Straphangers’ Room2022

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46年ぶりの米大使館撤退作戦

2021-08-16 22:13:00 | 時事
アフガニスタン情勢は急転直下タリバンが全土を掌握した格好です。
現政権が崩壊してタリバンの支配下になったことで無政府状態になったと勘違いする人も多いですが、まがいなりにも2001年に米国が介入するまではタリバン政権だったわけです。
イスラム原理主義による統治は「国際標準」から見たら論外であっても、主権国家で政権交代を武力で強制するという行為は本当に正しいのか。同じようにフセイン政権を崩壊させたイラクも混迷が続いて久しいですが、何が正しいのかを自問するしかないでしょう。

タリバンの「復権」がここまで急速に実現したのは米軍の撤退によるところが大きいです。そもそもアフガニスタンが混迷する原因となったのは旧ソ連軍の撤退ともいえるわけですが、20世紀後半の二大軍事大国である米ソが介入し、そして撤退を余儀なくされたというアフガニスタンの地は一体何なんだ、といいたくなります。ある意味米ソ両国を放逐したという「世界最強」ですから。

ほんの数日前に第三の都市で要衝が陥落、とか言っていたのが首都カブールの制圧にまで至ったわけですが、カブール陥落が確実になる直前、米大使館が撤退準備に入ったという報道にまず思い出したのがベトナム戦争最末期のサイゴン陥落前夜の状況です。

既にサイゴン陥落は不可避な状況となっており、米国は大使館員と南ベトナムの米国協力者の撤退を決断し、その完了まで「首都入城」を待つようにコンタクトしたわけです。夜を徹したヘリコプターによる沖合の米空母への移送が続き、それが完了した朝になって、北ベトナム軍と解放戦線がサイゴンに入城し、サイゴンは陥落し、南ベトナムは事実上滅亡しました。

今回も米大使館がヘリでの退避を始めましたが、サイゴン陥落時と違い内陸国のアフガニスタンでは空母機動部隊による救援は不可能です。ただ空港は掌握していたようで、そこからの退避になったようですが、サイゴン陥落の時と違い、数千人単位の避難にはならなかったから可能だったのでしょう。サイゴン陥落時と同様にタリバンとコンタクトして撤退時間を確保したようですし。

サイゴン陥落時には日本政府が在留邦人(報道関係者が多かった)の退避に関して無力で、撤退用の航空機の手配も出来ず、報道関係者は米大使館から撤退作戦のヘリによる最終輸送に混乗させるという連絡を受けていたそうですが、実際にはサイゴン陥落の場に立ち会うべく多くの記者が残っています。それどころか日本大使館はそのまま残り、ベトナム統一による国家消滅で帰国しており、まあ結果オーライの世界でした。

今回もアフガニスタンの日本大使館は「準備を始めた」段階で「陥落」になったわけで、危険レベル4の退避勧告対象ですが数少ないとはいえ在留邦人もいますが、退避のアレンジは出来ていません。早逃げするのが必ずしも正しいとは言えないとはいえ、場合によっては機密文書の処分とか、何が起きるか分からないだけに事前に完了させるべき作業があるはずですが、大丈夫だったんですかね。

ちなみにサイゴン陥落は小学生だったこともありリアルタイムの記憶がまだら模様です。
直前にはカンボジア内戦の終結となるプノンペン陥落もありましたが、夕刊に特大の見出しで「プノンペン陥落」の文字とこれも大きな、在りし日のプノンペンの政府庁舎の写真が出ていましたが、本文はほとんどなし。その異常な紙面に恐賦エすら感じましたが、サイゴン陥落の紙面の記憶がありません。後で縮刷版を見た際に、「プノンペン陥落」ほどのインパクトは無かったので記憶に残っていなかったようです。




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