リオ五輪が開幕しました。
過去にあまり例がない「盛り下がり」ぶりが気になる大会ですが、五輪開催が「負の遺産」問題に代表されるように「めでたくもなく」という状態に加え、我が国でも2020年を考えると、特に粗が目立つリオに注目が集まると2020年の問題に直結する、という配慮なんでしょうか。
開会式おなじみの入場行進も、リサイクルの三輪自転車と、ナショナルカラーの緑から連想するエコを強く意識した演出ですが、更新そっちのけで撮影や自撮りに夢中の選手団というのももはや慣れたとはいえ、ちょっと締まらない感もあります。
国威形容型のスーツ姿に、ちょっとひねった「制服」、そして定番の民族衣装と各国様々ですが、日本代表団のオーソドックスすぎる「赤と白」もそろそろどうでしょうか。シドニーのレインボーマントで弾けすぎてしまい、伝統回帰になっているのは分かりますが、「ひと工夫」がないわけで、中国ですらジャケットスタイルとはいえ赤と黄色の二色に分けるといった「ひねり」があるなかで、2020年はどうするのか。
民族衣装も花盛りの中、それこそ世界に知られる「キモノ」であっと言わせるくらいの知恵はないのか。浴衣と日の丸の団扇で涼しげに現れるとか(まあリオは冬ですが)、ジャケットの堅苦しさを残すのなら紋付と小袖とか、成熟した社会においては、1964年東京大会のような赤白スーツによる整然とした行進は似合いません。
ただ、気になるのは調整優先で行進に参加する人数が明らかに少ないこと。
他の大選手団を要する国も全員ではないにしても、日本ほど少なくはありません。せこくメダル優先の行動、という批評も当然でるでしょうが、開会式に先立ち開幕したサッカー予選で、手配にミスがあり到着から試合まで7時間しか余裕がなかったのに日本に勝ったナイジェリアを見ると、そこまで調整しても、という感じもしますね。
前回ロンドン大会でも話題になりましたが、全員が会場に滞留できないので、最後は、というか入場後すぐに「お帰り」になる選手も少なくないのですが、それならそれこそ中継される入場時くらいは頭数を揃えたいものです。
過去にあまり例がない「盛り下がり」ぶりが気になる大会ですが、五輪開催が「負の遺産」問題に代表されるように「めでたくもなく」という状態に加え、我が国でも2020年を考えると、特に粗が目立つリオに注目が集まると2020年の問題に直結する、という配慮なんでしょうか。
開会式おなじみの入場行進も、リサイクルの三輪自転車と、ナショナルカラーの緑から連想するエコを強く意識した演出ですが、更新そっちのけで撮影や自撮りに夢中の選手団というのももはや慣れたとはいえ、ちょっと締まらない感もあります。
国威形容型のスーツ姿に、ちょっとひねった「制服」、そして定番の民族衣装と各国様々ですが、日本代表団のオーソドックスすぎる「赤と白」もそろそろどうでしょうか。シドニーのレインボーマントで弾けすぎてしまい、伝統回帰になっているのは分かりますが、「ひと工夫」がないわけで、中国ですらジャケットスタイルとはいえ赤と黄色の二色に分けるといった「ひねり」があるなかで、2020年はどうするのか。
民族衣装も花盛りの中、それこそ世界に知られる「キモノ」であっと言わせるくらいの知恵はないのか。浴衣と日の丸の団扇で涼しげに現れるとか(まあリオは冬ですが)、ジャケットの堅苦しさを残すのなら紋付と小袖とか、成熟した社会においては、1964年東京大会のような赤白スーツによる整然とした行進は似合いません。
ただ、気になるのは調整優先で行進に参加する人数が明らかに少ないこと。
他の大選手団を要する国も全員ではないにしても、日本ほど少なくはありません。せこくメダル優先の行動、という批評も当然でるでしょうが、開会式に先立ち開幕したサッカー予選で、手配にミスがあり到着から試合まで7時間しか余裕がなかったのに日本に勝ったナイジェリアを見ると、そこまで調整しても、という感じもしますね。
前回ロンドン大会でも話題になりましたが、全員が会場に滞留できないので、最後は、というか入場後すぐに「お帰り」になる選手も少なくないのですが、それならそれこそ中継される入場時くらいは頭数を揃えたいものです。