彼は食器を流しに持って行った。二人分だから大した数の食器ではないが、専業主夫になってから食器を洗うたびに母親の苦労が偲ばれるのである。先妻の子供たちを含めて八人の子供と自分と夫の使って汚れた食器はおびただしい枚数になる。子供たち(娘たちと言うと苦情が出そうなので子供たちというが)は誰一人母親を手伝うものがいなかった。それを一日三回一年中休まずに行った苦労が今頃になって、彼が妻の分まで食器を洗うようになってから母親の苦労に思い至ったのである。母親はそれだけではない。もちろん三度三度の食事の支度をしなければならない。先妻の子供はわがままで、食事の味まで苦情を言って母を困らせた。そのほかにも複雑な家庭で母の苦労は絶えなかった。母の葬式の日、父はわずかにひとこと「彼女はよくやった」と短いねぎらいの言葉を言っただけであった。第九の場合は始めればあっという間に終わってしまうのだが、「さあ、食器を洗うか」という心理的な踏ん切りには大変な努力が必要なのである。かなりの心理的エネルギーを必要とするのである。
洗った食器を拭いて食器棚にしまうと、彼はベッドメイキングをした。枕の上に彼女の長い髪が落ちている。彼女の髪はほどくと乳を覆うほどであった。しかし、キャリアウーマンの心得で職場に行くときは髪を上げて髷を結っている。決して売春婦風に長髪を挑発的に垂らして職場には行かない。髪をほどくのは夜だけなのだ。寝過ごしたりして時間が無くなった日で髷に結う時間が無くなった時でも髪は頭の後ろにポニーテイルにまとめていく。
おや、と 彼は思った。枕の上に一本の長い白髪がある。よそじも視界に入りつつある彼女にも白髪ができたのか。三年前に一緒になったときは一本の白髪もなかった。彼女は自分で知っているのだろうか。窓の外はますます曇ってきてスカイツリーもおぼろに浮かんでいる。雨でも降りだしたのか。五十階だと雨が降っているかどうかは雨脚がうどんのように太くないと分からないのである。今日は傘を持って行ったほうがよさそうだ。
突然第九以外誰もいない部屋にくしゃみの音が響いた。ベランダに通じた窓は閉めてある。開けてあれば隣室の窓も空いていれば空間を迂回して話し声が聞こえることがある。しかし、今のは壁を通して聞こえてくるのである。また二回連続して遠慮会釈もないくしゃみが轟く。このマンションの壁は安アパートでもめったにないほど壁が薄いようだ。妻はマンションを選ぶときに大手不動産会社に絞って選んでいた。そして施工会社も伝統のある巨大ゼネコンのものを購入したはずである。五十階になると耐震構造上あまり重くできないのか。それで壁を薄くして重量の負荷を減らしているのかもしれない。今度は隣からタンスかクローゼットを開け閉めする音が伝わる。隣家の住人はご出勤のご様子である。
枕の上から長い白髪を摘まみ上げて捨てると前夜の体操で形の崩れた枕をポンポンと叩いて形状を復帰させる。さてジャズでも聞こうと思っていたが盤を選ぶのが面倒くさくなった彼はテレビをつけた。甘ったるい女の鼻にかかった甘え声が室内を満たす。鼻梁の太い女性のゲストがご意見を陳述中である。油でも塗りたくって艶を出したような長い髪を売春婦のように肩から前に垂らしている。少女ならまだ許せるが、この政治評論家とか言う女性の年齢は彼の四十路の妻とあまり変わらないようだ。