Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

堅苦しくて少ない参加人数

2016-08-06 13:44:00 | 時事
リオ五輪が開幕しました。
過去にあまり例がない「盛り下がり」ぶりが気になる大会ですが、五輪開催が「負の遺産」問題に代表されるように「めでたくもなく」という状態に加え、我が国でも2020年を考えると、特に粗が目立つリオに注目が集まると2020年の問題に直結する、という配慮なんでしょうか。

開会式おなじみの入場行進も、リサイクルの三輪自転車と、ナショナルカラーの緑から連想するエコを強く意識した演出ですが、更新そっちのけで撮影や自撮りに夢中の選手団というのももはや慣れたとはいえ、ちょっと締まらない感もあります。
国威形容型のスーツ姿に、ちょっとひねった「制服」、そして定番の民族衣装と各国様々ですが、日本代表団のオーソドックスすぎる「赤と白」もそろそろどうでしょうか。シドニーのレインボーマントで弾けすぎてしまい、伝統回帰になっているのは分かりますが、「ひと工夫」がないわけで、中国ですらジャケットスタイルとはいえ赤と黄色の二色に分けるといった「ひねり」があるなかで、2020年はどうするのか。

民族衣装も花盛りの中、それこそ世界に知られる「キモノ」であっと言わせるくらいの知恵はないのか。浴衣と日の丸の団扇で涼しげに現れるとか(まあリオは冬ですが)、ジャケットの堅苦しさを残すのなら紋付と小袖とか、成熟した社会においては、1964年東京大会のような赤白スーツによる整然とした行進は似合いません。

ただ、気になるのは調整優先で行進に参加する人数が明らかに少ないこと。
他の大選手団を要する国も全員ではないにしても、日本ほど少なくはありません。せこくメダル優先の行動、という批評も当然でるでしょうが、開会式に先立ち開幕したサッカー予選で、手配にミスがあり到着から試合まで7時間しか余裕がなかったのに日本に勝ったナイジェリアを見ると、そこまで調整しても、という感じもしますね。

前回ロンドン大会でも話題になりましたが、全員が会場に滞留できないので、最後は、というか入場後すぐに「お帰り」になる選手も少なくないのですが、それならそれこそ中継される入場時くらいは頭数を揃えたいものです。



歴史的節目における「周回遅れ」

2016-08-06 13:22:00 | 時事
71年目の8月6日です。
今年は5月のオバマ大統領訪問という歴史に残る出来事があったこともあり、いつも以上に注目が集まりました。
今年の平和宣言は、過去にも使われた「絶対悪」の表現が前面に出ています。これまで「原爆」「原子爆弾」としていた部分を敢えて「絶対悪」とした意味は何か。その「名前」をいうのも汚らわしい、という思いもあるでしょうし、またオバマ大統領訪問では踏み切れなかった原爆投下と保有における「意義」の容認を否定したかったという思いでしょう。

「絶対悪」ということで、そこに使われた、そして存在する「意義」などない、という強い意志を示しています。
「絶対悪」なんだから、この世から消し去らないといけない。その思いは重く受け止め続けるべきものですが、一方で「絶対悪」というからには、あらゆる核兵器を等しく批判、排斥していかなければ、「平和宣言」の価値もなくなります。

最大の核保有国の指導者があのスピーチをした。メディアは安直にああでもないと批判していますが、突っ張ることもできる立場にありながら、最大限の譲歩をして、そして記憶に残るスピーチを選んだ。口だけと言うは簡単ですが、世界が注目する中であそこまで踏み込んだ、自分たち米国を含めての過去と未来に対する責任を「責任」の言葉を用いずに宣言した事実は大きいのです。

前にも言いましたが、あのスピーチは「過ちは繰り返しませぬから」への回答というか、「唱和」です。
G7外相の献花にはじまり、オバマ大統領のスピーチと、世界が少なくとも「核兵器」についての責任を意識するようになったのです。そう考えた時、オバマ大統領訪問時に懸念した平和資料館の「偏向」に代表される、我が国の平和(反核)運動に特有の、特定の勢力、国家に対する対応の濃淡というか偏向はどうなのか。

広島の平和宣言が、安全保障問題に言及しないことへの批判が左派系メディアや「市民団体」から湧き起こりますが、「絶対悪」である核兵器の問題と、「意義」がある安全保障の問題を並列にしている時点で、本当に「絶対悪」として考えているのか怪しくなるわけですし、ようやく踏み出した国際的な動きに対して、「唯一の被爆国」が何故か周回遅れの、見当外れの行動をしているのではないでしょうか。