まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ごみの分別

2008-02-02 | 暮らし
ごみの分別が細かくなったので、我が家の婆さんが、
「近所の年寄りはみんな、誰も分別なんかしとらんって言うとった。」と、力強く言う。
「みんな」とか、「誰も」とかは、誰を指すのか大体分かるだけに、苦笑。
年を取るとますます、自分中心に物事が進まなくては我慢ならなくなるようだ。
だから、勝手にごみの分別を強要する市に対して文句を言う。
ちらしに、分別方法が絵で描かれているのも、見ても分からん。と、初めから
見ようとしないのだ。パッケージに表示してあることを言うと
「いちいちめがねをはめんといかんし、邪魔くさい。」と言う。
しまいには、分別しても市の方で一緒にしてしまうかもしれないと疑心暗鬼に陥る。
そういう所が実際あったらしいというニュースを聞いたからだ。
そのくせ、ごみを捨てに行くと、
「誰かしらんけど燃えないごみに、缶ビールの空き缶を山ほど捨ててあって、どもならんわ。」
と、また正義感もわくようである。
お婆というのは強い。何しろ、中年のおばさんパワーに拍車をかけて無分別が加わるようだ。
だから、ごみであれ「分別しろ」と言われると抵抗したくなるのか。
これは、自分も将来そうなることを暗示している。
それで、もう少しやり易いように、暮れに買ったゴミ箱の上に、もうひとつ加えることにた。



プラスチックと燃えるごみを、中を仕切って使っていたが、非常に使いにくかったからだ。
生ごみ用(燃えるごみ)の小さめのゴミ箱を上に載せることで、
少し使いやすくなった。そして、分別用のシールを貼った。
これで、婆様もご満悦だ。
やはり、前のやり方は面白くなかったのだ。
ふたを開けて、向こうとこちらに分ける・・というのは。



ごみを分別して出すために、費用もかかり手間もかかる。
これは、家庭だけではないと思う。市も設備と人手がかかると思う。
そうなると、少しでもごみを出さないよう努力しなくてはならない。