いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

シウマイといろは四十八文字

2007年05月08日 12時09分23秒 | ハマ風は踊る
 やっさもっさ
 格差問題が何かと問われている今日日。方やインターネット専業証券大手五社の2006年の売買代金は初めて200兆円を越えたとの景気のいい報道があった。上場企業の株は、2009年から電子化され、売買や管理はすべてコンピュター処理になる。
株ばかりではない。電子マネーや電子チケットの普及が進み、お金も資産もペーパーレス化と技術は進歩して、私たちの生活環境は急激な変貌を遂げていくようだ。
 ひるがえって、今のところ株券の所持が命と言われているこの一昔前の株取引の実態については、週刊朝日に『大番』と題して兜町を舞台に小僧から成上がった元証券会社社長をモデルにした物語が、昭和31年~33年に亘って連載された。
 その主人公は、通称ギューちやんと呼ばれ、週刊誌連載中から実に4回も映画化され大人気を博した。
 この経済小説の作者は、横浜生まれの獅子文六氏で、食通でも知られている作者である。著書には、『私の食べ歩き』『飲み食ひの話』『飲み・食い・書く』『食味歳時記』など、食に関するエッセイを数多く執筆されている。
 アジの味・煮ざかな・おでん・枝豆・バナナの皮など題材は豊富である。その文中で「私は、日本酒とブドー酒が好きなごとく、りょうりは、日本料理とフランス料理が口に合う。」と語っている。
 その獅子文六氏は、毎日新聞に小説『やっさもっさ』と題して昭和27年2月14日~8月19日の間188回連載し、挿絵は宮田重雄氏が担当していた。その物語の中に「シウマイ娘」が登場するのである。
 私が初めて横浜の名物、シウマイの存在を知ったのは、昭和29年水戸から関西への修学旅行の時でであった。団体列車が横浜駅に近づくと、友達が「おーい。名物のシュウマイを買うぞ」と叫んだ。その声で周りの友達は衝動的に買い求めた。 「シウマイ娘」が横浜駅に登場したのは昭和25年8月15日とされている。修学旅行時に横浜駅でシウマイを求め食した時の味も、シウマイ娘の姿もその記憶も当の昔に走り去ってしまった。
 旅の途中、列車の中で駅弁を味わうのは楽しみの一つであった。今、プラットホームに立って売る姿は見かけなくなった。少し古い数字だが昭和63年現在で、359の駅で駅弁を売っていたが、プラットホームでの立ち売りがあるのは、その内わずか89駅だったと。
 駅弁の立ち売りが消えたのは、新幹線をはじめ、特急や急行列車の窓が開けられなくなったのが大きな原因であるらしい。駅弁を売るのも買うのも30秒からせいぜい3分間の停車時間が勝負であり、これがまたスリルのある旅の楽しみの一つでもあった。加えて「駅弁の売り声」には、それぞれ駅のそして地域の特色がある。その売り声を採集した著者は、多くの駅弁の売り声を紹介している。その一部を記述してみる。

 駅弁の売り声
・長万部駅…もりそば もりそば もりそば もりそば
・青森駅 …弁当弁当 ほたて釜めし 弁当弁当釜めし
・北上駅 …天ぷら弁当 天ぷら弁当 アツアツの弁当
・仙台駅 …エー皆さん 仙でゃあには このように うめえ弁当がいっぴゃあ ごぜえますので 是非食べに 来てくりゃい!
・宇都宮駅…弁当弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当
・横川駅 …弁当弁当 峠の釜めし 熱い弁当 お茶お茶 お弁当お弁当
・長岡駅 …弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ 弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ
・東京駅 …お弁当に お茶に シューマイは いかがでしょうか(車内)
・横浜駅 …元祖シューマイ弁当は……
・高山駅 …1日3個の 限定限定 うめえょ(その名は「地酒弁当酒蔵」)
・篠山口駅…天然イノシシ イノシシのボタンめし えー熱いお茶に イノシシ弁当 丹波笹山名物 イノシシの本場 天然イノシシ ボタンめし
・姫路駅 …弁当弁当弁当弁当 いらっさいいらっさい 弁当弁当 いらっさいいらっさい

 愛知県在住の著者服部勇次氏によると、駅弁の売り声で一番長いのは京都の「篠山口駅」であったと語り、著者は全国の8,666駅を訪れて駅弁の売り声を録音、採譜し、本にまとめている。

 シウマイ娘
 横浜駅のシウマイ娘の売り声が取り上げられているのかは不明だが、獅子文六氏によって『やっさもっさ』の小説のなかでその状況が記述されている。それは毎日新聞の昭和27年4月23日と24日の両日に亘り「シウマイ娘」の画とともに売り声などが紹介されている。
 「シウマイ・ガールという商売。エンジ色のシナ服を着て、応召兵のように、肩からタスキをかけ、それに、赤く『シウマイ娘』という字が、書いてある。肘に、商品を入れたバスケットをかけ、列車の窓に向かって、『エー、名物のシウマイ、お召しになりませんか』……本給4千円に、売り上げ3分の歩合がついて、勤務時間7時間ー決して、悪い職業でない。……」と、その状況が描写されている。
 シウマイの発売元「崎陽軒「は、明治41年6月に創業された。「崎陽軒」という名称の由来は、横浜駅の構内で雑誌、お菓子、パン、牛乳など雑貨類の販売権を所有していた長崎出身の久保家から、その営業権を承継するにあたり、縁のある前所有者の出身地長崎にちなんだ名称をということで「崎陽軒」とされた。つまり「崎陽」は、長崎の一種の別名であるという。確かに長崎県の電話帳をめくってみると、崎陽経営懇談会・崎陽軒・崎陽工業・崎陽電気・崎陽製造所など、崎陽を冠した企業を多く確認することができた。
 関東では馴染みの薄い崎陽軒の読み方を当初は、「さきようけん」と、ずいぶんと間違われていたようだ。そのようなことは、例えば「田原坂」をタバルザカと九州では読むし、宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事の読み方も「ひがしこくばる」と読まれるように。
 そこで「キョウケンノシウマイ」と仮名を振ったところ「珍しいものがあるものだ。俺は豚肉のシウマイはくったことがあるけれど、狂犬のシウマイは食ったことがない」とからかわれたという。「キョウケンと狂犬」をひっかけたウイットに富んだ話題である。今は、「きようけん」とひり仮名されている。
 通称「シューマイ」だが、横浜の崎陽軒のシウマイは何故「シュウマイ」「シューマイ」「しゅうまい」「焼売」でもなく、「シウマイ」として商標が登録されたのか。この四文字に収まるまでの経緯はいろいろとあったようだが、中国人の発音「シャオマイ」を文字にすると、「シュウマイ」より「シウマイ」のほうが中国人の発音に近いということで落ちついたらしい。
 崎陽軒の一大飛躍のきっかけになったのは、この「シウマイ娘」の登場にあったようだ。そのヒントになったのが、昭和25年に新発売になったタバコのピースキャンペンガール「ピース娘」にあったと初代社長は回顧されている。
 毎日新聞に連載された『やっさもっさ』の小説内容は、当時の終戦直後の横浜の女性、進駐軍の兵隊を相手にする女性、その結果生まれてきた混血児たちを養育する女性たちなどの一人として、シウマイ娘が登場する。このシウマイ娘は、プロ野球選手と恋をした。それも列車の窓越しに恋を語る。この物語が映画となり全国的にヒットした。昭和28年のことだった。この映画を通じて「横浜名物崎陽軒のシウマイ」の名前が全国に広がっていった。

 ひようちやん
 シウマイを食べるときにはしょう油をつける。崎陽軒では白焼きの磁器にしよう油をつめその器を瓢箪型にした。昭和30年ごろである。この瓢箪型入れ物を鎌倉在住の漫画家「フクちゃん」を画いた横山隆一氏が見て、「私がこれに目鼻をつけてあげよう」と、笑っている顔・怒っている顔・べそをかいている顔・楽器をもっているもの・本をもっているもの・ペンをもっているもの等など、さまざまな表情が画かれた。横山隆一氏は、この瓢箪型入れ物に「ひょうちゃん」と名前をつけた。これがまた多くの評判と話題を呼んだ。
 この数々の表情を持ったひょうちゃんは、全部で何種類作られているのかと、購入者からの照会が相次ぐようになった。崎陽軒の話によると、「いろは四十八文字」にちなんで48種類作られたのが一代目とのことである。そして、二代目は、イラストレターの原田治氏によって昭和62年に、崎陽軒創立80周年を記念して80種類の表情を持った「ひようちゃん」がつくられているという。
 以前我が家にも多くのひようちゃんを保管してあったが、「改築のときに全部捨ててしまいまぢた」と、内心ガッカリする妻の返答であった。残念である。当初は、知り合いの助産師の方から頂いた絵柄の異なる四角型のひょうちゃんが5個であったが、今ではシウマイを買ったり友達から頂いたりして現在その数82個である。私の趣味の一つとして、一代目・48種類、二代目・80種類を蒐集しようと張り切っている。

 広告宣伝
 崎陽軒では、常に新しい商品の開発に努められている。長期保存可能な「真空パックシウマイ」、販売拡充を狙った「シウマイ年賀状」、贈答用の「特性シウマイ」、電子レンジ対応の「レンジパックシウマイ」等など、21世紀に向けて同族企業ととは思えぬチャレンジ精神と先見性を持って営まれている。同じ同族企業でも、「ぺこちゃん」の愛称で知られ、横浜元町を発祥の地とする「不二家」の不祥事には何ともやり切れないものが或る。
 崎陽軒のシウマイの特色のひとつに「冷めてもおいしい」ということがある。崎陽軒では、この特徴をとらえて、社員の結婚式でのスピーチでは大いにシウマイの宣伝に努めている、とのことである。
曰く「崎陽軒のシウマイのような夫婦になっていただきたい。夫婦仲というものは、結婚当初は人も近寄れないくらい熱いが、いずれは冷めてしまう。しかし冷めた時にも独特の風合いがある。崎陽軒のシウマイというのは、大地の上で取れた豚肉と、海の底で獲れたホタテの貝柱という、別々に育った二つのものが一つになってお互いの味を引き立て合って独特の風味を出す。だから冷めてもおいしい。このような夫婦になってください」と、しゃれたお祝いの言葉である。また、テレビコマーシャルソングも存在する。

 シウマイ旅情      作詞:伊藤アキラ 作曲:越部信義

1 旅の窓辺の 想い出は
 ふたりでひらいた シウマイの
 ひとつひとつの 物語
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のふたり
 今のふたり
 おいしいシウマイ 崎陽軒

2 きみが歌った 旅の歌
 ことばをうつした シウマイの
 赤いきれいな つつみ紙
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時の歌を
 今も歌う
 おいしいシウマイ 崎陽軒

3 旅に出るたび 思いだす
 なかよくつまんだ シウマイの
 味とふたりの 約束を
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のように
 きょうもあすも
 おいしいシウマイ 崎陽軒

 そして、平成19年2月19日、テレビ朝日で放映された「全国おいしい人気の駅弁サイト100ツアーガイド厳選」では、崎陽軒の「シウマイ弁当」が見事第三位にランクされた。なお、大船駅の「特上鯵の押し寿司」も第十六位と健闘している。ちなみに、第一位は、富山駅の「ますのすし」、第二位が横川駅の「峠の釜めし」であった。
「いろは四十八文字」。これは、漫画家横山隆一氏によって画かれたひようちやんの絵柄模様の数である。
 私もこれに似たような揮毫を持っている。それは、「ブログ」の表題「いろはの踊る」である。この言葉でけんさくしていただくと私のブログがでてくる。「いろはに踊る」の記号は、言葉の原点であるいろは文字と、ダンスはいろいろなステップで踊ることをもじって「いろはに踊る」として平成17年6月に七つのカテゴリーを設けてブログを開設した。ブログは、インターネットを意味する「ウェブ」と記録を意味する「ログ」を合わせた造語で、日記形式の簡易ホームパージと言われている。
 私のブログには、搭載した文章の後に「スポンサーリンク」が設けられている。大体ひとつの文章に三社くらい会社の宣伝したい項目が掲載され、私の文章を読まれた方がこの広告をクリックしてくださることにより、広告宣伝が出来るという新しい高校媒体方式である。この広告をクリックしていただくことによって、私にも大きなメリットがある。
 株式の売買には到底及ぶものではないが、ワンクリックしていただくことで3円ほどが私の収入となる。平成18年11月から始まったものだが、現在の私の収入額は723円となっている。この他に商品などについて二百字 程度のコメントをすることで、1社あたり100円から300円の収入が生じる方式もあるが、登録はしてあるが今のところ私は取り組んでいない。
 私のブログは、日常的な事柄を主体に、思うがままに気の向くままに記述している。これがまた私のストレス発散の場所にもなっている。これからも気楽に言葉の踊りを楽しんでゆきたい。

 私のキャッチフレーズ
 「シルバー社交ダンスの風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい」
 私のブログ「いろはに踊る」へのお立ち寄りを心からお待ちしております。

 本日の産経新聞によると、4個5,000円のシウマイが崎陽軒と映画「女帝」とのタイアップで売り出されるとの報道があった。19日からの発売で1日5セットの限定販売とある。是非とも試食したいものである。 
イブ 

コメント (3)
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