いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

旅行いや旅だな!

2007年05月23日 10時48分14秒 | 兎に角書きたいの!
 旅すると知ることがある。それは自然の多様さであり歴史、風土、家屋、食べ物などなどの地域性とその生い立ちの面白さである。単身赴任時によく言われた言葉に「その土地に惚れよ」と言うことが経験してその言葉のもつ意味の重さとその土地で生活する処方を感じたことがあった。その土地土地の良さは、そこへ行ったり生活したりして初めて分かるもので行った者にしか解からない感動が必ずあるということだろう。何事も「原点」と言うことだと考える。仕事でも捜査でも先ずは原点に戻って判断、推理を組み立てよと言うことと同じだろう。
 46歳の芭蕉は、千住から「奥の細道」の旅に出発した。三重県伊賀上野(1644年~1694年)の出身である。芭蕉は1689年陽暦の5月16日に江戸を後に旅に出た。
 偶然にも、私は芭蕉の句碑「春もややけしき調う月と梅」(長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出たこれで早春の役者は十分の揃った)にお目にかかることができ色々と感激させられた。
 この句碑の上半分が崩れて無くなっている。戦災で焼けたためとお守りにかけらを持ち去る人達によりヒビも入っている。都内にも何箇所かに芭蕉の句碑が建立されているらしい。
「奥の細道」は、旅による地域めぐりであり東北から列島を横断、日本海側を巡って大垣に至る大いなる旅であった。この道程で詠んだ芭蕉の俳句は、訪れた地域の表情を生き生きと伝えている。
 今時の旅行スタイルでは到底味わうことの出来ない地域めぐりである。私は、各駅停車の電車で流れ行く車窓を、車内での方言をそして地酒と駅弁を口にしながらのんびりと旅をしたいものだと常々思いながら実行に移せないでいる。今行きたいところがある。それは糸魚川が日本海に流れ込むヒスイ海岸へ。一週間ほど同じ場所に滞在して、目的は「ヒスイ」を見つけたい。万葉集にも詠われているヒスイを
是非とも!

 万葉集に作者不詳で掲載されている歌(巻13・3247)。

  沼名河(ぬなかは)の
    底なる玉 
     求めて 得まし玉かも
  拾ひて得まし 玉かも
    あたら(惜)しき 君が老ゆらく 惜しも

 沼名川の底にある玉よ、求めて得られる玉なのか、拾って得られる玉なのか。そのように得難いあなたが、年老いていかれるのは口惜しいことです。
コメント
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