穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

村上新作の売れ行き

2023-06-30 16:19:16 | 村上春樹

書店めぐりをしていて気が付くのは、村上春樹の新作が平済み棚を圧倒しているということはかっての新作発表後のようにない。

ほかの作者の新作なみの並べ方である。気違いじみた売れ方ではないようだ。村上fanは老いて彼の本から遠ざかったのか。いつまで待ってもノーベル受賞がないので熱が醒めたのか。

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辻村深月

2023-06-29 19:01:14 | 書評

書評のカテゴリーをかえて第一弾で村上春樹の新作を採り上げた。第二弾として辻村深月の「ツナグ」を採り上げる。

あるきっかけで辻村氏に関心を持ちその著作を読んでみようと思ったのはかなり前のことだが、作品を手に取ったことがなかった。本屋の文庫本の棚に行くと「ツナグ」というのにいつも目がいったが、どういうわけか引っこ抜くまではいかなかった。

書評の対象が変わったことでもあり、本日贖った。これは短編集であるが、最初の表題にもなった「ツナグ」を読んだ。一気呵成に読み終えた。抵抗なく読めるというのには二通りに理由がある。ひとつはただ単にやさしいという場合と関心を覚えて、そして文章のクオリテイが高いから一気に読んでしまう場合である。今回は内容がいいから、短時間で読み終えた部類に属する。

テーマは死者との「交流」であり、村上春樹の作品に出てくるテーマと一脈通ずるところがある。ありふれたテーマであるが、一気に抵抗なく読ませるのはなかなかの腕と言わなければならない。

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おまけ、解題

2023-06-27 15:38:44 | 村上春樹

壁とその不確かの壁と言う題は作者の弁明らしい。

壁は一方通行だと最初に言いながら、物語りのつじつまを合わせるために、融通無碍にボクは行き来している。釈明をそのまま、タイトルにしているなら、一つの洒落というか趣向だろう。

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カタルシスなき読了

2023-06-25 12:56:18 | 村上春樹

最後の第三部読了。複数時間を同時平面で記述。さばき方に切れはない。いつものことだが。二十年以上の時間の経過があって「彼女」は相変わらず少女として描かれている。

結局彼は二十数年間壁の中にいたと書いてある。とすると書籍取次業の二十年間のサラリーマン生活と壁の中での「本読み」は同一人物?とすると同一人物が長い間、二分割されていた??

この終わり方にはもっと別な工夫が必要、すかっと腑に落ちるような。

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魂の行方

2023-06-25 05:39:14 | 村上春樹

この本は恐ろしく読みやすい。一種の幻想小説だか、この手の物は感情移入が難しく、別の表現で言えば馬鹿らしくて、普通は読むのにハカがいかない。ところが今度の小説は口当たりがいいので、もう590ページ?(全654ページ)だ。読みやすいというのは小説家としての腕があがったということかな。

さて第二部に入る。地下水脈に飛び込んだ影がどうなったか、一切記述がない。第二部はいきなり二十年後だ。ボクはどういうわけだが壁の外(普通の社会)に戻って、第一部の記述によれば、いったん壁の中に入ったら出られないはずだが、一般社会に戻り大学を出て書籍取次業者に二十年間勤務していたが、思うところがあって??中途退社。

退屈してまた勤めよう(働こう)として地方、山間僻地(地方名なし)の館長募集に応募して受かる。そこで図書館創設者で前の館長の子安さんの面接をうけて採用される。この子安さんはもう死んでいて、永久に無に帰する前の一定期間に少数の人の前にだけ現れる。そういうステージにあった。どの宗教にも多かれ少なかれこういう思想はある。仏教にはとくに。キリスト教でも微かにある。

この思想は国学では日本でも徳川後期に理論化されている。平田篤胤など。さて子安さんだが、これはこの思想の研究者で岩波文庫にも「霊の真柱」なる著書のある国学研究家の子安宣邦氏を連想させる。誰にでも手に入る岩波文庫だから村上春樹も読んでいたのかもしれない。

 

 

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世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

2023-06-24 19:02:37 | 村上春樹

世評でも、また村上自身の後書きでも彼の初期作品「世界の終わりと、、、」との関連が言われているが、実際は第一部の前半までが類似しているだけである。第一部の結末は「世界の終わりと」は全く違う。

世界の終わり、は地下水脈を辿って主人公が普通の世界に戻る、いわば冒険小説がメインである。壁の中の都市と言うのは前半というか導入部であって地底冒険小説といえる。日本では少ないジャンルだが、欧米では地底冒険小説としてひとつのジャンルを形成している。日本ではほとんどない。翻訳されたものも少ない。

日本では題は忘れたが夏目漱石か家出少年をポン引きが引っ掛けて足尾銅山に売り渡す小説がある。漱石だけあって一応の地底冒険小説のていをなしている。題名は忘れた。それ以外日本に地底冒険小説があるのをしらない。まえにこの本を書評したときに「地底冒険小説」として努力していると書いたことがあった。

 

註、ポン引きと言うのは性的供応をする店に男性客を誘導するのばかりではない。本当は家出少年をだまして労働環境が劣悪、危険な職場に引き込む連中をいったらしい。

 

 

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村上春樹新作

2023-06-22 06:24:50 | 村上春樹

小説は70章からなる。現在1-5,70章を読んだ。例によって「読みながら書評」でお届けする。必ずしもシリアルには読まない。ご了承を乞う。

小説の主人公は「きみ」と「ぼく」である。当然「ぼく」の一人称の語りとなる。さいごまでキミとボクは名無しの権兵衛、権子である。村上春樹の多くの作品とおなじである(たぶん)。

彼女は壁の中の城塞都市に住んでいる。この壁というのが空気カーテンなのか、ブロック塀なのかは不明である。おそらく最後まで読んでもはっきりしない。

最後に作者の後書きがあるが、初期の作品「ハードボイルド・ワンダーランド」と似ている。作者も書き足らなかったことを書いたと言っている。

5頁まで読んだところではそんなところだ。ハルキ・ワールドの展開や、いかに。続く。

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本日村上春樹氏の新作をget

2023-06-21 15:35:52 | 村上春樹

本日午後某書店で村上春樹の新作をゲット。そんなに平積みの状態でなかったが、売れ行きはどうなのかな。第二刷だった。655頁で一冊。かなり異常に重たい。上下二冊に分けるには中途半端なページ数だったようだ。

村上春樹の作品とはしばらくご無沙汰だった。もっとも最近は長編を何年か発表していないからね。私がこの書評で取り上げたきっかけはチャンドラーの一連の翻訳に関心したからで、彼の創作もあらかた後から取り上げたが、チャンドラーの翻訳ほどには感心しなかった。

もっとも、彼の翻訳も「グレート ギャツビー」など何冊か読んだがチャンドラーほど感心しなかった。チャンドラーの翻訳は彼の書いた解説もよかった記憶がある。

村上が新作を発表したので久しぶりに文庫本の古本の書評を中断して取り上げることにした。

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方向転換のお知らせ

2023-06-19 06:03:25 | 書評

この書評ブログが取り上げる対象は二種類あることは昔申し上げた。

一つは古典、準古典というべきもので、文庫本に収録されてすでに版数を重ねたもの、

もう一つは最近評判のものである。

どうも最近は第一のカテゴリーに偏ってきた。あらかた出尽くした感じである。

そこで、しばらく売れ行きの良さそうな本に対象を変更したい。ま、書店に平済みになっている本ということだ。あるいは芥川賞の最近の受賞作もこの範疇に入る。そのカテゴリーとして村上春樹の作品をかなり取り上げた。最近の書店には村上の最新作がてんこ盛りになっている。これをとりあげよう。

最近の書評は辛気臭いのがつづいたから趣向を変えて。

 

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どこまで遡れるか

2023-06-17 08:13:59 | 書評

この問題は本人の主張だけであって検証は出来ない。ほとんどが奇をてらったものであるが、どこまで記憶は遡れるか。作者本人の主張に基づいてリストしてみる。私の乏しい読書範囲であるから見落としはあるかもしれない。

日本では三島由紀夫の仮面の告白であったか、本人の産湯の記憶描写があった。海外で有名なところではローレンス・スターンの「トリストラム・シャンデイ」がある。受胎日にさかのぼる。

幼児三才から五才くらいまでは無数にある。トルストイ、谷崎潤一郎、中勘助など。

いずれも、他人から吹き込まれたものと考えれば分かり易い。乳母、祖母、などが子守のついでに幼児に話して聞かせたものがもとになっているのは間違いない。

ま、occultでは前世記憶と言うのもあるらしい。一説によるとLSDでラリルロ、もとへラリッテいると思い出すらしい。

どうも自分の経験(他人の見聞も含む)だと早くて5歳、大体7歳ぐらいから変形した記憶が残っているようだ。

ついでに報告しておくがプルーストの「失われた時をもとめて」はどう読んでも7歳以前には遡らない。ついでにご報告しておくが、該書は馬鹿らしくて読むのを、したがって書評も中止した。お許しを請う。

最後に私の考えだが、記憶は知覚と結びついている。そうだろう、知覚が伴わない記憶と言うのは考えられない。そう考えると一番早く外界を知覚するのは聴覚らしい。聴覚なら胎内に滞在していても機能が発達していれば、そうして脳の記憶装置が一応機能していれば記憶に残る(脳が記憶装置だという主張はあやしいが、体全体が記憶装置であるとベルクソンはいう)。

生理学者の一部によると胎児の聴覚は妊娠五か月でほぼ完成すると言われる。外界の音は母体の腹膜、外壁をとおして胎児に知覚(そして記憶)される。世に胎教が言われる理由である。

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過去との混在

2023-06-13 06:15:20 | 無題

前回プルーストの死後編集者等の手の入った六巻以降が読みやすいと書いた。

その理由だが、フランス語の過去形の文法は知らないが、どうも他人が編集した後半は時系列の序列が常識にかなっている。

それにたいして、第一巻冒頭は現在、あるいは現在までの経験の要約と子供時代に追憶が入り混じって記述されているのでまごつく。少なくとも日本の訳ではこの二者が同一平面(?)で記述されているので妙な抵抗感があるのだろう。

ある書評でこの経緯を知って「なるほど」と得心がいった。

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ポジションリポート、失われた時を求めて

2023-06-12 07:23:02 | 読まずに書評しよう

どうも第一巻に乗って行けないので第十四巻(岩浪文庫)の最後の百ページほど流し読み。

非常に抵抗なく読める。調べてみたら、原著で六巻以降はプルーストの遺稿に基づいて弟や出版社が手を入れたらしい。どうりで読みやすい、常識にかかっている。

しかし、これを読むとフランスの私小説だね。登場人物がべらぼうにおおいのが日本の私小説との決定的な違いだ。没落貴族、成り上がりのブルジョワの社交生活がほとんどだからおびただしい登場人物が出てくる。

もう一つの違いはわざとさえない貧乏な私が前面に出てくるのは日本の私小説だが、「失なわれた」のほうはワタシは最後まで名乗らない。表に出てこない。おそらく、これは決定的な違いだろう。

それだから、あるいはそれなりに、歯ごたえがある。ゆっくり読んでみよう。

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記憶の隅に

2023-06-08 07:10:50 | 無題

しばらく眠りに落ちていたらしい。ふと目を覚ますと家はパイプオルガンの演奏をやめていた。狂風は収まっていた。階下の怒鳴り声は聞こえなくなった。兄たちは風が収まった合間を縫って帰宅したらしい。ミシミシと階段を踏み鳴らして父か昇ってきた。部屋の外から声をかけた。

「泊っていくのか」

彼は目をこすった。

「そうだねえ、また風が吹き出すと心配だから今夜は泊っていくよ」

そうか、というと父は自室に入っていった。しばらく寝入っていた体は急には動かず重たい。あたりが静寂に包まれると先ほどの怒鳴りあいのことを思い出した。兄の声も父の声も、そうして妹の声もすこし変わって聞こえた。みんな別人のようだった。パイプオルガンの演奏に乗っかって変調していた。なかでも兄の声はまったく聞きなれない妙な声に聞こえた。

「あの声はどこかで聞いたな。誰の声だったか」

思い出そうとしたが、声の主を特定できなかった。確かに聞いた声だ。

再び彼が眼を開けた時は強烈な朝日がカーテン越しに差し込んでいた。

 

 

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妹の寝返り

2023-06-07 06:01:37 | 無題

四年前まで自分の部屋だった。久しぶりに押し入れから出して黴臭い布団を敷いて横になった彼は天井を見上げた。新築時に父が祖母のための隠居部屋として作った十畳の部屋である。彼の中学時代から彼の部屋になった。網代天井を見上げながら家全体がパイプオルガンのように騒ぎ立てるのを聴いていた。

築四十年の木造家屋はいたるところで建てつけが緩んで外気の注入口が無数にあった。同様に風の通り抜け口があり、それを通過する音は実に様々な音の発生源になった。穏やかな風が吹き抜けるときはそれは、人の話し声や出入りの音のように聞きなした。若いころにはふと目を覚ました彼は階下の風呂場あたりから誰かが丑三つ時に誰かが家に忍び込んだかと身震いしたものである。

便所は風呂場の近くにあったので彼はそんな「話し声、気配」を聞くと階下に降りていくのが怖くなった。それにしても今日の狂風は例になく凶暴で建物全体を凶暴な音で絶え間なく家を満たしていた。

階下では兄と父とが大声を出してやりあっている。兄や妹はいつまでいるのだろうか。この天候の荒れ模様では遅くなると帰れなくなるとテレビの天気予報は警告していた。父と兄の怒鳴りあう合間に今晩は妹の甲高い声が聞こえてくる。

切れ切れに聞こえてくる会話から判断すると妹は兄に同調して家を処分することに賛成しているらしい。この間までは彼女は正反対に意見だった。いつの間にか不動産屋の兄に同調しているらしい。これが父を激高させたのだろう。父はこの妹に甘く、妹がガラクタの衣装を買い込んでも、遊びまわっても見逃していた。それが突如兄に同調したので一層父を激高させたらしい。

 

 

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木枯らし第一号

2023-06-05 07:04:19 | 無題

秀夫が狂風荘と命名した父の家は四囲を五十階だてのタワーマンションに囲まれた底にあった。上空から写真を撮れば井戸の底にあるように見えただろう。おまけに運河に近く常に強風が吹き荒れる。海岸から橋を一つ渡って築地あたりに来ると嘘のように風は収まるのだが、家の近くでは体が持っていかれそうな強風が吹いている。

今日は老父の誕生祝いということで兄弟姉妹が夕刻から集まっている。今夕は強風がひときわ凶暴なうなり声をあげている。

「木枯らし一号かしら」

「それにはちょっと早いようだ」などと言っていたが、暮れるについて築四十年の木造家屋が土台ごと持っていかれそうな不安に、妹たちは幼い子供ずれでもあるし一人抜け、二人抜けと早々に父の家を辞していった。

何時もの例で集まると最後は不動産屋の兄が父に家を売れとこわ談判を始める。酒に弱い秀夫は頭痛をしてきたので二階に上がり寝室に布団を敷いて横になった。

 

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