穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

おもねり翻訳、罪と罰

2009-10-25 11:15:16 | 書評

先にドストエフスキー晩年の父子三大長編について書いた。その時に改めて読み返したのだが、カラマーゾフの兄弟については亀山氏の新訳を読んでみた。

さて最近罪と罰を読み返している。やはり亀山氏の新訳が出ているので、それを読んでみた。第一巻を読んだだけだが、青少年婦女子へのおもねりが感じられる。

「っもう」なんてのがある、会話で。女学生用語かな。そうかと思うと意識朦朧、錯乱している状態を「トリップしている」と表現している。まるで酒井紀子さんみたいだね。

(もっとも、原文でもボワイヤージュするという風になっているらしいからいいか)

現代風に訳するのは結構だが、ごく若い中高生?やドラッグ・アディクトの隠語を無理してまねるのは不自然というよりか気持ち悪いね。それにトリップなんてやはり、奇妙だ。

カラマーゾフの訳ではそんなに感じなかったところなので、読者アンケートをとりいれた結果かな。

& 亀山版の第二巻に入った。別にデジタルに読んでいるわけじゃないが、おおよその印象として亀山氏の訳はカラマーゾフの場合に比べて大分質が劣るようだ。

大学の先生の翻訳は普段は読まないのだが。大学院生あたりに教材として訳させたものを使ったりすることがあるからね。罪と罰はどうだか知らないが。

岩波の江川卓氏の訳も横でちらちら見るのだが、語学的なことは分からないが江川氏のほうがすんなりと読めるのは事実だ。


本の選び方

2009-10-04 08:48:42 | 書評

アップル アンド カンパニー コンサルティング ファーム の報告書より抜粋2

本といっても、ここでは15歳のカフカ少年でも読めるような本である。沈鉾が固くなれば読めるような本である。先端が、女液に対する異物アレルギーがなくなり(今は昔の懐かしい思い出)、発赤しなくなれば誰でも読める本である。すなわち小説、雑書のたぐい。

単行本ではまだ無理である。単行本というのは宣伝のかたまりのようなもので判断の手がかりがない。最後までよんでページを覆ってから判断がつくようなものでは事前に選ぶもなにもない。

宣伝をすべからく信用する人なら即買えばよい。あるいは、その著者なら何でもよいという人には適用されない。

* さて、あわてて買う必要のない人は文庫本になってから買うとよい。終わりに解説がついている。これを読む。解説が読むに耐える文章ならフローチャートの最初の分岐点フラグをイエスで通過できる。

実際、巻末の解説文が読むに耐えないものがおそらく半数以上になるだろう。

モチ、解説がよさそうだから本体もいいということはない。何せ書評家という提灯屋は信用がならない。書評家はヨイショとほめることでメシを食っている商売だから、適当にディスカウントして判断しなければいけない。

しかし、その提灯文がお話にならなければ、それ以上さきに購入プログラムはすすめない。

ここで半分は選別できる。

あとお勧めは版数を重ねているか、チェックである。これは目安に過ぎないが多いほどはずれがないと考えるのがすこぶる常識的である。

それも瞬間風速でないほうがよい。文庫化初版以来一年で10刷よりも二十年で30刷のほうがはるかに信用できる。

もちろんこれも出版社のビヘイビアによろう。一回に刷る冊数もまちまちだろうしね。売れると踏めば一刷で相当部数をするのだろうし。ま、総合的に判断することだ。

あとは、自分の好みとマッチするかだ。これは定式化できる方法はない。これはある程度巻末の解説文で判断する。

これで無駄な本を買い込んでがっかりする確率が半分以下になるだろう。

& おっと一つ忘れていた。単行本には巻末解説がないのが多いが、文庫本でも解説分がないのがある。このような本には上記メソッドは適用できない。たとえば、村上春樹の文庫本だ。

前号でもふれたが、かれの小説はジャンルのごった煮だから適切な解説者を見つけることが難しい。また、一つのジャンルにこり固まった書評家に意に沿わないことを書かれるのがいやなのだろう。

村上の作品は間ジャンル性の見本だし、春樹は利口な男だからね。

&& 隠居の一句(サービス)

鉾を沈めよ 女体の奥に、

これじゃ俳句にならないな。ドドイツの上の句か。後の句は各自適当につけてください

&&& 下の句ができました

鉾を沈めよ 女体の底に 歓喜の波間に 撃沈ス

お粗末でした


ジャンル小説のマーケタビリティ

2009-10-01 09:01:17 | 書評

アップル アンド カンパニー コンサルティング ファーム 報告書からの抜粋:

ジャンル小説はマーケットが限定されているから市場は小さい。しかし最低保証はあるから、つまりそのジャンルであれば何でもいいといったたぐいの固定客はあるからある程度のマーケットはある。

つぎにプログラム開発者すなわち書き手にとっての新規参入自由度について見る。

ジャンル小説はシチ面倒くさい老門番がいて、SF小説20則とかミステリー15則などと重箱の隅をつつくから厄介かもしれない。

マーケット参入をはかる後発業者(作家志望者)は間ジャンル小説を目指すのがいいだろう。

つぎに、純文学とエンターテインメントもジャンルである。上位概念というか一次ジャンルである。このジャンルがどちらが大きいとは一概に言えない。したがって、アップル市場開発第二規則としてはこの上位概念でも間ジャンル性を狙うとよい。

村上春樹など間ジャンル手法のデパートといえよう。純文学とはいえない。といってエンターテインメントと決めつけるのも難しいわけである。

昨今のマーケタビリティにかんがみると、全体をファンタジー風味でコーティングするのがよろしかろう。ハリー・ポッターと村上春樹の共通項はここにある。もちろんベストセラー要因も共通。

もう一つはホラー風味か、スティーヴン・キングと村上春樹の共通項はここにある。なにか得体の知れない大きなもの、つねに背景にあるものとしての怪物、地霊、影、森などはまったく共通の手法である。

1Q84でも一番大きな化け物は最後まで背後にある。リトル・ピープルとかね。キングのスタンドだったかな、の何と言っていたか、見えない黒い宇宙の力のようなものが都合がいい。商品開発には。

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