穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

マルタの鷹講義1

2015-05-14 15:50:09 | ハードボイルド

 これから何回か、マルタの鷹に限って文体の問題等を取り上げたい。マルタの鷹に限るのはたまたま再読しているという理由だけである。ほかの作品は再読するかどうかの予定は決まっていないので。

マルタの鷹は完成品ではないと書いたが、文体に関してもしかり、のようである。文章もごつごつしている。それが意図的かも知れないし、それはそれで瑕疵でもなんでもないことは言うまでもない。

心理的な内面描写をしないというのがHB文体らしい。この私の理解が間違っていれば以下は別様になる。この理解で進める。

気が付くのは異様に形容詞と副詞が多用されていることである。心理状態を表現したり、表情に注釈的に形容詞を至る所で付け加える。動作にいちいち副詞をつける。具体的な動作の表現や表情の形態を解剖学的にあるいは絵画的に表現するのがHBだと思っていた。評論家が書いているものを読むとそう取らざるをえない。

形容詞や副詞はステレオタイプの心理描写の典型である。マルタの鷹には、これとは別にまったく即物的な記述も多く(つまりHB的)、この二つの表現方法の混じり合わない異様さが気になる。

形容詞や副詞は作者が登場人物の心理状態の判断を一方的に読者に押し付けるものである。そしてその視点は三人称多視点あるいは神の視点(言い換えれば作者の視点)からなされる。

 


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