幕末には多くの言論家が出たが、彼らは既に一家をなして名を知られた学者であるか、幕府あるいは藩の有力者であった。それに比して吉田松陰は名も知られぬ長州の寒村の塾の教師であった。生徒もそこらへんに転がっていた「あんちゃん」たちである。松蔭の薫陶を受けて彼らが明治維新のダイナマイトに成ったのである。
なぜ松蔭はかくも長州藩の多くの革命家を育て、神の様に尊崇されるのか、よく分からなかった。で、昔松蔭の著作の一端を求めて読んだことがなる。なるほど、文章の節々にパンチのある文言があった。だが幕府を警戒させるほどのものとは思えなかった。それで、おそらく村塾の若者に対する直接的な言説が魔法のような魅力があったのだろうと、読んだ時には理解したのである。つまり松蔭は
verbal communication の魔法使いであったのである。
最近ふと思い立ってもう一度読んでみようと書店に行って驚いた。普通は松蔭の本等よほど注意して書棚を見ないと見つからないのだが、やたらと松蔭本が溢れている。文庫、新書も含めて。予想に違っていささか面食らった訳である。
原因が分かった。今年のNHKの大河ドラマは松蔭ものらしい。それで大衆に売れるだろうと出版社が我も我もと、儲けを当て込んで大量に刷りだしたらしい。
なお、書店の風景をみて本能的な警戒心がおこったのであろう、松蔭本は一冊も買わなかった。