いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

奇妙なこと

2007年05月11日 08時13分46秒 | 兎に角書きたいの!
 5月11日の今日は、神奈川フィルハーモニー管弦楽団第236回定期演奏会に妻と出かける。会場は、横浜みなとみらいホールである。19年度定期演奏会は、10回開催されるそのうちの5回の定期演奏会に会員として申し込みしたものだった。この横浜みなとみらいホールの周辺には、毎日通った時期があった。
 ホールの近くにある「けいゆ病院」に娘が入院していたからある。ホールの周辺のお店で娘が好きそうな洋菓子や果物をみつくろいながら持って行っていた。
 226日間の入院生活で私たちは毎日娘の顔を見るためその病院へ出かけた。長期間の治療にも関わらず平成12年5月11日、34歳の人生に幕を閉じてしまった娘。
 その5月11日に娘が入院していた病院の近くの場所で開催される定期演奏会へ夫婦で出かける。これは娘との何かがあるのだろうか。それとも偶然なのだろうか。今日の演奏会には娘と一緒だとの思いで席に着きたい。
5月は新緑の季節である。木々の若葉は花と共に美しい。庭に芽を出す「クマガイソウ」は、昨年8本今年4本と本数が減ってしまったが「あじさい」は多くの花芽を膨らましており今年はその色の変化を楽しめそうだ。
 妻が手入れに余念のない庭の花は、ゼラニユウメ・ビオラエリン・プリメシア・オキナグサ・バラ・スミレ・ブルーベリー・チェリーズショビリーナなどなど多くの花が赤・ピンク・青・緑・黄色・紫など絵の具をちりばめ花の絨毯の景色を描いている。
 私の持分は、艶やかな朱紫の花今盛りと咲き誇るシランは200株以上、そして「ジジババ(春蘭)」は年々そのかぶが減っていくが、その名の由来はいろいろだが、夫婦和合の姿・老夫婦が座っているように見えるからとの説もある。そして、地えびねである。以前は山に出かけて採取してきたが自然環境を守り野の花はそこに咲くから美しいとの現実をそして経験したことから今は専らカメラに収めて楽しんでいる。
 亡き娘は、母親の遺伝子か花をこの上なく愛でていた。とくに「トルコキキョウ」が大好きであった。ダンス仲間のあるご婦人は毎年墓前へとこのトルコキキョウを手渡してくれている。この新緑と花に盛られた5月11日は娘の月命日である。
 今日は、花とともに音楽を娘に贈ってやりたい。花に囲まれたなかで管弦楽団が奏でる音楽にひたりながら思う存分娘の朋子に踊ってもらいたいと思っている。
 
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厳しい民間の会社

2007年05月10日 08時44分02秒 | 兎に角書きたいの!
”サリーマンは気楽な稼業ときたもんだ……”と一世を風靡した植木等さんの歌の一節である。
 昨日こんな話を聞いた。その会社は2ケ月ごとに人事評価を行い半年後とにその人の評価を具体的に伝え実施している人事評価制度を導入していると言うのだ。具体的には、辞令の交付を以って行われその事実が全社員に周知される。その内容は、昇格、昇給までは通常の評価方法であるが加えて降格、降給も同時に行われるのである。
 降格は、部長から副部長へ・課長から課長代理へ・課長補佐から係長へそして降給はあり一定期間据え置かれるそうだ。これだけのシステムだけでも驚愕の話だがその該当者は一桁ではなく二桁にも及んでいるのである。人事評価はどのような仕組みで行われているかは知らないが、業績に見合えばまた業績に見合わなければ役職、男女に関わりなく人事評価が行われている。
 能力主義が幅を利かせる。従って、定型事務を行っているだけでは評価ゼロとなり創意工夫と実行そして会社に寄与する働きが求められている。
 今の社会保険庁の驚くべき実態が毎日報道されている。国民の生命を守る年金制度がこんなにずさんな管理がされていた。どうやったらこんな出鱈目な執務が出来るのだろうか。自分たちの娯楽にはおしみなく年金財源をあて挙句の果てに保険料の引き上げ、給付年齢の引き上げと全て年金受給者に負担を押し付けて責任を取る人は一人もいなしし責任の所在も不透明である。トップの首を変えるだけでは責任を取ったことにならない。厳しく言えば、社会保険庁の責任の摂り方は、降格してもあまり意味がないから全員1年間あるいは2年間その職責に応じて昇給ストップに加えてそれぞれ降給し、そのお金は年金財源に組み入れるといった方策を採らない限り国民を納得させることはできない。首のすげ替えで誤魔化してはならない。目に見える対策を(責任の所在を明確にし)明示してもらいたい。社会保険庁の改革以前の問題として是非、全職員の減給処分を実施してもらいたい。
 またぞろぞろと納入事蹟に不明者の発生、納入記録の喪失などなど金銭を預かる業務でなんでこんな出鱈目がまかりとおっていたのか?基本的な事務がこんなにずさんであることが報道されると私には一つの疑問が出てくる。
 納入された保険料は、本当に収納されているのか。ザルになってはいまいか?
悪用されていないか?簿外として流用されていないか?
 民間のこの厳しさを十分に念頭において、社会保険庁の職員は、反省してもらいたい。猛省を!
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シウマイといろは四十八文字

2007年05月08日 12時09分23秒 | ハマ風は踊る
 やっさもっさ
 格差問題が何かと問われている今日日。方やインターネット専業証券大手五社の2006年の売買代金は初めて200兆円を越えたとの景気のいい報道があった。上場企業の株は、2009年から電子化され、売買や管理はすべてコンピュター処理になる。
株ばかりではない。電子マネーや電子チケットの普及が進み、お金も資産もペーパーレス化と技術は進歩して、私たちの生活環境は急激な変貌を遂げていくようだ。
 ひるがえって、今のところ株券の所持が命と言われているこの一昔前の株取引の実態については、週刊朝日に『大番』と題して兜町を舞台に小僧から成上がった元証券会社社長をモデルにした物語が、昭和31年~33年に亘って連載された。
 その主人公は、通称ギューちやんと呼ばれ、週刊誌連載中から実に4回も映画化され大人気を博した。
 この経済小説の作者は、横浜生まれの獅子文六氏で、食通でも知られている作者である。著書には、『私の食べ歩き』『飲み食ひの話』『飲み・食い・書く』『食味歳時記』など、食に関するエッセイを数多く執筆されている。
 アジの味・煮ざかな・おでん・枝豆・バナナの皮など題材は豊富である。その文中で「私は、日本酒とブドー酒が好きなごとく、りょうりは、日本料理とフランス料理が口に合う。」と語っている。
 その獅子文六氏は、毎日新聞に小説『やっさもっさ』と題して昭和27年2月14日~8月19日の間188回連載し、挿絵は宮田重雄氏が担当していた。その物語の中に「シウマイ娘」が登場するのである。
 私が初めて横浜の名物、シウマイの存在を知ったのは、昭和29年水戸から関西への修学旅行の時でであった。団体列車が横浜駅に近づくと、友達が「おーい。名物のシュウマイを買うぞ」と叫んだ。その声で周りの友達は衝動的に買い求めた。 「シウマイ娘」が横浜駅に登場したのは昭和25年8月15日とされている。修学旅行時に横浜駅でシウマイを求め食した時の味も、シウマイ娘の姿もその記憶も当の昔に走り去ってしまった。
 旅の途中、列車の中で駅弁を味わうのは楽しみの一つであった。今、プラットホームに立って売る姿は見かけなくなった。少し古い数字だが昭和63年現在で、359の駅で駅弁を売っていたが、プラットホームでの立ち売りがあるのは、その内わずか89駅だったと。
 駅弁の立ち売りが消えたのは、新幹線をはじめ、特急や急行列車の窓が開けられなくなったのが大きな原因であるらしい。駅弁を売るのも買うのも30秒からせいぜい3分間の停車時間が勝負であり、これがまたスリルのある旅の楽しみの一つでもあった。加えて「駅弁の売り声」には、それぞれ駅のそして地域の特色がある。その売り声を採集した著者は、多くの駅弁の売り声を紹介している。その一部を記述してみる。

 駅弁の売り声
・長万部駅…もりそば もりそば もりそば もりそば
・青森駅 …弁当弁当 ほたて釜めし 弁当弁当釜めし
・北上駅 …天ぷら弁当 天ぷら弁当 アツアツの弁当
・仙台駅 …エー皆さん 仙でゃあには このように うめえ弁当がいっぴゃあ ごぜえますので 是非食べに 来てくりゃい!
・宇都宮駅…弁当弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当
・横川駅 …弁当弁当 峠の釜めし 熱い弁当 お茶お茶 お弁当お弁当
・長岡駅 …弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ 弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ
・東京駅 …お弁当に お茶に シューマイは いかがでしょうか(車内)
・横浜駅 …元祖シューマイ弁当は……
・高山駅 …1日3個の 限定限定 うめえょ(その名は「地酒弁当酒蔵」)
・篠山口駅…天然イノシシ イノシシのボタンめし えー熱いお茶に イノシシ弁当 丹波笹山名物 イノシシの本場 天然イノシシ ボタンめし
・姫路駅 …弁当弁当弁当弁当 いらっさいいらっさい 弁当弁当 いらっさいいらっさい

 愛知県在住の著者服部勇次氏によると、駅弁の売り声で一番長いのは京都の「篠山口駅」であったと語り、著者は全国の8,666駅を訪れて駅弁の売り声を録音、採譜し、本にまとめている。

 シウマイ娘
 横浜駅のシウマイ娘の売り声が取り上げられているのかは不明だが、獅子文六氏によって『やっさもっさ』の小説のなかでその状況が記述されている。それは毎日新聞の昭和27年4月23日と24日の両日に亘り「シウマイ娘」の画とともに売り声などが紹介されている。
 「シウマイ・ガールという商売。エンジ色のシナ服を着て、応召兵のように、肩からタスキをかけ、それに、赤く『シウマイ娘』という字が、書いてある。肘に、商品を入れたバスケットをかけ、列車の窓に向かって、『エー、名物のシウマイ、お召しになりませんか』……本給4千円に、売り上げ3分の歩合がついて、勤務時間7時間ー決して、悪い職業でない。……」と、その状況が描写されている。
 シウマイの発売元「崎陽軒「は、明治41年6月に創業された。「崎陽軒」という名称の由来は、横浜駅の構内で雑誌、お菓子、パン、牛乳など雑貨類の販売権を所有していた長崎出身の久保家から、その営業権を承継するにあたり、縁のある前所有者の出身地長崎にちなんだ名称をということで「崎陽軒」とされた。つまり「崎陽」は、長崎の一種の別名であるという。確かに長崎県の電話帳をめくってみると、崎陽経営懇談会・崎陽軒・崎陽工業・崎陽電気・崎陽製造所など、崎陽を冠した企業を多く確認することができた。
 関東では馴染みの薄い崎陽軒の読み方を当初は、「さきようけん」と、ずいぶんと間違われていたようだ。そのようなことは、例えば「田原坂」をタバルザカと九州では読むし、宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事の読み方も「ひがしこくばる」と読まれるように。
 そこで「キョウケンノシウマイ」と仮名を振ったところ「珍しいものがあるものだ。俺は豚肉のシウマイはくったことがあるけれど、狂犬のシウマイは食ったことがない」とからかわれたという。「キョウケンと狂犬」をひっかけたウイットに富んだ話題である。今は、「きようけん」とひり仮名されている。
 通称「シューマイ」だが、横浜の崎陽軒のシウマイは何故「シュウマイ」「シューマイ」「しゅうまい」「焼売」でもなく、「シウマイ」として商標が登録されたのか。この四文字に収まるまでの経緯はいろいろとあったようだが、中国人の発音「シャオマイ」を文字にすると、「シュウマイ」より「シウマイ」のほうが中国人の発音に近いということで落ちついたらしい。
 崎陽軒の一大飛躍のきっかけになったのは、この「シウマイ娘」の登場にあったようだ。そのヒントになったのが、昭和25年に新発売になったタバコのピースキャンペンガール「ピース娘」にあったと初代社長は回顧されている。
 毎日新聞に連載された『やっさもっさ』の小説内容は、当時の終戦直後の横浜の女性、進駐軍の兵隊を相手にする女性、その結果生まれてきた混血児たちを養育する女性たちなどの一人として、シウマイ娘が登場する。このシウマイ娘は、プロ野球選手と恋をした。それも列車の窓越しに恋を語る。この物語が映画となり全国的にヒットした。昭和28年のことだった。この映画を通じて「横浜名物崎陽軒のシウマイ」の名前が全国に広がっていった。

 ひようちやん
 シウマイを食べるときにはしょう油をつける。崎陽軒では白焼きの磁器にしよう油をつめその器を瓢箪型にした。昭和30年ごろである。この瓢箪型入れ物を鎌倉在住の漫画家「フクちゃん」を画いた横山隆一氏が見て、「私がこれに目鼻をつけてあげよう」と、笑っている顔・怒っている顔・べそをかいている顔・楽器をもっているもの・本をもっているもの・ペンをもっているもの等など、さまざまな表情が画かれた。横山隆一氏は、この瓢箪型入れ物に「ひょうちゃん」と名前をつけた。これがまた多くの評判と話題を呼んだ。
 この数々の表情を持ったひょうちゃんは、全部で何種類作られているのかと、購入者からの照会が相次ぐようになった。崎陽軒の話によると、「いろは四十八文字」にちなんで48種類作られたのが一代目とのことである。そして、二代目は、イラストレターの原田治氏によって昭和62年に、崎陽軒創立80周年を記念して80種類の表情を持った「ひようちゃん」がつくられているという。
 以前我が家にも多くのひようちゃんを保管してあったが、「改築のときに全部捨ててしまいまぢた」と、内心ガッカリする妻の返答であった。残念である。当初は、知り合いの助産師の方から頂いた絵柄の異なる四角型のひょうちゃんが5個であったが、今ではシウマイを買ったり友達から頂いたりして現在その数82個である。私の趣味の一つとして、一代目・48種類、二代目・80種類を蒐集しようと張り切っている。

 広告宣伝
 崎陽軒では、常に新しい商品の開発に努められている。長期保存可能な「真空パックシウマイ」、販売拡充を狙った「シウマイ年賀状」、贈答用の「特性シウマイ」、電子レンジ対応の「レンジパックシウマイ」等など、21世紀に向けて同族企業ととは思えぬチャレンジ精神と先見性を持って営まれている。同じ同族企業でも、「ぺこちゃん」の愛称で知られ、横浜元町を発祥の地とする「不二家」の不祥事には何ともやり切れないものが或る。
 崎陽軒のシウマイの特色のひとつに「冷めてもおいしい」ということがある。崎陽軒では、この特徴をとらえて、社員の結婚式でのスピーチでは大いにシウマイの宣伝に努めている、とのことである。
曰く「崎陽軒のシウマイのような夫婦になっていただきたい。夫婦仲というものは、結婚当初は人も近寄れないくらい熱いが、いずれは冷めてしまう。しかし冷めた時にも独特の風合いがある。崎陽軒のシウマイというのは、大地の上で取れた豚肉と、海の底で獲れたホタテの貝柱という、別々に育った二つのものが一つになってお互いの味を引き立て合って独特の風味を出す。だから冷めてもおいしい。このような夫婦になってください」と、しゃれたお祝いの言葉である。また、テレビコマーシャルソングも存在する。

 シウマイ旅情      作詞:伊藤アキラ 作曲:越部信義

1 旅の窓辺の 想い出は
 ふたりでひらいた シウマイの
 ひとつひとつの 物語
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のふたり
 今のふたり
 おいしいシウマイ 崎陽軒

2 きみが歌った 旅の歌
 ことばをうつした シウマイの
 赤いきれいな つつみ紙
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時の歌を
 今も歌う
 おいしいシウマイ 崎陽軒

3 旅に出るたび 思いだす
 なかよくつまんだ シウマイの
 味とふたりの 約束を
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のように
 きょうもあすも
 おいしいシウマイ 崎陽軒

 そして、平成19年2月19日、テレビ朝日で放映された「全国おいしい人気の駅弁サイト100ツアーガイド厳選」では、崎陽軒の「シウマイ弁当」が見事第三位にランクされた。なお、大船駅の「特上鯵の押し寿司」も第十六位と健闘している。ちなみに、第一位は、富山駅の「ますのすし」、第二位が横川駅の「峠の釜めし」であった。
「いろは四十八文字」。これは、漫画家横山隆一氏によって画かれたひようちやんの絵柄模様の数である。
 私もこれに似たような揮毫を持っている。それは、「ブログ」の表題「いろはの踊る」である。この言葉でけんさくしていただくと私のブログがでてくる。「いろはに踊る」の記号は、言葉の原点であるいろは文字と、ダンスはいろいろなステップで踊ることをもじって「いろはに踊る」として平成17年6月に七つのカテゴリーを設けてブログを開設した。ブログは、インターネットを意味する「ウェブ」と記録を意味する「ログ」を合わせた造語で、日記形式の簡易ホームパージと言われている。
 私のブログには、搭載した文章の後に「スポンサーリンク」が設けられている。大体ひとつの文章に三社くらい会社の宣伝したい項目が掲載され、私の文章を読まれた方がこの広告をクリックしてくださることにより、広告宣伝が出来るという新しい高校媒体方式である。この広告をクリックしていただくことによって、私にも大きなメリットがある。
 株式の売買には到底及ぶものではないが、ワンクリックしていただくことで3円ほどが私の収入となる。平成18年11月から始まったものだが、現在の私の収入額は723円となっている。この他に商品などについて二百字 程度のコメントをすることで、1社あたり100円から300円の収入が生じる方式もあるが、登録はしてあるが今のところ私は取り組んでいない。
 私のブログは、日常的な事柄を主体に、思うがままに気の向くままに記述している。これがまた私のストレス発散の場所にもなっている。これからも気楽に言葉の踊りを楽しんでゆきたい。

 私のキャッチフレーズ
 「シルバー社交ダンスの風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい」
 私のブログ「いろはに踊る」へのお立ち寄りを心からお待ちしております。

 本日の産経新聞によると、4個5,000円のシウマイが崎陽軒と映画「女帝」とのタイアップで売り出されるとの報道があった。19日からの発売で1日5セットの限定販売とある。是非とも試食したいものである。 
イブ 

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ゴールデンウイークが終わって

2007年05月07日 15時13分07秒 | 兎に角書きたいの!
 ゴールデンウイークに入る前の4月23日から一泊ダンス旅行で伊東のサンハトヤへ70名の大所帯であった。
 熱海駅で赤飯弁当「花」880円を求めた。その包み紙に記された原材料の多さに驚いた。
 赤飯(もち米・うるち米・ささげ)
 鮪照焼き(メバチ鮪・キハダ鮪・しよう油・その他)
 煮物(高野豆腐・わらび・こんにゃく・人参・蕗・椎茸)
 天ぷら(青海苔入りたらの芽・筍・蓮根)
 鶏照焼き・卵焼き・カマボコ・なたまめの花・大根つぼ漬け・ごま塩……
製造元は、小田原の「東華軒」で駅弁では有名である。そして環境資源の乱用と言われている割り箸については、「この割箸は産業資材として使用できない白樺材の小径木を利用しています。」と箸袋にはあった。この割り箸で環境破壊されているという言いがかりがまかり通っているが全くの出鱈目で割り箸のために木を伐採することはないのである。それこそ土に返る廃材が使用されているのである。
 旅館について玄関の掲示板を見た。ダンスサークルが何組か記載されていた。午後2時からダンスタイムが始まった。係員に尋ねてみた。今日はダンスでのお客はどのくらいですか?
 その返答に仰天ビックリ「300名程だと思います」。と言うことで二つのホールが開放され心ゆくまでダンスを楽しんだ。到着した日は5時間ほど踊っただろうか。翌日は、通常2時間ほど踊って帰路につくのだが当日は一人9時にホテルを後にした。午後から2回目の「平家物語」の講座があり物語の導入部の大切な話が……

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。猛き人もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 色とりどりの衣装をまといメロディーにのってワルツ、タンゴ、ルンバなどなど
雑念を忘れて踊る。「沙羅双樹」のごとく栄華を求めて。
 ゴールデン期間中は、人混みを避けて近場で楽しんだ。現役リタイア組にとっては毎日がゴールデンウイークのようなもので、結構毎日が忙しい。とは言っても「忙」の字解きで「心が奪われる忙しさではない」「楽しさに心が奪われる忙しさ」と言ったところである。
 現役組。ご苦労様。行ってらっしやーい!
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高野連は日本社会の縮図

2007年05月04日 08時13分53秒 | 兎に角書きたいの!
 ”自浄能力の欠如”これ以外に考えられない。
 今日の日刊紙に「スポーツ特待制度違反申告校」の都道府県別高校名が掲載された。私は、この結果に少しも驚かない。いまさら何だ!と言う気持ちのほうが強い。野球留学については、数十年前以前から新聞にTVで散々報道されていたことである。高野連が真摯に「日本学生野球憲章」を守ろうとするならば当然注意の喚起があってしかるべきである。それを他の事件からの発端のような振る舞いをしているが、高野連は参加校のみに関心を集め野球憲章を守ろうとする態度は微塵も見られなかった。そして、違反校についても夏の甲子園には出場させると言ううわさもある。アマチヤ野球について論じるものではないが、この高野連の対処の仕方を見ていて、「これは今の日本の社会現象の縮図」だと感じた。兎に角、自ら解明して改善を図るのではなく他動的解決を図る。
 光熱水費問題、原子力問題、不二家の問題などなどなど……個別問題を列挙したら限りがない。その問題の根底には「自浄能力の欠如」だと分析した。
 毎日のTVでのお馴染みの姿は、長机に3人ほどが並んで「どうもすいませんでした」と頭を下げる光景である。これが今の日本社会を象徴している構図だろう。
 何故、「自浄の能力が欠如したのか」「何故モラルの欠如が蔓延しているのか」などなど緊張感が失せているのも一つだろう。私は思う。その根源は、”教育”に問題があったのではなかろうか。アメリカが日本を骨気にするために50年かけたという。それは”教育”制度で……
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笑いそしてほほえみ

2007年05月03日 09時05分17秒 | 兎に角書きたいの!
 妻は出勤なので一人で散策に出かけた。まず六本木ヒルズの53階にある森美術館へ。5月6日まで展示の「日本美術が笑う&笑い展」。美術館の入り口には「日本美術が笑う」の大垂れ幕が吊るされている。展示は5区分されていた。
1 土の中から~笑いのアーケオロジー:土偶、埴輪
  会場を入ると眼前に大型の埴輪「盾持人」三体が飛び込んでくる。いずれも「笑い」面で埼玉県前山古墳出土ある。おおらかな縄文人を見る気がする。そのほ か埴輪「見返りの犬」は素朴で笑いを誘う肢体である。
2 意味深な笑み:寒山拾得、近世初期風俗画、麗子像
  ここでの見ものは、作者不詳の大型の「寒山捨得図」である。笑った顔その大きいこと、そして上の歯13本下の歯14本が見える笑い顔である。
3 笑うシーン
  河鍋暁斎作「放屁合戦絵巻」は、9メートル近い巻物をスライドでも見せておりその図柄、一人ひとりの肢体などが見ていて飽きさせない構図でいたるところで真剣勝負と笑い顔の対比が又見事である。
4 いきものへの視線
  動物、犬、像、牛、金魚などを正面から描写している図におかしさがこみ上げてくる。フランスの哲学者アンリ・ベルクイソンは、その著書「笑」の中で「人は動物を笑うことをするけれども、それは動物に人間の態度とか人間的な表情をふと看取したからであろう」と述べている。
5 神仏が笑う~江戸の庶民信仰
  南天棒の「達磨図」は、ピアスをつけている。達磨図は禅画の定番だそうだ。また「三福神吉原通い図巻」もスライドでその絵巻を見せてくれ描写の繊細なそして緻密な線に驚く。そして円空の陰刻線だけの簡略な仏の表現に魅せられるものがある。
 全体的に柔らかなそして穏やかな「笑い」を見せられて、ホッとする時間を頂いた。掲示板に「笑いは緊張感を緩和し、固定化した考え方や保守的な権力に揺さぶりをかけ、それは真理であるかを問いかけるものです」と記述されていた。
 六本木交差点界隈は40年前と大きな変貌を遂げていた。変わらず存在していたのは「俳優座」だけであった。オリンピックのために高速道路が建設されていく様は活気に満ちていた時代だった。六本木ヒルズ付近は、近代的で機能性に優れ空間と緑と憩いの場が確保されているなど素晴らしい街づくりである。
 六本木を後にして池袋の「古代オリエント博物館」へ向かった。7月1日まで「ほほえみの考古学展」が開催されている「笑い」のつながりである。ここでは、古代オリエント・古代地中海・インド・東南アジア・中国、朝鮮・日本と区分展示されている。ほほ笑みは世界共通であることが見て取れる。それぞれの木、青銅、石、土などで作られた人の表情は豊かでほほえましくてなんだかあたたかくなってくる。
 展示場内に「ほほえみ宣言」が掲示されていた。

      私一人では世界は変えられない
  でも、あなたにとっての世界とは何ですか?
    それは、思っているより狭いものです
  自分と家族、友人、職場の人、道ですれ違う人

      ほほえみは極めて文化的な行動です
           他者の存在と尊厳を認め
     自分も尊重して欲しいというメッセージ

  この展覧会にはほほえみがあふれています
文化創造にはさまざまな他者が関わっていたからでしょう

     世界は一人の力で変えられるのです
       ほほえみ宣言、ただそれだけ 

"どんな時でも笑顔忘れずに” そうありたいと思っている。

  
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東京音楽祭ー北原明ー

2007年05月02日 08時49分58秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日、新宿シアターアプルで開催された”東京音楽祭”に妻と横浜駅で待ち合わせて出かけた。当日は、TOKYO MX-TVの公開録画でありこの放送日は6月15日(金)19:00~21:00の時間帯で公開される。
 メインゲストに松原のぶえ・鏡 五郎・松島アキラそして仲代達也の一人娘仲代奈緒女が司会を兼ねて「花よ」を堂々とした声量で歌い上げた。今回の催しは、「翔ばたけたけ明日のスターたち」を目指しての3時間にも及ぶ27名による熱唱を堪能した。日本放送の深夜番組に8年間出演ている「沖田真早美(海峡ざんげ)」金八先生の生徒役で出演していた「長尾和樹(一輪材ざし)」元プロレスラーであった「キラーカン(新宿三百六十五夜)」巣鴨劇場に出演している「三田村夏子(みちのく蛍宿)」看護師を勤めめている「黒沢みゆき(人生三三七拍子)」などそして応援ゲストとして「ジッチャンズ(ハッスルジッチャン)」は巣鴨演芸場で活躍している。曰く、巣鴨通りには床屋か多い。ばぁーばぁーだとさ。
 目を引いたのは、出演者の着物姿である。色、柄、着こなしがこの上なく上品であった。画面上ではどのような描写がされているのか楽しみである。
 本日の目的は、「北原 明」である。ダンスをされる方にはお馴染みで横浜馬車道にあるムーンフラワーで毎月第三金曜日にダンス音楽を歌っている。
 妻の友達が北原 明の強烈な協力者で、本日(5月1日)も全館自由席であった為
朝7時に家を出て9時に並んだ。1番であった。2番手が見えたのは午後3時過ぎであったと。彼女のバイタリティーには強烈なものがある。
 北原 明の後援者として横浜が8名、東京で20名ほどが来場した。彼女は、光るスティクや光るブレスレットを私たちのために20本ほど用意して手渡してくれた。北原 明氏が登場すると掛け声と光るスティツクが会場を揺るがし司会者も驚きのコメントを出していた。演目は「空港ラストナイト」でCDも発売されている。
 打ち上げは、北原 明氏を囲んで近くのホテルで行い最終電車で帰宅した。我々の応援に興味を引かれたとのことで日時は不明だが神奈川TVに出演することが決まりそうだとの報告が本人からあった。
 なお、出演者の中に還暦デビューの内藤やすお(湯の町湯河原夢の街)氏は、地元に喜ばれていると、町おこしに一役買えている喜びをも語っていた。出演者一人ひとりの人生は真に様々で誰一人として平坦な人生を歩ゆんでいる方はいなかった。
 芸能界で脚光を浴びている華やかな姿をTVなどで見ているとそのような辛苦を感じさせない。我々に”夢”を与えてくれる方々の応援をしながら自らもその夢を食べて生きたいと思っている。そう言えば、アメリカで活躍しているレッドソックス
の松坂大輔投手は、夢は叶わないものだから見ないと言っていたっけ。
 こう言わせるのは、若さなのか自信なのか だけど私は夢を持ちたい。 
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