穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

小説家の経年劣化

2019-06-29 08:58:57 | 破片

「あなた、これは何なの」と文庫本を読んでいた妻の洋美が本から顔を上げて訊いた。

「何を読んでいるんだい」

彼女は本をひっくり返して表紙を見た。「ポール・オースターの幻影の書よ」

表紙を確認しないと自分の読んでいる本がなんであるか分からないらしい。むりもない。なにやら訳のわからない小説なのである。第九は200ページ当たりで読むのをやめてしまったのである。入れ子細工の小説というとはなはだ技巧に富んだ成熟した小説のように聞こえる。

「チャイネーズ・ボックスみたいだろう」

「なに、それ」と洋美が問い返した。

「お土産なんかで蓋を開けると、その中に小さな箱があって、それを開けると中にまた箱がある、そういうのが延々と続くように包装してあるのがあるだろう」

「ああ、この間パリで買ったイアリングがそうだったわね。パリの税関で係員が中を調べようとして箱を開けるとまた箱が入っているのよ。そういうのが何重にもあっていて、税関職員はいよいよ密輸品かと思ったのか、張り切って最後まで梱包を開けられたわ。なるほどね、そんな感じの構成なのね、この小説は」と彼女は得心したようであった。「努力が必要なのね、こういう小説を読むのには」とあきらめ気味に呟いた。

  翻訳者はとにかく褒めなければ立場がないのだから、そういう構成を絶妙だと後書きで書いていた。第九には最後まで読む気にはならなかった。しいて言えば、沢山の短編小説を鍋に放り込んでみたものの、味が最後まで融合していない鍋料理というところだろう。

  彼は貧弱な本棚の前に言って一か所にまとめてあるオースターの作品の背表紙を眺めた。幻影の書のところが空白になっている。最初の三、四作品はムンムンと迫ってくるものがあったな、と思い出した。なんというか、ドロドロした熱い混然とした塊があって面白かった。それから数作は通俗小説化した。だがまだ筋は読めた。それがその後、短編小説のごった煮になったんだな、と彼は振り返った。

  この文庫本の翻訳者は一貫して柴田元幸氏である。彼はオースターが映画界にかかわったのが「ごった煮」作風と関係があると言っていた。そうかもしれない。映画のシナリオならこういう断片化した映像を次々と繰り広げても一応格好がつくだろう。インディージョーンズなんかみたいに。しかし、小説ではどうなんだろう。だが、オースターが幻影の書の次に書いた「オラクル・ナイト」では同じ手法だが技巧的には前作に比べて全体が有機的になっているな、と思い出した。『もう一度全作を読み返してみるか、幻影の書も含めて』と彼は考えた。

 

 


後入れ先出し法

2019-06-26 08:37:12 | 破片

  老人は話頭を転ずるようにつぶやいた。「後入れ先出し法というのがありますな」

第九はなんとなくみだらな言葉のように感じて返答に窮した。

「なに、記憶の話でさあ、もっとも後入れ先出し法というのは棚卸資産の評価法でね、会計上の用語ですがご存知ありませんか」

 

「会社では財務関係の経験がないので知りません」

「そうですか」と言うと老人は建築労働者のような頑丈な手で鼻の脇を愛撫するようにマッサージした。記憶にも後入れ先出し説というのがある。これによると古い記憶は底のほうに滞留して意識の表層には上がってこないという説ですよ、と説明した。

 「必ずしもそうではないようですが」

「そう、一つの説ですよ。だから子供の時の記憶はなかなか浮かんでこない。年を取って大人になってからの記憶がすべて吐き出されると往々にして大昔の記憶が飛び出してくる。つまり人間、寿命が尽きてくると昔の記憶がひょっこりと思い出される。思い出されるだけじゃなくて頭から抜けて他人の頭に入っていくというわけですよ」と訳の分からないことを言った。

  つまりですな、幸せな幼少時代を過ごした人はそういうときの記憶が蘇ってきて安らかに死ぬというんですな。

「すると、幼年時代に不幸な生活を送った人の晩年はどうなりますか」

不幸な記憶が臨終で蘇ってひどくおびえたり、うなされたりすると言われております。その人が成人後太閤秀吉のように成功してもですね。晩年の姿はおぞましいそうですな」

 この突拍子もない話の落としどころがだんだんと第九にも分かってきた。

「私の疎開中の記憶が飛び出していったとなると、そろそろお迎えが来るのかもしれません」

 「そんなことはないでしょう。お元気じゃないですか」

「後入れ先出し法が正しいとするとね」と老人は言って笑った。

  老人は遠くを見つめるような目で付け加えた。「私の親父も晩年は時々夢でひどくうなされてね。親父は社会的には功成り名遂げた大変な成功者でしたがね。深夜びっくりするような大声を出すことがありました。もっとも父は東京に出てくる前のことは一言も家族には話しませんでしたがね」


 


ブラックホールがつぶれた

2019-06-21 07:37:40 | 破片

  第九はコーヒーを一口飲んだ。冷やしすぎたな、とぶつぶつと呟いた。猫舌の彼はコーヒーを少し冷ましてから飲むのであるが、老人たちの話を熱心に聞いているうちに飲み忘れたコーヒーがほとんどぬるま湯みたいになってしまった。

 「霊波でしたっけ、さっきの話は」と老人に問いかけた。

霊波って?と老人が怪訝な顔で問い返した。

「何でしたっけ、霊界通信だとか、記憶が漏れ出したとか」

「ああ、あの話ね。最近は太陽の黒点活動が活発になったんですかね」

どうも話がかみ合わない。老人の頭はすこしぼけかけているのかもしれない。

「あるいはどこかでブラックホールがつぶれたのかな」とますますわけの分からないことを言う。

  第九の戸惑った表情を見て「すこし説明しましょうかな」と老人は講義調で語り始めた。

剥離した記憶というのは、空中を漂っていくものですよ。これが波なのか粒子なのかはオカルト業界でも意見が一致していない。

「へへえ、これは驚いた」

老人はにやにや笑っている。ところでこれが飛んでいくスピードというのは最高速度はどのくらいだとおもいますか。分からないでしょう、と老人はからかうように言った。

  アインシュタインによれば光より速度の速いものはないそうですな。一応霊波も最高速度は光速となっております、と老人は大まじめで説明した。

「あなたは唯心論者ではないのですか」オカルトがかった人物とか宗教家は大ていは唯心論者である。

  老人は心外な顔をした。「どうして唯心論なんです。私はバリバリの唯物論者ですよ。霊波は光や電波の親戚ですよ。ただ、現在はそれを観測する権威ある観測手段がない。それを伝達する媒体も発見されていない。これは光も電波も同じですがね。昔はエーテルなんて形而上学的概念で処理したが、エーテルはどうしても観測できなかった。勿論間接的にもですね。最近ではブラック・マターかもしれないという説がある。しかし観測できない。だからブラック・マターというんです。宇宙の質量の75パーセントがブラック・マターという説もあるようだ。



三角頭巾

2019-06-18 06:44:01 | 破片

  老人は申し訳なさそうに言い訳をつぶやいた。「東京に空襲が始まったのは昭和十九年の十一月からなんだが、私は小学校の一年生でね。そのころのことはあまり記憶していない。それにまだ後楽園までのして遊びに行くほどの年ではなかったからね。後楽園の記憶はないんですよ」

 「お住まいはどこだったんですか。後楽園からだいぶ離れていたんですか」

「離れていると言えば離れている。離れていないと言えば離れていない」と老人は禅問答のようなことを言った。「家は森川町でね。小学校一年生の足ではちょっと遠かったね。しかし後楽園球場でホームランがでたりファインプレーがあって観客の歓声があがると、そのどよもすような音が驚くほど近くに聞こえましたな」

 「戦争中もプロ野球をやっていたんですか」

「いや、戦争末期には中止していたらしい。戦争直後から職業野球が再開されてね。夏の夜なんか開け放した窓からどっと歓声が聞こえてきてラジオをつけると、川上がホームランを打ったとか、与那嶺のファインプレーでダブルプレーにして、ピンチを切り抜けたとか放送していた」

  そのとき、一人の客が店に入ってきた。「おや、いい人がきた」と老人が声をあげると、その老人に手を挙げて呼び寄せた。六尺近い体躯で顔は下駄のように角ばっている。顎が反り返って前に出ている。第九も時々見かける店の常連である。怪訝な表情をして老人が近づいてくると、禿頭老人が自分のそばに座らせた。

 「いいところに来た。いま若い人から昔のことを質問されてね、私が答えられなかったんだが、あんたなら覚えているだろうと思うんだ」と切り出した。

 「なんだい」

「あんたは終戦の時は中学生だったっけ」

「いや、小学校の六年生だ」

「そうか、それじゃ私より記憶があるはずだ。家は餌差町だっけ」

「いや初音町だよ、どうしてだ」

「初音町とすると後楽園は隣みたいなものだろう」

「そうでもないさ、歩いて五分はかかるよ」

 「そうか、初音町というとどの辺かな」

「こんにゃく閻魔のそばだよ」

「ああそうか。この人が聞いたのは後楽園に高射砲陣地があったかどうか、ということなんだ」

「なるほど、たしかにあったよ。戦後もしばらくは高射砲の台座が残っていた」

「へえ、どの辺だ」

「あれは旧競輪場のあったところだな。いまはビッグエッグになっている」

「へえ、思い出したよ。終戦直後は文京区か東京都のグラウンドだったところだな、おれも中学時代に文京区の対抗試合にでたことがある」

 禿頭老人ははっとしたように口をすこし開けた。「いや、思い出したぜ、そこが文京区のグラウンドになるまえに土手みたいになっていて所々に窪みがあった。あれは高射砲の砲台のあとじゃないかな」

  下駄顔老人が発言した。「だから高射砲の砲弾の破片がそこら中に落ちてくるわけだよ。俺なんか座布団で作った三角頭巾を被って学校にいったぜ」

「そうそう、わたしもおふくろが作ってくれた三角頭巾を被っていたな。裏側に血液型を書いた布が縫い付けてあってさ」

「いまの児童が黄色い帽子を被るみたいなものですね」と第九は言った。

 

 


聞いちゃったのよ

2019-06-15 09:13:05 | 破片

 老人はしばらく口を噤んで思案するていであった。

「実はね、私の姉はタケコというんですよ」と呟いた。「あなたの夢に出てきたタケコはどんな字かな。もっとも」と老人は笑った。「夢の中だから字が出てくるわけもないな」

「そうなんですね。しかし不思議なもので私はバンブーの竹を充てていたらしい。あなたのお姉さんはどんな字ですか」

老人は手ぶりを交えながら指で字を空中でなぞる様にしながら、多いという字に計画の計ですよ」

「しかし同じ名前とは妙ですね」

「妙と言えば妙、妙でないと言えば妙でもないな」

「どういうことですか」

「実はね、あなたの夢は私の記憶と完全に一致する」

第九はポカンとして老人を見返した。

「もっとも、何というか、二次記憶でね。風呂に入っていたのは私の兄なんですよ。私は小学生で千葉の田舎に疎開していてね。兄からあなたの夢とそっくりな体験談を聞いた」

老人はテーブルのマグカップを覗き込むと、喉から変な音を出して残っていたコーヒーを飲みこんだ。

「二次記憶というのはどういうことです」

 老人は第九を流し目で見た。「日曜日の休みごとに父や兄が田舎に来るわけですよ。主たる目的は勿論疎開中の家族、母やわたしですが、とのリユニオンなんだが、その週に東京であったことなどを話してくれる。その時にあなたの夢とそっくりなことを話したことがあった。だから伝聞が自分の記憶として定着したのでしょうね。もっともすっかり忘れていました。あなたの話で蘇ってきたわけです」。老人はどうだ、分かったかというように第九を見つめた。「後楽園の高射砲陣地云々という話もその時にしていましたな」

 「そうすると、お父さんやお兄さんやお姉さんは疎開しなかったんですか」

「疎開したのは子供だけですよ。それに当然子供だから世話をする母親や女中も一緒に疎開した」

 「どうしてですか」

「だって、親父は勤めがあるから東京を離れるわけにはいかない。兄は大学生でね、学校を休めない」

「お姉さんは?」

「姉は高等女学校の生徒でね、学徒動員で両国の国技館で風船爆弾を作っていたんですよ」

「風船爆弾?」と第九は戸惑った。

「九十九里あたりからとばしてね。偏西風にのってアメリカ大陸に爆弾を落とす計画でした」

「成功したんですかな」 

「何発かはカリフォルニアとかアリゾナあたりまで飛んで行ったらしい」

「しかしどうしてそんなことが僕の夢に現れたのかな」

「聞いちゃったんですね、という名文句がありましたな。私の深層記憶が漏れ出して飛翔したのかもしれませんな」と老人はわけのわからないことを言った。

「は?」

「あるいは兄貴の記憶が飛翔したのかな。兄貴はとっくの昔に死んでいるから、そうすると霊界通信ということかな」

「霊界通信というと、あのスウェーデンボルグのですか」

 


新聞閲覧所

2019-06-12 07:22:49 | 破片

 第九は千円を払って私設新聞閲覧所に入った。彼が新聞閲覧所と勝手に呼んでいるが喫茶店である。女性と学生とみるとレジ係では時計を見て一時間足した時間をレシートに記入して客に渡す。その時間が過ぎたらまた千円を払わなければならないと注記してある。そのおかげで店の中はスタッグ・バーのような雰囲気である。年金生活者でなにもすることがない老人たちが備え付けの新聞をめくって半日を過ごすのである。第九も散歩の途中、隣の大型書店を巡察した後でしばし小憩することが多い。

  テーブルの備え付けてある注文用紙に「インスタント・コーヒー スプーン3杯、砂糖10グラム」と書き込む。注文用紙の銘柄欄には「特に希望なし」という欄にチェック・マークを入れる。湯温欄には80度と記入する。それを注文を取りに来た女子高生のようなウェイトレスに渡す。

  ゆったりとした背もたれのある革張りの椅子が余裕をもって配置されている。一時間千円分のスペースがある。禁煙ではないが、スペイシャスな椅子の配置から実質的な分煙となっている。運ばれてきたコーヒーを一口飲むと第九はぐるりと店内を見回した。いつも見かける老人たちと目があって軽く会釈した。

  デイパックから読みかけの文庫本をとりだした。二、三ページ読むと、だめだな、もう失速している、と彼は呟いて本をテーブルの上に放り出した。出だしには作家はみんな力むから、まあまあ読めると思って読むと百ページも行かないうちに小学生の作文のようになる。今読んだのはまだましなほうだ。一応二百ページまで我慢して読んだんだから。

  彼は立ち上がると、新聞の置いてあるラックまで歩いて行き、一紙の朝刊を取り上げると席に戻る途中ふと思いついて一人の老人のそばで立ち止まった。店の常連で顔見知りの老人である。かれは立ち止まると「ちょっとお邪魔してもいいですか」と問いかけた。老人は見事な禿頭で磨きこまれた頭皮は美しく輝いている。かれはいつも手入れの行き届いた禿頭を感嘆して眺めるのである。

 老人は人懐っこい笑顔になると、「どうぞ、どうぞ」といって脇の椅子の上に置いてあったバッグやコートを片寄せて彼を座るように誘った。老人の年はわからないが、90歳前後と見えた。彼は今日の東京では聞くことのできなくなったほれぼれするような歯切れのいい東京弁、というより江戸弁のなごりを感じさせる言葉を話す。それを聞くだけでいい気持ちになる。きっと若い時から東京で生活してきたのだろうと思って第九は質問した。

 「昨夜妙な夢を見ましてね」とかれはニコニコしている老人に語り掛けた。「東京が空襲を受けた時の話なんです」

「ほう」と老人が応じた。

「もちろん、その時には生まれていなかったので記憶があるわけもないのですが、やけに生々しい現実感のある夢でした」

「なるほど」

「その時には、つまり空襲警報が発令されているさなかに私は風呂に入っていたのです。そうしたらいきなり庭に何かが落ちてきた。家族がそれを見に行ったら金属の破片でした。姉、私には姉がいないんですけどね、その姉が暗闇の中でその破片につまずいて足の血管を切って大出血をしたんです。勿論夢の中の話ですよ」と第九は念を押した。

「それでこの金属の破片は何だろう」という話になった。高射砲が命中したアメリカの爆撃機の胴体の破片だとか、いや日本軍の高射砲の破片だとかいろいろな意見がでたわけです。そのなかで書生の園田というのが、近くの後楽園に高射砲の陣地があるからそこから発射された高射砲弾が上空で破裂した破片ではないかというのですね」

 老人は奇妙な顔をして第九の顔を見ている。

「そこでお聞きしたいのは後楽園に日本軍の高射砲陣地があったというのは本当ですか。ご記憶があるかなと思って」

 「さあてね」と老人は三ミリほどに伸びている顎の無精ひげを撫でた。

「それは岡山の後楽園ではないでしょうな」

 これには第六も意表をつかれた。そういえば岡山もアメリカ軍の大空襲を受けたと読んだことがある。

「わたしは小石川の後楽園とばかり思ってました」

「しかし、あなたはNHKの空襲警報は東部軍管区発表と聞いたのでしょう」

「そうです」

「そうすると岡山ということはないな」

 


後楽園の高射砲陣地

2019-06-08 08:50:47 | 破片

 ろうそくの光が木の香の漂う浴室を頼りなげに照らしている。電灯は使えない。何時停電するか分からない。檜作りではないが木の風呂はやはり気分が落ち着いていい。さきほど「東部軍管区発表」とラジオで空襲警報が帝都に発令されたが、毎夜のことで慣れてしまった第九は、家族が怖がって誰も風呂に入らないのを幸いせっかく沸かした湯が冷めないうちにと風呂に入っていたのである。

  陶器の風呂桶とは違う。ポンポンという後楽園の陣地から撃つ高射砲の音も眠りを誘う。いい気持になってうとうとしはじめた第九の耳に突然鋭い音が迫ってきた。ヒューンという金属が空気を切り裂くような音がしたとおもうと風呂場の外の壁にぶつかって風呂場が振動した。煙突から煤が彼の頭上に降り注いできた。

  風呂場は庭に面している。衝突した物体は庭に落下したらしい。食堂に集まっている家族がばらばらと庭に出てきて叫んでいる。突然姉のギャーという悲鳴が聞こえた。父や母、それに書生が姉のもとに駆け寄ってくる気配がした。「どうした、どうした。大丈夫か」と父の声がする。父も暗闇で何かにけ躓いたらしく「痛ててて」と悲鳴を上げる。「なんだ、これは、おい明かりをもってこい」と書生の園田に命じている。灯火管制で屋内の電灯には皆黒い布でカバーがしてあって、庭は真っ暗だった。

  園田が懐中電灯を持ってきて、それで庭に落下したものを照らし出したらしく、「なんだこれは」と父が驚きの声を発した。「これは爆撃機の破片じゃないですか」と母の声。姉はうめいている。「そんなことより、竹子の傷を見なければ」父とはいい、姉を抱えて食堂に戻っていった。

  第九は慌てて風呂から出て体を拭くとズボンとシャツを着て食堂に行った。姉は畳の上に寝かされていたが顔色は真っ白だった。脚のどこかの動脈を切断したらしく下半身は血で真っ赤になっていた。父と書生は応急の止血措置をしようとなれない手で必死であった。母はおろおろするばかりであった。「三浦先生に来てもらいましょう」と父に言った。

「それがいい。急いで電話してくれ」

  廊下に出た母は電話をかけていたが、帰ってきて「先生はいらっしゃいませんでした。下町はいたるところで火災が発生していてけが人の処置で出ているんですって」

「そうか、そうだろうな。おい、竹子、大丈夫か」と話しかけるが彼女はほとんど意識がなくなっているらしい。どうやら出血だけは止まったらしい。

 「どうしてそんな怪我をしたんです。直撃じゃないでしょう」

「うん、暗闇で鋭い金属の破片に躓いたようだ。あれはなにかね。B29が撃墜されて、その破片が落ちてくることがあるらしいが」と父がつぶやいた。

「わたしもそう思いましたが、高射砲の破片の可能性もありますね」と園田が答えた。

「ふーん、そういえば後楽園の砲兵工廠に高射砲陣地があるからな。そうかもしれないな」

「破片は風呂場の煙突にぶつかってから庭に落ちたらしいが、風呂場は大丈夫か」

「中は大丈夫でした。ただ、煙突の煤が土砂降りのように落ちてきましたよ」

「そうか、煙突掃除の人ももう半年も来ていないからな」

「彼もきっと戦地に召集されたのでしょう」と園田が言った。

 

 

 

 


Vintage Hammett

2019-06-05 10:37:31 | 妊娠五か月

 Vintage Hammettという本がある。ハメットの短編のいくつかと長編の抜粋で構成されている。それを拾い読みしている。「赤い収穫」の最初の二章が掲載されているが、最初の章で作品の狙いというか意図が要領よく印象的に書かれていて、改めて全体を読み直そうと思っている。

 前にも書いたがチカチカドンドンの漫画というかウェスタンという印象しかなかったので、出だしの章の記憶がまったく強くなかった。読み直して記憶は蘇ったが印象はほとんどなかったわけである。

  要するに田舎の炭鉱町を牛耳る街の資本家が第一次世界大戦のブームが終わり、事業規模を縮小するさいに、強力な組合の抵抗にあい、ギャングたちを使って切り抜けるわけだが、労働争議を叩き潰したあとで、組合つぶしに雇ったやくざ達に街を乗っ取られたというわけだ。これが第一章に書いてあるからテーマは極めて明瞭である。ちょっと、面白そうだ。

  こういう話は汎用性というとおかしいが、一般性があって日本の現実でも多い。組合対策に使った連中(例えば組合を分裂させるために雇った)第二組合の連中にすっかり経営権という母屋を乗っ取られた会社というのは結構ある。いま話題の日産なんかもその例である。組合対策に使った活動家がすっかりと経営権を握ってしまって、とうとう会社がおかしくなった。塩路とかいう組合の委員長が長期にわたり経営権をほしいままにしていた。労働貴族然として豪華なクルーザーを湘南沖に浮かべて実際の経営を壟断したらしい。どうにもならなくなって反対派がルノーからゴーンを読んできたわけだ。独裁には独裁というわけでゴーンの独裁が「毒をもって毒を制する」わけである。

  似たようなケースは旧日本航空でも起こった。塩路の真似をして豪華クルーザーを第二組合の連中が乗り回した。その結果経営がおかしくなり、日航は倒産した。京セラの稲森会長の下でどうやら経営を立て直している。

  創元社から「新訳決定版」というのが出たから読んでみよう。前に読んだのは印象が薄かったが、今度のはどうかな。

  結末は、記憶によると全員共倒れということだったと思うが、うまく処理できているだろうか。あんまりメリハリの利いた起伏はなかったような気がする。