Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

コータ・エザワさんインタビュー

2006-04-26 02:23:33 | Weblog
今日はついにあこがれのコータさんとインタビュー。3時間に及ぶ濃密なインタビューで、プライベートな話も含め、いろいろ聞けてよかった。

コータさんは6歳まで日本国籍を持っていたそうなのだが、日本に行ったこともなく、日本語もしゃべれなかった為、6歳からドイツ国籍に切り替えたと言う。日本国籍の際の日本名は、江沢孝太だったそう。その後、ドュッセルドルフの美術大学に進学し、そこで受けたナム・ジュン・パイクの授業で、ドュッセルドルフ郊外のカジノにギャンブルに行ったこと、そこからアメリカン・サバーブのテーマに引かれアメリカに渡った経緯など、いろいろと聞いてきた。

また、コータさんの作品の中に現れる色は、非常に優しい感じのアースカラーが主体なのだが、色彩は非常に主観的なものだ、という話しをする。しかしその主観的な色合いの話をする際、コータさんは黄色味の強い青は嫌いだ、というかなり特定的な話しをしてくれた。そこで私は、コータさんがビデオを作る際に、フォトショップなどで色彩を作る際に、255色の3原色のコンビネーションに敏感になっているのでは、という話をしてきた。それは面白い指摘だ、とコータさんも反応してくれる。

また、コータさんのビデオ「OJシンプソン裁判」の中に見受けられる、あたかも能面、そして能のようなゆるやかな動きは、ロシア構成主義が日本美術に受けた影響をもろに反映しているとしており、構成主義者が20年代に、論理なき論理を作り上げた日本美術を参考にしたのを、彼なりに取り入れているのだ、という話しをした。

また、マイアミ・バーゼル・アートフェアの初日で、「History of Photography」の全エディションが完売したそうなのだが、その中で最後まで売れずに残った唯一の作品が、ジョン・ベネット・ラムゼーの写真であった、ということについて議論する。そう、あの殺害された、整形美少女のジョンベネちゃんである。これは、アメリカ人の心の深い所に、クリティカルヒットしてしまったのではないか。そんな話をする。

また、私の展示に作品を出してもらうことの可能性についたのだけれど、非常に好意的な返事を頂けたのが嬉しかった。

その後、コータさんの家で奥さんのカーラさんと娘さんのゾーラと会い、イタリアンを食べに行く。なんだか素敵な家族で、すっかりコータさんのファンになってしまった。

その後、友人のるいさんのがSFの夜の街を案内してくれる。雰囲気の良いバーで飲んで、すっかりリラックスできた。良い一日だった。

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