Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

気に入らない側だけのハードルでは

2018-11-23 13:11:00 | ノンジャンル
気に入らない側がやったら髪の毛一筋も許さない、といきり立つのもどうかとは思いますね。

とかくお騒がせの作家が書いた日本通史にWikiからの転載が、と批判が出ていて、作家自体が保守系のシンボル的存在ということもあり炎上状態です。当の本人は資料の中のごく一部と転載は認めながらも丸パクリのような言い方はいかがなものか、と反論していますが、Wikiであっても参考資料とすべきでした。

じゃあリベラル系の書物にこのような「転載」はないのか、というとその保証はないわけで、わずか、800字程度、という反論を、時数は問題ではないという勢いで批判していると、確実にブーメランになるでしょう。800字というと多く感じる、という「個人の感想」型批判も目にしますが、実際に「〇字以内で述べよ」の制限で書き始めると800字なんてすぐ尽きるわけで、それこそWikiであれば1項目にも足りないわけで、一から十までの丸パクリではないことは容易に推測できます。

まあWikiを転載するというお手軽さと志の低さは批判されるべきですし、一方でWikiの「著作権」をことさらに論うのもどうか。
もちろん著作権の保護対象になるのですが、文献至上主義、独自研究は認めない、という編集スタンスで、編者がこの目で見て写真というエビデンスがあるとしても認めないような特殊な「文献」の著作権というのは、実は違和感がありますね。

オリジナリティが極端に制約される。他に著作権者がいるものを原典にするしかない。この状態で編者に著作権が発生するのか。ご丁寧にもオリジナリティを否定していることを突き詰めると、「切り貼り」ですから。
そして同時代の人間として実際に見聞きしていない限り、何らかの「原典」から情報を得ているわけで、その「原典」に著作権が発生する以上、本来は「オリジナル」は作成できません。本件は「原典」の存在を批判すべきではなく、素材に対する「調理」が適切になされているかどうか、という話でしょう。そうなると創作性が強い「原典」ではないWikiは事実を参照する時点で「丸写し」せざるを得ない面もあるわけで、そうした微妙な面を無視して「お騒がせ作家」だからと批判しているのではないでしょうか。

ちなみに半年くらい前からメルマガなどで発表してきたものの書籍化という触れ込みですが、日本通史がそんな短期間で書き上がる時点でどうなのかな、と思いますね。
保守系の日本通史というと、「新しい歴史教科書」がありますが、教科書としての特殊性、正確性を担保するためとはいえ、相当な時間とそれぞれの分野の大家を要したわけで、そんな簡単に書けるものなのかな、というのが正直なところです。





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