穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

諏訪部浩一著「マルタの鷹講義」第15章について

2015-05-16 08:36:45 | ハードボイルド

研究社から出ている該書を買う気になったのは、原著第10章冒頭の文章をどう説明しているかを、あるいはなにか説明しているかを知りたかったためである。結果として諏訪部氏はなにも触れいない。少々がっかりしたわけである。このことについては別稿で述べたい。

今回は15章の解説が随分ピント外れなので、先にこの件について触れたい。第15章はスペードに比較的好意的な部長刑事と食事をし、そのあと地方検事の事務所に呼ばれて行くところである。

問題は地方検事とのやり取りに諏訪部氏が加えた解釈である。全くの見当外れといわなければならない。英文学評論の学究として博識な英米の文学理論を操ってマルタの鷹を解説しているのが本書である。しかし、所々でまったくおかしな解釈をしている。

警察あるいは検察と私立探偵(ハードボイルド小説に現れる)の対決を註釈している章はこの章の他にもあるようだが、両者の関係を公権力の腐敗とハードボイルド探偵の白馬の騎士的な対決という少年小説レベルの分かりやすい構図で押し切ろうとしている。まったく滑稽としかいいようがない。

たしかに、その面はあるだろう。ハメットでは「血の収穫」は一応そうとらえてもよろしい。チャンドラーの小説にもそういう面は有る。しかし、それは中心ではない。ハードボイルド小説で私立探偵と警察のなかが険悪となるのは「縄張り争い」である。

警察は探偵が持っている情報がほしい。逆に探偵は警察が持っている情報がほしい。そして地方検事や地方の公安委員は探偵のライセンスを取り上げる権限をもっている。(注:日本では探偵に免許は不要である)。理屈をつけて探偵を逮捕、起訴することも可能である。この立場を利用して探偵に圧力をかける。それに探偵が雄々しく耐え、抵抗する。ま、これがハードボイルド小説の一つの特色でもある。

探偵には依頼者の秘密保持の行動倫理がある(ことになっている)。この行動規範を取り去ると、探偵は単なる警察の手先となる。たれ込み屋と変わらなくなる。

地方検事が犯人についての仮説を述べる所がある。それを聞いてはハメットが茶々を入れる。諏訪部氏はこれを大真面目に受け取って検事の無能をハメットと一緒に成って嘲笑うかの様に解説する。そうだろうか。 

警察は依頼者がだれであるかの情報を持っていない。ハメットが教えない訳である。依頼者の指示で尾行をしていた相手が殺される。当然依頼者が事情を知っている。あるいは依頼者が関係していると考えるのが人情である。現にスペード自身も同様の疑念を持っているが、あまりにも突拍子もないし、証拠もないから結論はくだせない。そうだろうか、そんなことがあるだろうかと小説の終わりまで迷っているのである。 

警察が知っているのは殺害された人物がヤクザの親分のボディガードということである。また、その親分が賭博のトラブルでアメリカをふけたことも情報として知っている。とすれば、依頼者の情報をスペードが警察に開示しなければ検事の仮説はきわめて理論的である。あまり前である。それはスペードにも分かっている。茶々をいれて混ぜ返したのは、自分の情報や推理を隠蔽するためだろう。

そして鋭敏なハードボイルド読みには当初から気が付いていたろうが、大部分の読者がまだ気が付いていないポイントを検事の推理としてハメットがここで読者にはじめてサービスしたと考えられる。つまり依頼者を探れ、と。

それでも凡庸な読者は小説の終わりになってはじめて犯人がブリジッドだと教えられるのであるが。

 



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