Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

1月2日(木)のつぶやき

2014-01-03 01:22:54 | Weblog

あと付け加えると、東近美「何かがおこってる:1907-1945の軌跡」は、昨今の政治状況を見ていると、決して遠い過去の出来事ではなく強くアクチュアリティを持っているしおそらくそれを目指した展示でもあるだろうと思いました。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る【日刊サイゾー】 realsound.jp/2014/01/post-2…

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

「新聞は今日では、注意深く組織された兵種を有し、記者を士官とし、読者を兵とする軍隊である。しかしこの軍隊においても、他のすべての軍隊と同じように兵は盲目的に服するものである。そうしてその知らない間に戦争目的と作戦計画とが変わっている。…」(1/2)


(2/2)「…読者は自分がどうされるかについて何も知らない、また知ってはならない。」」- シュペングラー「西洋の没落」1918年


「新聞はいかなる『真理』もこれを世間に伝えないことによって、死刑に処することができる。おそるべき黙殺という検閲である。これは新聞読者という奴隷群がその存在を知らないという点において、ますます万能なのである。」- シュペングラー「西洋の没落」1918年

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人に媚びへつらうという行為は、その人を小馬鹿にする行為であり、これが仏教の六道輪廻における修羅界だとは。なんだか目の前がパっと晴れた様な気分だ。
「三木大雲の仏教とエトセトラ Vol.2『六道輪廻』」
youtube.com/watch?v=0eUq66…


「天上天下唯我独尊」における我とは、一般名詞としての「わたし」である。つまりこの文章の書き手、渡辺真也を主体とした「わたし」と同様、その読み手を主体とした「わたし」でもある。つまり我=「わたし」の存在群が全時空間において(天上天下)唯一であるからこと尊い(唯我独尊)という教え。

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クザーヌスは円を正∞角形の図形、つまり曲線を無限多角形と見ていたが、これは円の円周を構成する「線」を点の集合として見た場合、直線と等しくなる、というテーゼであり、数の対位法的な方法である微積分原理となるが、その根底にあるのは「反対対立の一致」という哲学である。

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クザーヌスの考えた微分方程式を立てることが微分法で、微分方程式を解くことは積分法となるが、ゼロを発見したとされる5世紀末インドのアリヤバータが、円周率を((4+100)×8+62000)/20000=62832/20000=3.1416と算出しているのは、興味深い。

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ルート計算を可能とする差し金を日本に持ち込んだのは聖徳太子とされるが、これはおそらくペルシャ経由で渡来したものだろう。その差し金の裏には、角目(かくめ)と丸目(まるめ)の目盛りが振ってある。

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差し金の角目は1.414倍単位でふってあり、表の目盛りに2の平方根を掛けたものに等しく、角目で丸材の直径を測れば丸材からとれる角材の最大幅を求められ、正確な45°を作成することができる。一方、丸目は円周率を割り出す際に使われる。

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ピラミッドの底辺4つを、その高さの2倍で割ると、円周率が求められるのは何故だろう?参考までに。
連続ツイート「ピラミッドから考える円周率・黄金律に関するメモランダム」 blog.goo.ne.jp/spikyartshinya…

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水の流れを丹念にスケッチしたレオナルド・ダ・ヴィンチは、そこに発生する渦に地球の自転によるコレオリの力を捉えていた。また彼は人体内の血液循環の原理が同じく宇宙の原理であることに気付いたが、その思考を押し進めたのが、ボイスが1977年のドクメンタで発表した「ハニーパンプ」だろう。

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全てを肯定してしまうnotゲートを作ることができれば、それは逆説的に宇宙の輪郭線となり、無限となるだろう。しかしそれはもはやゲートではなく、ポアンカレ予想の様なものになるのかもしれない。

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@curatorshinya 近江の聖人と呼ばれた陽明学者中江藤樹はその文言を挙げ、「なぜそんな傲慢を言う者を祖と尊ぶのか」と仏教を批判したそうです。これを言ってしまうと空の思想とは矛盾してしまうのかもしれませんが、唯我独尊の我はアートマンのようなものではないかと考えていました。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

私も全く同感です。また私は、それを矛盾と思わず、言語の限界だと考えています。 @pop2sis これを言ってしまうと空の思想とは矛盾してしまうのかもしれませんが、唯我独尊の我はアートマンのようなものではないかと考えていました。


8世紀ころの中国の儒教徒たちは、景教徒、祆教徒、マニ教徒をただ一つの「波斯」教徒、すなわちペルシャ教徒の信者だと考えていたそう。これは西ローマの住民がミトラ教とキリスト教を明確に区別しなかったことと似ている。

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エジプト人は魂を バー(魂)とカー(精霊) とに分類していたけれど、これはイオニア哲学や道教、ゲルマンの思想とも似ている様に思う。
ja.wikipedia.org/wiki/古代エジプト人の魂

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沖縄で井戸のことをカーと言うけれど、これはもしかしたらエジプト人の言うカー(魂)と関係しているのかな?それとも、ペルシャのカナートと何か関係があるのかな?
ogb.go.jp/nousui/nns/c1/…

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今のタイミングで国民国家のシステムを強化してしまうと、管理化だけが進み、オーウェルの1984の世界に突入しかねない。 現行の国民国家(nation-state)とはstate、つまり状態に他ならないのだから、現代という時代に応じた新たな状態を探るべきだと思う。


コーラー的なるもの、言い換えれば女性的なものは宇宙的なものに近いけれど、一方、イデア的なもの、男性的なものは個人的功利主義に近い。 イデア的なものが勝れば植民地主義的な発想が強まるのは当然のことで、こういった文明の形態から脱却する必要がある。

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全く同感。 @pop2sis 歴史的な経緯だけを取り上げて仏教をヴェーダンタ哲学へのアンチとして対立的に捉えてしまうと、大事なところを欠いてしまう。仏教は我空つまり零の立場から、ヴェーダンタ哲学は梵我一如つまり無限の立場から、究極のところはどこか繋がっているような予感がします。

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280年呉国の滅亡と、韓国における漢江(ハンガン・かんこう)の発生は同時期ではないか? するとこれは広島県呉市の原型の誕生と並行しており、呉国の生き残りが日本に入って来たからこそ、古事記は呉音で編纂されることになったとは考えられないか?

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作業中に、音楽の清涼剤を。
Brian Eno - By This River
youtube.com/watch?v=w2WURH…



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