高倉健さんは自分が評価した男友達に腕時計をプレゼントする癖があったそうだけれど、彼はどこまでも男だったのだと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 06:38
明治維新は薩摩藩が中心的役割を果たすことで実現したけれど、薩摩藩の収入の1/3が奄美の黒糖だった。明治維新が奄美の人たちの犠牲の上に成り立っているのだとしたら、薩摩の植民地政策によって大量に発生した奄美の債務奴隷ヤンチュたちこそ、明治維新のヒーローだったとは言えないだろうか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 07:09
明治維新という近代的主体を立ち上げようとする改革の中に奄美の多大な犠牲があったことと、東アジアに一人称誕生の背景となる英雄叙事詩が成立しなかったこと、そして英雄叙事詩の対概念である中国の「詩経」や日本の「万葉集」の世界が奄美に残ったことは、密接に関係していると思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 07:17
英雄(Hero)とは、エポックとなる何かの移り変わりにおける誕生と死と密接に関係していると思う。これを上手く扱うことができれば、近代的な個人の意識をあくまで現象的なものをしてまとめ上げて、集合的なものを新たなゲシュタルトとして立ち上げることが可能になるかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 07:21
奄美と沖縄の民謡の基本形は八八八六調で、日本本土の七七七五調とは異なる。平家物語は単調な五七調で書かれているけれど、ここにはとても重要なことを考えるヒントが隠されている気がする。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 07:28
私は子供の頃、三三七拍子のリズムが大好きだったんだけれど、こういうのって何なんだろうと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 07:29
ああ、やっぱりそういう歴史があるんですね。返信ありがとうございます! twitter.com/yosizumis/stat…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 15:12
なんと前畑秀子さんがヒトラーから貰ったオークの木が名古屋にあるとは驚き。ここで勉強している学生たちは、オークの木が雷神トールの住む木であることからドイツ軍の象徴となったことなどの歴史は、学んでいるのだろうか? twitter.com/kaznofue/statu…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 15:18
つまり、共謀罪の成立は「特定の国民を『一般人ではない何者か』と一方的に断定して監視や捜査の対象にできる権限」を、今の政権下の警察組織に付与することを意味する。財務省がなりふり構わず安倍首相夫妻を擁護する現状と合わせて見る必要がある。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2017年4月29日 - 15:23
twitter.com/tako_ashi/stat…
アラン・ドロンなどに見られるアランの名はキリスト教由来の名ではなく、遊牧騎馬民族のアラン人(ちなみにカタロニアはアラン人の土地を意味する)に由来するけれど、モンゴルの伝説的開祖Alan Khoa(阿蘭豁阿)とは、「アラン人の美人」(豁阿は美人の意味)を意味するとは考えられないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 15:55
タイ人やモンゴル人は頭の上をとても気にする文化があり、タイ人の頭を触ることはタブーとされるけれど、これはシャーマニズムにおいて、泉門(新生児の頭蓋の骨の境目で、骨化がまだ進んでいない結合組織膜の部分)に魂が宿ると考えることと深く関係しているのだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 18:06
ローマ帝国がキリスト教を採用し、ローマ法やイデアリズム、マテリアリズムなどが世界における中心的役割を果たす様になった時、自分が中継ぎだという感覚が薄らいでいき、自己および現生利益的なもの(末那識的なもの)が支配的になって行ったのだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 18:07
映画「崖の上のポニョ」で、ポニョが宗介の家に入って次の日に、家からデボン紀の魚類たちが眺められる様になったのは、ポニョが家に入ることで受精したリサのお腹の中の胎児(=宗介)が、羊水の中で魚類から哺乳類への進化の過程を繰り返していることを表現したものだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月29日 - 18:08