穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

金太郎飴

2022-07-28 07:52:05 | 西村賢太

 西村賢太の小説は「何処から読んでもいい金太郎飴」と総括したら失礼にあたるだろうか。全部の私小説作家の「ワタクシ小説」に該当するわけではないだろうが、わたくし小説と言うのは潤色した日記であるから、終わりからでも、途中からでも読んでいい。最初から読む必要はない。一般論ではね。
 そして何処から読んでも「同じ味がする」、どこから切っても同じ柄が出てくる金太郎飴と同じだ。これは特に西村賢太の場合に言える。
 西村の遺作となった「雨滴は続く」を読んでいる、今月初めから。全480ページの長編である。彼の小説を単行本で読むのは初めてである。これは彼の逝去により未完の遺作となったという。今月初めから読み始めて七月が終わろうとするのに、ようやく160頁だ。今回は最初から読んでいる。金太郎飴だから、一気呵成に読むのは無理だ。精力剤のようなどぎつい表現で叩きつけてくるから、読み続けると感覚が麻痺してしまう。退屈で神経が弛緩したようなときに元気を出すために読むと良い。
 修辞的に言うと、難しい言葉を使うね、大体ワンパターンだ。ジャズのドラムでガンガンやるのと同じで、演奏者はバリエーションをつけているつもりでも読むほうは区別がつかない。続けて読むと麻痺して退屈してしまう。忘れたころにまた本を広げるてチビチビ読むと精力剤的な効果がある。
 潤色した日記と書いたが、面白かったのは売り出し(デビュー)のころの雑誌の編集者とのやり取りだ。文芸雑誌と言うのは養鶏業者と同じで唾をつけた作家がコンスタントに売れる卵を産めるかどうか見極める作業がある。当たり前だ、出版社だって儲からなければ話にならない。出版社にとって都合のいい金(銀でも銅でもいいが、とにかく)のタマゴを経常的に産ませなければならない。その辺の見極めというか、探りと言うかリサーチと言うか編集担当者とのやり取りが面白い。こちらは斯界の事情に疎いのでね。西村賢太が例によって反発するところが面白い。もっとも実際を反映した記述ならば、ということだ。西村も古い話をよく覚えているね。

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西村賢太の出世作と言う、

2022-07-26 09:39:44 | 西村賢太

 さて、「どうで死ぬ身の一踊り」は西村の出世作だというので読んでみた。
この作品は藤沢清造を顕彰追憶する仏事や、寺の作法を潤いのない筆で細々と描写する部分と滝野川での同棲女性に対するバイオレンスの二本立てであるが、この二つのハシラの間には有機的関連がない。小川榮太郎氏の「作家の値打ち」では苦役列車73点に次ぐ71点を与えているがまったく的を外している。久世光彦とか坪内祐三とかの「読み巧者」が絶賛している、というが理解不能。この二人の人物がどういう人物か全く知らないが。たしか、「雨滴は続く」で西村賢太本人が「体が震えるほど」感動したとの久世の言葉を誇らしげに引用していたが、この引用が正確だとしてもまったく理解の領域を超えている。
 仏事の話は全く潤いを欠いているし、営業仏教(寺の)の些末な行事を事細かく誇らしげに書いているのには全く西村らしくなく失笑してしまう。西村の作品は読んだのは五指にも満たないが、そのなかでも最低の作品であることは間違いない。
 ところで、西村賢太はあちこちで「どうで」という言葉を多用しているが、これは藤沢静造の故郷である、たしか能登半島のどこかの方言なのだろうか。私は「どうせ」という意味だろうと理解しているが、それでいいのかな。
 ついでに思い出したが、ひっきりなしに「はな」という言葉を使う。これは「はなっから」と同じ意味と受け取っているが間違いないかな。西村が威張る江戸言葉ではないようだが。もっとも江戸と言っても広い、「江戸」=「江戸川区」なのかもしれない。

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あれは西村賢太だったかな

2022-07-19 20:40:39 | 西村賢太

  あれは、やはり西村賢太だったのかな、と思い出したのは最近彼の「どうで死ぬ身の一踊り」の冒頭を読んだ時だ。たしか彼が芥川賞を貰ったころだった。テレビやなんかで彼の顔が流れていたころだ。「どうで、、」に滝野川に家があったようなことが書いてある。小説だが、私小説だから大体場所なんかも同じだろう。その時に私は東大の正門前からバスに乗った。いまは工事中の三省堂の前の「駿河台下」という停留所で降りようとして、後ろの座席から降りてくる乗客にぶつからないようにと後ろを確認したときに彼はいた。あの特徴のある顔とゴリラのように発達した上半身の人間は滅多にいない。だから一瞬かれかなと思った。それだけの話であるが、「滝野川の家」云々のくだりを読んで思い出した。彼がよく神保町の古本屋に行くというのはあちこちで書いている。そのバスは王子発で(今は知らない)滝野川、本郷、神保町を通って丸の内に行く。彼の生活圏に合致する。
 彼の雰囲気が独特で不機嫌そうで、うっかりすると彼の小説の中のように罵声を浴びせかけられそうな気がした。ぼんやり見ていると、いきなり因縁をつけられそうな気がした。気がしたというだけの話だがね。世の中にはまれにそういう空気を漂わしている人間がいる。別にその時は因縁をつけてはこなかったが、そういう警戒心を抱かせる雰囲気を纏っていた。
 それだけの話だ。つまらない話で申し訳ない。すっかり忘れていたが、急に思い出した。多分彼ではなかったかもしれないね。合掌

訂正が必要か? 七月二十日追加

そういえば、その人物はジェラルミンのアタッシェケースを持っていなかった。西村賢太氏ではなかったかもしれない。

 

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「根津権現裏」読了

2011-08-18 07:56:56 | 西村賢太

 さて前回はどの辺でリポートしたかな。そうそう200ページあたりまで読んだんだった。一応最後まで読んだのでちょっと追加。

後半は意外に前半に比べて読みやすくなった。ミョウチキリンな比喩もぐっと減ってきた。ただ最後の50ページくらいはまいったね。これは検閲には引っ掛からなかったのかな。しょぼくれたアナーキスト的理屈を述べたているが。ドストエフスキーの罪と罰の女中版みたいだ。藤沢がドストに比肩する作家と言うのではないが、ドストなら大抵しっているから引っ張り出しただけだが。最後の数ページは読ませる。

 しかし、新機軸ではあろう。こういう書生っぽい議論を会話でもなく、地の文でもなく、政治パンプレットそのままに小説に押し込むのは新機軸ではあろう。

 最後に西村賢太の解説に関連して。シェンケビッチの二人画工を下敷きにしたようなことが書いてある。シェンケビッチとはあのクオヴァディスの作者かいな。二人画工という作品はないような。もっとも内田魯庵の翻案ものというから原題とは違うのかもしれない。

 ただ小説の構成と言う観点から言えば、そこらの私小説よりはるかに工夫をしたようだ。それにそのころはまだ珍しかったであろう心理ミステリー、あるいはサスペンス風に話を進めるのは工夫だろう。岡田を自殺に追い込んだ犯人はだれだと、二転、三転させるわけだ。通俗的な興味も持たせる。

 解説はコメディカル、パロディカルなテクニックが分からないと本当の良さが分からないと言うがどうもね。そんなに軽妙洒脱なところがないし、これはミョウチキリンな比喩のことを言っているのだろうか。落語的なよさが分からないと理解できないと言うが、どこが落語的なのかな。西村氏とは「落語的」という理解が違うようだ。落語と呼べるものがあったのはせいぜいラジオ時代までだ。西村氏が落語をご存知だとは思えない。

 一言で言えば「だらくさい(でよかったかな)」北陸風の落語と言うことだろうか。

 

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そうそう、この小説には女性の会話がまったく登場しない。話には出てくるが。それと何だったけ。そう、かなりの個所に通俗科学的説明が「無修正」で展開されているのも抵抗のあるところだ。

 

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「根津権現裏」出版は西村賢太氏にとって良かったか

2011-08-17 07:23:26 | 西村賢太

読了前偶感:根津権現裏

いつ読み終わるか分からないので、読後まとめて書くつもりだったことをいくつか。

? 新潮文庫からの根津権現裏の出版は西村氏にとってよかったか ?

疑問である。西村氏の小説、随筆などによって、彼が長い間文献の収集や考証に非常に熱心であったことは分かる。しかし、藤沢清造論、あるいは根津権現裏論というものを目にしたことがないが、あるのか。ないとしたら極めて不自然であろう。

藤沢清造のどこに惚れたのか、かくまで入れ込むのか。これまでは文献考証だけで実物を見ないから疑問も生じなかったが、かく堂々と?発表されてみると唖然とするし、西村氏の鑑識眼にも一抹の不安を感じざるを得ない。西村氏の芥川賞は何回も書いているように今でも支持している。それだけにこの落差に唖然とする。書く能力と他人の「さくもつ」を評価する能力は別だと言ってしまえばそれまでだが。そういえば、西村氏の車谷長吉論もどうかと思ったが。有る意味で徒党性が強いと言う作家の特性を持っていると言うことかもしれない。

西村氏は私小説作家であると言うことを自ら惹句としている。しかし、書く題材は限られている。藤沢清造との出会いと長い関係を赤裸々にその心理を正直に「私小説」にする事が出来るだろうか。私の仮説では西村氏は藤沢清造の生い立ちや生涯に重大な関心を寄せているのであって、本当に客観的に彼の小説を理解しているか疑問である。どういうことか、これ以上書かないが。あまりにもその生涯に感慨を抱いていて、その作品を客観的に評価する目が曇っているのかもしれない。

+ 文壇ギルド古手推薦の客観性

文献考証でしきりに傍証しようとするのが、当時の文壇人の藤沢に対する評言である。徳田秋声が絶賛したとか、芥川龍之介が新潮社に出版を推薦したとか、島崎藤村がほめたといったたぐいのことである。こまごました考証としてはいいのだろうが、文壇人のギルド協賛的な評価はあまり重きを置くべきではないだろう。相互補助的な色彩が濃い。藤沢も当時は曲がりなりにも文壇ギルドの仲間入りをしていたのであるから、お世辞が多分に入った大御所たちの表現を押しいただく必要もあるまい。

 

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根津権現裏、ほめるつもりが

2011-08-16 22:44:44 | 西村賢太

ほめるつもりが、とんでもないことに。こういうこともあらうな。

まだ150ページある。逆転もあるかも。すくなくと、いまのところは蓮の花は取り消しだ。

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承前:根津権現裏:藤沢清造:新潮文庫

2011-08-16 10:40:15 | 西村賢太

新潮文庫で350ページ足らず、160ページまで読んだ。以下順不同でいく。

私は根津神社の氏子ではないがほぼこの小説の活動範囲と一致する。だから旧町名も目に懐かしく感じるのだ。しかし、藤沢氏は町の叙景が得意ではないようだ。あるいはそんなことは重きをおかないのかもしれない。

一体に自分になじみのあるところだと、今の街並みが一変していればいるだけ、ああその昔はこうだったんだという感慨が浮かぶし、昔と全然変わっていないところだとそれはそれで懐かしく感じるものだ。そういう情緒はこの小説からは触発されない。しかし、白山、巣鴨行きの都電、なんて懐かしいな。

さて、キーワードは、少女趣味の現代用語を使うのをお許しいただくが、性欲、病魔、貧困である。執拗に、いささか単調にくどく繰り返される通奏低音である。文章は読みにくい。一気に読んだなんて人もいるようだが、つっかえてしまう。だがある種の力はある。

 二:珍妙なる比喩 200ページ通過

 読みにくさの原因は比喩の不適切さと、かつその異常な多さが大きな原因である。他にもあるがこれが一番分かりやすい。平凡な比喩、さりげない比喩、これはいくら連発してもよろしい。これに抵抗を感じるのは野暮天、田舎者である。適切に比喩を刻んでいけば絶妙なテンポが生まれる。講談、軍記物などがそれであり、紋切り型の比喩的修飾句のオンパレードである。

自分のオリジナリティのある比喩じゃなきゃ嫌だと言う人もいる。そういう時にはよほどタイミングをはかって満を持して放たなければならない。老人の屁のようにのべつ幕なしにやっていてもしょうがない。一ページの間に十も二十もやっていてはその神経を疑う。

そして何よりも重要なのはセンスである。比喩ほど文体でセンスの差が感得されるものはない。だれにも分からない失笑物の比喩を連発してもはじまらない。

 西村賢太氏には申し上げにくいが、根津権現裏は狂的に比喩が多く、そのほとんどが意味不明、センスゼロである。

 西村氏に対する評価はもちろん根津権現裏を読んだからと言って変わらない。彼自身が告白しているように藤沢清造の作品が衝撃を与えたのは事実だろう。どこがどう与えたかは詮索考究する気もないが、半年前の記憶では西村氏は比喩に関しては私の上記の批判には該当しない。

三:引き延ばし方法

所詮自分のことを書いている分には、日記と同じだから長くは書けないし、そのうちに種切れになる。個人が破天荒な経験をするなどという機会は非常に少ない。ましてその人に文才があるとか小説家になりたい場合で、と限定されると皆無に近くなるだろう。

私小説の分野は不案内(特に不案内といったほうが正直かな)であるが、私小説で長編なんて非常に少ないんじゃないか。志賀直哉は私小説作家の分類に入るらしいが、彼の唯一の長編が暗夜行路だろう。それも完成までにやたらと年月がかかっている。

「私小説」を長編化する道の一つが心理描写の多用であろう。根津権現裏がこれにあたる。藤沢清造は雑誌の編集などをしたというが、心理学の雑誌にも関係したと言うし、また通俗解説本か専門書かしらないが、心理学の翻訳(の下請け)もしたという。根津権現裏でも友人の岡田とともにそのような仕事をしている話が出てくる。

この小説でもくどいほどの心理的な「説明」だ。それがわけのわからない先に述べた比喩によって長々と修飾されている。これによって「長編化」がなりたっている。しかし、私小説の心理描写化という方向はどうなのかな。

つづく

 

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つづく

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藤沢清造の根津権現裏新潮文庫

2011-08-16 08:28:15 | 西村賢太

 7月に新潮文庫で出た。先日書店で平積みされているのに、ふと、目が止まり、おやおやと買って来た。前々回になるかな、今年初めの芥川賞作家西村賢太氏が自ら没後弟子を自称して入れ上げている大正昭和交期の「私小説作家」の長編代表作である。

 西村氏の傾倒が尋常とも思われないので、そのころ電網界をさらったことがある。どうせ古本屋にはないからね。あっても特殊な好事家相手でべらぼうな(私の価値観では)値段がついているから古本屋は最初から探さなかった。

 あったね、それがスキャナーでとったものをそのまま画像としてアップしたものとおもわれる。厚い本だからページの端の行は斜めになっているし、真ん中は凸面鏡を当てたようにゆがんでいる。

 この状態ではせいぜい10ページも読むのが限度だったろうか。ま、そんなことがあった。税前514円なりだ。荷物にもならない。買って来た。

 二:

電網界へのアップもぼちぼちあるようだが、なかに「新潮文庫に入りそうもない作品が」云々と言うのがあった。とても商品にならない、という意味なのか、レベルに達していないという意味なのか。この人のアップには随分前から藤沢清造の記事があり、ポジティブに観ているようだから、とても特殊で、地味で、古くて、商品価値の無い、しかし作品としては価値のある、という意味合いのようである。新潮社は相当に耳目を集めた異色の芥川賞作家が入れ込む作家として藤沢に対する好奇心も世間にあることから、商品化可能とみたのであろう。妥当な判断だし、売れ行きもよさそうだ。

 三:

表題からはすこし離れるが出版社というのは蓮田をやっているようなものだ。綺麗な蓮の花を咲かせるためには大量の汚泥の沼が必要である。ころやよし、である。上野の不忍の池に早朝行ってみるといい。

そのためにどこもくだらない本を大量に出す。大衆は泥を好むからである。これによって、わたしは出版社が愚劣なさくもつを大量にひりだすことを容認しておる。新潮文庫でもその95パーセントは泥であろう。特に時代の評価を潜り抜けていない平成、直前の昭和終末期あたりの作品はその99パーセントが泥である。

これは芸術家連中と似ている。一人の天才が生まれるためには999人の芸術家と自称するゴロツキが必要であるのと同じである。そのなかでは新潮社はいいほうである。書評でも書いたが夏目漱石の鉱夫を出しているのも評価している。ちなみに漱石全集を出している岩波文庫は鉱夫を入れていない。

そこでだ、根津権現裏は泥か蓮の花か、というのが問題である。ま、泥じゃないな。小さな蓮の花だ。すこし褒めすぎたかな、次回以降はケチをつけてみよう。

続く

 

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石原慎太郎の西村賢太芥川賞選評

2011-02-11 18:01:28 | 西村賢太

ひねもす雪は落ちる。時にはみぞれ、時には綿くずのように。黄昏に至るも路はいまだ黒し。積もるのはこれからならん。かくて皇紀二千六百七十一年第一日は暮れゆく。

私小説ふうに書くとこうなる。雪に降りこめられるのをおそれて昼前食料品の買い出しに行く。その時ついでに文芸春秋を買う。すでに単行本で受賞作は読んで書評はこのブログに書いたが芥川賞の選考委員がどう批評しているか、自分の書評と比較してみようと思ったわけである。

家ではちょうど文芸春秋社の単行本「小銭をかぞえる」西村著を読みさしていた。受賞作のほか、文庫本で何冊か西村氏の小説を読んだが、小銭をかぞえるは他の作品に比べてスピード感がでないな。

さて、石原慎太郎郎氏の選評。現代のピカレスクという題。そうじゃないな、少なくとも苦役列車は。しかし、「小銭をかぞえる」を読み終わると確かに小ピカレスク小説といえないこともない。

同棲する女をATMとして扱い、パチンコ屋で「出ないぞ」と台を叩く客のごとく女をおどし、ひっぱたき蹴飛ばす。

この小説は前回の芥川賞候補作らしい。石原氏はひとり推薦して「孤軍奮闘に終わった」そうである。しかし、この比較的西村氏の作の中では質の落ちる作品のなかに、才能を先取りし看破ていたなら、石原慎太郎氏はなかなかの炯眼である。

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”西村賢太”のくだのまき方

2011-02-09 20:22:01 | 西村賢太

西村賢太のキーワードの一つがドストエフスキーと聞いて、何をット思ったろうね。いくら読者がそそっかしくても全人格的に全作家的に両人を=で結んだと早とちりをする読者はいないだろうが。

酔っ払いの長々とした自己主張、演説を書かせたらドストエフスキーの右に出る作家はいない。私がドストエフスキーで一番面白く思う部分である。

たとえば罪と罰の年取った、クビになった老人の小役人が酒場でくだをまくところ。マルメラードフと言ったかな。またスヴィドリガイロフ。それにカラマーゾフの兄弟のドミートリーなどだ。

ところで、最近電車に乗ると前の座席に座った女の顔を右から左に見ていく。「私」が毎晩横付けにして寝たチンチクリンな女というのはどういうイメージかなとサンプリングするのだ。どうもぴったりの女がいない。もう一度端から順に見ていく。女のほうも私の視線に気がついて変態だと思っているらしい。

西村氏も私小説作家を自認するだけでなく、それを自分の宣伝文句、オビ言葉にしているようだからそれはそれでいいが、私が三回にわたって述べてきたキーワードを持った私小説作家はいるのだろうか。彼のユニークさはそっちのほうに有るのではないか。

彼の力のある文章(政治パンフレット作者のような)、エネルギーというのは大正型私小説作家とは異質ではないか。もっとも「彼の」藤沢清造の小説を読めば類似点があるのかもしれない。

復刻がなったら読んでみたい。オイラは古本は読まないからそれまでお預けだ。図書館の本も読まない。文学青年が鼻くそをほじくりながら、頭のふけをかきむしりながら読んだような手あかのついた本は読まないのだ。

もっとも、相当な豪華本全集を企画しているようだからめちゃくちゃ高くなりそうだ。そうなると買えない。西村さん普及版も作ってください。

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西村賢太のしゃべり方

2011-02-09 08:33:56 | 西村賢太

二番目のキーワード、落語のまくらとは何のことかわかるまい。ここ何十年と落語を聞いていないから、最近のことは分からない。昔は落語の本筋に入る前に本題と関係ないようなことを少ししゃべる。そして知らぬ間に本筋に入っていく。この部分を「まくら」といった。

昔はテレビやラジオのように時間の制約がないから、気が向けば長々とやる。簡単に切り上げることがある。昨夜飲み過ぎたり、遊郭で遊び過ぎて疲れているときはさっさと切り上げる。

ちょうど相撲の仕切りみたいなものだ。放送中継のないころは仕切り時間の制限もなかったように。

まくらも芸のうちで、うまい落語家のを聞いていると、そこだけでいい心持がしてくる。落語家の目線は下町というよりかは、場末の生活者、そして自由な、反権力的な都市生活者のそれである。いまのテレビの司会やバラエティ番組で田舎者の視聴者相手に銭を荒稼ぎする連中とはわけが違う。

そして、噺家であるから饒舌であり、芸は達者である。西村氏の饒舌達意の文章を読むとそういうことを連想させる、ということ。

氏は江戸川区の出と言うが、決して下町とは言えない。勿論山の手でもない。場末か、あるいは新開地に入るか。

おまけ、「南関東のなまり」と再三いうが、あれは何か。おいらが鼻の詰まったような 「ン」と「グ」 との区別がつかない聞き苦しい言葉を乱暴に「北関東のなまり」と決めつけるようなものか。

南関東といっても、千葉と神奈川では同じではないのではないか。千葉の言葉は多少耳に残っているが、東京の言葉とはまったく違う。神奈川についても同じだろう。西村氏が千葉県との境で育ったというから安房言葉のことかな。

「はな」と文頭にくる。あれは何かね。「もともと」、「最初から」ということかな。ま、なんとなくわかるし、文体を構成する一つだろうからケチをつけているわけではないが、下町ことばではないようだ。

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西村賢太のキーワード

2011-02-09 00:19:41 | 西村賢太

世間(文壇)のキーワードは私小説作家

オイラのキーワーズは、不愉快作家、落語のまくら(ただし半世紀以上前)、そしてドストエフスキーである。

ワタシがWikipediaの私小説作家のリストに賛成できないことは前に述べた。私が私小説作家として思い浮かべるのは葛西善蔵、嘉村磯多、川崎長太郎あたり、それに一部の田山花袋の小説である。

それも常識としてである。つまり作品を読まずに世間のイメージを受け売りしているということ。葛西、嘉村、川崎の小説は一、二読んだ記憶がある。川崎氏の小説は雑誌かなんかだったがで読んだと思うが、いずれも内容はまったく記憶にない。ま、そんなもんだ。

不愉快作家というと志賀直哉を思い出す。志賀、西村両氏を不愉快なる言葉で括るのは、生い立ちは対照的であっても、キー・ムードは不愉快の一語である。それも不条理に突然襲ってきて作者の全身全霊を捉えてしまう。西村氏はこのブラックアウト(あるいはフラッシュバック)状態を表現するのがうまい。

読者は何故だか分からない。それでも西村氏は現代作家であるから一生懸命説明しようとするがそれでもよくわからない。不愉快(生理的に言うと吐き気、行動で言うとDVなどの肉体的暴力)モードは「実存」(懐かしい言葉だ)の根源的なモードではある(ショーペンハウアー参照)。

次回は落語のまくらと西村賢太

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不愉快型私小説作家

2011-01-29 12:38:55 | 西村賢太

西村賢太の小説を読んで、これは不愉快型私小説だなと思った。志賀直哉との類似である。志賀直哉はWIKIPEDIAによれば調和型心境私小説だそうだが、「不愉快」とことごとに腹を立てる気分が中心となっている。

志賀の場合は、すぐ、不愉快と書くがなんだかよくわからない。父親の態度であり、友人の態度らしい。西村の場合は縷々説明敷衍する癖があるからその点は判りやすい。

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芥川賞選考の批評SIX

2011-01-28 20:59:14 | 西村賢太

さて、西村賢太「苦役列車」にとりかかる。70ページあたりまで読んでほうっておいたが。

久しぶりに私小説という言葉を聞いたね。昔は右を向いても左を向いても私小説みたいな時代もあった。

ところで私小説とはなんだ、とWIKIPEDIAを見て驚いた。そこで私小説の例として作品のリストがあるのだが、ものすごい拡大解釈という感じがする。なんだか、小説は全部私小説になってしまうようだ。このリストはおかしいね。

もっとも、私小説には破滅型と教養型があるそうだ。だけどリストを眺めるとどちらにも入らないのが多い。おいらなんかは私小説と言うと、ここでいう破滅型を連想していたのだろうな。そうして西村氏もこの範疇にはいるようだ。

小説の材料に自分の体験を何らかの形で反映していないものは少ない。それを全部私小説といえば私小説は日本の専売特許ではなくなる。

私小説と言えば露悪型、破滅型というイメージだ。しかし、私小説ほど筆力がいるものはないだろう。露悪といっても個人の体験など正直に書いても、第三者には退屈なだけだ。殺人犯とか脱獄囚の手記でもそのままではなかなか商品にはなるまい。かならず、介助者の潤色が必要だ。

超セレブの大政治家の回想録も必ずしも面白くない、という例もある。それを名もなき若年の市井の個人の生活を小説として商品化する、狭いマーケットであっても、大変な実力が必要であろう。

自分の生活を、それも19歳ころの生活を書いて、そのまま商品化出来るわけがない。西村氏にはそれなりの実力があるのだろう。

次回はチャンドラーにその萌芽がみられるハードボイルド小説の私小説化について番外サービス。

& 読み終わった。この人はポルノも書いているんじゃないのかな。すくなくとも書けそうだ。エンターテインメント分野でもなにか書いているんじゃないかな。知らないけど。

&& アメリカでも通俗雑誌でポピュラーな分野は告白小説だというが、これは形式としては私小説だよね。本人の実体験を直に出しているか、告白風は体裁だけなのか、という違いはあるが。

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芥川賞選考の批評FIVE

2011-01-28 20:37:49 | 西村賢太

朝吹真理子のきことわ。悪口クーポンも残り少なくなったのでそろそろやめておくが本作りについて一言。

単行本になったのは今回初めてのようだが、随分誤植があるようだ。あるいは原稿段階からのものか。校正者の責任だろう。彼女は気取ってしなを作るから、意図的に目ざわり(目にとまる)ような書き方をしているのかな、と思ってもみたが、どう見ても誤植(あるいは間違い)という箇所が複数ある。

最初は新潮に出たらしい。新潮って雑誌でしょ。デジタル化して原稿はとっていないのかね。それとも雑誌の初出から間違っていたのかな。

もうすこし丁寧に本は作ってほしいな。

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