穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

誤解を避けるための補足若干

2022-04-14 08:36:28 | 書評

 以上「半落ち」をめぐるアップをしてきたが、趣旨は北方氏のいささかピントの外れた批判に対する批判であって、横山秀夫作品全体に対する評価ではない。作品の質と言うことに関しては「半落ち」は彼の作品のなかでは高いと言えよう。前にも述べたがクライマースハイはそれほどでもない。
 ちょっと、気になったので若干ほかの作品にも目を通したが、半落ちレベルの作品はないようだ。短編で何やら賞を得たという「影の季節」と「動機」を読んでみたが、こんな作品でも賞が貰えるんだ、という感想だ。乱暴な飛びが多すぎる。意図的な飛びで一定の効果があるならいいが、そうではないと思った。
 また、「64」を10ページほど読んだが、叙述が混濁しているね。意図的にそう書いているかどうかは知らないが、とても読み続ける気がしない。
 ところで林真理子のふるまいの背景には嫉妬があるのではないか、と感じたが、彼のそれまでの作品が「それほどでもない」のに次々と賞を獲得することに対する嫉妬がああいう言動になったようだ。しかし、北方氏の言動に喜んで賛同するのはいただけない。

 

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官僚文学に転身することを勧める

2022-04-13 07:25:31 | 書評

 官僚文学と言う分野があるそうだ。北方君の逃げを打つ妙なコメントを読んで、彼には官僚文学に転身することを勧める。官僚文学と言うのは官庁の課長補佐あたりが、国会での大臣答弁の原稿を書くことだそうだ。なんとか野党の追及をごまかそうとのらりくらりとした文章を書くことらしい。北方君には適していそうだ。
 うまく行けば野党は二の矢の質問に窮する。北方君の技量はそこまでは行っていない。だから私のつたない追及を受けるわけである。
 ところで、この時のほかの選考委員が何の疑問も抱かず、根拠も質さず北方氏の報告を受け入れているのはさながら幼稚園のホームルームの感がある。受け止め方も様々である。たとえば、
 風船女林真理子は「歌舞伎町に行くのがそんなに悪いのか」という意見があったという。作品の中で作者はそんなことは言っていない。保身に汲々としている警察幹部が「そう恐れている」と書いているのだ。だから小説の推進エンジンになっている。報告者ご苦労さん。
 また、「落ちが途中で分かった」、とあるが、どこで分かりましたか。私は分からなかった。鈍いのかな。また「落ちに欠陥があることが分かった」と無批判無条件に北方説明を受け入れている。彼女はこれに浮かれて選考会の外でもひと踊りしたそうな。
 このほかの委員も無条件に根拠も糺さず様々な言葉で雷同しているが、こうなると、北方氏の選考会での正確な「説明内容」が開陳されることが不可欠だろう。

 

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直木賞選考の一大汚点(1)

2022-04-12 08:41:17 | 書評

  最大の汚点かどうかは知らない。毎回汚点だらけだったりして。半落ちは二十年も前の2002年下半期の直木賞候補であった。古い話で申し訳ないが、何しろこちらが半落ちを読んだのは二、三日前なので、その辺の事情をご勘案願いたい。
 選考委員の北方謙三が変ないちゃもんをつけたらしい。どんないちゃもんだったか、これが「古文書」では分からないというしまらない話になっている。選考会事務局の文芸春秋が各選考委員の批評をインターネットに乗せている。これが何を言っているのか分からない。作家と言うのは読者に分かるように書くものダベ。こんなちんちくりんな文章を恥ずかしげもなく載せちゃ駄目じゃないか。引用してみよう。北方の批評である。
 『関係の団体に問い合わせて見解を得、主人公の警部の動きには現実性がない(引用者中略)』
 問題点を列記する。
*関係団体とはどこか、明示せよ。
*見解とは文書による根拠があるのか。
*関係団体(要明示)のどのレベルの見解か、トップかぺいぺいの窓口か。直接北方が聞いたのか、あるいは下請けの情報提供者(新聞記者くずれなどの)に調べさせたのか。
*警部の動きに現実性がない、というのは具体的にどの部分か明示せよ。非常にあいまいでこの場合、現実性がないなどという言い方は的外れだろう。法令に違反しているとか、骨髄バンクの規定に違反しているという議論なら分かる。正しいか正しくないかは別にして。
*「引用者中略」とはなんなの。引用者とはだれか。いずれにせよ、この部分ははっきりと具体的に書きなさい。
 不思議なもので、こんな論点は簡単に論議、明示できる種類のものであるにも関わらず、インターネットでかなりの記事があるにも関わらず明確でない。そこで私の感触に基づいて進めよう。
 ま、北方の返事を待ってから書いてもいいのだが、どうせ返事をしないだろうから、次回からわたしの一人芝居といこう。

 

 

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二つの病気と二人の患者(計四人)

2022-04-11 08:15:09 | 書評

 この小説には二つの病気が出てくる。一つはアルツハイマー病である。もう一つは骨髄性何とか白血病である。そしてそれぞれの病気に患者が二人ずついる。左右対称と言うか左右均衡と言うか。美的構成だね、「破」はない。これも芸(術)の重要な要素ではあるのだが。
 まずアルツハイマーから行こうか。一人はこれまでに触れた警部の夫に扼殺された妻である。もう一人は担当裁判官の父である。この父はそれほど重要な役割を与えられていない。ま、左右均衡のために添えられたというか。
 もう一つは白血病である。一人は警部の息子で、この病気で十年前(だったか)死亡した。それを機会に警部は骨髄移植のドナーになっていた。もう一人は警部からの骨髄移植で命が助かったという少年である。この少年が成人して歌舞伎町のラーメン屋で働いている。こう書けばオチは分かったと思う。
 妻を殺した警部は自首する前にこの少年に会いに歌舞伎町に行った。ここに問題があると言えばある。つまりドナーと被移植者はお互いに分からない仕組みであるはずだからだ。人工授精で精子提供者と被提供者はお互いに知られないようになっているらしいが、それと同じ考えだろう。ここがちょっと弱いと言えばいえる。勿論作者は理屈をこしらえているが。だから作者はその少年に歌舞伎町のラーメン屋で会って名乗らない。ラーメンをすすって帰ってきた。しかし、雰囲気で少年のほうは分かったというのだね。これは、まあ、小説では許容範囲だろう。
 じゃあ、どうして警部は少年を特定できたのか。作者が用意した話は次の通り。新聞が少年の特集記事を書いた。そこで少年がドナーに感謝している。記事の内容からこの少年は自分の骨髄を提供した相手だと分かったというわけ、小説の許容範囲だろう。
 なぜ警部は自首する前に会いに行ったか、なんとなく分かる、んじゃないかな。読者は。なぜ会った後自殺しなかったか。警部は49歳、ドナーとして提供できるのは51歳まで(現在は55歳らしい、以上は骨髄バンクのホームページ)なので新しい提供依頼が来るまで生きていようと思った、という。話としてはまとまっていると思う。
 この話に北方謙三がいちゃもんを付けた。これがゴタゴタの発端である。どうつけたか、どう逃げたか(問題が大きくなってから)は以下次号で紹介する。

 

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地味な話を引っ張っていく実力

2022-04-10 08:59:44 | 書評

 スリラーと言うものは、大体が最初に死体が転がりでてきたが犯人が分からない、そこで警察や探偵のお出ましとなる。そして、死体の転がり方が不自然にわざとらしいのがいいらしい。占星術殺人事件なんてのは、その教科書通りにやっていた。
それに比べてこの小説は極めて地味である。アルツハイマーの妻を扼殺した警察幹部が自首して警察の調書も検察の求刑も簡単に終わるはずなんだが、ここで作者はひねりを入れた。犯人は犯行後すぐに自首しなかった。二日後に自首した。この二日間に何をしていたか。そんなことは問題にならないはずなのだ、訴追プロセスでは。

 ところが、この二日間に犯人は死亡した妻を家にほったらかして新宿の歌舞伎町かどこかに行っていたらしい、と話を作るのである。ただでさえ、警察幹部が殺人を犯したというのは警察の信用を落とす。そして犯行後遊興していたと報道されれば、テメエの出世に影響すると、警察庁から地方の警察に腰掛で来ている県警のキャリア幹部は真っ青になる。そこでこの犯行後の二日間を無難にでっち上げることが至上命令になる。たとえば、死に場所を求めて県内を彷徨していたとか、できるだけ無難な話をでっち上げたい。
 そして、この種の物語のお決まりだが、下っ端の捜査官たちが上部に反発するのである。ま、この話を最後まで引っ張っていくのは大変な技であり、筆力である。そして実際に犯人は歌舞伎町に行っていたのである。だが、とここでまた一ひねりある。

 

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横山秀夫「半落ち」

2022-04-09 15:38:12 | 書評

 彼の作品は上記のほかに「クライマーズハイ」と二つ読んだ。小川榮太郎氏の採点はクライマーズが87点ともっと高く半落ちは81点だが、私は半落ちのほうを上に評価する。
 クライマーズは地方新聞社内の二世代のグループダイナミックスと言っていいのかどうか。叙述は半落ちに比べて迫力がない。新聞記者と言うのは自分の記者生活のハイライトを遭遇した大事件に置くものらしい。古い世代は前世紀も大分昔の連合赤軍の浅間山荘立てこもり事件だ。一方若い世代は日航ジャンボ機のゴスタカ山墜落事件だ。いずれも群馬県で起きた地方紙地元の「大事件」で日航ジャンボ墜落事件(これも前世紀の話だが)を取材する若い記者は、年寄りが連合赤軍取材が最高の事件、最高の事件と言うのはおかしいが、だと思って若い記者に教訓をたれて反発を買うという次第である。要するに地方新聞社内の世代間グループダイナミックスで平板である。
 半落ちは地方都市での警察幹部による嘱託殺人の経緯である。つまり警察の取り調べ、検察の取り調べ、法廷での取り扱い、収監された刑務所と時系列に追っている。私は法曹界には詳しくない。昔法廷に一度だけチョコっといったことがあるだけだ。それだから、大分詳しく書かれている本書の内容が実態をどの程度反映しているか分からない
 この作品は直木賞候補になったが、事実と違うと一部の選考委員がいちゃもんを付けた事件で知られている。しかし、どういうことだったのか、曖昧な記事しかインターネットには出ていないようだ。その点も興味をひかれたところである。
 最初はこのくらいにしておこう。

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フォローアップなど

2022-04-06 07:46:18 | 書評

 このシリーズの最初のほうで指摘したことだが、殺された画家がアゾート(数体の切断死体によるマネキン制作)についてのメモ、作者はノートとか小説と書いているが、のことだ。島田氏は犯人がアトリエの引き出しにあったノートを見て、それをなぞって後の連続殺人を実行した可能性もあるという説が世間の好事家の間にあると書いている。かの躁鬱症の尊敬すべき御手洗ホームズも黙って聞いている。
 私は先のアップでこのノートは犯人が書いてわざと残した可能性があり、警察が筆跡鑑定もしなかった(島田氏の小説を読むとそうとれる)のは不自然非常識であると指摘しておいた。いわんや島田氏がすっとぼけているのは呆れたと書いた。
 もしこれが島田氏の意図的隠蔽なら詐欺であるとも書いた。まったくフェアプレイに反していると書いた。これだけでこの小説の評価は0点になる。そして、あにはからんや、最後の時子の告白の手紙で「私が書きました」と告白させている。
 これまでに書いてきたようにこの小説には小学生でもわかるような幼稚な、読者に対するはぐらかしが多い。警察の捜査活動は小説の筋が通るように「いかにも無能な印象を与えるように」捻じ曲げられている。前回触れたように一枝殺しの際に刑事竹腰を色仕掛けにかけたことなど。更に、この事件では時子が殺害した五人の死体が物置に隠してあるのに、警察は物置を捜索していない。ちょっと考えられない。

動機について、
時子の異母姉妹や義母から受けた差別、いじめ、それに画家に離別された生母に対する冷たい態度などが理由になっているが、凄惨な大量親族殺人の動機としては弱すぎる。だから最後に時子の告白のなかで数行であっさりと処理されている。なんだか殺人の詳細凄惨な記述に比較してチグハグだ。これが「本格推理小説」の中興の祖というのも、狐につままれた印象だ。
 そうそう、時子の偽装死体が時子と判定された決め手が足の爪がバレーの練習で変形していたというのがある。差別され、いじめられた継子に、当時日本人がほとんど子供に受けさせていないバレーの練習に通わせるだろうか。これも時子の死体ではなくて別人のものであることが分かったことになっている。犯人の時子が自分も死んだように見せかけたというのだ。これも結果から後付けをしたつもりなのだろう。日本語ではこれを「頭かくして尻隠さず」という。

 

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私は文壇特定ギルドの回し者ではありません

2022-04-05 02:12:13 | 書評

 講談社文庫版には他者による解説はない。そのかわり著者による「改訂完全版あとがき」というのがある。これを読んで誤解されてはいけないな、と思った。このあとがきの前半は改訂のことと言うより、このデビュー作が「巻き起こした業界の反発混乱がいかにすさまじかったか、それに最終的には打ち勝って島田氏が本格推理小説の旗手となり、日本はおろか、アジア、世界をリードしたか」、と自慢している。
 当時島田氏に襲い掛かったのは、一に松本清張を祖とする社会派スリラー派であり、その後の「警察小説」派だそうな。社会派は新本格なんていうのは社会的な視野もなくアクロバティックな推理を弄ぶと批判し、警察小説派は足で稼ぐリアリズムに対して遊戯的である、という批判をしたらしい。
 島田氏は自慢げに、どうだ今では新本格が勝っただろうというのである。この辺の事情は私には分からないが、彼の作品にかなり批判的だった私は、社会派推理小説派や警察リアリズム小説派の回し者と思われるかもしれない。しかし私は推理小説のいずれの分野でも門外漢であり、全くの初心者であり、既存推理小説「文壇」の回し者ではありません。第一私はほとんど彼らの作品を読んでいない。
 ま、誤解されたままにしておいてもいいのだが、一言断りを入れておく。文庫版900円分の批評権利行使の枠を超えたとは思っていない。
 それにしても、松本清張氏を論ずる氏が、ダーウィン、モ-パッサン、ゾラ、田山花袋、太宰治の延長線上で松本清張を引き合いに出していたのには驚いた。そんなに大げさな話なのか。

 

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刑事と犯人はどうして知り合ったか

2022-04-04 07:10:51 | 書評

 この小説はくどくどと長い。ホームズとワトソンの中学生のような会話が目立つ。
それに反して小説では重要な部分の「ツナギ」が弱い。いろいろあるが一つ例示すると、一枝殺しに関する部分で、竹越文次郎と言う刑事を罠にかけるところだが、犯人、もう名前を言ってもいいだろう、時子が道端でサシコミの発作が起こった体を装い、通行人の刑事を家に誘い込むところがある(194ページ)。時子は事前に退庁時の竹脇がこの時刻にこの道を通ることを知っていて、かつ顔も知っていたとある。
最後の告白のところで、彼女は簡単に一行でこう書いている。「私はそれから夢中で計画を練り、方々歩き回りました。竹越さんを『知った』のもその時でございます」(490ページ)。田舎の下っ端の刑事が彼女の「下調べ」のどこで引っかかったのか理解不能ですが。
 後にも先にも作者に都合のいい不自然窮まるこの遭遇を説明したところは他にはない。『知った』と言うのにもいろいろな場合がある。男女の体の関係を持ったということも知ったということがあるし、相互に面識があったという場合もある。また、一方が相手を知っていたが相手は知らなかったという場合もある。この場合は最後の場合らしい。
 この場合は一方的に彼女が刑事の顔を知り、仕事を知り、退庁時間を知り、帰宅の道筋を知っていたということだ。しかも刑事の告白によると彼は仕事熱心で帰宅は深夜になることが多く、帰宅時間もまちまちだが、その日は七時ころに帰宅することを時子は事前に知っていたことになる。しかも彼女の「たらしこみ」はその日でなければならない。なぜなら彼女はすでに一枝を殺した直後であり、それを隠蔽偽装するための「たらしこみ」はその日でなければ意味を持たない。まことに結構なお話でありますな。
 2人の関係を述べているのはここ一か所の一行だけで、ホームズ君の調査ではまったく触れていない。それでも彼は「わかっちゃう」のですね。
 御退屈様でした。そろそろこのシリーズを終わりにしようと思いますが、あと一回ほどにする予定でございます。今朝の朝食が不味くなりましたか。申し訳ございません。

 

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密室ではない

2022-04-03 07:36:29 | 書評

 毎朝お邪魔して相済みません。一つ質問です。『かばん錠』ってなんですか。私が知らないだけなんでしょうか。かばんは毎日使っていますが、かばんのカギと言えば、多いのはプチンと押し込めば閉まって、開けるときには錠前の両側を押し込むと開く奴が多いようです。あれのことかな。事々しくカバン錠と言われると初めて聞くので、私の認識と違うのかとインターネットで検索しましたが一件もヒットしませんでしいた。それほど恐ろしいものではないらしい。作者は当然読者が知っていると思っているのか、何の注釈も加えていません。もうすこし表現の工夫があっていいでしょう。ああ大げさに書かれるとなにか違ったものかと思いますよね。
 さて、作者の説明が不十分なので推測ですが、内側からだけ施錠出来て外からは開けられないものとして、カンヌキとカバン錠をあげているようです。私の理解はただしいかな。たしかに「カバン錠」は外側からは開けられない(カバンの場合は内側から)。もっとも我々がかばんの内側に入れるわけもない。不思議な国のアリスなら別ですが。
それで作者は密室だ密室だ、と騒ぐらしい。それとよくわからないのは窓があって鍵がかかっていない、開いていたと書いている。どうして密室なんですか。窓の高さがべらぼうに高いのか。窓から室内をのぞき込めるという描写があるから普通の高さでしょう。とすると人間が通り抜けられないほど小さい窓なのか。便所の窓でもあるまいに。この辺は全く書いてありませんね。これで密室と言われてもね。
 さて室内からだけ開錠できるものとしてカンヌキとカバン錠を書いている。そしてカンヌキに対してはその窓から糸をあらかじめカンヌキに引っ掛けておいて外から引っ張って施錠したとある。なるほどなるほど。しかしカバン錠ではそんな操作はできないというのですね。お見事お見事。
 現場が密室だと断定するのは捜査当局などがまったく手の付けられていない現場に慎重に入り現状がしっかりと維持されていることが前提です。あるいは第一発見者が現場の何物にも手を触れていない場合に限ります。案の定最後の最後(小説の)になって第一発見者として室内に入った犯人がどさくさに紛れて後からカバン錠をかけたことにしている。これは読者を詐欺にかけることですよ。まともな密室小説なら、現場発見の状況を詳細に報告すべきです。したがってこの小説の密室設定は詐欺以外のものではありません。

 

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また電話の話で、、

2022-04-02 16:03:22 | 書評

 飛ばし読みで497ページまで来ましたぜ。また電話の話。在の、保谷だったかな、在と言っては怒られるかもしれないが、そこに画家から離縁された老婆がタバコ屋をしている。描写から察すると、よくある間口1メートルもない店でガラスの引き戸の向こうは三畳くらい部屋で老婆がちょこんと座って煙草を売っているという感じですが、ここに電話があることになっている。これは前回触れた刑事の家に電話があるというフィクションどころではない、ありえない話だと思います。
 もっとも私の認識が正しいかどうか確認しておいたほうがいいと思い、インターネットを調べましたが、まともな統計はないようです。総務省のホームページも調べましたが。あっ、NTT東は見ていなかった。
 もっとも、記事はあることはあるのだが、個人のアップのようで信用できるかどうか。それで今一つ信用できないのは人口当たりの電話所有率なんだな、出ているのがみんな。それだと2,3パーセントと言うのが多いようだ。ここで疑問なんだが、現在令和の御代ならしらず、昔は電話の普及率は所帯当たりでみるのが当然じゃないかな。一家に一台あれば御大尽だ。いまの携帯みたいに個電なんて時代じゃない。それで今一つインターネットの記事は信用しかねるのだ。

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島田荘司氏の学歴

2022-04-02 07:43:55 | 書評

 「占星術殺人事件」は真ん中あたりから小説らしくなってきた。ハカがいきだした、読むのが。現在387ページ、読者への挑戦というのがボールドの活字で印刷してある。
 これは前半の四十年前の事件をノンフィクション本を見ながら説明するという制約から解放されたためだろう。作者の筆の立つところが見え出した。ところでこの小説の通奏低音は何だと思いますか。たいていの読者の答えは占星術と答えるだろうが、私は人形師だと判断する。人形作者と言ってもいいし、マネキン製作者といってもいい。アゾートという生体の人間の各部をつなぎ合わせて人形(マネキン)を作るなどと言うマッドサイエンティストもののホラー小説と言える。
 ここで昨日読んだ彼のウィキペディアを思い出した。彼は武蔵野美術大学の商業美術デザイン科の卒業だという。中盤の「推理旅行」と「アゾート追跡」の章はワトソン役が京都の人形作者(プロとアマチュア)をたずねてまわる話だ。殺された画家が生きているという想定の下に巡礼するわけだ。島田氏は馬鹿に力を入れて書いている。人形作り、マネキン作りといえば、彫刻のような純粋?芸術とちがい、いかにも商業美術の分野だ。島田氏が詳しいのも分かる。
 ウィキペディアによると彼は卒業後ライターやミュージシャンをしてから作家になっという。ミュージシャンは分かるがライターと言うのは何だろう。小説家と言う意味ではないから漫画でも書いていたのかな。
 ま、とにかくこの小説の主たる通奏低音は人形遣いであることが分かった。人形師というのかな、には変わり者が多いそうである。人形というのは元来気持ちの悪いものだ。特に写実的なものは。呪術では主役だしね。そんなこんなで段々この小説が理解できて来たようだ。
 この「読者への挑戦」にこんな言葉がある。『読者はすでに完璧以上の材料を得ている、、、、』。私はそうは思わない。それを証明するのが以降のアップとなるであろう。少なくとも作者は『フェアプレイ』を演じてはいない。

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ウィキペディアを覘いてみました

2022-04-01 08:14:58 | 書評

 島田庄司「占星術殺人事件」ですが、前回のアップでも触れましたが、戦前の知識がどの程度のものなか、もちろん現役作家だから体感的には記憶はないだろうがと思いながらウィキペディアを覘いてみました。

 ウィキペディア冒頭にある事務局のコメントでこの記事は「検証可能な出典が不足」しており、「場合によっては削除する」とありました。

 さて、島田氏は1948年生まれだそうです。昭和二十三年ですね。やはり戦前の記憶はない。書くときには調べて考証する必要があるようです。

 驚いたのは、驚いては失礼にあたりますが、イギリスで世界の密室十大ミステリーの二位に選ばれたとあります。注5にこうあります。

Adrian Mckingie 2014-1-29 The Top Ten Locked-Room Mysteries

The Gurdian 2022-1-1 閲覧

これによると、A.マッキンジーさんと言う人が2014年に第二位に選んだということらしいが、分からないのはその次のガーディアン(イギリスの著名なマスコミだと思いますが)2022-2-1閲覧とある。この意味がよく分からない。2022というから今年の一月ですね、この記事の作者(日本人)が2014年のガーディアンの古い記事から見つけた記事と言うことでしょうか。なにかちぐはぐな感じがします。#?#

ところで島田氏のこの小説は英訳されているのでしょうか。おなじウィキペディアの記事によると、2004年と2015年に違う出版社から英訳が出ているらしい。英訳があるなら評価の対象になるでしょうが、二位とはね、英訳はよほど意訳というかわかりやすく錯綜気味の原作を整理したらしい。失礼。

#?#言わずもがなのことですが、此の出典では、ガーディアンの記事が載っている年月日そしてできればどこに、例えば同紙の書評欄とか、を記すのが当たり前です。これなら読者が詳しく出典を見ようとしても容易に根拠を見ることが出来る。22-1-**閲覧じゃ確認しようがありません。ウィキペディア当局に疑念を持たれるのは当然です。

 

 

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