何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

日航ジャンボ機墜落

2008-08-04 22:24:01 | Book Reviews
「日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時 朝日新聞社会部・編、朝日文庫、1990年8月20日

 今から22年前の8月12日の夕方、関越自動車道を藤岡インターから乗り東京方面に向かっていた。渋滞は覚悟だった。一般道を走る元気がなかった。
 国道18号線を走ってくると、途中、花火が打ち上げられている村があり、お盆の風情を一層強くしていた。信号で止まった時とか、進行方向にスターマインが上がると、一瞬疲れを忘れさせてくれた。

 関越自動車道に入って、間もなく渋滞に巻き込まれた。渋滞は先刻承知。ぼぉーっとしながら西の空を眺めていた。遠くに小さくでもいいから、花火が打ち上げられないかなぁ、と思っていたその矢先だった。

 はるか遠くの山の向こうが、オレンジ色に丸く染まった。いくつもの山の向こうに思えた。遠くにしては、大きかった。花火にしては、オレンジ色が濃すぎた。見たこともない尺玉でも、花火大会の締めに使ったのだろうか。

 それ1発でその後はなかった。

 その後、帰宅してテレビをつけた。おかしい。どの局も緊急特番で日航機遭難の報道一色だった。三国山脈のほうだというが、場所はわからない。安否が気遣われる。その方向に海はない。墜落するとすれば、山の中だ。あるいは村里だ。

 まさか。

 あの関越自動車道から見た大きなオレンジ色の光は、墜落の瞬間だったのではないか。信じ難かった。しかし、時間の経過とともに、どう考えてもそれしかなかった。

 ある時、県道を車で走って松井田を目指したとき、道に迷って思わず出たのが、ここを曲がると御巣鷹の尾根という標識のある交差点だった。その先何kmのところに慰霊碑があるのかわからないが、あの日、あの時。その場所にいたらとてつもない轟音と震動に出会ったかもしれない地点だ。

 オレンジ色の火の玉は、今も目に焼き付いている。


p.117 家族の悲しみの場面が、なぜニュースなのか。なぜ、新聞やテレビは、悲しみのどん底にある家族たちから、寄ってたかって「言葉」を引き出そうとするのか。そういう疑問や非難をつきつけられる時がある。だが、それは事故が起きた直後だからこそ聞き出せるのだと、記者たちは自分に言い聞かせている。二度と繰り返してはならぬ悲嘆の場面だからこそ、記録しておかねばならないのだ、と。

 本書は、日航機墜落を朝日新聞社が総力取材をした様子を中心に、その時の記者の視点による記録である。「沈まぬ太陽」(山崎豊子・著)が、被害者や日航職員に焦点を当てていたのとはまた異なる。

 あんなに大きなオレンジ色の夕日が西の空に見えたなんて、一瞬にしてありえないほど巨大な太陽だった。
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