坂本龍一の「設置音楽展」がワタリウム美術館で開催 高谷史郎とコラボ cinra.net/news/20170308-… @CINRANETさんから
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 08:43
ところ建築批評・都市論でおなじみのウェブサイト「10+1」の名前の由来が、アメリカの美術批評誌「オクトーバー」(10月)を踏まえ、その一歩先を行くというニュアンスを込めて+1となっているという話を聞いた。
— Enrico Isamu Oyama (@enrico_i_oyama) 2017年3月9日 - 00:02
今このタイミングで日本に一時帰国して幸せだと思えるのは、エドワード・ヤン監督作品『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』4Kデジタルリマスター版を劇場で観れるということ。これほど幸せなことはない。エドワード・ヤンよ、永遠に!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 10:40
bitters.co.jp/abrightersumme…
朝崎郁恵さんから、奄美のシマ唄に関してたっぷり5時間お話を伺って来た。朝崎さんと話す上で感じたのは、余りにも美しいシマ唄の言葉を齎した平家の重要性だ。しかし古代世界や平家伝説は追えば追うほど神の領域とした呼べないところに到達してしまうので、ある種の難しさも感じた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 21:41
朝崎郁恵さんは、刺青を入れたおばあちゃんのことを「はんにぇー」と呼んでいたという。琉球の開祖神アマミキヨには角が生えていたとも言われるけれど、これがもしかしたら角を生やした般若の面や宮古島のウヤガンのルーツで、そこから女性が結婚式で被る角隠しが生まれたのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 21:41
般若と言うと、どうしても般若豊こと埴谷雄高のことを思い出してしまうけれど、その埴谷雄高の故郷の小高は島尾敏雄の父の出身地でもあったことに、奄美との不思議な縁を感じてしまう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 21:50
city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/32,3…
朝崎郁恵さんから「おぼくり」の冒頭に登場する新屋敷(あらやしき)という言葉には阿頼耶識の意味がかけられているという説がある、と聞いて、まさか、と思った。だとすると「おぼくり(ありがとう)」とは、輪廻転生を歌った唄なのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 21:56
youtube.com/watch?v=FZNcjd…
私は生きているというよりも、生かされているのかもしれない。でも、だとしたら、それは誰が、何の為に?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 23:08
仮に存在をそれだけで認めるのであれば、それを現象ではなく物理的なものに限定するのはナンセンスだ。何故なら、存在を物理的なものにしているのは、恣意的な言語によって切り取られた現象でもあるから。つまり物理的なものと現象的なものは、重なり合うことで初めて成立している。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 23:14
憧れが最大化したものが神であり、それは外部を持たない自然ではないか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年3月9日 - 23:16