穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「コンビニ人間」村田さやか

2016-07-30 11:01:08 | 芥川賞および直木賞

芥川賞受賞作を久しぶりに読みました。たしか今回の受賞者は一人でしたよね。複数の場合はどうも程度が落ちるようなので、今回一人というのですこしはましなのではないかと思いました。それとタイトルね、コンビニなんて毎日使っているのでタイトルにもひかれました。

数年前に二、三回芥川受賞作を取り上げていたのですが、その時は文春に掲載された時点で選考委員のコメントを批評するという形式だったのですが、今回は其の前に単行本で読みました。

まず構成が決まっているな、という感想です。前半はコンビニのルポルタージュとしても興味の持てる書き方です。客ではなくて店の視点で記述されているわけで、へえそうなの、とか意外に嫌らしい経営マニュアルだとか、興味を持たせます。

中盤から後半フータロウ(フリーターというのかな)の白羽くんが出てくるあたりからガラリと一転。作者はSF的な物を書いて来たとかどこかで読んだ記憶があるが、そんなところも感じさせる。シグマ2.79の男とシグマ2.79の女を「同棲」させるむずかしい構成でありながらドラマとしての緊密さを失っていません。なかなかの書き手ですね。


北方謙三「逃れの街」

2016-07-28 07:52:02 | ハードボイルド

大分前に北方謙三氏の「檻」のことを書いた。褒めたような記憶があるがはっきりと思い出せない。それで調べたのですが、私としては好意的な書評でした。6年前のことでした。 

日本語のエンタメ(ハードボイルド)業界にこんな文章を書く人がいるんだ、と感心したり驚いたので書評したわけです。小道具の使い方には文句をつけていましたね、すみません、北方殿。

先日不眠症対策でなにかエンタメを買おうと書店をぶらついていた時に書棚から引っこ抜いたのが北方謙三氏の「逃れの街」でした。解説が北上次郎氏。彼は経験上解説の信頼出来る数少ない人です。少なくとも方向性では(つまり良い悪い)。ただ気に入ると手放しの絶賛調になりますが、そこは割り引いて考えれば良い。

それで購入して、とぎれとぎれに最後まで読みました。「檻」と同水準のようです。やはり才能のある人のようです。小道具はいろいろありますが、捨て子のヒロシとの交情は読ませますね。パーカーの「初冬」だったか、同じような逃亡者と身寄りのない小児との共同の逃避行があったのを思い出した。雪に閉じ込められた別荘が舞台だったのも似た設定です(記憶による)。初冬を読んだのは随分古い話でよく記憶していないが「逃れの街」のほうが印象的です。

北方氏は調べてみると無茶苦茶な多作家のようで、ハードボイルドを数冊書いた後では支那の歴史小説に転じたようですが、こちらの方は読んでいません。

文章はいいが、道具立てには凝る暇がなかったのでしょう。もっとも後で書かれた「逃れの街」では大分よくなっています。

 


三木清とハイデガー

2016-07-24 09:12:41 | 哲学書評

読書とはあちこち飛び跳ねて流れ落ちて行くパチンコの玉のような物である。ある本を読んでいるうちに、関連がある(自分のなかだけで)本に目が向く訳である。先にリクールの『意志的なものと・・・』のことを書いた時に、パスカルのパンセみたいだと書いた。

三木清「パスカルにおける人間の研究」もその印象を確認する意味で読んだ。第一印象は、これをハイデガーによるパンセ・テクストの解釈と言われれば疑わないだろうな、と思った。もし著者名が隠されていたならば、である。

ハイデガーがパスカルのテキストについて講義したとか、あるいは本を書いているかどうか知らない。どこで読んだか忘れたが、一時期彼のデスクの上にドストエフスキーとパスカルの書籍がおいてあったという文章を読んだことがある。

三木清とハイデガーの接点を調べた。三木は1922年ハイデルブルグに留学した。新カント学者のリッケルトのもので学ぶためである。三木は日本ではハイデガーの著書を読んだことがないと書いている。

リッケルトのもとにいたのは一年でマールブルグ大学に赴任したハイデガーの講義を聴くためにマールブルグに移った。師のリッケルトからハイデガーは将来有望な学者と聞いたからと三木は書いているが、その頃からハイデガーはドイツで有望な若手と目されるようになっていたのだろう。

そこで次の釘にぶつかる。大正時代「事件」があった。一高生が大挙して京都大学の哲学科に進学したのである。かって前例のない「事件」であった。一高から東京帝国大学というのがキャリア・パスとして定まっていたころである。京都帝国大学の西田幾多郎教授に憧れて七人の一高卒業生が連袖結裾して京都に奔ったのである。

この事件を私は調べたことがあって、その時にその資料として三木清の「読書と人生」と同じく京都に奔った谷川徹三の「わたしの履歴書」を買ったのである。いずれも本人達がその当時を振り返っている文章がある。

それで三木の「読書と人生」を本棚の奥から引っ張りだして埃を払ったのである。

ハイデガーは三木より8歳年長である。三木の「読書と人生」というエッセーに「ハイデッゲル教授のこと」という短い一文がある。三木はマールブルグに来たばかりのハイデッゲルの仮住まいをたずねていることが書かれている。そのほかにも同じ本の「読書遍歴」という章ではかなり詳しくハイデガーや他の哲学者との交流が書かれている。ハイデガーの助手だったカール・レーヴィットと親しくなったり、ガダマル(ガダマーのことか)から個人教授を受けたという。ちなみにガダマーは三木より三つ若い。レーヴィットとは同い年である。

三木がハイデガーのもとにいたのは一年で翌年にはパリに移っている。その間にハイデガーの手法は完全に身につけていたらしい。そして「パスカルにおける人間の研究」はパリで書かれた。

三木は「読書遍歴」のなかで、『パンセについて考えているうちに、ハイデッゲル教授から習った学問が活きてくるように感じた。』と書いている。ハイデガーの「存在と時間」が世に出たのはそれから二年後のことである。

なお、岩波文庫の「パスカルにおける人間の研究」についての桝田啓三郎氏の解説によれば、このような研究は当時世界で初めてだったそうである。

どうやらタマは落ち着く所におさまったようである。

 

 


コギトの全面奪還を叫ぶリクール

2016-07-20 10:06:00 | 哲学書評

『意志的なものと非意志的なもの1』19頁、「(我思う)の奪回は全面的でなければならない」とリクールは主張する。 

私が中学時代読んだデカルトの記憶では「私が疑うということだけは否定出来ない」という文脈で出て来たような記憶がある。「疑う」というのは「考える」ことの一形態だと単純に思っていた。ところがリクール氏によると「我意志する」つまり「わたしは何々を欲する」というのも「我思う」なのである。「思う」を「考える」と狭く理解するのは間違いらしい。

そこで本屋で岩波文庫「哲学原理」を立ち読みした。48−49頁。「思惟*とは・・・知り・意志し・表象することのみならず,感覚することもここでは思惟することと同じことである」

*  岩波の思惟するという訳語は適切ではない。「思う」と従来どおり訳するのが正しいだろう。思惟という名詞を・する・という語尾をつけて動詞化するのは日本語として品位がない。また思惟をデカルトがいうような意味で広くとるのは日本語の古語に例が見られるだけで現代語にはない。

以下の考察ではゴギトを従来通り「我・思う」と取る。cogitoはラテン語一人称単数現在形である。そこでまず広辞苑で日本の意味を確かめた。「思う」なんて幼児でも使いこなしている言葉を大人が辞書で調べてどうするのだ、と言ってはいけません。それが哲学の第一歩なのです。

広辞苑には「思う」に多数の語釈が乗っている。どの言語でも基幹語には多数の意味がある。

判断する、思慮する、心に感じる。

目論む、ねがう、期待するという意味もある。これはハイデガー、リクールなどのいう企投に相当する意味だ。

おしはかる、予想する。想像する、予期する。

以上に見る通りに「思う」というのは精神活動の所謂知、情、意すべてを含む。

ラテン語ではどうか、同様に知情意すべてを含む活動であると辞典にある。

フランス語ではどうか、cogito ergo sumはデカルトの最初の書ではフランス語であったという説がある。後にデカルトの解説者がラテン語にしたという。ま、それはどうでもいいが、

je pense, donc je suis.

このpenseね、これも精神生活のすべてを含む。思考、知的判断力だけではない。

英語のthinkはどうか。同断である。ドイツ語のdenkenも同じである。

欧州語のいずれもが同様の内包をもち、見て明らかな通りラテン語由来ではなくて土着のケルト民族やラテン民族、ゲルマン民族のことばである。そうして欧州とはまったく関係のない日本語でも、まったく同じ意味と内包を持つ。 

これは構造学者ならずとも、人類の基本的な思考方法というか言語発生論理がまったく相互に関係なく同じであることを示している。

さて最後にデカルト本人がどうとらえていたか、である。冒頭に引用した様に、

「哲学原理」「思惟*(>>思う)とは・・・知り・意志し・表象することのみならず,感覚することもここでは思惟することと同じことである」とある。そういえば、デカルトには「情念論」というのがあったな。

そうすると「すべては疑えても私がはな子ちゃんを欲しいのは疑うことは出来ない」ということになるか。

これは疑問である。そこでリクールの「非意志的なもの」が「意志的なもの」に知らない間に干渉している場合もあるわけである。本当は欲しくも何ともないのに、彼女を物にしようとした経験はあなたにはありませんか。それで後でトラブルになることがあるでしょう。やった後で本当は彼女が好きじゃなかった、と思ったことはありませんか。

したがって疑えないコギトは思考(考える)に限定した方が無難の様にも「思われる」のです。

 


エッセーかジャーゴンか、リクールの若書き

2016-07-18 07:45:21 | 哲学書評

バートランド・ラッセル風に表現すればHeap of Jargonといえようか。特に「総序 方法の問題」という部分は。

もっとも別解もある。翻訳に問題があるとするものである。此れは三人の共訳であるが私は共訳という物はなるだけ手に取らないことにしている。その性格上どうも感心しないものが多い。

そしてもう一つの別解は下拙の理解力がないというものであり、もっとも説得力があるのかもしれない。 

とにかく100頁ほど読んだが、総序を飛ばして第一章から読んでも差し支えないようだ。現象学的記述だとか、形相分析だとかリクールは力むが、なんのことだか分からない。

これはモンテーニュ、パスカル以来フランス伝統のエッセーじゃないのか、と感じた。なにも力むことはない。現象学的方法によっているらしい。特にフッサールのイデーン1を参考にしているらしい。方法についての記述は総序にもまったくなく、かつ第一章でも、これが方法論的に特異な物だと例証するところもない。

日常語のエッセーとなんら変わる所はない。勿論そういう部分とheap of jargonが交雑しているのであるが。

1950年の作というが、言葉遊びが多い。これも全世紀前半までの斯界の動向を鑑みると影響を受けていることが理解される。言葉いじりの「達人」ハイデガーの「存在と時間」は1937年だったか、リクールは当然読んでいよう。またウィーン学団や英米で勃興した初期の分析哲学、言語哲学の主著は出そろっている頃だ。

たとえば、あることを表現するのにフランス語で数種類の言い回しがある、とリクールはいう。そしてそのいちいちに哲学的意味を与える。

前にも書いたことがあるが、この種の言葉遊びは底の浅い非常に危険な遊戯である。近代(あるいは現代)フランス語特有あるいは一歩譲って西欧語の構文に絶対的価値を置いて理論構成するのは間違いである。

もっとも、その後、成熟期、晩年には民俗学、人類学、構造主義などにも手を伸ばしているから、この言葉遊びは処女作だけの特徴かもしれない。

 


ポール・リクールの若書き

2016-07-17 10:55:31 | 哲学書評

 ジャン・グロンダンの「ポール・リクール」によるとリクールの活動はフランス本国の他アメリカでの研究、教授生活が長い。また英訳、英文の著書も多いようだ。彼自身の興味の範囲も英米哲学、分析哲学に及んでいる。該書によると、彼は一種の折衷主義者であり、現象学的解釈学者である。

ということで英米哲学は多少かじった下拙がフランスの現代哲学の簡単な眺めを得るにはリクールの著書がいいかな、と考えた。彼の処女大作は1950年に出版された「意志的なものと非意志的なもの」である。グロンダンが解説の相当部分をこの処女作にさいている。内容的にも興味があったので該書の翻訳を探した。

紀伊国屋書店から1993年に翻訳が出ているが、書店店頭では見当たらない。第二刷は出ていないようだ。それで今度は英訳を探したがこれもない。リクールの英訳はかなりあるが、この処女大作の訳本はないようだ。アマゾン等でべらぼうな値段のついた古本はあるようだが、私はセコハンを買わない。日本や英米でこの著書に対する関心や需要は無いに等しいようなのである。処女作でいろいろと未熟なところもあるのかも知れない。しかし前述のグロンタン氏によると彼の長い著作活動はこの処女作の延長線上にあるという。 

私は市中徘徊の途中で大型書店によることが多い。あまり売れない、人の読まない本を見かけることがあるためである。それで思い出した時には人文棚で該書を探すのだがないね。

ところがある日ある書店で該書訳書(3巻本である)の2を見かけて購った。不思議な物でそれから間もなく別の書店で該書の1と3を見た。勿論買った。

 


第D(9)章 自然は真空を嫌う

2016-07-15 08:36:31 | 反復と忘却

 アリストテレスの言葉だったかな。俺はこうパロッた。「精神は空虚を嫌う」。

「ソフトがなければパソコンはただの箱」、待てよ、これは俺のオリジナルじゃないな。ひところ流行った言葉だ。なんでも俺の独創にしてしまうのが悪い癖だ。

なにか対象がないと精神は錆び付いてしまう。その人なりに対象が必要なのだ。ヒステリー女がなんでもいい、対象があれば火をつけてメラメラ炎を這わせるようなものである。で、無為自然に化して登仙しその行く所を知らず、という訳にはいかないのだ。 

小人閑居して不善をなす、というのは本当だぜ。それで読書と音楽鑑賞という予定が狂ってしまい、計画の練り直しを迫られた。考えたね。読書方針が間違っていたのだ。赤子いや青少年婦女子の様に年甲斐も無く本に感動を求めようとしたのが間違いであった。

金を払って本を買う。当然それなりの批判の権利を手にするわけだ。くだらない本はそれなりに逐語的、逐行的に批判、採点していけばいいのである。結構暇がつぶれる。それからは本を読む時には必ずボールペンを握った。余白に批評、罵倒といったほうがいいが、を書き込むのである。たちまちもとの文章が読めないほど書き込みで真っ黒になる。

もっとも批評する気にならない最低のものもある。批評の書き込みをする本はまだ見込みがある。高校で体育の教師が生徒に体罰を加えるのは、その生徒に見込みがあるからである。

生活は規則正しく送ることが大切である。そうしないと長続きしない。そこで次は生活設計である。まず朝はどんぶり一杯の濃いコーヒーを一時間足らずかけてゆっくりと飲むのだが、その時に読むのは哲学書である。これもボールペンを持って読む。哲学書というのは穴だらけでそこをいかにはったりで目くらましをするのかが彼らの腕である。

小説等ではこの種の飛ばし、抜かし、説明なしは手法として、あるいは一種のケレン(あるいは外連味)として許されている。必要でさえある。しかし哲学ではどうかな、違和感がある。そうしているうちに目が醒めてくる。身体のエンジンが温まってくる。そうしたら家事である。炊事、洗濯、掃除である。 

それが終わると髭を剃る。顔を洗う。歯を磨く。そのほか朝の行事をこなす(あまり具体的に書くのは上品ではないので具体的には書かないが)。そして窓から外を覗き観天望気だ。傘が必要かどうか判断する。 俺の天気予報は当たる。途中で雨に遭いあわててコンビニでビニール傘を買うことはない。今の傘は20年前に買った物である。

外出して夕方まで市中を徘徊する。大型書店を何軒か回って獲物を漁る。夜は大体小説を読むね。そして寝る時には深夜目が醒めて眠れない時のためにエンタメ系の小説をベッドの脇に用意する訳だ。勿論ボールペンも一緒に。

 


第D(8)章 読書

2016-07-14 09:31:29 | 反復と忘却

場末の1DKに格安物件があったので購入した。学生街のある町の裏通りにある1DKばかりの8階建ての小さなマンションである。近くにどぶ川が流れいて、ちょっと雨が降ると「洪水警報」のけたたましいサイレンが鳴り響くところである。

前には田舎から出て来た女子大生が住んでいたとかで部屋の壁に妙な仕掛けが残っていた。なんでもネズミのペットがいたそうでネズミが走り回る走路のようなものだったらしい。いずれリフォームして取っ払わなければならない。しかし、退職早々で手元不如意であるから支出は慎重に計画しなければならない。とりあえずはそのままにしておいた。壁にはへんな動物の臭気がまだ染み付いていた。

ペットはもちろんネズミとはよばれず、なにかハイカラな名前があるらしい。ペットショップに行けば若い女の子の好む「ネズミ」の一種の名前はわかるのだろうが管理人も知らなかった。彼は女子学生がネズミを飼っていた、と言っていたから俺もそう言うのだ。若い女はちんちくりんな獣を飼うからね。

「大隠は市中に棲む」と洒落込むつもりだったが、すぐにそんな生活はできないことが分かった。毎日が日曜日になったら、のんびりと一日中音楽を聴いたり、読書をしたり出来るだろうな、と思ったがそんなことに耐えられる筈が無いのだ。音痴のせいかもしれないが、俺の耳に耐えられるのはごく少数のCDである。それをひっきりなしに聞いているなんて出来る訳がない。好きな曲でもたまに聞くから良いのであって、のべつまくなしに聞くほど馬鹿じゃない。

読書は多いに期待していたんだがね。なにしろ俺は若い時にあまり本を読まなかった。これからは読書三昧だわい、と期待しておったのであるが、甚だしく失望した。読むものはいくらでもある。なにしろほとんど本を読んだことがないのだから。量的にはなんの不安もない。値段も酒を飲みに行くのよりかは全然金がかからないしね。

ま、最初は書店で目立つ場所にてんこ盛りしてある本だ。ベストセラーとか出版社が営業目的でやっているでこぼこ賞受賞作なんてやつだ。ところがくだらないものばかりだ。これにはあっけにとられたというか、呆れた。その内に1DKの部屋は10頁くらいしか読まないで放り投げられた本で、たちまち足の踏み場もなくなった。そこで場所を取らない文庫本に切り替えた。

今度は購入方針を切り替えた。長い間出版され続けた本は何らかの理由があるのだろう。つまり『外れ』の可能性はより少ないだろう、というわけである。で、まず奥付を見る。発行年が30年以上前であること、版数が一年に一回以上であることを目安とした。それと文庫本には第三者(評論家)による解説がついていることが多い。解説は長くても10頁くらいで立ち読み出来る。解説にはその質がピンからキリまである。文章にはちょっと読むだけで、位という者がわかる。これを文徳という。解説が合格なら中身もまあまあだろうという訳である。これは外れることもあるが確率はいい。 

そうすると、たまにまあまあの本にぶつかる。それについての書評をしたりすれば投資金額(本代)を多少回収したことにもなる。勿論猛烈にケチを付けた書評もすることがある。800円の文庫本なら800円分の批判料を支払っているようなものだからね。回収しなくてどうするのだ。暇つぶしにもなるしさ。

 


第D(7)章 毎日が日曜日

2016-07-11 08:06:27 | 反復と忘却

 

最後の日、俺は「明日からは毎日が日曜日」と口ずさみながら会社の紙袋に私物を詰めていた。課長は昨日になって急に、送別会を開きたい、ととってつけた言い訳の様に言い出した。俺は丁寧に謝絶した。時間になって、紙袋を下げて廊下に出るとエレベーター・ホールに向った。後輩が数人一緒に部屋を出て来た。

その内の一人が「どこかに飲みに行きませんか」と話しかけて来た。他の連中もそのつもりらしい。そのつもりで一緒に出て来たらしい。私的に飲むなら問題はあるまい。我々は駅の近くにある焼き鳥屋に入った。店はまだガラガラだった。生ビールのジョッキを傾け枝豆をむしゃむしゃやった。

「驚きましたよ、鱒渕さん。突然のことでしたね」と一人が言った。

「うむ、まあな。君たちにも迷惑がかかるかな。もっとも俺はもう仕事から干されていたから君たちに引き継ぐこともなかったと思うが、なにか分からないことがあったら聞いてくれよ」

「どこかに転職するんですか」と池田という男が聞いた。こいつだけはついて来た連中とはなんとなく肌合いが違った。他の連中は入社以来事務畑でやって来た平凡なおとなしい連中だが、池田はメカニックで高卒、おまけに中途採用である。半年ほど前に転勤して来た。課長の引きだと言う。

「せっかく面倒くさい会社勤めを辞めたんだ。当分の間はのんびりとするさ。毎日が日曜日ということだな」

池田は暗い陰険な目付きで俺の顔を見た。

「うらやましいな。ぼくもそういう身分になりたいよ」と色白で脂っ気のない髪の毛をぼさぼさにした童顔の後輩が言った。

「そんなことは言わない方がいいぜ、どう課長の耳に入るかも知れないからな」と俺は柔らかく世間知らずの後輩に注意した。

そういえば、エレベーターの前で声をかけられた時には池田は見かけなかった。他の連中が俺を誘ったのを見てどんな話をするか監視しようとしたのだろう。あとで課長に報告して忠勤を励むつもりらしい。池田の存在は他の後輩にも無言の影響をあたえたらしく、話があまり弾まない。

俺も後輩に向って課長を非難するようなことは言うつもりは無かったが、スパイが同席していては気楽に話しがしにくい。つまらない言葉尻を得意げに粉飾して課長に報告されて若い彼らに迷惑がかからないとも限らない。勢いせっかく誘ってくれたが話は盛り上がらなかった。

そのうちに客が増えて来たので我々は席をたった。最後に日だったし、誘ってくれて嬉しかったので俺がおごろうと思ったが池田を見て思い直した。おごったりしたら課長にどう報告されるか分からない。かえって彼らの将来に影響が出る。「割り勘にしようや」といって池田の表情を観察した。

 


第D(6)章 狆課長

2016-07-10 10:14:22 | 反復と忘却

 「会社に愛想が尽きたんですか」と課長は安物の狆みたいな顔をいっそうくしゃくしゃにして馬鹿みたいに復唱した。自分に愛想が尽きたと言われなくてほっとしたのだろう。「身体の具合はどうです」と俺の顔色をうかがった。「最近元気がないみたいですね」

「身体の調子はよくありませんね」

「しばらく休養したらどうですか」と課長は猫なで声で言った。「なにも退職しないでも。しばらく休職して良くなったら復職したらいいじゃないですか」とさも親切そうに忠告してくれたわけだ。

「また、同じことの繰り返しになりますからね」と俺は言ってやった。

「はあ?」と間の抜けた声をだした。

この課長は高卒のメカニックあがりである。メカニックの数の方がホワイトカラーより圧倒的に多い。元の組合の中核をなしていたのは彼らであった。御用組合作りの陰謀を主導した先輩はまず彼らに目を付けた。戦略的に彼らの中から何人かをつり上げて自分たちの手先に仕立て上げた。彼らが学生運動で体験しオルグのために派遣された町工場などで実見したことが参考になっている。そしてまずメカニックの集団を分裂させる。昇進という餌で釣り上げるのである。この課長はその内の一人で異例の早さで、異例のコースで本社の課長におさまったのである。

課長は鼻が小さく、目も小さく、その上口もこじんまりとしている。そうして、それらの造作が顔の中央三分の一の面積に集中している。おまけに髪の毛は染めたのか地毛なのか知らないが獣の毛の様に茶色っぽい。

課長は小柄な身体が大きな回転椅子の中でおさまり具合がわるそうにもじもしていたが、「今後はどうするんですか」と探りを入れて来た。

「別になにも」

「どこかへ転職するんですか」。このあたりが気になるらしい。

しばらく沈黙して狆課長に気をもませた後で俺は「いやいや、しばらくはぶらぶらしていますよ。別に他に就職する予定はありません」と答えた。

「そうですか、しかしいずれは何処かへ就職されるんでしょうが、そう言う時にはこちらの推薦が大切になりますからね」とそこで言葉を切った。これが言いたかったらしい。退職して会社の悪口を触れ回られては困ると脅しをかけているつもりなのだ。馬鹿をいっちゃいけない、見損なっちゃいけない。

「ご心配なく。こちらに推薦を頼むようなことは間違ってもありませんからご安心ください」

女子社員がお茶を持って来たが俺は飲まずに席を立った。

 


第D(5)章 稟議

2016-07-08 07:51:15 | 反復と忘却

 &なんでもそうだろうが、特に対外的な仕事ではスピードと情報管理が成功の不可欠の条件である。一般的で分かりやすい例で言えば、外交交渉などを考えれば分かる。会社でもまったく同じである。それには渉外担当者が経営から完全なバックアップを受けていることが必要である。明治の日本外交が目覚ましい成果をあげたのもそういう環境があったからこそ達成できたのである。社外で目覚ましい成果をあげても、かえって来たら社内で「おれはそんな話は聞いていない」とひっくり返されてはたまらない。

どうも会社の話で説明するのは分かりにくいので大げさになることは承知で政治外交の例をひくのだが、明治の元老政治と昭和の軍部政治の違いである。軍閥というのは独裁ではない。「俺も俺も」の統制のきかない徒党集団が軍部である。実権を握った特定の軍部と言う徒党が一般国民や政党政治家や産業界を弾圧するのである。

さて、副社長の頓死で事態は一変した。会社の意思決定は稟議制度で動いているわけだが、副社長がいなくなると、「おれもおれも」がウジ虫の様に湧いて出た。稟議の回覧先に、全く関係のない、必要のない部署までいれないと文句を言う様になった。持ち回り決済先にいれておかないと、交渉の最終段階になって「おれは聞いていない」の一言で反対されて振り出しに戻ってしまう。

関係先が増えればそれらすべてに根回しをする時間が天文学的に増える。対外的な仕事というのはそうやっていても、どうしたって新しい事態が起こってくる。事後承認なんて反対派は認めないから、また一からやり直しとなる。その上社内の陰謀で資料の作成一つにしても同僚の協力を得られない。新入の女子社員にまで「わたしは鱒添さんの仕事ばかりしているのではありません」と言われて愕然とする。1、2ヶ月前に入って来ておどおどした社員がである。勿論課長が口移しにかげで指導命令しているのである。まるで文化大革命の紅衛兵だ。党幹部が裏で紅衛兵を煽動して文化人を吊るし上げるようなものである。 

計画書の配布先が増えれば内容が外部に漏れてしまう可能性が飛躍的に増大する。各部では計画案資料を沢山コピーし、課員に検討(けちをつけること)を命じる。課員達は極秘のハンコが押してある資料を無造作に乱雑なデスクの上に置いている。週に何回か社内を我が物顔に巡回しにくる業界紙の記者がいるが、彼らは机の上に放り投げてある資料をめざとく見つけて手に取る。まじめな新入社員で「それはいけません。困ります」と記者の手から取り上げようとすると業界紙の記者は総会屋の様に社員を怒鳴りつける。古参社員は黙って下を向いて知らんぷりをしている。そうして極秘裏に進んでいた計画は翌週の業界紙に「本誌特ダネ」として載ることになるのである。

そんなこんなで、俺は「私儀この度一身上の都合にて退社致したくお願い申し上げ候」と辞表を出したのである。

「残念ですね」とびっくりしたような顔を作って課長は心にもないことを言った。

別に残念なんて思っていない。しかし俺としても「ざまあ見る。俺たちにたてつくからだ。いい気味だ」と言われるよりかは良いのかも知れない。残念には思っていなかっただろうが、ちょっと驚いたことは間違いないようだ。「あっさりしすぎている」と不審の念を抱いたのだろう。おれが一悶着起こしてから辞めないのが不思議だったのだろう。

「また、どうして急に」といかにも残念そうな表情を浮かべて課長は言った。「身体でも悪いんですか」

「会社に愛想が尽きたんでしょうね」

 


第D(4)章 野心家副社長

2016-07-06 07:37:30 | 反復と忘却

 今その会社がどうなっているかっていうのか。経営破綻して会社更生法を申請したがうまく行かなかった。破産して雲散霧消してしまった。ざまあ見やがれというところだが、第三勢力の話もしておこう。

諸君の疑念の声が聞こえてくるようだ。君はこれを日記だとか個人用のノートだとか書いているが、まるで読者に向って書いている様に見えるってね。いや、ご指摘ごもっともなれど、これはあくまでも私的なメモである。しかし、なんだ、第三者の不特定多数の読者に向って書いているつもりになると、なにか文章が整ってくるような気分になるんだな。誤字があってはいけないとか「多少は」注意するようになる。一応文章は繋がっているかなとかね。もっとも意図的に飛躍しているところもあるが。もともと文章は与太っているんだが、これは是正の仕様がない。ご容赦を請う次第である。

さて、第一勢力である左翼的色彩の濃い既存の(第一組合)とそれに対抗してストに悩む経営陣への土産にと学生運動崩れの社員が作った御用組合(第二組合)の話はした。これは社員同士のシマ争いなんだが、これに加えて経営陣内部で分裂が生じた。

銀行からの天下りの役員がいたが副社長にまで上り詰めていた。彼は社内のていたらくと役員の無能力をみてにわかに野心鬱勃たるものを感じたわけである。経営陣のなかで自分の同調者を集め始めた。なかなかのやり手で銀行上がりで対外的な折衝では実績をあげていたから、今では経営陣の三分の一ほどが彼についていた。社員の間には組織はなかったが、海外事業とか国内の業界内の事案については自分の職掌範囲だったし、自分が目をつけた社員を囲い込んだ。そこで俺も目を付けられたわけだ。

俺は前にも書いた様に社内のアフターファイブの付き合いは毛嫌いしたが、対外的な折衝は嫌いではなかったしそれなりの評価はされていたのである。入社以来内向きの仕事と対外的な仕事をローテーションの様に交代でやらされたが、俺の性格から対外的な仕事をしている時のほうが楽しかったし、好調だったのである。

そんな訳で、どの組合にも入っていないという希少価値も使い勝手があると副社長に目をつけられたのだろう。

ところがその副社長が突然退場してしまった。ゴルフ場で素振りの練習をしていた相手のクラブが彼の頭部を強打したのである。

 


第D(3)章 スパイの情報伝達スピード

2016-07-04 07:35:36 | 反復と忘却

そこでだ。大学の先輩で組合の専従をしていた男に俺は就業時間中会社の近くの喫茶店に呼び出された。ようするに彼らの仲間に加われというのだ。その派閥は第二組合という機関を持っていた。 

従来からある組合はスト等を時々打ったり、ベトナム戦争反対の街頭デモをしたり、社会党みたいなスローガンを掲げていた。今喫茶店で俺の前にいる男はそういう組合に対抗して第二組合を作ったメンバーの一人である。そしてその御用組合というお土産を引っさげて経営陣に近寄ったのである。

「第一組合を脱退したそうじゃないか」と彼は切り出した。もともと会社には一つの組合しかなかった。だから新入社員は自動的に第一組合(そう言う名前も目の前の先輩が第二組合を作って以降そう言われる様になったのだが)に加入することになっていた。彼らが第一組合のなかに放ってあるスパイがすばやくこの情報を伝達したらしい。とにかくあらゆる所にスパイ網が張られていた。

近年のあまりにも薄汚い争いに嫌気がさして前日に俺は第一組合を脱退したのだ。それをこの男は早くも聞きつけて誘いをかけてきた。この男は第一組合を脱退することは第二組合に自動的に加入することだと思っている。

「どの組合にも入らないと不利なことが多いよ」と脅かすのである。

俺はこの先輩が前から気に入らなかったから「僕には思想なんか関係ないんですよ。こういう闘争は性に合わないだけなんですよ」と言って運ばれて来たコーヒーを一口飲んだ。

「あんまりご清潔なことばかり言っていたら会社員は務まらないぜ」

図体がでかくていかにも田舎壮士風の彼はゼイゼイ鼻を鳴らしながら言った。なんでも前に蓄膿症の手術をしたが痛さに堪え兼ねて手術を途中で止めた経歴があるそうでいつでも話す時に聞き苦しい音を立てるのである。

「法律的に、というと大げさですが、例えば就業規則で社員はどこかの組合に必ず属さなければならないということになっているんですか」と俺は先輩に聞いた。

この俺の発言で彼は諦めたらしい。と同時に俺の名前の上にはハッキリと横棒が引かれたようであった。そういうリストは人事部に直ちに回されるのだ。

 


第D(2)章ノートから

2016-07-02 08:28:24 | 反復と忘却

 三四郎は学生時代から気まぐれでしばらく日記をつけていたと思うと別に特別の理由も無く止めてしまう。また何かのきっかけで日記を付ける、ということを繰り返してきた。現在の日記は会社を辞める前からつけ始めて今でも書いている。今回は意図的であり、具体的な目的もあって始めたので、その目的は会社を辞めて消滅したのであるが、惰性で今でも続けている。

日記と言ってもつける日もあれば数日かかないこともある。従って今後はノートということにしよう。彼は記憶力が弱い。昔のことは茫茫として鮮明に想起出来ない。すぐに記憶から飛去ってしまう。したがって日々のことをノートしておくと読み返して意外に役立つことが多い。それで今回は中断もせずに続けているのだろう。

以下では直接彼のノートを引用しよう。

&:今日から又日記をつけることにした。俺のまわりには陰謀が渦巻いている。なにかおかしいなということが、会社にいても感じられる。しかし意識にたまたま登ってもすぐに消えてしまうし、それらの徴候が何を意味しているかは把握出来ない。何しろ陰謀というものはコソコソと人の背後で隠微のうちに進行するものであるからして。

&:段々分かって来た。会社のなかで起こっている生存競争のとばっちりを受けているのだ。俺は生来徒党を組むことを忌み嫌う。つまりだな、集団生活にはむいていない。

なにしろ日本の会社というのは派閥争いが激しい。うっかりしていると渦に巻き込まれて奈落に引きずり込まれるか、渦の中で粉々になるか、渦のそとにはじき出されてしまう。俺の一世代上の先輩には派閥争いが飯より好きな連中が多い。学生運動をやっていた連中で派閥争いが生き甲斐のような連中なのだが、そろそろ会社で徒党を組んで暴れ回れる地位になったのである。始末に負えない。

経営陣に媚を売って実権をにぎり、彼らを忌み嫌う役員を社外に追放する工作の先棒をかつぐ。何時の時代でもどんな組織でも彼らのような跳ねっ返りの青年将校を操って組織の実権を握ろうとする者がいる。要するに彼らは持ちつ持たれつの関係なのである。大げさなたとえをすれば226事件の後で統帥派が政治の実権を掌握するようなものである。

彼らは入社した時から自分たちの利用出来る役員と邪魔になる役員を識別する臭覚を持っていたらしい。それじゃなければ学生運動で内ゲバを生き残れないのだろう。三四郎が入社した時の社長が新入社員に訓示した。先輩がその印象を聞いたので、率直に感銘を受けたと答えた時にその先輩が明らかに軽蔑したような薄ら笑いを浮かべたのを覚えていた。2、3年前から始まった派閥争いでその社長は社外に追い払われてしまった。他にも常識的で温厚なと三四郎が見ていた役員はすべて粛正されてしまった。

当然一つの派閥が出来れば反対勢力が出来る。第三勢力も出来た。俺の場合問題なのは、俺はどの派閥にも属していないことなのだ。これくらい彼らにとって手の出しやすい相手はいない。

社内で情報が飛び回るスピードには驚かされる。実は昨年俺も「226事件の青年将校派」からアプローチを受けた。俺はどう見ても会社員には向いていないが、ジプシー占いの婆さんの言葉ではないが、運が間欠的に巡るらしい。ちょうどその頃は運の向いていた時機で彼らも俺を仲間に入れた方がいいと思ったらしい。