穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

記述トリックの珍品

2010-12-26 21:38:37 | ミステリー書評

ミステリーと言っても大昔のアメリカのものをちょこっとしか知らないので、少しは倭ものも、と思っても何を読んでいいか分からない。

そこで「ミステリーが読みたい2011」てムックというのかな、それを頼りに一、二冊読んだが、妙なのがある。「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午著。タイトルがチンだというのではない。70歳の男女を二十代そこそこの男女と思わせて最後まで引っ張るという趣向だ。そこそこの筆力はあるが、きわめて後味が悪い。

前に紹介した「容疑者Xの献身」は日にちに関する記述トリック、これは年齢に関する記述トリック。50歳近い(読者である私の印象では)年齢の開きをごまかすためには一人称視点をとるのは当然だろう。それもハードボイルドふうに「俺」だ。

記述トリックというのはオイラの用語かな。業界では叙述トリックというらしい。本格と言うか本格もどきというか、最近はやたらと記述トリックがおおいのかしら。本格と言ってもトリックは種切れなんだろうな。それで記述トリックを使ってばかりいる。著者、業界、読者がお互いに「たました」、「たまされた」と言ってはしゃいでいるのだろう。

しかしこの本は年齢詐称がなくても成り立つ余地があったようだ。そうすると、年齢詐称トリックはだめ押しのつもりなのかな。そうでもないか。冒頭に古屋節子の明確なプロフィールをもってこないとどうなったのかな。

ま、これも一つの趣向だろう。

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リトルシスターは非線形方程式

2010-12-22 19:22:54 | ミステリー書評

Little Sister 2

この小説には四つの死体がある。そして犯行時の描写は一つもない、つまり犯人は読者に提示されていない。チャンドラーは四つの死体と四人の犯人を作りたかったらしい。こりゃ、大変な作業だよ。

結果、失敗したということだろう、その点では。小説の価値はその点だけではないからね、特にチャンドラーの場合は。

こういう趣向の小説はチャンドラーではほかにない内容だ。死体は一つか二つで犯人が描かれていない死体は大体一つに限られる(つまり謎解きの対象となる殺人は)。たとえば、「大いなる眠り」では死体は三つかな、そのうち二つは犯行現場の実況中継がある。つまり犯人は分かっている。単に物語を転がすための殺人だ。

ようするに、リトルシスターはチャンドラーの作品でもっとも非線形なものだ。ノン・リニアーなものだろう。四元方程式を解くには定式が幾つ必要だったかな。解も定まらない。それでも読める、読んで面白いところがチャンドラーだ。推理小説作家諸君もこのレベルの文章力を目指してほしいね。

チャンドラーの作品では異例に長いロンググッドバイはきれいな線形方程式だ。そうして読ませる。リトルシスターが魔女のゴッタ煮とすると、あるいはカクテルと上品に言ったほうがいいかな(もっともイギリス人に言わせるとカクテルというのは下等な飲み物らしい)、ロンググッドバイは名水のような口当たりのいい、のど越しに抵抗感のない名酒である。

& おっと間違えたらしい。リトルシスターの死体は六つかな。最後のゴンザレスと亭主の麻薬注射専門医者の無理心中を入れると。もっともこれが心中か無理心中かはっきり書いていないが。四元方程式を無理やり閉じるために夫婦どちらもどれかの殺人の犯人くさいと読者に思わせて幕をおろしたのだろう、チャンドラーは。

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リトル・シスター by チャンドラー+村上春樹

2010-12-20 22:14:49 | ミステリー書評

Little Sister 

村上春樹翻訳によるチャンドラー作品の三作目になる。翻訳と言うのは原作者と訳者のケミストリーだが、この第三作は村上パートがこれまでで一番強いようだ。解説でも相当に入れ込んでいる。

よれよれの20ドル札を持ってマーロウの所に現れる神経症的な田舎娘が依頼人だが、これがなかなかしたたか、日本にはカマトトと一語で表現する言葉があるが、英語にはないようだ。

村上春樹も考えたね。第一作に衆目の一致するロンググッドバイを訳す。次にチャンドラー作品の中では分かりやすく口当たりのいいFarewell My Lovelyを持ってくる。そして三訳目に大好きなLittle Sisterを持って来た。

まず即物的な感想から、私もペンギンの英国インプリント版を持っているが約300ページ、村上訳が350ページだ。大体英語の小説は訳すとページ数が1.5倍から2倍になる。もっともこれは文庫版だが、翻訳は単行本だし、活字も小さいがページ数がほとんど変わらないのが意外だった。完訳だというし、このページ数は文体やなにやらと本質的あるいは有機的な意味合いもあるような気がする。

村上氏はこのオファメイの描写が面白いという。確かに特異なキャラで描写も印象に残るものだ。チャンドラーは女性を書くのがあまり得意でないという村上評だが、どうか。たしかに、この小説では二人の映画女優、ゴンザレスやメイヴィス・ウェルドもじっくりと描き込まれている気がする(特にゴンザレス)。チョイ役で出てくる警察の赤毛のタイピストの描写も実が詰まっている。村上氏の指摘で改めて女性たちに注目して読んだ次第。

この小説で他の作品と違っているのは、マーロウの心境、心象描写がかなりひねってあって(シュール味で)、かつボリュームが大きい(ページ数が多い)ということだ。色々な意味で特徴のある作品だ。

ラストはメタメタだ。村上氏の表現を借りれば「誰が誰を殺したか(いくら読んでも)分からない」。その点は期待して読まないほうがいいだろう。

村上氏の訳だが最初のほうではどうも引っかかるところがあってペンギン版と比べたりしたところがある。途中からは村上訳に乗っかったが。それで気が付いた点をいくつか;

1.23ページ

マーロウ「・・・そして見たところ、君はとんでもないカマトトの嘘つきだ。うんぬん」

小説を読んでいけば日本語で言うカマトトというキャラが浮き立つようになってはいるのだが、とペンギンを見たら「you‘re fascinating little liarとある。まだカマトトと結論付けるのは早くないか。

2.118ページ「・・・ポケットから乱暴な色合いのハンカチを取り出し・・・」乱暴なとは乱暴な。ペンギンを見たらviolent-looking handkerchiefとある。

これはA:violet-lookingの誤植ではないか、オリジナルが。昔、日本でも(書生の腰にぶら下げた煮染めたような色の手ぬぐい)、なんて言いましたな。汗と油と汚れで赤黒く変色した色を優雅にヴァイオレット色と表現したのかと

あるいはB:violentには「ひどい」という意味もあるから〈汚れて〉ひどい色をした、と訳すとか。すざましい色をした、とする手もあります。

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どこでだまされたのかな

2010-12-17 22:01:26 | ミステリー書評

「容疑者Xの献身」の続きだが、どこでだまされたのかな、と読み返した。こんなことは普通しないんだが、たいしておっくうがらずにやる気になれるところがいい本の証拠だね。

大体80ページぐらいまでにヒントはばらまかれているようだ(文庫)。第一の犯行をくらますために第二の殺人が行われて、これを第一の犯行と思わせるというのが趣向なんだが、読み返してみると第一の犯行の日にちがまったく触れていない。

そういう意味ではこの部分は「記述トリック」なんだな。

それで第一の殺人の翌日に行われた第二の犯行の被害者を第一の犯行の被害者と思わせるわけ。だから犯人は犯行翌日のアリバイを作ればいいわけだ。

スタイルはある意味刑事コロンボふうだ。犯人は分かっている。犯行現場の叙述から始めるわけだから。

だからハウダニットものということになる。

読者と「書中の警察」をだますトリックの一つが上記の「記述トリック」なんだな。ほかにも簡易宿泊所から採取したDNA鑑定とか盗難自転車がある。

DNA鑑定の取り違えはちょっと面白かったな。しかし現実の警察活動がこんなにとろいのかなとも疑うが。

自転車盗難トリックはこの本の中では泥臭い部類だ。なにかほかの小道具を考え付かなかったのかな。

最後の数ページが猛烈に泣けちゃう。前回触れたが女性ファンを引き付ける箇所はここなんだろうな。こんな献身的な男がいたらいいな、と都合のいいことを考える女が多いわけだ。

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東野圭吾「容疑者Xの献身」

2010-12-17 09:05:47 | ミステリー書評

今回も和もの。最近のニュースでアップルだったかに、無許可でこの本が掲載されてチャイナかどこかで売られているというのがあった。人気があるんだな、としばらく記憶のとどまった。

先日本屋をぶらついていた時だ、年の頃なら30代の体格のいい女が子分みたいなのを連れている。手には文庫本を数冊わしづかみしている。さらに本棚をあさっている。そうしながら連れの女に講釈をしている。どうやら著者のことらしい。それで彼女の手元を見たら一番上にこの本があった。

こんなことがあって、その後書店で目に触れたので買った。いわばニュース触発型衝動だな。

エンターテーンメントという言葉がある。どういう意味か知らないが、たとえば出張に行くと考えなさい。ホテルの気持ちの悪いふかふかしたベッドではよく眠れない。酒でも飲んで酔っ払ってホテルに帰って勢いで寝てしまおうと思っても、飲み過ぎた酒の影響で3時頃にはぱっちりと目が醒めてしまう。もう眠れない。そんなときに読む本がエンターテーンメントだろう。

或いは10時間ほども飛行機に揺られて欧州に出張するときに、機内で読むかと空港の売店で買う本、ま、それがエンターテーンメントいうものだろうか。

タイトルの本はエンタメとしてはかなりいいものだ。

第一に読みやすい。銭を払って買う本は本来そうでなければならないが、読みやすい本と言うのはエンタメ系でもまれだ。読みやすいというのは文章がうまい、筋の運びがうまいということでもある。この著者は比較的若手らしいが古手平均よりも上だ。

衒って純文学より読みにくいのが多いから困る。それに長さがいい。350ページだ。旅行に持っていくなら、これ以上長いものはだめだ。

家で読んでもエンタメで長たらしいものは味のないボロ肉を噛むようで嫌なものだ。

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北方謙三「檻」

2010-12-10 20:04:48 | 書評

ご無沙汰しておりましたな。目先を変えて日本のエンターテーンメントから一冊。

まえに確かハヤカワだったか、日本のハードボイルドとかいう本を読んだんですが、いやはやこれが、、、。私はこの方面が疎いものですからそこにあったリストから何冊か読んだんですが、これがそうかよ、というのが多かった。藤沢周平ってんですか、なんと言ったかな、消された女とか消えた女だったかな、これまでハードボイルドというんですね。なるほどと勉強した次第です。

そこで北方氏の名前があったかどうか、本を捨ててしまったので記憶がないのですが、印象に残っていないから、この本の著者は重視していないのでしょう。

北方氏と言うのは最近はシナものを書いておられるそうですが、この檻はハードボイルドというか冒険小説というジャンルらしい。30年くらい前のものだそうです。解説がよかったですな。北上次郎氏。この人はほめ言葉がうまい。それで買ったわけ。

印象は「ほう、ふむ」ですな。少しの感心といくばくかの驚きの平均値が「ほう、ふむ」のアタイです。

へえ、こんな文章を書く人がいるんだ、という印象。日本ではハードボイルドといえども文章がべとついている。湿っている。北方氏は異質ですな。悪くありません。

ただ、小道具の使い方がくどい。主人公は冷えたコーヒーしか飲まない、のはいいが、彼が主語になるたびに、コーヒーの飲み方の注釈が入る。これは余計ですな。すこし刈り込んだほうがいい。刑事のほうは出てくるたびにライターの火打石がなかなかつかない。こんなのも毎回書く必要はありません。

枕詞のつもりで使うなら二回目からは短くしないと。

内容についてはやたらと「男の友情、掟」みたいなことが芸もなく繰り返されている。画一的なことが出てくる。東映の任侠映画みたいですな。文章のドライさに比べて明確な欠点です。こう友情が出てくると、あるいは先輩に対する体育会系みたいな盲目的な崇拝があからさまに出てくると、ホモ小説と間違われます。

拳銃よりも刃物のほうが、はるかに恐怖感を与えるあたりはよく書けています。

ま、ロンググッドバイで勉強するんですな。

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