。

p.141-2 穏やかでリラックスしている人たちを観察すると、気分がいいときは感謝の気持ちで満たされているのがわかる。彼らは前向きな気分も否定的な気分も一過性だとよくわかっていて、落ち込みもやがては消えると知っている。幸せな人たちは、ときには落ち込むこともあるさと割りきることができる。だから憂慮や怒りやストレスを感じてもあわてない。

p.234 不平や小言や失敗なんかなんでもないというふりをせずに、心を開いてそれらを超越する――つまり自分の計画どおりに人生が進まなくてもいいんだ、と思う。日常のさまざまな問題のただ中で心を開くように練習すれば、やがて悩みの多くは気にならなくなる。バランスがとれたものの見方ができるようになる。
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服薬は一瞬の出来事

2008-08-27 23:10:31 | 思いつくまま
 今朝、数年前かと思うが、薬局に来局され投薬したことがあると思われる見覚えのある初老の女性が向かいの座席に座っていた。通勤なのだろうか。

 通勤でも所用でもいい。彼女にとっては今目的地に行くことが、重大事なのだ。まさに生活している一場面である。

 そんな彼女にとって、たとえ1日3回服薬をしていようと、服薬なんて小さなことにすぎないだろう。何個かの錠剤を片手に、口に放り込み、水でひと飲み。一瞬のことにすぎない。そんなわずかのことに、こだわって係わっているのが薬剤師だったりする。

 健康の維持や確保のためには欠かせない一瞬とはいえ、生活をしている中で、1日の中で、ほんの一瞬のことに過ぎない服薬。薬を飲むことが“仕事”といえるくらい、重大な局面に立たされている人にとってはまだしも、仕事のこと、家庭のこと、家族のこと、自分のこと、考えなきゃいけないことがヤマのようにある人にとって、服薬まで重大事にするのはたいへんなことに思える。

 もし、その一瞬に好ましくないことがあれば、どれだけ被害を被るというのだろうか。だから服薬はルーズになっても構わない、ということではなくて、いかにストレスなく服薬の瞬間を済ませることができるか、そのほうがありがたがられるのではないか、と思った。

 その一瞬に多少の好ましくないことがあっても、そこにひどくこだわりすぎては、怪訝に思われるだけではないだろうか。
 「飲む一瞬」ではなくて、その薬を使っても差し支えない状況にあるのかを見極め、飲んでしまえば直後に吐き出さない限りは取り出せないのだから、必要とされるのなら、服薬後の体長管理に専門家の支えを求めているのではないだろうか。

 身体のことは極力任せて、出来るだけ生活に没頭できることが喜びや幸せであり、満足ではないだろうか。

 「変わったことなどないですよ」「気になることもありません」程度の係わりは、ある意味、ほっといてくれ、と言われているようなものかもしれない。
 それでも生活の貴重な時間を削って来局してくれるのなら、もっと有意義に使いたいはずだ。せめて薬局にいる間だけは、さまざまな観点から問題がないか、具体的に確認をする、それは体調を見直す瞬間、日常生活からちょっと立ち止まっている瞬間のようだ。

 そのタイミングで接するのが薬剤師。どうか、患者のために薬剤師がいるのではなくて、薬剤師のために患者に来てもらっているかのように思えることはないだろうか。
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