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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

備蓄米を食い荒らすのは誰か

2025-05-17 14:11:05 | 時事
米価の問題で全く溝が埋まらないのが、生産者米価と消費者米価のギャップです。
これは戦後の混乱期の食管法体制の時代から顕在化していたわけで、国が生産者米価で買い上げて消費者米価で払い下げることによる赤字は累計1兆円を超える規模にまで膨れ上がり、コメ、国鉄、健保の「3K」の赤字が財政に大きく影を落としていました。

逆ザヤが発生しないレベルまで消費者米価を値上げするには勤労者世帯の所得を向上させる必要があり、それは生産者側の労務費単価も増加するわけで、格差は拡大せず収斂に向かうとはいえ、単純に収斂はしません。
配給制度と米穀通帳制度の廃止後、1995年の食管法廃止まで「標準価格米」の制度がありましたが、一方で自主流通米や法律上は「ヤミ米」となる管理外のコメは高値で流通していました。それを多くの消費者が受け入れられていたから自主流通米という対策は不要になったのですが、それは市場に任せることを意味しているため、平成の米騒動、令和の米騒動と供給と価格の問題が噴出しました。

ギャップの解消は生産側か消費側への補助しかない状態ですが、限られた財源で効果を極大化するには昭和中期までのように消費サイドを支えるべきです。しかし現在は生産サイドを支援しているわけです。生産効率を高めても埋めきれないギャップを解消するレベルではなく、高コスト体制を温存したままの補助ですから非効率的といえます。
競争力ある生産が可能なのは農家数でみれば2%程度という話ですが、生産量で言えば40%程度になります。計算上の話ですが、大規模集約化すれば、軒数でみれば現在の95%のコメ農家が不要という話になります。

「時給10円」だというコメ農家の自嘲がよく報じられますが、それでも生活できているのは兼業農家だからです。
会社員はもちろん、自営業でも「兼業」がメインというのはあり得ない話で、競争力のない「中心市街地」の個人商店がまさに兼業で生計を立てている、というわけで、効率化の対極にあり、消費者の支持を失っている存在です。
大規模化による効率化を実現できれば、ギャップの低減による補助金の極小化か、補助金を維持して米価の低減が実現します。現実解としては補助金も米価もほどほどに下がる、というところでしょうが、それが落としどころです。
生産と消費を維持していかないと食糧安保からも遠のきますから、どうやったら効率的に、消費者が無理なく購入できるコメを流通させられるかをまず考えないといけません。

生産者側のコストは理解しますが、それをそのまま消費者側に転嫁されればコメの常食を断念することになるでしょう。
そうなると消費減少に見合う生産減少となり、結局不要になる農家が効率が低い方から発生します。有事の際に必要なコメは無く、あっても「普段食べない」コメが配給されるという事態になりますが、コメを常食としない世帯が多くを占めるようになったら、コメを研いで炊くという多大な手間がかかるコメが非常時にふさわしい備蓄なのか、という話にもなりますよね。そもそも非常持ち出しには乾パンとか手がかからないものです。

バランスの取れた和食とか、同じ炭水化物でも栄養価が高いとか必死になって米食を持ち上げていますが、どんなによくとも「手が届かなくなった」ら誰も食べませんよ。世界遺産だなんだと言ってる「和食」を普段使いにしている人は実はほとんどいません。料理屋が出す「懐石」のような料理は日本の文化と言いながら、食べたことがない、滅多に食べない、という日本人が大半ですから。ご飯とおかず(お惣菜)というような食事までが「手が届かない」となったらどうなるか。無理してでもご飯を食べたほうが良いと言いますが、パンや麺類とサプリメントのほうが安くて健康的となってしまいますよ。身体は健康でも経済的に困窮では意味がないですから。

それと消費者米価の高騰の理由に生産コストを挙げていますが、生産者米価との乖離が指摘されている(農家の実入りが増えていない)わけで、生産コストは消費者米価ほど上がっていない生産者米価で賄われるものですから、その乖離で肥え太っているのは生産者以外の誰かです。もちろん集荷後のコストはありますが、生産コストに比べると小さいですし、スケールメリットもあります。備蓄米の流通スタックに「専用の米袋」がないからと言ってのけた卸売業者がいましたが、これも高コスト体質の一端でしょう。


今回農水省が令和の米騒動前後での集荷価格、卸売業者の販価などの比較を公表しましたが、卸売業者の上げ幅が異常に大きいと批判を呼んでいます。各種コストガー、といっていますが、農機や肥料など生産者が負担しているコストを考えると生産者の販価上昇となんでそこまで乖離するのか。もともとのマージン、コストも半端なく大きいわけで、同じ玄米でどこをどうやったらそこまでのコストが生じるのか。価格変動に左右されない安定供給のために一定のバッファを持っている、というような商社的機能すらないですからね。今回のように消費者のことなど考えないで2倍の価格になるんですし。
その意味ではやはり流通過程の問題でもあったわけですが、そういう中抜き業者を排除しないで積極的に介在させていた農政やJAなどの体制もまた問題であり、戦犯といえます。言ってみればコクゾウムシのようにコメに群がっている構図です。

戦前は朝鮮米や台湾の蓬莱米が市場の「冷やし玉」になっていましたが、現在ではそれこそ加州米がそうした役割を担うところ、高額関税による障壁で機能せず。1年で2倍という消費者米価の高騰という致命的な事態になっています。
なお食管法体制下でコメが統制されたことで誰もがコメを食べるようになりましたが、それまでは麦や雑穀が常食の主食だったわけです。生産者米価が乖離したらその時代に戻るにすぎません。「貧乏人は麦を食え」が反発を呼んだのもコメが常食、主食となったからで、戦前であれば言うまでもない当たり前の話でした。

農家が組織票として政権与党を支えていること、また大規模化、集約化で農業における賃金労働者化となることを左翼政党
が嫌うため、結果として生産の効率化はまじめに取り組まれていません。それどころか非効率な小規模農家の維持が食糧安保に資するというプロパガンダまで出てくるわけです。必要なのは自給であり所得で無理なく買えることです。農家や農業団体の維持ではありません。その意図的としか言いようがないすり替えの果てが今回の破局でしょう。





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