穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

マルタの鷹講義2

2015-05-15 20:11:38 | ハードボイルド

マルタの鷹の第五章の終わりのほうにスペードが

“What about his daughter?”

とカイロに聞く所がある。(Vintage Crime p50)

彼の、って誰の?てなものである。読んでいるほうではよく分からない。この種の誰を受けているのだか分からない人称代名詞があちこちに出てくる。これもリアリズムなんだろうな。つまりハードボイルドもの(HB)あるいはハメットの記述テクニックなのだろう。 

普通は読者の便を慮って、『スペードはひょっとするとカイロの話す依頼人(カイロに黒い鳥の彫像を買い戻す様に依頼した人物)に娘がいて(そんな話はここまで出てこないが)、それがブリジッドなのかな、と思って当てずっぽうにカイロに質問をぶつけた』とでも書く所かもしれない。

しかしHBである。探偵の心のうちは描写しない。そうすると「彼の娘はどうなんだ」というセリフしか読者には披露できない。 

ちなみに創元文庫では「あの男の娘はどうかね?」(81頁)と忠実に訳している。いっぽう早川文庫では『「あの男の娘の方はどうなんだ」とスペードがかまをかけた。』(87頁)と親切な注釈的意訳である。

もっともこれが作者の意を体しているかどうかは疑問ではある。早川の訳者は東大英文学准教授諏訪部浩一氏の指導を受けているようだから、諏訪部氏の意見が反映しているのかもしれない。

早川文庫の訳者小鷹信光氏は諏訪部氏の指導後改訳したそうで、其の前の版でどう訳しているか興味が有るが、そこまでは手元に旧版がないので紹介できない。

上記は一例でかなりの箇所で同様の突き放したような曖昧さがあるので、50頁を例にとって説明した。これがハードボイルド(HB)のナラティヴだということなのだろう。

 



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