我が家の新聞購読紙は、故あってA紙とB紙とを半月後ごとに変更して購読している。妻は何十年来のA紙派、私はB派である。この違いで購読紙を変えているわけではない。或る事柄を発端にした私の怒りからのそして相手方の種種の事情から現在の購読形態となっている。
私の新聞購読時間は大体40分である。それも朝の寝床で読むのを至上の喜びとしている。A紙派の妻は、あまり難しくなくて良いと言っていた。それもA紙とB紙とを読み比べている内に断然B紙派に変わってきた。内容が濃く読みごたえがあるというようになってきた。B紙の折り込み広告はせいぜい二三枚程度である。
妻のB紙の方が読み応えがあると言い新聞社に代わって妻に「ありがとう」といっている。
朝刊の投函時間は、私のところでは6時である。起床6時半の私は大体30分でA紙の場合は読み終えている。B紙になると30分ではとても読みきれない。枚数も少ないのに兎に角内容が豊富で記事内容が濃い。それだけ購読に時間がかかるのである。お陰で妻の休日日には、B紙の購読期間中は思い切り寝床のぬくもりを感じながら隅々まで目を通すことが出来る。
妻もA紙とB紙の比較購読が出来るようになって新聞のそれぞれの特色、個性の違いを認識するようになった。新聞報道が決して正道ではないことを!新聞によりその主張するところの支柱にというかものの考え方の違いがあるということを。
一般的には新聞の購読数は、ほとんど一紙であろう。従って、購読している新聞によって私たちの考え方にも影響を及ぼしてくる。これが活字の絶対的有利性だと思う。
その弊害を取り除くのがTVだと思う。TVもその局によってものの考え方の原点は異なることから比較検討することが出来る。どの局へでもチャンネルを変えればいいからである。
いずれにしても、新聞、TVの影響力は絶大である。だから私は、新聞購読はB派なのである。何と言っても浮ついていないところがいいな!色々な事象に迎合しない。今の日本は、波風を立てずにその場が穏便に済めばいいと頭を低くして風の通り過ぎるのを待っている。「凛とした背骨」を持つよう期待したい。その流れは緩やかではあるがその方向に流れている進んでいると私は感じ取っている。
何何派が統合するとか何とか言っている人達には期待できない。国家理念が見えてこないからである。
私は、安倍晋三総理大臣のこれからのリーダーシップに期待している。
私の新聞購読時間は大体40分である。それも朝の寝床で読むのを至上の喜びとしている。A紙派の妻は、あまり難しくなくて良いと言っていた。それもA紙とB紙とを読み比べている内に断然B紙派に変わってきた。内容が濃く読みごたえがあるというようになってきた。B紙の折り込み広告はせいぜい二三枚程度である。
妻のB紙の方が読み応えがあると言い新聞社に代わって妻に「ありがとう」といっている。
朝刊の投函時間は、私のところでは6時である。起床6時半の私は大体30分でA紙の場合は読み終えている。B紙になると30分ではとても読みきれない。枚数も少ないのに兎に角内容が豊富で記事内容が濃い。それだけ購読に時間がかかるのである。お陰で妻の休日日には、B紙の購読期間中は思い切り寝床のぬくもりを感じながら隅々まで目を通すことが出来る。
妻もA紙とB紙の比較購読が出来るようになって新聞のそれぞれの特色、個性の違いを認識するようになった。新聞報道が決して正道ではないことを!新聞によりその主張するところの支柱にというかものの考え方の違いがあるということを。
一般的には新聞の購読数は、ほとんど一紙であろう。従って、購読している新聞によって私たちの考え方にも影響を及ぼしてくる。これが活字の絶対的有利性だと思う。
その弊害を取り除くのがTVだと思う。TVもその局によってものの考え方の原点は異なることから比較検討することが出来る。どの局へでもチャンネルを変えればいいからである。
いずれにしても、新聞、TVの影響力は絶大である。だから私は、新聞購読はB派なのである。何と言っても浮ついていないところがいいな!色々な事象に迎合しない。今の日本は、波風を立てずにその場が穏便に済めばいいと頭を低くして風の通り過ぎるのを待っている。「凛とした背骨」を持つよう期待したい。その流れは緩やかではあるがその方向に流れている進んでいると私は感じ取っている。
何何派が統合するとか何とか言っている人達には期待できない。国家理念が見えてこないからである。
私は、安倍晋三総理大臣のこれからのリーダーシップに期待している。