穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ハイデガー哲学の瀰漫度

2015-03-30 22:15:10 | ハイデッガー

どうしても気になることがある。「二十世紀最大の哲学者」としての斯界におけるハイデガーの瀰漫度である。尋常とは思われない。ちょっと精神分析のフロイトを思わせる。 

私は第一原理(?)として不健康な瀰漫度に警戒することにしている。それでもその著書を読んで納得すればなんら問題はないのだが、読んでみると(全体のコンマ数パーセントだが)そんな気はしないのだ。

もっとも、これには別解があって、ようするに私にはハイデガーを理解する知能がないのだ、というのである。案外有力な別解かもしれない。某有力大学では別解を採用するかも知れないな。

ヘーゲルによれば、哲学書というのは全部読まなければ書いてあることは分からないのだ、という。著者に対する敬意からしてもそうすべきなのだろう。そうだろうと思うが、とてもそんな時間もないし、そんな酔狂な気持ちも持っていない。書きながら(しゃべりながら:講義の場合)考えが煮詰まってくるというのは分かる気もする。

完璧を期せばヘーゲルの忠告を採用すべきなのだろうが、ちょっと拾い読みをしただけでも7割がたは見当のつくものである。ところがH氏もさるもので底を見せない。

大きな問いが二つある。「存在者への問い」と「存在への問い」である。順序的には存在者の問いが先行する。存在者の中でも特別な,人間(現存在)への問いが先行する。で「存在の時間」ということらしい。問いの根本度では「存在の問い」だが、そういうわけで『存在と時間』で現存在分析をまず、ということらしい。

分からないのはどこに画期的というか独創的なところがあるのか、ということである。言葉というか表現を変えただけでコンベンショナルな西欧哲学の伝統の中にすべて見いだされるものではないのか。私の表現で言えばアルゴリズムに独創的なところがあるとは思えない(前々回の彼岸、此岸の文章を参照)。

『現存在分析』から存在者分析そして存在分析へとシームレスに整合性を保って究明されているのだろうか。

つづく

 

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ハイデガーの疑わしい功績

2015-03-30 06:50:48 | ハイデッガー

語源遊びには限界がある。西欧哲学の言葉(概念)は古代初期にギリシャからローマに移植された段階でラテン語に翻訳されている。

つまり厳密な一対一対応かどうか、疑念が残る。そしてそれに新プラトン的な解釈やキリスト教的な考えが反映し、解釈が変形して現代に伝わる。まあ、ハイデガーはそう言っている訳である。

それはほとんどがプラトンのものである。これは初期教父時代の激しい異端闘争でプラトン派が勝利した結果である。

ギリシャの哲学にしてからが、いわゆるソクラテス以前の哲学者の言説はギリシャ時代でも伝聞としてしか残されていない。すなわち主としてアリストテレス以降の文献での引用という形でしか残っていない。ソクラテスそのものからしてプラトンや他の後世の人物の著書のなかで述べられているだけである。まあ、この場合は一次伝聞では有るから少しはましである。

ハイデガーの言い分はもっともの様に見えるが甚だしい片手落ちである。なんといってもプラトンとならんで後期中世西欧哲学(神学)ではアリストテレスの影響が決定的なのだが、アリストテレスの哲学の大部分は11世紀にアラビアから欧州に流入したものである。当時の哲学先進国アラビア文化圏にアリストテレス文献がまとまった形で伝わり、その研究も行われていた。

したがって、ハイデガーのギリシャ >> ローマ >> 近代西欧という図式は 

小流れとして ギリシャ >> ローマ

本流として  ギリシャ >> アラビア >> 西欧中世

として捉えられなければならない。まず考究されなければならないのは、ギリシャ語からアラビア語にどう翻訳されたか。アラビア語からラテン語に翻訳されたときにどういうことが起こったかが研究の対象にならなければならない。寡聞にして才人ハイデガーがアラビア語に造詣があったという話は聞かない。

こういっては何だが、ハイデガーの文献講釈にはどうしても才人臭が気になる。

 

 

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ハイデガー哲学の分類(立ち位置)

2015-03-29 08:28:36 | ハイデッガー

いろいろな分類の仕方がある。根本的な分類でも数種あろう。その一つは

『この道、抜けられます』か?どうかである。彼岸、イデア、物自体、第一原因、神など色々な呼び方があるが、そこへ抜けられるか(通行可能か)どうか、ということで「抜けられない派」と「抜けられる派」に分けられる。

「抜けられない派」で有名なのはカントであろう。もっとも、抜けられるかも知れないが学では抜けられない、と言った方がいいかもしれない。そうすると、すべて他の「抜けられない派」も「抜けられる派」あるいは「抜けられるかも知れない派」になってしまう。

カントの時代、スウェーデンボルグという人物がいて、デンマークかスウェーデンでロンドンの大火を同時間に夢に見たという人物がいた。カントが「研究」している(視霊者の夢)。カントは本当かもし得ないが、学問的には確認のしようがない、と至極当たり前の結論を出している。 

彼岸(物自体を含めて彼岸と仮に呼ぶが)と此岸(現実の世界)との交流は大体一方通行なのであるが(スウェーデンボルグは相互交流)、彼岸が神であれば啓示、回心による場合がある。詩人や芸術家であれば霊感、直感となる。

プラトンでは彼岸からの写像と言う形で此岸にぼんやりと影として映る(洞窟の比喩)。あるいはマニ教やグノーシスのように彼岸から光のカケラが地上に落ちてくる。

なかには彼岸も此岸もないのだ。それは循環しているのだという思想も有る。ヘーゲル等はその一変形である。 

ハイデガーではどうか。かれは『存在』と「存在者」と対峙させる。「存在」というのはいわゆる彼岸の変形らしい。両者は交流可能とみている。それはいかにして可能か。一つは絶えず、折りにふれ、なにごとによらず「存在への問い」を念仏をとなえるように継続することである。あるいは場合によっては存在からの贈り物と思われる(ハイデガーにとってのヒトラーの場合)。

こうみてくると、「存在への問い」はハイデガーに専売特許権があるものではないようだ。古くから有るパーターンの一奇種ではないのか。

「存在への問い」に一度もまともな解答を示していないということは、問うことにだけ意味のある禅の公案みたいなものかもしれない(頭の体操)。

 

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ハイデガー哲学最大の問題点

2015-03-28 14:49:49 | ハイデッガー

それはやはりナチス問題である。多くの同業哲学者がこの問題を論じているようであるが、私がここ数日浚ったところではいずれも肝心なところが抜けている。大きく出たなって、そう。それで書く責任が出て来た。

ナチス問題はハイデガーの好みのフレーズでいえば彼の「根本問題」である。避けて通れない。別の言い方をすればこの問題を中心課題に据えないハイデガー理解は浅薄である。もっとも馬鹿の一つ覚えのように批判しても意味が無い。

ハイデガー哲学の躓きの石は、彼の哲学には「サニワ」がいないことである。サニワとは「審神者」と書く。ある霊能者に憑依した霊魂や彼が伝える(神慮)が本物か、どれだけのものであるか、格付けする。

ハイデガーはヒトラーを「存在」がその深淵、根源からドイツ民族という現存在に送りつけた人物と信じた。彼によってドイツ民族の伏蔵性は開かれ、ドイツ民族の栄光は世界に輝く筈であった。

ようするにこの判定に問題があったわけである。応用問題が解けなければ理論の価値は無い。

彼がナチス内部の内部抗争に破れ、あるいは失望してフライブルグ大学総長を辞職した翌年行った講義で「形而上学入門」として後年公刊された書物に「存在は幻か誤謬か」という文章が有る。この文章は彼の短い政治活動の体験を出来るだけ当たり障りのないように、ぼかして表現したものである。ハイデガーの精一杯の抗議であり、また、自嘲であろう。

 

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激しく燃え上がったハイデッガーとナチスの恋

2015-03-26 08:33:23 | ハイデッガー

恋愛のならいにもれず、短く燃え上がり消滅した。1930年代の前半おそらく1933年から1934年の始めまでがその盛りであったろう。

ハイデガーがヒトラーにみたもの、それは「ドイツ民族」という集合的「現存在」(注)であった。総統は世界歴史上はじめて「覆われた存在の秘密」を二千数百年ぶりに西欧に対して開示する筈であった。そう信じた。

思い出すのはナポレオンがイエーナに占領進駐した時に、ヘーゲルが友人に書送った手紙である。「いま世界精神が馬上で通った」と興奮気味に書いている。ちょうどヘーゲルが「精神現象学」を書き終えたころである。ヒトラーはハイデガーに取っては、ヘーゲルにとってのナポレオンと同じであった。「存在」がドイツに送りつけたものであった。この思いはヘーゲルよりも強かっただろう。ナポレオンはフランス人であり、ヘーゲルは侵略占領されたドイツ人だったのだから。まさにニーチェが熱望し予言した「アンチクリスト」が出現したのだ。

ハイデガーはナチスに「存在という幻」(形而上学入門)を観たのである。「存在という誤謬」を観た(形而上学入門67ページ)のである。

しかし、ハイデガーは終世幻としての、誤謬としての恋人の面影を胸に抱き続けた。現実のナチスに見つけられなかった、いうなれば真性の、急進的な、過激なナチズムを、である。彼は戦後ナチスに付いて沈黙をまもり、反省せず、非難せず、後悔を表明しなかった。日本流に言えば「もののふ」とも言えよう。紅衛兵に脅し上げられてすぐ謝罪するような人間ではなかったのである。

注:現存在というと普通個人を連想する。また人間の本質という普遍的な概念を意味する。民族(的精神)は連想しないが。先に、「形而上学入門」を読んでいて、継ぎ目無く(つまり前後の繋がり無く)突然時事問題が数ページ続く所が複数箇所ある。妙に思っていたが、これは存在あるいは現存在にドイツ民族といった集合的なイメージを持たせ始めていた転換点だったのかも知れない。

参照:「形而上学入門」76−77ページ、81−83ページなど

 

ドイツ民族を選民とみる考えではヘーゲルとハイデガーは同じである。ヘーゲルは歴史哲学で最高の発展段階(終局)としてゲルマン文化をあげている。ゲルマン文化に世界精神の最高の発展段階をみる。ヘーゲルの頃はドイツという言葉があったのかどうか。少なくともドイツという国名の統一国家は無かったからゲルマン民族という言葉を使ったのだろう。

ハイデガーの場合はどうも上代ギリシャ文化の正当な後継者はドイツ人だと言うことらしい。その根拠として上代ギリシャ語を正統的に継承しているのはドイツ語だという主張(根拠、要検証)がある。

 

 

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ニーチェ講義の行われた時期

2015-03-25 08:06:39 | ハイデッガー

ハイデッガー自身の序言によると、「ニーチェ講義」は1936年から1940年にかけてフライブルグ大学で行われた講義と1940年から1946年に成立したいくつかの論文からなる。 

木田元氏の絶賛にもかかわらず私の印象では冴えがない。もっともまだ第一巻の二百ページほど読んだだけである。まだしも1935年の講義録「形而上学入門」のほうがいい。

この時期のハイデッガーの活動をみてみた。1930年代の初めからハイデッガーはナチスなどの民族主義者との活動(講演等)を行う様になる。そして1933年にフライブルグ大学の総長になる。同年ナチスに入党。ヒットラーの教師になって教育しようとも考えていたという。まるでアリストテレスが後のアレクサンドロス大王の家庭教師であった故事にならおうとしていたように。しかしヒットラーは子供ではない。ナチス党首で首相である。うまくいかなかったようだ。

志した大学改革が収拾のつかない混乱をもたらし、彼は1934年総長を辞任する。彼の学生であったユダヤ人女性ハンナ・アーレントと不倫の関係を持つ。彼女はナチスが政権をとるとフランスに亡命した。 

ハイデッガーはナチスの党籍は離れなかったようであるが、如上のような種々の事情から党内の内紛に破れ、1936年頃からはナチス情報部の監視下に置かれていたらしい。

当時ニーチェ哲学はナチスの公認哲学ともいうべき位置にあった。ニーチェ研究は無難なテーマであったのである。いわばハイデッガーのアリバイ作りのような意味があったのではないか。たしかに膨大な労作であるが、いまいち迫力がないのはこのような事情の元で行われたからではないか。

付記:平凡社ライブラリーの『形而上学入門』にはシュピーゲル誌との対話が載っている。そこでナチスとの関係のインタビューがある。ハイデッガーによると、戦争末期には国民総動員令で飛行場か何処かの穴掘りかなにかの土木工事の作業員にかり出されたという。ナチスから特別扱いされていなかったということを強調したかったものと思われる。 

今回はいささか下種の勘繰りめいたが、かなり当たっているのではないかと思うので書いた訳である。

 

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ニーチェはやくも視界へ

2015-03-24 10:12:20 | ハイデッガー

ニーチェ講義が始まる前年に行った講義(形而上学の根本の問い)ですでにニーチェが視界に入っている。存在者の問いを超えて先行する存在への問いを提起した部分(形而上学入門61−67ページ)がある。

この議論はニーチェ講義に引き継がれて行くので、形而上学入門を併せて参考にするといいだろう。ニーチェ講義の98ページあたりである。ただどういうつもりか、用語が逆転している。前書では形而上学の「根本の問い」は「存在者への問い」であり、「存在への問い」は「先行する問い」であるのに対して、ニーチェ講義では「存在への問い」が根本問題に、そして「存在者への問い」が先導問題になっている。勿論訳文であり、ドイツ語でどうなっているのか分からないが、同じことをまるで正反対の印象を与える言葉を使っている。無神経に思われる。

ま、それはともかく、前書の61ページ以降で存在とはなにかということで、ひとつ上げれば良いのに、数例をあげている。おまけにどの例もピンぼけである。前回ハイデガーの喩え、例示はなっていないといった理由である。

あのヘーゲルでもたまには例示という補助手段をつかう。精神現象学でも、知覚の説明で砂糖の例をあげる。また主人と奴隷の比喩も有名である。そして、適切で説得力のある比喩と言える。比喩には節度と適切さに対するセンスが必要なことを示している。

 

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ニーチェがハイデッガーの講義を聴いたら

2015-03-24 06:54:13 | ハイデッガー

ニーチェが生きていて、このハイデッガーの講義を聴いたらどういう反応を見せるだろうか。怒りだすか、噴き出すか。余計な推量をするなと叱るか。

おれが体調のすぐれない晩年の5年間苦しんでまとめようとしてかなわず、その重圧で発狂してしまった作業をよく俺にかわってやってくれたと思うだろうか。よもやそんなことはあるまい。

ニーチェの特徴は文章の切れと精細にして意表をつく心理解剖である。世間では詩人哲学者などと言われていたようだが、私はニーチェは思弁心理学者と呼ぶのが適切ではないか、と思う。

正直に言うと私はニーチェの文章がそれほど好きというわけではない。あくまでも比較の問題であるが、文章の生彩という観点からみればニーチェとハイデッガーは比較にもならない。

比喩というものは、生硬な文章では相手に意を伝えられない場合に使う。従ってこれがもっとも効果的に多用されるのは宗教である。新約聖書のマタイ伝だったか、キリストは「喩えならでは何事も語り給わず」とある。 

禅に不立文字(フリュウモンジ)という言葉がある。これなど最初から言葉による伝達を諦めている。哲学は本来この手法に頼るべきではない。ところがハイデッガーは下手な比喩を肝心なところで連発する。したがって、ますます非論理的、意味不明になる。

つづく

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精神破綻直前のメモを扱うには

2015-03-23 07:55:12 | ハイデッガー

ニーチェの著作履歴を見て驚くのはその半数が発狂直前の1、2年に集中していることである。

1886年 善悪の彼岸

1987年 道徳の系譜

1988年 ヴァーグナーの場合、ニーチェ対ヴァグナー、偶像の黄昏、アンチクリスト、この人を見よ

1989年1月 発狂

之によって此れを観るに、哲学体系の構成がニーチェの精神には非常な重圧となって、緊張を強いていたことが分かる。まるで、その重圧から逃れる様におびただしい言葉を吐き出している(印刷に付されている)かのようである。此れを観ると、遺稿集に全面的な比重を置くハイデッガーの態度は無謀の様に思われる。

この重圧が精神破綻の原因になったともいえるのではないか。彼の病歴に付いて調べてみたが諸説あるようだ。断定的なものは見当たらない。当然だろう。主治医の配慮もあったであろう。何はともあれ、生来の資質や器質的な問題あるいは病歴があったにせよ、誘因というかきっかけは「体系を構築しなければならない」という期限付きの強迫観念であったに違いない。

それとこれもすでに指摘されていることだが、遺稿の編集にあたった妹のエリザベートに対する芳しからぬ世評である。ハイデッガーの講義録は1936年から1940年のもので、エリザベートの編纂した遺稿集しかなかったであろう。おりからナチスが政権をとってその全盛期である。エリザベートはナチスに自由にニーチェ文書へのアクセスを許していたというし。

もっとも、ハイデッガーにとっては、かえって都合がよかったのかもしれない。強引な議論の持って行き方、我田引水、牽強付会、言葉あそびの得意なハイデッガーにとっては、きっちりと輪郭、構成のある資料よりも曖昧な遺稿集の方が自由に扱えて、やりやすかったのかも知れない。

 

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何故「力への意志」をとりあげるか

2015-03-22 07:37:53 | ハイデッガー

進行形書評:ポジション・リポート ハイデッガー「ニーチェ1」120ページ

ハイデッガーのニーチェ講義では「力(権力)への意志」を取り上げる。

なぜ、「力への意志」を取り上げるかは20ページから24ページまでに要領よくまとめられている。ハイデッガーの文章らしくなく、分かりやすい。まるで大学生の履歴書の様にニーチェの著作歴を要約している。

ニーチェには多数の著作が有るが、まとまった思想体系を述べた作品は無い。彼の著作活動の最後の十年間は彼の思想体系(本堂)をまとめようとした時機である。これは彼の残したメモからわかる。注: 

しかし、彼はまとめる前に発狂してしまった。「力への意志」は体系構成の過程で彼が残した膨大なメモ、断片を死後関係者がまとめた遺稿集である。その体裁も複数回改訂されている。現在の版(すなわちハイデッガーがこの講義をした時)は比較的妥当な編集であろうとハイデッガーは推測している。

注:友人オーベルバックあてのニーチェの手紙(1884年4月7日);

「私のツァラトゥストラによって私の哲学のための柱廊を建てておいたから、いよいよこの哲学の::本堂::の竣工に次の5年間を費やす決心がついたからだ」 

ニーチェはこの予定していた5年後の1月に発狂している。つまり5年前にたてた計画満期の直前に精神に破綻をきたした。べつにそれだけのことだが妙な因縁を感じる。

まあどうでもいいことかもしれないが、後世の関係者の判断が多分に入った遺稿集を中心に批評をするのには一抹の不安定性を感じない訳ではない。もっとも、ハイデッガーはふんだんにニーチェの公刊された作品からの引用も援用しており、整合性は保つ様にはしているのだろうが、整理されていなかった遺稿集を中心に検討を加えるというのはどんなものだろうか。

没後百年後はもうすぎたが、二百年後に新しい資料が見つかるというのはままあることではある。

 

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ハイデッガー講義録の癖

2015-03-21 06:49:05 | ハイデッガー

と言っても「形而上学入門」を読み「ニーチェ1」を7、80ページ読んだだけですが、両書に共通した書き癖がある。最初にそれについて言っておいた方が良い。この書評ブログは短い本は別にして、現在進行形書評であります。つまり10ページ読んだところで感想をアップ、70ページ読んだ所でアップという具合に読了するまでに数回にわたって印象を述べることがおおい。

従って著者の叙述の仕方によって総合的にみると、原著と書評の間のブレというか「振動」が一時的におこることがある。それはそれで良いというのが私の方針です。起承転結がはっきりとしていて理路整然と叙述が進んで行く本では両者の間に揺れはない。そうでない本の場合は免震構造が必要かもしれない。

ハイデッガーの講義録ではこうはいかない。最初の結論めいたものが出る。そして詳しくはいずれ後で触れると身をかわす。そして最後までフォローアップが無い場合も有る。フォローアップがあってもよほど注意して読んでいないと見落とす。また、今度のテーマは何々だ、と言いながら全然別の話をする、などなど。

この書評は現在進行形でリニアに読んで行きます(最初からという意味です、原則として)。したがって、親切な読者がいて、この書評と原著を併読していただくかたがいるとして、若干の揺れを感じるかもしれません。

 

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私はマグロ

2015-03-20 09:23:24 | ハイデッガー

マグロは回遊していないと死んでしまう。どういうメカニズムだったか忘れたが、酸素が採れなくなるらしい。私もマグロの仲間である。なにか読んでいないとぼけてしまう。 

いわゆる活字マニアというのかな。なにも読むものが無くなれば寿司屋のチラシを20回も読み返しますが、そこまで追い込まれていない。選択肢があるなら少しはましなものを読みたい。

そこで、もう少しハイデッガーを読みます。今度は講義録「ニーチェ1」(平凡社ライブラリー)です。文庫で出ているのはこれくらいですね。単行本はあるが、売れないのかべらぼうに高い。五千円から1万円ぐらいかな。翻訳者のレベルの問題も有る。高い本をかってあとでほぞを噛むのはさけたい。で、木田元先生ご推奨の「ニーチェ」にしました。

まだ少ししか読んでいませんが、「力(権力)への意志」のうち第三書(第三巻)四の「芸術としての権力の意志」を解説するそうです。このパートはちくま文庫では60ページくらいの分量ですが、平凡社ライブラリーでは「ニーチェ1、2」無慮千ページあまりで解説するらしい。楽しみであります。

この「権力への意志」は遺稿集で断片の集積でありニーチェはもっとリファインするつもりだったのでしょうが、非常に分かりにくい。千ページもあると楽しめますな。

この私のシリーズも(長くなりそうですが)、思考の経済もかねて、ニーチェ流にアフォリズム風に書き流していこうと思います。

つづく

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ドイツ観念論のアルゴリズム

2015-03-16 08:18:53 | ハイデッガー

プログラム作成で定数として、いや変数としてか、「古代ギリシャ文明への鑽仰」を入れなければなるまい。もっともパラメーターが大きいのはヘルダーリン、ニーチェやハイデッガーであろうか。ヘーゲルもかなりのものがあるが、ギリシャいのちという思い入れまではいかない。これを変数Gとしよう。 

一般に変数Gは19世紀初頭に大きい訳であるが、これは一種の時代の流行であるのか、あるいはイギリス、フランス等の先進国を範とすることへの抵抗感があるのかもしれない。ドイツの政治情勢は中世的残滓がおおく、第一国家統一を成し遂げたのは明治維新とさして年代はかわらない(オーストリア・ハンガリー帝国は別である)。

また、ニーチェは学究生活の出だしが文献学者で、自分の畑を耕したということだろう。ハイデッガーはそういう意味では珍種だろうか。

かれの存在論の大部分は古代ギリシャ語の語源を探り、そこに根拠を求める。この手法が他の方法よりすぐれているかどうか、ハイデッガーを読んだだけでは説明はない。

普通は根拠とするもの正当性をまず説明するものだが、それがない。語源学に頼る場合には多くの問題がある。言葉というものは起源をたどれば辿るほど、一つの言葉に様々な語釈がある。時にはまったく関係がないような語釈がおなじ言葉にある。これは現代語の辞書でも重要な基幹語によく見られる特徴である。

ハイデッガーはその中の自分の説に都合のいい語釈を取る訳である。ということは語源学から全く正反対の哲学をつくることも可能であろう。

もう一つ、古代言語の語源学は、考古学と同じ様に時代が進めば研究は進歩するだろう。現時点での語釈で決定的なことを言って良いのか。それに何故古代ギリシャ語なのか、という問題を正当化する必要がある。言語は多数ある。歴史的に埋もれた言語を含めると無数にあるといってもいい。そのなかから、一つをピックアップするなら「根拠」を開示しなければならない。

 

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哲学と同列にいるのは詩だけである

2015-03-15 08:16:17 | ハイデッガー

「形而上学入門」の51ページにハイデッガーは書いている。

「哲学および哲学の思惟と同列にいるのは、ただ詩だけである」。本当だろうか。あるいは正しいだろうか、と反問すべきかも知れない。

以下でわたしは判定をくださない。ここでこのフレーズを取り上げるのは、これが彼の手法をよく表していると思うからである。

『形而上学入門』を通読したが、彼には論証というものがないようだ。哲学者には結論の前に適切な論証があるグループとない(と思われる)グループがある。前者の代表がアリストテレスやカントである。後者はプラトン、ヘーゲル、そしてわがハイデッガーである。

後者は論証が弱く、よく言えば跳躍があるところが詩的といえようか。後者はさらに二つのグループに分けられる。最初のグループは(隠された論理)を把握すればそれなりに筋道が理解出来る哲学者でヘーゲルがそれである。

よく西洋の文化を理解するには西洋文明の伝統を知らなければだめだ、と小賢しげに言う(進歩的文化人)がいる。かれらが言うのは狭いキリスト教のオーソドックスな教義をいう。つまりマルクス主義で言えば内ゲバ理論闘争を経て「正統、すなわち異端ではない」とレッテルを張られた教義をいう。

これは西欧の伝統の一部にすぎない。二千年の教義論争で異端として追放された数多くの教義。濃淡の差はあるものの、キリスト教と類縁関係にあるグノーシス主義や各種の神秘主義それに啓蒙時代に盛んになった秘密結社(たとえばフリーメーソン)など。それにマニ教、キリスト教以前のケルト土着宗教、各種神秘主義、錬金術などを含めたものを西欧の伝統とみなければならない。

そしてこれらの(縁辺)思想は事実上日本で知っている人は非常に少ない。ヘーゲル等は乱暴で奇想天外な「論理学」に驚くが、これら広義の西欧的伝統を包括的に知っていればそれほど驚くことは無い。

このヘーゲルの例の様にいわば隠し味が分かれば理解出来る思想家もいる。ハイデッガーはどうか。キーワードは古ギリシャ語、語源学、文法らしい。

つづく

 

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ハデッガー「形而上学入門」への問い

2015-03-12 08:52:48 | ハイデッガー

序において、ハイデッガーは「この講義は周到な準備をした上で行われた」と書いている。したがって全体の構成には巧妙な仕掛けがあると考えなければならない。

第一部(或は第一章)で「形而上学への根本の問い」としてライプニッツによって命題化された「なぜ一体、存在者があるのか、そして、無があるのではないか?」を考究している。

もっともライプニッツの命題はこれとそっくり同じではない。「存在者があるのか」は普通日本語では「何かがあるのか」と訳される。英語では

“Why is there something rather than nothing ? “

と訳されるようである。ハイデッガーがetwasなどとしないで存在者としたのか、原文ではseiendeらしいが余計な小細工をすると紛らわしくなる。

この問いには歴史上多くの解答が試みられているが、一致した解答はない。ライプニッツの解答は神の存在論的証明に繋がる訳だが、これは目的があってそれに解答を誘導しただけであって、むしろ神学の問題である。

ハイデッガーはどうか。縷々、無慮三百余ページを費やしているが、解答を出していない。解答の試みも無い。ハイデッガーの企みはこうである。

この問いを考えるには先行して「存在とは何か」が問われなければならない、と。そして、上代ギリシャにさかのぼり、語源学的考察や元初哲学者たち残した断片をもとに哲学史的蘊蓄を傾けて彼の存在論に持って行く。

彼の言葉を借りれば「問われ問いかけられているものから問うことへの跳ね返りが生起する。だからこの問いを問うことは、それ自身決していい加減な事象ではなく、一つの特異な事であり、これを我々は出来事と名付ける」(18ページ)。

存在論につなげるのはこの跳ね返りということであろう。だから解答を得ることが出来なくても問うことには意味があるというのだろう。

普通この種の質問は愚問、ないしは奇問とされる。幼い子供が親を悩ます質問である。学童が先生を悩ます問題である。「なぜAなの、あるいはAがあるの:それはBだからよ:なぜBなの:それはCだからよ:なぜCなの・・」と尽きることが無い。普通こういうのを無限退行とか悪無限いう。

親や先生はこういう子供を知恵おくれと見なすことがおおい。そういえば、発明王のエジソンもそういう質問をする子供であったそうである。

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