母は90才に近くなって自分が一人で暮らしていることが心細くて弱音を吐くようになってきた。同じことを言うし、探し物が多くなり、しまい方が危なくなっている。通帳を病院の保険証入れの中に入れてあったりして、わたしが指摘するとしょげるので、こちらも相当気を遣い、いらいらを抑えることが多くなった。
父は寝たきりで、母が見舞いに来てくれることだけが心のよりどころのようだ。母の入院中、わたしが行っていたが、母の事を訊ねないので、意識がもうろうとしてきたのではないかと思っていた。昨日母とふたりで顔を出したら、母に対して「長いこと、どこへ行っとったんや?」と、訊いた。気付いていたのだが、言わなかったのか。父は自分の身体を思い通りに動かせない。その辛さを見ながらどうしようもできない。看護師に「ありがとう。世話かけて・・・」と、言っている父は、わたしにも「無理するな・・」と、言ってくれる。
子供が成長すると、だんだん親の意見を聞かなくなっていく。夫に対してもTVばかり観て、ぐーたらしていて掃除の邪魔になる時「ほんとにもう・・」と、言いながら、少しずつ我慢しあって、それなりに楽しかったのだと思う。
若い頃は、周りが思い通りに動かないと感じ、年を取ると自分の身体が思い通りにならないことに落ち込むのだろう。そんな時、寄り添って気持ちが分かる同士でいられたらいいのだろうなと思う。当然ながら長生きには寂しさというおまけがついてくるようだ。
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