穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ミステリーの適正規模

2011-03-25 07:38:17 | ミステリー書評

ミステリーといっても漠然とクライムノベルの範疇にはいるすべてのジャンルといってもいいが、その長さ(規模)が最近は長過ぎる。

いいところ、300ページまでだろう。病獣の屍肉のミンチを食うのではない。長ければいい、目方があればいい(上下二巻とか)、などと言うものではない。

同様にミステリー映画の限度は二時間だろう。小説にはこの節度をわきまえないものが多すぎる。三時間以上の映画なら途中で休憩が必要だ。映画はその特徴として、つなぎあるいは説明をすっ飛ばすことが出来る。本当は出来ないんだがね。ようするにめまぐるしく動く映像に騙されて必要な説明場面がなくても、筋が矛盾だらけでも、あっという間に進む。観客はおかしいな、と思う間もないからいいのだ。

それでも、いい映画は二時間でもこういうすっ飛ばしはないものだが。

ミステリー小説の場合は説明の場面が入るのだが、これが稚拙だから勢い長くなる。しかも説明すればするほどますます要領を得なくなる。

最悪なのは会話で説明場面を構成するものだ。まるで小学校のホームルームの議事録みたいなのが多い。

以上のコメントはすべて昨今ベストセラーと言われているものについてである。


小さなおうち143回直木賞

2011-03-20 21:59:25 | 社会・経済

このごろは怖くて外にも出られない。遠出をすれば戻ってこれなくなる可能性もある。エレベータが止まると33階までのぼるのも大変だ。第一乗っているときに停止でもしたらどうしようもない。だから管理人のいない休みの日は一日中家の中にいる。

それで319頁を一冊読んでしまった。普通はワン・シッティング20ページくらいのペースなので300ページくらいの本だとボチボチ読んで3,4日というところなのだが、一日中家にいたので読んでしまった。

戦前の昭和、東京西郊の新開地(田園調布みたいなとこころかな)、の家庭にいる女中(サン)の視点で描いたものと言うので、資料になるかな、センチメンタル・ジャーニーのよすがになるかなと思って大分前に買ったのだが、今日初めて読み始めて思わず最後まで読んでしまった。

この(小説)の家では女中の名前をさん付けで呼んだという。タツという名前ならタツさんといったというのだが、ヤをつけて呼んでいたところもあったようだ。この場合ならタツやで、由紀子なら由紀やとか。ちがったかな。ま、いろいろだったのだろうが、このころの若奥様は女学生言葉の人がいたらしいから。

ノンフィクション風の詳細なインタビューをもとに集積した資料をもとにアレンジしたうえで書いたようだ。時間を追ってリニアに淡々と進行する叙述はそつがない。考証もよくなされているようだ。

冷蔵庫も電話もない新興企業の常務宅の描写はかくばかりかと思われる。当時は電話のなかった家が多かった。都心ではそうでもなかっただろうが、新宿から西は相当な家でも電話がなかったのだろう。冷蔵庫もあるにはあった。氷を使う。毎日リヤカーを曳いた氷屋が来て、大きなのこぎりで氷を切り分けていたものだ。

この小説には冷蔵庫場面がないから冷蔵庫はなかったのだろう。これも時代考証としては破綻がない。全体に矛盾する記述もなく丁寧にまとめられている。

注釈なしで分かるかなとおもうような言葉もある。御用聞きなんてわかるかな。岡っ引きじゃないよ。ねずみ入らずなんてね。

最終章だけはリニアモードから外れて分かりにくいが、これは意図的なものか、破綻かよく分からん。

143回直木賞というと前回かな。当たり年だったらしい。


センチメンタル・ジャーニー

2011-03-20 08:39:42 | インポート

センチメンタル・ジャーニー(ショートショート)

杉浦は老人の本棚を見ながら哲学書が多いな、と思った。大学では何を専攻していたのだろう。本棚にある本はどれもきれいな状態で長年の間に日に焼けたあともなく装丁が汚れたりしていない。皆最近買った本のように見える。杉浦の疑問に答えるように老人は「最近はセンチメンタル・ジャーニーでね。昔読んだ本を買いなおしたりしている」

「センチメンタル・ジャーニーですか?」と予想外の言葉に杉浦は戸惑った。

「若い時に旅行したところに年を取ってから懐かしくて再訪することをセンチメンタル・ジャーニーというじゃないか」老人は笑った。「新婚旅行の土地を老夫婦が尋ねたりね」

「すると、若い時には哲学に凝ったとかいうことですか」

「そう、これでも哲学徒だったからね。大学を出るとすぐに塵網に落ちたから、そういう本とはすっかり縁が切れてね。全部売っぱらってしまったので、最近出た本を買ったんですよ」

「ジンモウというと」

「ははは、社会に出て会社員になったということですよ、ちょっと気障だったかな。陶淵明の詩にあるでしょう。『誤って塵網に落ちて一去十三年』だったかな」

「なるほど」と杉浦は老人を見た。「デカルトの方法序説か。われおもう、ゆえにわれあり、ですか。明晰判明な知識というわけですね。そういえば、僕もこれを読んだ時に気になったんだが、明晰判明な知識と言うのはなんですかね。妄想もわれおもう、だし。誤ったことを考えるのだって、我思うでしょう」

老人はにこにこして肯いている。

杉浦は続けた。「明晰というのは意識の状態なんだろうけど、判明というのは何のことですか」

「難しいことを言うね」と老人は右の耳の上を指で揉んだ。老人の癖である。「夢だって明晰判明なものがあるからな」

そのとおりだ、と杉浦は考えた。老人はまだ耳の上を揉んでいる。

「最近は夢の中でもセンチメンタル・ジャーニーをやっていてね。子供のころの夢をよく見るんだがこれがびっくりするほど明晰判明なときがある」

「そういえば、夢にもいろいろありますからね。明晰な表象と言うか、生々しくて、詳細で、鮮やかなのも中にはありますね」

「年を取ったせいかな。昔のことをひょいと思い出すんだよ」

「へえ、逆じゃないですか」

「そうじゃないんだな、記憶は『後入れ先だし』が原則なんだが年を取ると脳細胞が少なくなるからかな。最近のことよりかは昔のことが思い出される。それもずっと前のことがね」

老人が頭を撫でるのを見ながら「そんなものですかね」と杉浦はつぶやいた。

「それだけじゃないんだ。感性記憶が思いもよらない悟性判断に統一されて、目が覚めてからびっくりすることがあるんだ」

「まるでカントですね」


Dark Lady in Black

2011-03-19 09:30:16 | インポート

ダーク レディ イン ブラック(ショートショート)

夕方オートロックの入り口で彼の後から踵を接するように入って来た女性がいた。黒いワンピースなのだろうが、色がかすれたように濃いネズミ色に変色している。顔色が悪いのか黒っぽい。夕方の薄れゆく光の中で顔と服がひとつながりになったような印象がした。

おなじマンションの住人だろうと彼が会釈をしたが、女は挨拶もしない。メールボックスを開けていると女も入って来て郵便物のチェックをする。年齢は四十歳代と見た。

 見知らぬ顔だ。印象に残らぬ無愛想で地味な女だ。時刻からして主婦ならスーパーの白い買物袋を一つ、二つ下げているものだが、その女性は何も持っていない。小さなハンドバッグくらいは下げていたかもしれないが、彼は気がつかなかった。会社勤めのOLが早めに帰宅したのか。知らぬ顔であった。このマンションも入居者が長いあいだには大分入れ替わっていて、知らぬ顔も増えてきた。服装からすると葬式の帰りかもしれない。

珍事はその夜起こった。ベッドに入ると、その女の夢を見た。それが妙でなんだかいやらしい、いろっぽい変な場面が出てくる。女は相変わらず無表情なのだが、状況は極めて迫真的で、彼の意志でどうにも抜けられない状況に陥っている。まるで壊れた映写機のように執拗に同じ場面をリプレーする。かれがベッドの中で身をもがいてどうにか夢魔をふりはらって起き上がった。時計を見ると午前四時だった。

彼は午前三時過ぎには飲まないことにしているのだが、寝ると又彼女が出て来そうなので表象機能をマヒさせようとロンググラスに人差し指の第二関節までワイルドターキーを注いだ。胃のことを考えてコーラで割るとクイクイと喉に流し込んだ。すこし考えて、バーボンを今度は直接口に放り込んだ。そのまま、舌の裏でしばらく転がすとのど口に送りこんだ。嚥下しないように注意して食道の上部に滞留させる。

こうすると胃から吸収するよりか、早くアルコールを吸収する。胃にも負担をかけない。舌下錠と同じ原理だ。アスピリンでも、あの写真の現像液のような酢酸の臭気を我慢して口の中で噛み砕き舌下から吸収させると、二錠もやればスピードと同じようない効果を発揮する。

温かみがじんわりと体内に放射していくのを確認すると彼はベッドに戻った。夢魔は去り今度眼を覚ました時にはカーテンを通して差し込む朝日で室内は明るくなっていた。正八時であった。


篠田節子「仮想儀礼」

2011-03-05 00:09:22 | 書評

今回直木賞候補になった「砂の王国」の先行作品というのが表題の本だ。

たしかにハードルは高いね。これも上下二巻で長過ぎる難はある。遠縁で新興宗教の教祖というのがいてこの業界をチラ見していたので、ある程度実態を知っているのだが、成金、町工場の経営者、中小企業の経営者などのスポンサーがつく。それも信仰心だけではなくて抜け目のない打算もあって。

それとか、宗教グッズでとんでもないさやを稼ぐ業者の群れ、お抱え出版社、マスコミ、ジャーナリストなど。宗教社会学的な観点から見てもじつに新興宗教業界というのはすそ野が広い。そしてこの本はよく調べてそれらの業界の生態をまんべんなく巧みに作品に取り入れてる。

さて筋だが、上巻は平坦な道をゆっくりと行くノンフィクションペース、おやおやと思っていると上巻終わりあたりでぐんと盛り上がる。下巻も快調に滑り出すが、すぐ失速気味になる。

心配しているとまた盛り上げてくる。下巻後半はなかなか快調。いやはや、なかなかの御作と拝見した。

信者にはご利益目当てのスポンサー気取りの企業のほかに、悩める女性たちがいる。この女性たちが活躍するのが下巻後半からだ。ここが山場だね。

この女性が集団で、宗教的エクスタシー状態になって教祖を始め男性たちに暴行凌辱を加える。ここがサワリなんだが、数えてみたところ、このパターンは都合四回繰り返される。

ここで思い出されるのは、ギリシャのオルフェウス神話だ。篠田女史がオルフェウス神話を下敷きにしていれば、まことに適切な着眼点である。

また、篠田さんがオルフェウスの神話を知らなくて、自分のアイデアなら、これは一つの「元型」(ユンク等の言う)であり、結構な結構であると言える。

「砂の王国」は読んでいないが、最初の状況設定は仮想儀礼と同じというのでは仮想儀礼を超えるのはかなり難しそうだ。

設定(布石)を変えるか、新興宗教業界の周辺業種を絞って密度の濃い作品を書くことを後進たちには勧めたい。

競馬小説を書くディック・フランシスという作家がいる。競馬業界も関連業界が多数あるが、フランシスは毎回、関係業界を変えて数多くの作品を書いている。あるときは騎手に焦点をあて、ある時には競馬ジャーナリストに、また、生産者(牧場)に、ある時は厩務員、調教師、馬主、装蹄師、馬匹輸送業者(国際輸送業者のパイロット)なんて作品もある。

カルトや新興宗教は関連業界が広い、一作、一業種でストーリーを作っていけば長いシリーズもので食っていけるぜ。

& ナレーターは脱サラの公務員という設定だが、これが客観的な記述を可能にしている。最初からカルトっぽい教祖にすると、しつこいエログロ場面だけで話をつながらないといけなくなるから読むほうもしんどい。もっとも、大多数の読者はそれがいいというのかも。その手の作品は結構あるようだ。オーム事件に触発されて以来(たとえば、、、以下略)。

普通の公務員がどうして密教めいたカルトの知識があるかというと、この人物が副業で密教カルトの劇画だかゲームソフトを書いていて、その過程で得た知識ということになっている。ま、無理なく読者を納得させるだろう。


悪の教典2

2011-03-04 22:39:22 | 書評

長過ぎるということだろうね。しかし、最後まで読んでしまったからそれなりの筆力はあるのだろう。

一気呵成に、巻を置くいとまもなく、というわけにはいかない。まあ、ワン・シッティングで2,30ページだが、そのまま放りだすということもなく、最後まで読めたと言うことは中断があっても短期間であれば筋も見失わないということで、これは存外大事なテクニックだ。それとも最後まで付き合ったアタシがバカだったというだけのことかな。

筋も簡単、つまり明瞭だし、ナレーションもリニアだからそうなんだろう。

つまらないことだが、このサイコ教師が生徒たちのプロファイルを作って記録してあるUSBメモリーを押し入れの中の壁の破れ目に隠しているというくだりがある。

これは笑いを取るつもりで書いたんだろうか。それとも本気かな。ファイルにパスワードをかければいいだけなのに、面白い。押し入れなんかに入れておいたら湿気ちゃうんじゃないかな。

もうほとんど内容は忘れたが押し入れのUSBだけはどういうわけか、覚えているんだ。

それと、生徒たち(どうし、教師と)の会話なんだが、これは今時の高校生言葉(多摩郡版)を忠実に移しているのですか。非常に違和感があるね。標準語でベタ流したほうがすっきりするような気がする。


口ごもる選考委員;悪の教典

2011-03-04 08:22:30 | 芥川賞および直木賞

貴志佑介「悪の教典」、書店で見ると長いことよく売れているようだ。選考委員の意見は二つのグループに分かれる。そのココロザシやよし、とするもの。出来栄えはあえて問わない、宮部みゆき嬢など。要するに難しい、新しいテーマ、手法に果敢に挑戦したと賛辞をひねり出すグループ。

もうひとつは、よくわからんとかちょっとと首をかしげる委員たち。酷評はしない。なんとなく、口ごもっている感じ。いいたくないという風情だ。

文芸春秋社発行だからかな。直木賞と言うのは該社の企画だ。それによく売れている。売れている、つまり読者の志向に挑戦することは、王様であるお客様につばすることになる。怖くてできないのか。この道でメシを食っているプロの諸君には。

候補作の絞り込みは出版事業にかかわる下積みの編集者とか、ずばり「下読み」と言われる人たちが選ぶらしいが、いわば選考委員たちにとっては、相撲の世界でいう「付け人」だ。常日頃シモの世話になっている。彼らの選んだ候補作をぼろくそに言うのはまずいということか。

つづく


とりあえず落選二作について

2011-03-03 21:09:20 | 芥川賞および直木賞

承前;受賞作二編についてはあまり食指が動かないのでとりあえず、落選候補作を二つほど。

最初は悪の教典です。理由は早川のベストスリーだがベストファイブだかにはいっていたので一応読んでいたため。

もうひとつ、砂の王国、これはカルトだか新興宗教ネタということでネタ処理に個人的に興味があったから。なぜって、かってあたしは教祖にされかかったことがあるんですよ。その話はまた別の機会に。マンション管理組合の理事長と新興宗教の教祖にはならない方針なので、その勧誘は辛くも振り切ったわけで御座います。

しかし、砂の王国は、先行する良作があるそうで、どうしても比較してしまって不利、と委員の皆さんがおっしゃっています。その先行作品と言うのが篠田節子さんの「仮想儀礼」。いま途中まで読んでいます。砂の王国はそのあとで読みたいと思います。


直木賞選評批評、他の候補作について

2011-03-03 09:18:10 | 芥川賞および直木賞

まだ受賞二作は読んでない。すみません。道尾氏のは努力賞の意味合いが強いらしい。木内嬢のは「よく出来ました」賞らしい。

直木賞の選者は落選した候補作について誠実にコメントしているようなので他の候補作について書いてみよう。

宮部氏は自分のブログで懇切にコメントしているようだし、それを見ながらすこし、以下次号


ショートショート「インターネット投票」

2011-03-01 10:12:56 | インポート

ショートショート 管理組合のインターネット投票

買い物をすましてマンションに帰って来ると管理人が部屋から出て来て「Xさんは委任状がまだですね」といった。一週間後に管理組合の総会があるのだ。いつも定足数がたりなくて、管理組合いのちの連中は管理人まで動員して委任状を必死に集める。

分譲マンションには管理組合というのがある。これが小学校のホームルームみたいに、事細かに規制をする。随分と珍妙な規則を作る。彼は無視するつもりだった。しかし、辟易したのは管理組合の会合に出席を執拗に強制されることだった。それが義務だとかなんだとか、押しつけがましく強要する。義務じゃなくて、権利だろう。権利は行使しない場合もある。

本来管理会社がやるべき仕事も「自治」の美名のもとに管理組合に押し付ける。管理組合のほうも、押しつけられたとは思わずに大幅な権限が移譲されたと喜んじゃって使命感に高揚する。耐えがたい情景であった。

「それは管理組合マターですから」とか「まず管理組合で決めて下さい」。なにか頼もうと管理会社に電話すると担当の若手はこう言って面倒なことから逃げる。また、管理組合にはこういう活動を命として、張りきるのがいるのだ。

最近理事長や理事の入れ替えがあってからまた、うるさく言ってくることが多くなった。この「チーム」がひときわ熱心に総会に委任状を出せとしつこくせまる。管理人まで動員してうるさく言う。あまりのうるささに彼はインターネットを利用しろと逆提案したのである。

最近では株主総会でもインターネットで議案の賛否を表明できる。マンションの管理組合もそうしたら、毎回出席者が足りないなどと言って『白紙委任状を出せ』などと無茶なことを言ってくる必要もなくなる。だいたい、毎回、出席者が定数に達しないような管理組合など解散したらいいのだが、いきなりそんなことをいうとびっくりして腰を抜かしそうだ。もっともマンション法に解散規定があったかな。なければマンション法は欠陥法である。

管理組合を解散しろと言ったら、彼らは憲法第九条を改正しろと言われたように驚愕するにちがいない。その結果どういう反応を示し、どういうとばっちりがこちらに跳ね返って来るか予測しがたい。そこでとりあえずインターネットを使うことにしたらどうだ、と言ったのである。

いまどき、インターネットが普及したのに、活用しないような時代遅れでは管理組合の運営が出来るかと先制奇襲攻撃をかけた。理事長やその取り巻きは虚をつかれたのか、静まりかえってしまった。

ところが一人だけ住民の杉浦氏が彼の提案に興味を示してきたのである。杉浦は中年の会社員で会うと人懐っこい笑顔を見せる。

「総会の議事運営をインターネットでする、というご提案はいいですね」と自転車事故に遭った後で戻って来た彼に杉浦は話しかけた。一週間後に予定されている管理組合の総会に提案しましょうというのである。

「結構じゃないですか」というと、提案を作るにあたって意見を聞きたいと言う。

「どうせ、僕は総会には出ないから、杉浦さんのお考えでなさったらいいじゃないですか」

「そうですか、僕も発想は非常にいいと思うのですが、若者のようにインターネットを使ったことがないので、うまくまとまらないんですよ」

「でも、一応骨子はできているのですか」

「ええ、ごく粗っぽいものですが」

「じゃそれを拝見して、僕にもなにかアドバイス出来ることがあれば」

という会話があった後で杉浦は腹案なるものを持って来た。彼の会社の総務課あたりの株主総会担当者に相談しながら作ったものらしい。結構良く出来ている。杉浦の会社は二、三年前から株主総会の議題のインターネット投票をはじめていたのだ。それでXの提案に興味をもったらしい。

「ところで」とXは聞いた。「おかしな法律があるでしょう。通称マンション法とかいうのが。あれではインターネット投票を認めているのかな」

杉浦は「さあ、どうですか」と気がつかなかったようである。

「確か集会によるとかあったかな、書面による決議という規定もあったようだ。インターネット投票は書面による決議になるのかな」

「ははあ」

「一応その辺を調べておくといいですね。管理組合いのちの連中もマンション法なんか読んだこともないんだろうが、念のためにね」

「そうしましょう、それでもし書面による場合は満場一致が条件とか書いてあったらどうしましょう」

「まあ、仮定の話をしてもしょうがないが。総会の決議でマンション法の規定をオーバーライドできるかどうか、だな」

「その辺がごちゃごちゃする可能性があると弁護士に相談したほうがいいかな」

「ま、大げさに考えることもないが。とにかく提案をぶちかまして見るんですな。相手の出方次第だ。もっとも杉浦さんの会社は大企業だから法務部門が立派な弁護士を抱えているんでしょう。出来るなら聞いておいたほうがいいですね」