残り百ページ読みました。後半はいいね。下手な戯文調はなくなる。二、三段は調子があがったようだ。文章もだらしなさが無くなった。
後半から、実家の家族、親戚、乳母の話が出てくる。
気になるのは、数えてみないが、百回は無いが、それ近く『之から先は国防上の理由があるから詳しく書けない』テイの文章がある。余計なことだ。入れなければすむことだろう。こんな挿入を無数に繰り返すのは見苦しい。読み苦しい。あの辺はそんなに重要な要塞とか軍事施設があったのかね。
なぜ、執拗に同じ文章を入れたか。ま、暇つぶしに考えてみたが、
A・軍部におべっかを使っている。
B・検閲でうるさいのを皮肉っている。
Bはあり得ないだろう。そういうつもりなら検閲に引っ掛かっている。この作品は昭和19年刊行。
Aと考えるのが妥当だろう。何も書かずにながすのがスマートなんだけどね。太宰は戦時中非常に多作で、発表の機会も潤沢に与えられたようだ。
本来あの年齢(36歳)なら昭和19年ごろなら召集されているのに、せっせと小説を書いている。
戦時下で小説出版などへの用紙割り当てや配給は非常に厳しい統制が敷かれていたはず。あれだけ、あの時期多くの作品を発表出来たのは軍部におべっかをつかっていて軍部の覚えがめでたかったと考えられる。