穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

最近アップの回数が多すぎないか

2023-07-31 19:56:23 | マルタの鷹

それにしても、最近アップの回数が多すぎないか。考えてみたら連日の炎暑でテレビが不要不急の外出は控えろというものだから、あんまり外出しない。家にいても掃除ぐらいしかすることがない。退屈でイライラする。それでなにかアップして時間をつぶそうとするのだろう。弁解終わり。

そこで前回の続きだ。前回、ガラスの鍵は日本の仁侠映画と同じだといった。もちろん違うところもある。ドライ度が違う。ボーモント、小説の主役は博徒ですってんてんになって溝に転がっていたのを政治ボスであるマードックに拾われて何でも屋というか参謀扱いで優遇された。その恩義を返さなくてはならない。日本と違うのは、無制限、無期限で恩義を感じるというウェットではなくて、借りを返したら別れようというアメリカらしいドライさだ。実際、殺人の真犯人と疑われたマードックの無実は証明した。しかし、その代わりにその裏の政治ボスの表の顔である上院議員を告発する羽目になった。皮肉なことだ。

それでこれで借りは返した、こんな町はおさらばしてニューヨークに行こうとした。そうしておまけに真犯人とした上院議員の娘をかっさらっていくことになる。この辺のドライさはアメリカ的だ。

もちろんハードボイルドだからボーモントの心情吐露は一切書かれていない。以上のことは読者が感得しなければならない。

 

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しつこく、ハメットでもう一丁

2023-07-31 06:33:11 | マルタの鷹

しつこくもう一丁いこう。ハメットの後期の探偵もの、探偵なんて古い言葉を使って気が引けるが。

有名なのは、血の収穫、マルタの鷹、ガラスの鍵であろう。そこで三作を比較してみる。

まずロケハンから:

血の収穫は名称不詳の地方都市、

マルタの鷹はサンフランシスコ

ガラスの鍵は名称不詳の地方都市

探偵役は、最初の二作は職業的探偵

ガラスの鍵では地方の裏政治をあやつる政治ボスに一宿一飯の恩義を感じる賭博師、博徒である。

こう書くと日本のやくざ映画と極めて類似していることがわかる。

次回からもう少し詳しく書く。それからこれは補足だが、前に古い英語やオランダ語を多用すると書いたが、フランス語の引用も多い。それからラテン語からも。それも、我々がよく目にする神学や形而上学の用語ではなく日常用語の引用が多い。

 

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夢「ガラスの鍵」とは

2023-07-30 20:07:22 | マルタの鷹

カラスの鍵を読み終わった。

小説のタイトルが「ガラスの鍵」となっているのがわからない。最後に犯人とわかる上院議員の娘が最初は素人探偵役のギャンブラーに敵対していたが、最後は協力者になって賭博師と駆け落ちする女が見た夢からきている。

森の中の一軒家か何かをガラスの鍵で開けたら鍵がくだけてしまった。そして空いたドアからたくさんの蛇が出てきたという夢を相手に話すところからきているが、わからないのはそれが何を意味しているのか、どうしてこの小説のタイトルにしているのか、ということである。

なにやら当時アメリカを席捲していた精神分析の話のようでもある。しかし、全然しっくりしない。

そういえば思い出したが、「マルタの鷹」にも全然関係のない逸話が紛れ込んでいた。建築現場で上から物が落ちてきたが、偶然助かった人物が悟ったという話で、日本の評論家は大変高尚な話としてトクトクと書いているが、筋との関係がわからない。それ以上に、このガラスの鍵の夢はチンプンカンプンである。

こういうわけのわからない、前後の話との関係がわからない部分はチャンドラーの作品にはない。

みんなこの作品をほめる評論家はわかっているのかね。

 

 

 

 

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やたらに画数の多い漢語を使うのはセンスのない若手

2023-07-27 07:50:30 | マルタの鷹

日本でも、かっこいいと思うのか、知りもしない漢語を得意そうに使う若手作家がいる。

気が付いたが、ハメットもその傾向がガラスの鍵にかぎってある。もっとも彼の場合は古いオランダ語と古い時代の英語である。読んでいて気が付いたがかなりの頻度だ。

日本の場合、森鴎外や漱石、永井荷風まではさまになっているが明治も後期の作家は難しい漢語を得意そうに使うのはチンドン屋に似ている。

若手作家は辞書類を血眼になって探すのだろうが、慣れない晴れ着を着てチンドン屋の真似をしているようだ。

日本の場合、外来語、カタカナ言葉を乱用するのも若手に多いね。

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だシール・ハメットのどこが良いのか

2023-07-26 18:13:42 | マルタの鷹

ハメットは今でも日本では人気らしい。少なくとも評論家というか業界人の間では。日本では「マルタの鷹」は傑作あるいは”探偵小説”の教科書となっている。アメリカではThin Manが人気第一らしい。これは連続ラジオ小説のcomedyらしい。

前にも書いたが、チャンドラーと違い探偵社の使い走りから始めたハメットは書きながら文章を勉強したので、彼の小説を読むとへたくそな小説からだんだんものになっていく過程がわかる。マルタの鷹で一応の水準に達しているようだが、どうも未だしだ。

アメリカでの一番の人気作は例の痩せた男も晩年の作だ。もっとも彼は若くして引退したから、文章もまともになっているのだろう。私は読んだことがないが。

ところでハメット自身は自作をどう見ていたか。よく知られていたように彼自身は「ガラスの鍵」が気に入っていたようだ。最近本の整理をしていたらVintage Crime版が出てきたので、再読している。マルタの鷹にくらべて地味な作品であるが、文章の質という点では、おそらくハメットの中では一番いいようだ。

監禁された部屋を火事にして逃げだしたところを読んでいる。それで思い出したが、チャンドラーの小説のどこかで同じような場面を扱っていたんじゃなかったっけ?

 

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ついでに

2023-07-09 10:04:24 | ハイデッガー

ついでに、二、三トリビアルなことを、

この本には索引がない。内容が多岐にわたっているし索引は必要である。

ナチスとの関連は第六章、第七章あたりで大部詳しく述べられているが、新聞記事の引用のような部分が多くて、哲学的な内容を上回っている。この辺は記述に工夫が必要であろう。巧みな要約が求められる。圧倒的な量は肝心の哲学的な内容の印象を薄くする、つまり読む気がなくなる。

ということで大部分読み飛ばしました。

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ヒトラーを教導しようとしたハイデガー

2023-07-09 09:44:39 | ハイデッガー

ハイデガーはヒトラーの家庭教師たらんとした。両人の生年は1889年である。ヒトラーが政権を取ったときは40歳を超していた。当然ハイデガーも同様。ハイデガーがナチスを利用した意図は明確であろう。ハイデガーは実年の古だぬきのヒトラーの家庭教師たらんとした。

ギリシャかぶれのハイデガーの念頭にあったのは、幼きアレクサンドロス大王の家庭教師であったアリストテレスである。所詮ヒトラーを教導しようとする目論見は的外れであった。

それにヒトラー政権の有力閣僚であったゲッペルスも哲学者であった。成功するはずもない夢を見ていたらしい。フライブルグ大学の学長に若くして就任したハイデガーは一年で辞職に追い込まれた。

補足:アリストテレスは幼年のアレクサンドロスより18歳年上であった。

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ハイデッガーの該書ナチス加担の記述に入る

2023-07-08 13:38:08 | ハイデッガー

「存在と時間」は私の記憶では存在に触れず、時間についてもほとんで触れていない。第一章と第二章の記述でそれを確認した。だからこれまでの西洋哲学の全否定とすごんだわりには主観主義哲学の一種だといわれてもしょうがない。ハイデガーもそれを気にしていたという。古代ギリシャ哲学に戻ってぴしゅす(自然)に戻ったり、中世キリスト教神学に戻ったりしている。

そうして、ナチスの政権獲得に連れてフライブルグ大学の学長に就任して大学の教育改革に乗り出すところまで来た(250ページあたり)。結局一年余りで挫折するのだが、そこまでは読んでいない。

相変わらず、新語を乱発している。やめられないんだろうね。私から見ると下手な新語つくりは逆効果である。

 

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後期ハイデガーの解説

2023-07-04 06:16:34 | ハイデッガー

さて昨日話した轟秀夫の本だが序論を読み終わった。要するに「存在と時間」以後の著作が全七章のうち五章をなしている。たしかにこの後期ハイデガーの解説書はあまり見かけない。二、三の論文は読んだ記憶があるが、あまり印象に残っていない。改めて通読解説を読んでみるのも、なにか得るところがあるだろう。

これはこれまで読んだ著作の印象だが、「存在」の扱い方(伝統的な西洋形而上学)が存在を超越者として見ていると断じているようだ。「存在」と「現存在」をアートマンとブラフマンと融通無碍にとらえる仏教思想が念頭にあるのかもしれない。

戦後の悲惨な経済で日本からの裕福な留学生の家庭教師などで糊口を凌いでいた当時のドイツの哲学者がそれらの日本人留学生に熱心に東洋、日本の宗教思想を聴いていたという話が残っている。ヒントにはなっているだろう。

日本政府が日本の大学にハイデガーを招聘したという話も紹介されている。三木清が話を持って行ったらしい。年俸一万円の破格だったという。当時のレートでは悲惨で天文学的なインフレに喘いでいただドイツの学者には魅力だったろう、カール・レーヴィットだったかは招きに応じて東北大学に赴任している。

 

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学びて時に之を習う

2023-07-03 19:08:44 | ハイデッガー

さて辻村深月のツナグであるが、これは5編の短編からなるが、一,二作はまあまあだ。四作、五作は興味索然として最後まで読み通せなかった。五作、最終作はまた戻って第一作からの使者(イタコのような人物)の修業物語りへデングリ返るという趣向だが、いまさらね、と言う感じ。これで辻村氏の書評は一応おわり。

さて本日書店で「ハイデガーの哲学」「存在と時間から後期の思索まで」というのをあがなった。新書であるが、500ページで1500円という安さで手を出したのである。

どうも、本を買うときには目方の割に安いのに手を出す癖がある。ハイデガーは本人の書作も種々の「解説本」も散々書評で取り上げたが、まあ、いいじゃないか。論語にも「学びて時に之を習う、またよろしからずや」とあるではないか。

ハイデガーはドイツ人がいっていたが、評物が100人あれば100説あるという代物だ。作者は防衛大学教授の轟孝夫氏(未読未聞)の人であるが、

 

 

 

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