穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「しょんべん臭い小おんな」

2015-08-25 18:57:11 | 新作ミステリー

このごろあまり使われない言い回しなので広辞苑で確認した。「しょんべん」というのはないね。「小便臭いおんな」というのは出ている。意味は二つあって

1:文字通り小便のにおいのする女(あるいは男)

2:おさない、未熟なもの

文字通りの意味では昔(江戸時代は知らず、近現代である昔)からあまり使われなかったようだ。そして今ではおしめの性能が向上したのかな、あかんぼ、子供でもしょんべんの臭いはしない。そのかわり現代では、高齢者の男女でアルコールじゃない、アンモニアの臭いのする人にはどきどき電車なんかで出くわす。 

昔は「しょんべん臭い小生意気な屁理屈をこねる女だ」、なんて女子高生、女子大生に使った。今使ったらぶん殴られるかな。噛み裂かれるかもしれない。

アンモニアの臭いも否定的反応をひきおこすが、それに正体不明の臭気が混じるとほとんど気絶しそうになる。今日電車で横に座った高校生ぐらいの女は酷い臭いがした。婦人病になると尿も臭いがより不快になるらしいが、最初はヘビースモーカーの口臭と尿漏れが混じった臭いかと思った。

大麻なんかもあんな臭いがするのだろうか。あるいは危ないハーブだとか。とにかく本人は気が付かないのか、周りの目を全く気にしていない様子だった。 

このごろの若い女はいろんな臭いを出すが、今日のように不快で強烈なのは初めてだ。

本人は気が付いていないか、それほど不快な臭いとは自覚していないらしい。あるいは臭覚が老人の様に退化しているのか。

知人の医師によると、最近は若い女性でも臭覚がおそろしく鈍麻したのが多いそうだ。原因はダイエットらしい。ダイエットをすると、まず通常の臭覚を維持する栄養素が欠如するという。亜鉛やなんかが不足するようである。

臭覚の鈍化した婆さんがおしろいの臭いがしてこないというので、これでもか、これでもか、と白粉を塗りたくり一里四方を白粉臭で汚染していることはあったが、最近では若い女でも色気違いの様に白粉を厚塗りしているのが多い。

それから香水ね。これも臭覚が摩滅して分からないのか、ジャブジャブかける若メスが多い。エレベーターに同乗すると、こちらがほとんど窒息寸前に追い込まれるような女が多い。単に香水の使い方を指導する先輩や母親がいないだけなのかも知れないが。

以上「臭気探偵」が登場する新作ミステリーの予告書評でした。探偵の名前は「エルキュール・ポチ」です。

 


アクロイド殺しをどう読むか

2015-08-16 16:32:14 | 本格ミステリー

ぞっとするような品のない言葉がある。ネタバレ、物書きなどである。センス、ゼロの百姓言葉である。 

アクロイド殺しについては、散々に記述者=犯人がフェアプレイに反するとかどうとか言われ続けたのでネタバレなんていう言葉は関係なくなっているが。

したがって、ネタ明かしへ持って行く腕がどうかいな、ということに絞って読むより他に方法がない。私もその方法で再読した。

クリスティの文章は平明調である。これはこれで得難い才能である。この書き方を修得すれば、さしたる努力もせずに毎年クリスマス前に読者にさして品質を落とさずに新しい作品を提供できる。何年に一度かは水準を超える作品がだせる。

アクロイド殺しは彼女の作品では平均より上の作品の一つであろう。読み終わってから冒頭の3、40頁確認のために読み返した。あまりにも計画がよく準備されているので、どういう布石がばらまかれているか確認した。 

最初に読んだとき冒頭から付箋じゃない伏線を張っている箇所はわかるのだが、あまりにも複雑な計画と言うか準備がなされているのでそんなことが時間的に可能なのかな、という疑問をいだいた。

例えば、ディクタフォンの時間予約とか、当て馬犯人(ラルフ・ペイトン)の靴を盗み出すとかの準備の間の良さである。あるいは患者の一人に電話をかけさせるとかである(もっともこの電話のトリックは出来がよくない)。

犯行の決意は、アクロイドが自殺した婦人から告白の手紙を受け取ったときに決意した様に読んだ物だから時間的余裕がなく矛盾していないかなと思った訳。ところが冒頭部分を読み返すと自分の強請がアクロイドに判明するのではないかという危惧は昨日の出来事から持ち始めていたと読める。

これなら計画を考える一日の余裕があったわけだ。

そこで格付けだが、やはりBというところかな。

 


「Yの悲劇」続き

2015-08-14 15:39:52 | 本格ミステリー

Yの悲劇は格付けすればBプラスかな。娯楽読み物としてはベストテンの第一位だろう。細かいことをすこしつついてみると。 

俳優探偵が犯人を確認するためにおびき出して蔭から確認する場面があるが、犯人の描写がまったくない。背が高いとか、低いとか。男だとか女だとか。覆面をしていたか、顔を見たかとか。これを書かないのはあまりにも不自然である。記述トリックというにはあまりにも図々しすぎる。ま、お愛嬌であるが。

狂的、病的な一家全員の共通性の根源につても、きわめて文学的な描写しかない。医師のカルテを俳優探偵が調べる所があるが、老女主人だけがワッセルマン反応がたしか陽性であとは全部陰性。ワッセルマンを出しているのは梅毒を暗示しているのだろうが、血の根源である老婦人以外が全員陰性というのはどういうことか。狂気の原因を器質的な病原性のものにするよりか、別の物にした方が説得力があっただろう。

どこでだったか、犯人を『彼』と翻訳している。英語のHEは男女両方をさす場合があるようだが、日本語に翻訳する場合は工夫したほうがよい。

乱歩ベストテンも残るはアクロイド殺しか。あとベントレーの「トレント最後の事件」は翻訳が手に入らない。翻訳を元にしてこのシリーズはやる方針なのでこれは除外することになるだろう。もっとも創元社が復刻すれば別だが。

ベントレーの作品では短編集が一つ翻訳で手に入る。国書刊行会出版の「トレント乗り出す」だ。一応これを読んでみた。短編というのはどうも興味が持てないのだが、この本はなかなかいい。きっと長編も面白そうだ、と思わせる物があった。

 

 

 

 


「Yの悲劇」の総括的印象

2015-08-14 14:36:15 | 本格ミステリー

本格ものというと高踏的という風に取られているのではなかろうか。あるいはペダンティックなものという印象を持たれているのではないだろうか。だから、Yの悲劇は漫画的だという批評が非難としてなげかけられるのだろうか。

ハヤカワ文庫の解説は新保博久という人が書いているが、それによると該書を漫画的とけなす人がいるそうである。私はどこからそんな言葉が出てくるか理解できない。

あくまで比較の問題であるが、乱歩のベストテンのなかでいえば、本書がもっとも、なんというか、高級な文章といえる。全体的な印象と言う漠然とした基準ではなく、比喩、他書への言及についてもっとも嫌みがなく適切である(10書内の話)。

その人の文章能力の程度が容易かつはっきりと判断できるのは比喩のうまさであり、くどくない適切な(ひけらかしや嫌みを感じさせない)引用、言及である。文章上のセンスや能力はこの二つをみれば大体わかる。

小説はどのジャンルでもそうだろうが終わりが難しい。推理小説は終わり(エピローグ)が謎解きで説明的になるためかほとんどの作品で興味索漠、無味乾燥となる。本書は比較的その程度がすくない(読ませる)。ようするに工夫があり、それを実現する筆力がある。 

これは褒めたらいいのか、けなしたらいいのか難しい所があるが、いくつかの点でケチ或はコメントを付けたくなる所がある。それが推理小説の読み方の楽しさなのだろうが。

順不同で述べてみると、190頁あたりだったか、三重苦の女性が犯人の頬にふれて、肌が柔らかくてすべすべしている、そしてバニラの匂いがしたと証言する。私はここを読んですぐに犯人は少年であると予想した。しかし、この家に連続して発生した事件の第一被害者なんだね、この少年は。それでどう結末をつけるのかな、という興味をもった。或はこのヒント(証言)をどうひねって他の人物を犯人とするのか、興味をもった。

話はそれから延々300頁も続く。そしてやはり犯人は少年であった、という結論に至る。そこへの繋ぎ方というかな、そこの工夫が面白かった(この辺が漫画的と言うんだろうな、いかにもセンスのない批評であるが)。

素人探偵として耳の聞こえなくなったもとシェークスピア俳優が出てくるが、キャラは立っている。かれがデズニーランドみたいな自宅に住んでいるのだが、この辺もマンガチックとけちもつけられよう。しかし、この辺はマンガチックに描いた方がいいように私には思われる。

 


「Yの悲劇」

2015-08-10 07:53:47 | 本格ミステリー

Yの悲劇を130頁当たりまで読んだ。わりとスラスラ読める。冒頭は今まで読んだ中ではすぐれているようだ。ただ探偵ごっこの「もと」シェークスピア俳優が出てくるあたりから無味乾燥になる。 

この本は新潮文庫で読んだ記憶があったので今度はハヤカワにした。ところが読んでみてまったく思い出さない。もしかしたら前に読んだのは「Xの悲劇」のほうだったかも知れない。

ところで江戸川乱歩10選も8冊目になるが、本格というのは警察の他にアマチュア探偵(もどき)が出てくるのが特徴である。作者達はどうだ、と胸を張って工夫しているつもりらしいが、むしろ逆効果が多いようだ。興味索然とすることが多い。

振り返ってみると(順不同);

Yの悲劇                           引退俳優

ナイン・テイラーズ         貴族探偵(部屋住み貴族、すなわち次男)

赤い館の秘密                    出来合い素人探偵

帽子蒐集狂事件                 高等遊民、ディレッタント

僧正殺人事件                    高等遊民、ディレッタント

黄色い部屋の秘密             記者

赤毛のレドメイン               引退探偵

樽                                   現役探偵

 

つまり、警察と独立に、そして警察と親善関係にあり、警察が御指南を仰ぐという恐ろしく非現実的な探偵を作らないと、本格ものは書きにくい宿命にあるらしい。元本職、本職の私立探偵は最後の二冊だけだ。

これは本格の宿命か特徴か。弱さか強さか。こう型にはまっていると宿命かな。クリスティ、ベントリー、も素人探偵じゃなかったかな。もっともクリスティは何人かの探偵を使い分けているから「もと」探偵もあったかな、ポワロがたしかそうだ。

Yの悲劇、もう一山くらい盛り上がってくれるといいがな。

 


鐘が殺した

2015-08-08 14:06:56 | 本格ミステリー

ナイン・テイラーズのラストがいい。大きな音、特定の周波数の音が物を破壊し、人間を殺すことは古くから知られている。詳しく書くと一部からネタバレと声が飛びそうだから止めておくが。 

そう、貴族探偵は推理した訳だ。自分の体験に基づいて。すなわち水路工事(全編で叙述されていた)が完成したが、そのために古い水門が新しい水の流れで破壊されるのを工事関係者は考慮していなかった。

水門が破壊され、河が決壊して周囲の村は水の底に沈む。洪水の急を知らせるために教会の鐘が乱打される。現代で言えば防災無線だな。その最中にウィムジー(探偵)は密閉された塔の内部に入り、高音を発して塔をゆすり、轟音を発し続ける塔内で死に直面する。

ここから大晦日の鐘の演奏中にここに閉じ込められた男(ディーコン)は死亡したと推測するのである。この趣向も面白いがここに至るまでの数十ページの描写が巧みである。探偵小説とか謎解きということに関係なく、それ自体で迫力がありすばらしい。

途中だれる描写がある(それもかなり)のでAは無理だがBプラスに格付けされるだろう。

 

 


男グルメの山田詠美さんがウェルダンなんて

2015-08-08 12:35:48 | 芥川賞および直木賞

前回の芥川賞選評だが、山田詠美さんが「火花」をウェルダンだと書いている。いつから食事傾向がかわったのかな。もうお茶漬けさらさら沢庵ぼりぼりに嗜好が変わったのでしょうか。 

アンダーダンの間違いじゃないの。レアとか。もっとも、彼女が最初の入れこみ『一行一行にコストがかかっている』を褒めすぎたと気が付いて修正したのか

この作品は弄くり回してこちこちになっている所が有る。それは別の表現で前回触れたが、そう言う意味で焼過ぎてこちこちになった肉という意味で言ったのなら分かります。 

なかには相変わらず褒め言葉だと受け取る人もいるだろうから。

出版業界への義理もはたしたわけである。授賞前にこれほど売れていれば選評者が賞を企画した出版社の顔色をうかがうのは当然かも知れない。

滅茶苦茶売れている作家で出版社が拝み倒して書いてもらうような作家なら出版社の顔をうかがう必要もないが、そういう人はそもそも選評者になる暇なんてないからね。

言わずもがな:: ウェルダンにはよく出来ましたという意味もありますよ。以上の趣旨は山田氏は両義的に使ったのではないか、ということです。こんな断りを入れることはないのですが、どんな受け取り方をする人がいるか分からないのでね。

 


『一行一行にコストがかかっている』「火花」

2015-08-08 07:59:46 | 芥川賞および直木賞

今話題の芥川賞作品「火花」、昨日文藝春秋を買いました。選者のコメントと一緒に読むために雑誌の発売を待っていました。

何年か前に芥川賞作品の書評を何回かしましたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまったのですが、今回はニュース性のある作品が出て来たので取り上げようと。

大分前に書いたのですが、この書評ブログで取り上げる作品のカテゴリーは

1:センチメンタルジャーニータイプ、すなわち何十年前に読んだものを再読する気になった場合の書評

2:ニュース性の話題があるもの、最近のベストセラー、芥川賞等の受賞作

今回は久しぶりにタイプ2です。あまりこのカテゴリーの本は書評に取り上げる食指が動かないのですが、馬鹿売れしているので書評で取り上げると当ブログのアクセスも増えるのではないかとのスケベ根性がはたらくわけでございます。

例によって進行形書評であります。最初の2、30頁を読んだところでは、

1:スキャンダラスな作品ではない。

2:文章に力がない優等生的作品である(意外にも)。

ということでしょうか。

数年前に取り上げた時からの選評者も多いようですので、評者別に同意、不同意を見て行きましょう。

宮本輝氏:彼の評は前にも比較的同意出来る点が多かったが、「生硬な文学的表現の中に云々」とある。生硬とは言い得ている様に思います。ただ文学的表現かどうかは疑問です。文学的といわなくても小説的といったほうがいいのかも知れないが、なにか消化不良の聞きかじり的表現論が会話のなかに頻出するが、小説とはこういう生硬な理屈っぽい議論を別の表現でするものではありませんか。しかもこの種の記述が多すぎる。

山田詠美氏:この人の評はいずれの場合ももっとも適切だったという記憶がある。評言に感心して彼女の作品を読んだが、どうも感心しなかった。適切な評をするからといって作品のレベルと関係はしないようです。

芥川賞の授賞が決まった後で彼女が選考委員を代表して発表したニュースをテレビで見たが、「一行一行にコストがかかっている」と言っていた。非常に印象に残っていたのだが、文藝春秋に掲載された評ではこの部分は消えている。どうしてかな、言い過ぎたと反省したのか。掲載された評には失望した。

村上龍氏:これまでの評には感心したことがなかったが、今回はポイントをついている。「作者自身にも指摘できていない、無意識の領域からの、未分化の、奔流のような表現がない」。その通りでこれが火花の特徴であり欠点でしょう。

ようするに変に老成している。老人が俳句会でああでもない、こうでもないといじくりまわしているのに似ている。勿論推敲というのは大切だが、なんというか、生気が失われている。 

島田雅彦氏:言っていることはこの人にしては珍しく的を外していないが、「読み応えのある小説が一本仕上がることを又吉が証明した」とは言えないだろう。

ところで関西弁は文章で書くと肯定なのか否定なのかわからなくなるね、関西弁を知らない者には。

久しぶりに文藝春秋を買ったが活字が大きくなったのかな、また行間もゆとりができたみたいで目に優しくなったという印象である。

 


「ナイン・テイラーズ」二段ほど下げ

2015-08-07 19:25:47 | 本格ミステリー

あと40頁ほど読み残しているが、もう最終的な書評をしてもよかろう。残りを読んで必要なら修正する。 

最初のボディが転がる(掘り起こされる)ところまでは褒めてもいいが、その後推理小説になって二段評価下げだ。

解説は巽昌章氏という人が書いている。スリラーの解説はろくなのがないが、これはまあまあである。へー、なるほど、そうだな、というところが複数あった。

翻訳だがえらいなまっている。どこの方言だろう。きいたこと、読んだことがない。実際にある特定の日本の方言で統一しているのだろうな、訳者は。原作の舞台はバスが一週間に二回(2weeklyだよ、間違えない様に)ようやく最近通う様になった僻地である。ところが自動車で行くとロンドンへ楽々日帰りが出来る所という設定。地名も出てくるがこれが実際の地名かな。

時代は昭和の初期であろう。ムッソリーニ台頭後、ヒトラーがまだ政権を取っていない時期ということが小説を読むと分かる。とすると、日本でいうとどのあたりだろう。埼玉東部か奥多摩か。あるいは三浦半島の山中でサンカののようなところであろうか。

一週間にバスが二回しか来ないんだから。

貴族探偵というんだが、彼ら(推理作家)も頭をひねるね。キャラはたっていない。

この探偵、千里眼を持った探偵ではない。失敗したり、どじったりする。試行錯誤である。

前に推理小説の分類の話をしたが、そこでし残したがスリラーには

1:「犬もあるけば棒に当たる」スタイルがある。ハードボイルドはこれに該当する。

2:本格ものと言われる小説では超人的な推理力を持った探偵が出てくる。この観点からいうと、ナイン・テイラーズは「犬も当たれば棒にあたる」に近い。 

それでいながら印象が散漫なのは「三人称複数視点」だからだろう。三人称でも単視点なら救われたかもしれない。

なんやかや、わいわいいいながら神輿を担ぐみたいにこねくり回しているうちにクロスワードパズルの最後の札が見つかるテイの小説である。まあ、評価はBかBマイナスに直そう。

それと、やたらと詩文からの引用をひけらかす貴族探偵である、この点だけはヴァン・ダイン流だ。センスのなさでもヴァン・ダインに匹敵する。一言これを覆う、曰く珍妙。

 

江戸川乱歩はベストテンの10位に上げているがどうしてだろう。暗号解読の話が長々と出てくるからかな。乱歩も暗号ものがたしかあった。なんだっけ、5銭銅貨だったかな、ちがったかな。乱歩のは短編だったが、セイヤーズのは不釣り合いに長々と退屈な講釈が続く。よくない。 

巽氏が幻の傑作と言っているがとても傑作といえる作品ではない。

 

 

 

 


セイヤーズ「ナイン・テイラーズ」

2015-08-03 08:35:34 | 本格ミステリー

最初の死体まで114頁、読ませる。江戸川乱歩のベストテンでは10位だが、ここまで(114頁)読んだ所では下拙の評価はAマイナスである。 

イングランドの田舎、吹雪の道で素人(御前様の貴族探偵)の車が路肩に突っ込む。避難したのが教区長の家である。そこでの一夜の描写を読む限りでは探偵小説とは思えない。

その地方に伝わる鐘を使った一種の教会音楽の演奏の話が延々と続く。まったくその種のことに疎くても滞りなく読ませる腕は一流である。これで思い出したが、古いキリスト教会では鐘をならす一種の教会音楽が各国各地方にあるらしい。昔読んだユイスマンの「彼方」にも似たような熱狂的な鐘研究家の話があったと思うが。

「読書は私に取って休養である」といった哲学者がいたが、私にとっても大部分の本は面白いと思っても「休養」である。だから「逃避文学」というのかな。私に取ってはシリアスな小説も大部分は「休養」なのであるが。

したがって、one sitting でせいぜい2、30頁しか読まない。一気呵成に、徹夜で読んだりしたら「休養」じゃなくなるからね。で、一番大切なのはしばらく「非休養」すなわち仕事をしていて、どれ一休みと再び本を取り上げた時に前回まで読んだ所の筋道がすぐに思い浮かぶのが条件である。そしてこれが良書の条件でもあろう。これだけを基準にしても本の評価はほとんど過たない。

セイヤーズは一、二読んだ記憶はあるが退屈そのものという印象だったが、この本で見直した。