穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アップデート要求45:無記名の人間が安心して歩けるところ

2021-03-31 08:46:43 | 小説みたいなもの

 アリャアリャが目指していたのは繁華街の雑踏である。無記名の顔のない人間でも安心して歩ける雑踏である。顔は戻ったとはいえ、実体を取り戻したとはいえ、いつ幽体化するかもしれないという恐怖はある。明智のプログラムに全幅に依存するのは危険である。はやく夜でも安心して過ごせる部屋を確保する必要がある。三十世紀にもホテルぐらいはあるだろう、と彼は思った。

 雑踏を飲み込んだり吐き出したりしている大きな建物がある。中に入ってみると、どうやらリニアカーの大きな駅が地下にあるらしい。その上に様々な商店がある。ホテルがあった。彼が今なにより欲しているのはプライバシーである。五階にあるホテルのフロントに彼は入った。

「二、三日泊まりたいのだが」というとひょろひょろと背の高いもやしのような若い男は胡散臭そうに客を値踏みするように見た。

『また、顔が無くなったかな』と彼は不安に襲われた。フロント係は客の発散する異様な異世紀的な臭みを職業的カンで捉えたのかもしれない。

「クレジットカードをお願いします」と言われて、はっと気が付いた。二十二世紀のカードなど通用しないだろう。彼は財布を取り出すと現金でもいいかと聞いた。

「二泊で一朱です」

「は?」

「250文です」

そうか、通貨単位もまったく変わったらしい。彼はちょっと迷ったが二十二世の感覚で一万円札を三枚出して、「これでいいですか」と聞いてみた。

フロント係はまるで卑猥な写真を突きつけられたような顔をして「それはなんですか」と吐き捨てるように乱暴に聞いたのである。

「そうか、通貨単位も変わったんだな」と理解した彼はとっさに、「あっ、財布を間違えていた。いま取ってきますから予約だけしておいてください」というと係の返事も待たずにロビーを飛び出した。

 彼は考えた。『いま』の現金を得る方法は彼の持っている現金化が可能なものを適当な値段で売るしかない。彼はおのれの手を見下ろした。『そうだ、ダイヤの指輪を売ろう、イマ、ココでも高く売れるのではないか』

 彼はビルの中にある商店を片っ端から見て回った。レストランあり、本屋あり、ブティックあり。診療所あり。大体二十二世とそんなに変わりはない。歩きくたびれたころに貴金属商の店を見つけた。

 表からガラス窓越しに中を覗くと金の100グラム板が陳列してあった。値段が一両と表記してある。はて、さっきの宿泊代の500文とか一朱といい、これは江戸時代の通貨単位ではないか。彼は職業柄一応日本の経済史を学んでいた。江戸時代は四分法だった。両、分、朱、文だ。そうすると、と彼は暗算した。

 つまり二十二世紀の某日の金価格は一グラム確か6000円くらいだった。テーことはと、百グラムは60万円になる。一両が60万円とすると一分は15万円、一朱は四万円弱となる。なるほど、二泊分の宿泊料としては二十二世紀の人間にも違和感はない。

 かれは音もなく開いた自動ドアを通って店内に入った。

 

 


アップデート要求44:ドラキュラだって

2021-03-29 13:57:00 | 小説みたいなもの

 それからどのくらい歩いたか分からない。半病人のようにさまよった。今にも倒れそうなのだが、立ち止まると逆に直ちにその場にくずおれそうになるのだ。彼は体の重心を前傾することだけを推進力として小半時も歩いたであろうか、かれは運河にかかった橋に出くわした。橋は太鼓橋のようにほんのわずか真ん中が膨らんでいたが、その傾斜がもう上がれない。橋のたもとに運河の河岸に降りる石段があった。みると河岸通りの道に遊歩者用のベンチがある。彼は金属の手すりにすがりつきながら階段を下りた。

 彼は力尽きてベンチの上にあおむけに倒れた。そうして上着で頭をすっぽりとかくして意識を失った。どのくらい時間がたったのかわからない。上の道路を疾駆し始めた大型貨物自動車が地響きを立てて橋を通過する。あたりは薄明るくなっている。日が上る前の一時の薄明りである。しかし、彼は再び意識を失った。二度目に目が覚めた時にはすでに日は上っていた。あたりは明るくなっている。彼は上着を少しずらしてあたりの様子を窺った。彼の寝ている河岸沿いの道には通行する人影はない。上の道路を見上げると通行するのは大型コンテナトレイラーと貨物自動車ばかりである。どうやら近くに貨物埠頭があるらしい。

 あたりに人の目がないことを確認して、彼はスマホを取り出すと自撮りをした。なんと顔がある。顔が戻ってきた。これなら大手を振って顔を隠さずに道をあるける。そう考えるとなんだか疲れが抜けたような気分がした。

 彼は背広の袖に腕を通して羽織ると上の大通りに出た。どっちにいったものか。貨物自動車の疾駆する方向へ行ったものか。一方はおそらくコンテナヤードだ。そこには彼の目指すようなものはないだろう。しかしどっちが埠頭なのか分からない。どちらに行くべきか。しばらく悩んだ後で、彼はその大通りから直角に行くことにした。しかし、ここでまた前に行くか後ろに行くか迷った。

 ふと思いついたことがあって彼は上を見上げて天測をした。天気は快晴である。日が昇ってくる方向を探り当てると彼はそちらに向かって歩き出した。彼の推理は次のとおりである。ふと、思ったのだが、顔が実体化したのは明智大五郎のプログラムのタイムスケジュールのせいだけだろうか。明るくなったことが影響しているのではないか。ドラキュラだって日が暮れれば墓場の中に入る。ハムレットの幽霊だって夜の暗闇の中でしか表れない。いや、そこまで言う必要もない。日本でも幽霊と言うものは夜出ると決まっている。彼の実体化が完了したのは日の光のおかげではないか。さすがに世界最大のコンサルタント・ファームの大幹部である。その推理は極めて明快で科学的であった。かれは太陽に向かって歩きながら、慎重に三十分おきにスマホで自撮りをして自分の顔を確認した。

 実体化理論だけではなくて彼のカンは正しかったようで、イットキほど歩くと彼は繁華な商業地に到着したのである。

 

 


アップデート要求43:暗闇を切り裂く怒声

2021-03-26 07:18:37 | 小説みたいなもの

 体中を掻き疲れて殿下は樫の大木にもたれてうとうとし始めた。ふと近くにものの気配を感じて彼ははっとして意識が戻った。あたりは真っ暗でとっくの昔に公園は閉まっていたらしい。闇を透かしてみると三十メートルほど先の繁みで二人の人影かもつれるようにして不規則運動をしている。どうやらホテル代を節約してなにかやっているようだ。かれは気づかれぬように動いて遠くへ行こうとしたが、どうしてもガサゴソと落ち葉が足の下でささやくのでそろりそろりと現場を離れようとしていたら、道路を自動車が近づてくる。閉園後の公園内を走り回るのは守衛の巡回車しかいない。電気自動車なのかささやくような音しかさせていない。

 彼はギクッとしてその場に立ちすくんだ。彼らの動きは素早かった。車を降りるとあっという間に不規則運動に夢中な二人を取り囲んで怒声を浴びせた。強力な懐中電灯を彼らの顔に突き付けた。

「あっ、お前はこの前にももぐりこんでいたな」というなり、その手をつかんだ。その女は、声で女と分かったのだが、ギャーと喚き声を上げた。もう一人の守衛が女の相手に懐中電灯を突きつける。若い男だった。こちらはすっかりおびえて声もでないらしい。まだ学生か社会人になったばかりのような男だ。

 女は威勢がいい。こういう場面に慣れているのだろう。「なんだ、この野郎。離せ」と喚き散らした。守衛は女の腕をひねりあげたらしい。彼女は悲鳴を上げた。「暴れるな、けがをするぞ」とどやしつけた。守衛たちはほどけたほどフンドシを引き摺る二人の深夜の闖入者を引き立てて車に乗せると走り去った。

 彼は事前に見当をつけておいた塀のほうに向かった。公園は低い土塁に囲まれていた。彼はそれを乗り越えると歩道に転がり落ちた。起き上がると、公園から出来るだけ離れようと歩き出した。何時だかわからないが、歩道にはまったく人影がない。空には月影がない。百メートルおきくらいにある弱い光を放っている街灯が歩道をぼんやりと照らしているだけだった。彼は今にもぶっ倒れそうになりながら千鳥足で歩いていたがどこにも腰を下ろせるようなベンチはない。かれは街灯の下でおのれの実体化はどうなっているのかと自分の体を上から下まで点検した。アナ、嬉しや。実体化は終わったらしい。

 ふと違和感を感じて視線を下げた。鼻がない。アラブ人の彼の鼻は高くてでかい。いくら目線を下に向けても鼻が見えない。

 彼はポケットからスマホを引っ張り出すと自撮りしてみた。顔はない。顔の後ろの街路が透けて見えるだけである。えれえこっちゃで、これでは夜が明けたら街は歩けない。あと夜明けまでどのくらいあるだろう。月が出ていないので見当がつかない。スマホの時計を見ると午前三時である。晩春だから、天体の運行が変化していなければ、スマホの時刻表示がAD3000年でも通用するなら、あと二、三時間で明るくなる。街に出てくる人数も増えてくると思うと殿下は恐怖にとらわれた。

 


アップデート要求42:あてが外れた

2021-03-23 09:22:45 | 小説みたいなもの

 ここで殿下小伝、彼の父親はベトヴィンである。母親は日本人である。アメリカで生まれた彼はニューヨークと東京の大学を卒業した。ハーバード大学ビジネススクールで経営学修士の資格を得た彼は世界最大のコンサルタント・ファームであるMonster社に入った。入って十年で彼はM社の日本支社勤務となる。その後五年で日本支社長になったのである。明智大五郎のタイムマシンの成功を聞きつけた彼は、自分の仕事の一つである需要予測につかえるのではないか、と考えたのであった。彼の専門はライフスタイルとか服飾の未来像の把握である。

  彼は多変量解析などにより過去のデータの集積、今はビッグデータと言う場合もあるが、そのカーブ・フィッティングを未来に外挿するような従来型のやり方を信用しない。タイムマシンの話を聞きこんだ時に、未来が分かれば将来の流行はばっちりと分かると思ったのである。ようするにパラダイムチェンジが予想される場合は過去のビッグデータを外挿しても有効な予測は不可能である。現代は激変の予感が漂っている時代である。過去の延長で未来を予測するなど、馬鹿のすることである。

 てなわけでAD3000年と大きく目標を立てたのであるが、どうもあまりにも現在と違いすぎるような気がしてきた。やはり、ちまちまと10年先ぐらいに目標のメモリを合わせるべきではなかったかと迷い始めた。後悔先に立たず。

 そんなことを樫の大木の後ろに隠れて考えていると、体が猛烈に痒くなった。じめじめした林の奥には虫が多いのかもしれない。小さな虫が飛び回るのがチラチラと彼の視界を横切る。地面にはアリがいるのかもしれない。それが靴を這い上がりズボンの裏側から彼の足を上ってかじったり刺したりしているのかもしれない。

 まるでアナフィラクシーに襲われたように、殿下は体中を掻きまくった。掻いたところが今度は猛烈に熱くなる。火箸を当てられたようだ。この表現は今の読者にはピンと来ないかな。火のついた煙草の先を押し付けられたようだといえばいいのだろうか。

 大分午後の日はかげりだして、林の奥は暗くなりだしたが、そのぼんやりとした薄暗闇の中で体中を搔きまくっていた彼の袖口がぼんやりと浮かび上がった。何もない空間に袖口だけが十センチほど浮かび上がったのである。その上にあるはずの腕は見えない。袖口の先から出ている彼の手も全く見えない。袖口だけがひらひらと夕闇の中で動いている。いよいよ実体化が始まったらしい。どうも一挙に実体化することはないらしい。

 しばらくすると靴がぼんやりと写真の現像液の中で浮かび上がってくように見えてきた。註:フィルム写真の現像なんて見たことが無い現代の読者にはこの描写はむりかな。

 

 


41:アップデート要求:実体化の予測不能性

2021-03-21 09:00:10 | 小説みたいなもの

*210417訂正* 

ノロノロと歩を進めていくうちにバス停に出くわした。一人の腰の曲がった老婆がバスを待っている。そうだ、と彼は思った。バスに乗って街中にとにかく出よう。そうして早く三十世紀の見当識を身につけないといけない。『いま、ここ』という三十世紀の感覚を獲得しないといけない。ここでは二十二世紀の見当識は通用しないだろう。

 老婆がバスを待っていることはバスはまもなく来るに違いない。彼は老婆を迂回して彼女の体に触らないように注意しながら、そっと時刻表を見た。そして今何時かな、と腕時計に手を伸ばしたところではたと気が付いた。衣服をはじめ身に着けているものはタイムトラベル中はすべて無化している。時計の表示は読めない。それに読めたとしたところで三十世紀時間が二十二世紀時間と同じとは限らない。実体化したらまず時計合わせをしないとな、と彼は気が付いた。

 老婆は腕時計を見てひとりごとを呟いた。「また、遅れているわね」とぼやいている。もういまにもバスは来そうだ。きたきた、バスはバスだがチンドン屋の車みたいに電飾で飾り立てている。入り口のドアが開いて老婆が手すりにつかまりながら曲がった腰で時間をかけてステップを上る。気が付いて殿下は素早く老婆の背中越しに車内を見通した。混んでいたらパスしようと思ったのである。中は幸いほとんど乗客は乗っていない。彼は老婆に続いて車内に滑り込んだ。上手くいった。運転手も気が付かない。

 空いている座席に座るとほっとして思わずため息が漏れた。乗客の一人が聞きとがめてこちらの空間を凝視している。彼は息を殺した。どうやら乗客の疑念をやり過ごしたようだ。「ところで」と彼は気が付いた。「一体いつ俺は実体化するのだろう。明智先生は現地到着後一、二時間をめどにその前後に徐々に実体化するとか言っていたな。そうするとあとどのくらい余裕があるのかな。女医の真上で意識を回復してから、、と彼は思案した。三十分以上はたっている。いや着地してから大分歩いたから一時間以上にはなるだろう。そうするとあまりバスに乗っているわけにもいかない。いまここで実体化したら大騒ぎになると彼は慌てだした。彼はバスの窓から外を観察した。そろそろ繁華街に入ったようだ。こんど乗客が下りたら、そのあとについて降りようと思ったが、少ない乗客は誰もおりない。おいおい、やばいぜと彼は焦った。

「次は天国公園前です」と車内アナウンスがあった。誰かが降車ボタンを押してランプが付いた。よし、次で降りよう、と彼は身構えた。杖を突いた老人が席を立った。彼はそのあとに続いて閉まりかけたドアに挟まれそうになりながら、バスを脱出した。 

 そこは広大な公園の入り口で少し歩くと正門があり、中に入るとテニスコートなどの運動施設があり、実体化するまで隠れていられそうな場所を探していくと林のようなところがあった。その奥へ入ればどうやら歩道からの視界を遮れそうだ。妙な話で裸になるために身を隠すということはあるが、彼の場合は実体化するために逆に身を隠さなければならないのだ。

 差し渡しが一メートル以上ある樫の巨木の裏側に身をひそめると殿下はおのれの実体化の時を待った。

 


# ヘーゲルの主題によるインターミション #

2021-03-20 07:37:11 | 小説みたいなもの

 ヘーゲルは帰納家か演繹家か。彼は円環家である。はじめが終わりであり、終わりがはじめである。

 さて、彼の哲学は難解であると言われる。理由の一つか長年の彼の習慣である。彼は匿名作家としてスタートした。言うまでもなくフランス革命後の、まあ、逆コースの政治思想のなかで取った当然の習慣だろう。実名で自説を公表するようになってからでも、かなり危なっかしい思想家である。よく読むと、マルクスを熱狂させたことが分かる。それは世間で言われるように彼の弁証法だけではない。もっと深く広く過激派を揺さぶる内容がある。匿名に代わる方法は文章の韜晦である。これで検閲者の目ををごまかす。

 彼の著作のもう一つの特色は繰り返しが多いことである。もっとも多くの読者や研究者は繰り返しと気付かず、それぞれの文章の意味を忖度するから余計ややこしくなる。繰り返しが多いのは勿論文意を強調したいということもあるが、それよりもヘーゲルの文章表現が上手くないことである。目の覚めるような表現ですぱっと一文で表現できないから、ああでもない、こうでもないと同じ事を繰り返す。読んでいるほうは、文章が違うから同じことを言っているということに気づかないのである。

 しかし、面白いところはある。バートランド・ラッセルや一部の評論家が指摘しているように彼の思想背景には西欧の思想史でキリスト教神学やデカルト以来の近代思想のほかに、オカルトの伝統がある(グノーシス思想、ヘルメス思想、錬金術、占星術など)。その料理の仕方が面白いのである。

 いま書いているSF小説もどきに使えるかなと、少し読み返している。「有を含んだ無」とかね。

 

 


40:処女の需要は高まっているのか

2021-03-19 06:57:13 | 小説みたいなもの

 女医のいた部屋は4,50階らしかった。眼下の駐車場の車がおもちゃのように見える。敷地の外の道路を走る車がノロノロと這っている虫のように見える。外に出た殿下は空中で恐怖心のあまりパンツを濡らしてしまった。早く地上に下りなければならないと焦るのだがどうしたらいいのかわからない。空中遊泳の方法など明智大五郎は教えてくれなかった。勿論彼もそんな知識は無いのだろう。NASAかJAXAの宇宙飛行士は空中遊泳の訓練を受けるのだろうが、それだって、狭い宇宙船内の中にはいたるところに取っ手があるに違いない。また天井や壁は厚く緩衝材が貼ってあるに違いない。船外活動といっても命綱を何本もつけて、せいぜい船外2,3メートルを動くだけだ。

 あせった彼は夢中で足をバタバタさせた。これが上方へ推進する方法だったらしい。彼の幽体は六十階はあろうかと思われる病院の上に出てしまい、上昇がとまらなない。後で考えるとよく失神しなかったとおもった。失禁しただけであった。ふいに黒い妖怪とぶつかりそうになった。カラスだった。彼等も5,60キロの時速で飛んでいる。衝突したら体に穴が開く。カラスの羽に幽体をこすられた彼は気を失いかけた。そうすると不思議なことに幽体は急降下を始めた。どうも意識の強さが浮力に関係するらしい。さすがに手練れの経営コンサルタントである殿下はすぐに理解した。そのまま、リラックスして体の力を抜いているとだんだんと高度が下がり、見当で建物5,6階の高さになった。そこで彼は目を大きく開き、足を下方に踏んだ。丁度力士が四股を踏むように。試してみると体が少し浮いたのである。そんな塩梅で、気を抜いたり、四股を踏んだりしているとだんだんとゆるゆる降下して、どうやら駐車している車の天井にドスンと落ちたのである。

 急いで車の天井から地面にすべり下りると車の間に身を潜めて当たりを偵察した。病院から出てきた女が近づいてきたので彼は緊張した。三十歳くらいの女は褌を巻いている。それもごわごわした生地の厚く幅広の褌だ。力士の締めているような奴だ。なんだなんだ、これが三十一世紀のファッションか。まるで中世の貞操帯みたいだ。幸い女は二、三台先の乗用車に乗り込んで駐車場を出て行った。かれは車の間から這い出すと出口に向かった。ゆっくりと用心しながら歩いた。うっかりと普通に歩くと足が地面を蹴った時に体が数メートルも浮いてしまう。這うようにして時速一キロほどの低速で守衛の前を通る。幸い守衛は気が付かないようだ。

 歩 道に出るとかれは用心しながら時速一キロのスピードを保ちながら進んだ。相手には見えないから最新の注意を払った。前方はそれでよいが、困ったのは後ろからくる相手だ。こちらが見えないから平気でぶつかってくる。一度後ろから足蹴りボードに乗った小学生が全速力で彼の脇を追い抜いて行った。だから一歩歩くごとに前後を注意しなけらばならない。自転車も怖い。それに、一歩ごとに後ろを振り向くとそのたびに体が大きく横にぶれるのである。歩道を飛び出しそうになる。

 驚いたのは歩行者全員が貞操帯のようなものを腰に巻いていることだ。女は勿論男も着している。ヤレヤレどうなっているのだ、と殿下はぼやいたのである。

 


アップデート要求39:天井がつかえるアリャアリャ殿下

2021-03-17 10:01:33 | 小説みたいなもの

 タイムトラベル中は麻酔をかけられたように意識を失う。それはそうだ、意識したままタイムトラベルでぶっ飛んでいけば錯乱して狂気にいたることは必定である。

 ドスンと頭を打ったので殿下は意識が戻った。見ると彼の体はクモのように天井に張り付いている。霊体化している彼に体重はない。質量ゼロである。つまり無重力状態であるから、宇宙飛行士のように空中を漂い天井にぶつかる。透明人間化しているといっても、ニュートリノ化している訳ではないので天井を透過するわけにもいかない。

 目を開けると眼下に白衣を着た女性がいる。その前に三十センチほどの高い段の上に据えられた椅子に若い男性が大股を開いて座っている。ズボンもパンツも着用していない。

 殿下はいつ自分の幽体が天井から離れて室内の空間を浮遊し始めるか不安にかられた。といっても経験のないことであるから無重力状態での浮遊技術など持っていない。明智大五郎もそこまで教育してくれなかった。彼の体はユラユラして今にも天井を離れそうになる。2人の間に落下したら大変だ。もっとも彼はまだ慣れていないのである。透明人間なのだから彼らの間に落ちても気付かれる恐れはないのだ。あるとすれば、何らかの気配を彼らが察するかどうかだ。人間は第六感が退化しているから大丈夫なはずだ。明智もそう説明しなかったか。室内に犬でもいたら吠えたてられるかもしれない。

 女性はコンドームを剝きとると、灯火つまり殿下の張り付いている天井のほうに透かしてみた。「わー、すごい。こぼれそうだわ」と言って中の白濁した流動体を容器に移すと部屋の隅にある洗面所で手を洗った。「10CCはあるわね」と言いながらデスクの前に座るとスポイドで吸い上げたものを顕微鏡の下に置いた。

「元気のいいこと」と嘆声を発し次に容量を測った。8.8CCね、と言って今度は別の検査機の中にセットした。数分後数値が赤い色で表示された。

「よし、甲種合格だわ」と言うと証明書にスタンプを押した。それを彼に渡すと「受付で手続きをしてください。来週の月曜日には五両二分が振り込まれます。おめでとう」というと彼を室外に送り出した。

  AD3000年にはかって売血があったように、精液を売ることがあるのか、それも目もくらむような高値で、と殿下は感慨に耽ったが、はっと我に返るとこの部屋から早く逃げないといけないと眼下の室内を見渡した。女医は椅子に座って報告書を書いている。ドアは閉まっている。窓のほうを見ると換気のためか大きく開いていた。彼は脱出を試みた。空中遊泳に慣れていないので体がコントロールできずに、あちこちにぶつかりながらようようの思いで窓外に漂い出たのである。彼女は異様な気配を感じたように目をあげて不審そうに、あちこち見ていたが彼は見えず、自分を納得させるように首を振っていた。

 

 


アップデート要求38:タイムトラベルマシンの致命的欠陥

2021-03-12 13:41:17 | 小説みたいなもの

 毎回都知事選挙に立候補することで少しは世間に名前の知られた発明家明智大五郎は今回の選挙には立候補しないことにしている。一生一代の大発明の完成の目途がついて、都知事選挙なんかで遊んでいる暇が無くなってしまったのである。

 世にこれまで無数に登場した、といってもSFの中でであるが、タイムトラベル小説の最大の欠点は搭乗者の生身までが飛んで行ってしまうということなのである。生身の人間はどんなにスピードを上げても秒速30万キロを超えることは出来ない。もっともアインシュタインが嘘をついているなら別だが。それなのに、すべての、恐らくすべてのSFでは、生身の人間までが何百光年のかなた(未来や過去の)にぶっ飛んでいく。マシンがドスンと着地したら、搭乗者も生身で未来や過去に運ばれる。おかしいよね。

 そして、異時点で冒険したり未来少女に恋をしたり、死なれたりしている。こんな理屈に合わない話はない。明智大五郎のマシンは『表象』のみが吹っ飛んでいく。未来へ、過去へ。だから彼は、つまり旅行者というか搭乗者というか操縦者は、そこでは透明人間なのである。そして異世紀到着後幽体化していた心身は実体化するように設計されている。

 今回の計画の依頼者はドバイの競馬王であるアリャアリャ太守である。この十年間彼の持ち馬はイギリス、フランス、アメリカ、日本のダービーを勝ち続けている。

 明智は最近死亡したアリャアリャ所有の種牡馬ペガサスの剥製にくだんのマシンである『パーセプトロン』を内蔵させている。見事な腕前で剥製に再現された名馬はまるで生きているようであった。

「それでは、どうぞ、殿下ご乗馬ください」と明智大五郎は促した。アリャアリャはさすがにベトウィンの首長である。たてがみをつかむとひらりと馬の背にまたがった。鐙の上でかるく腰を上げると、アブミの長さが適切かどうか、左右歪んでいないか確かめると明智に軽くうなずき、左足の太ももで馬の横腹を軽く圧迫し、右足の踵の拍車を馬の右わき腹に当てた。

 愛馬ペガサスはストトン、ストトンと軽くキャンターに入ると実験室である馬房を出て国道3000号に出てからギャロップに移った。と思う間もなく、ぐんぐん加速してたちまち空中に舞い上がると三キロ上空の雲間に姿を消した。

 

 


アップデート要求37:勧告という名の無償の善意

2021-03-10 08:02:00 | 小説みたいなもの

 星人側からの技術移転のほかに各分野での勧告が随時行われることになっている。勿論無償であり、善意による勧告である、強制力もない。外資系コンサルトM社のような目の玉の飛び出るような料金を請求されることは全くない。勧告を採用するか否かは日本側の判断に任されている。

 勧告は日本側の要請による場合もあり、星人側からの提案の場合もある。勧告の分野は自然科学分野のみではなく、政治、経済、文化、社会制度など広い分野にわたっている。いってみれば従来の有識者による諮問会議のようなところがある。

 宇宙船団の中には民政局という部署があり、ここが勧告の作成にあたる。民政局は古生物学や古社会学などの若手の気鋭研究者の集団であり、日本の政治、経済、社会のあらゆる分野の研究を実施していた。

 条約締結後すでに百をこえる勧告がなされており、そのうちのいくつかは日本政府によって実施されている。実施されずに検討事項となっているものもある。その中でもっとも議論されたものが家族制度の廃止であった。これは文化の根幹をなすものであり、手を付けられなかったが、のちに述べるヒョンなことから一気に実施されることになった(AD3000年ころ、後述)。

 船団はほぼ十年に一度の割合で地球の上空に飛来して数か月から一年弱上空に滞留する。この間、日星間の懸案事項が協議されて、必要に応じて勧告が出されるのである。

 また、日本との条約締結後国連において日本との条約を範とした条約案を採択し、世界各国と同様の条約を次々と結んだが、その数は数十か国に及んでいる。ただし、東側諸国や独裁国家はほとんどこの条約を拒否している。星人側は彼らに対して条約締結を強制ぜず、『拒むものは追わず』の立場をとっていた。

 

 


アップグレード要求36:インバウンド当分は見送り

2021-03-08 09:43:36 | 小説みたいなもの

 締結された和親条約では観光旅行の自由化は触れられなかった。予備交渉では話題にはなったようであるが、日本側での星界人のアコモデイションが整っていないことがあったようであった。条約の調印式の模様は映像では流れなかった。ごく一部の日本側の交渉担当者の証言によると相手方は巨大タコのような肢体をしており身長は三メートルから五メートルあったという。

 彼らを受け入れる宿泊施設は地上にはないし、移動のために交通手段もなく、特注が必要と考えられた。それらの整備が先であるということらしい。それに日本人はまだ彼らの形状に慣れていないから、もう少しその姿になじんでから受け入れたほうがいいというのが双方の合致した意見であったという。

 技術移転分野についても双方で希望するところが違っていいたようであった。星界側は農業、生物化学、医学やロボット工学分野の技術移転には前向きであったが、日本側が熱望した宇宙工学や星間通信技術の技術移転については理由ははっきりとしないが、相手側は極めて消極的であったといわれる。

 交渉における彼らの日本語能力は完璧であった。日本語以外の言語については英語が多少使える程度で、この彼らの言語能力がまず日本側と交渉を始めた理由らしかった。

 彼らが日本語能力を獲得した経緯は彼らの説明によると次のようなものであった。AD2190年代に日本の宇宙探査船が冥王星の付近を航行中に行方不明になった事件があった。有人船で研究者七人も乗り組んでいた。推進装置の故障で太陽系圏外にさまよい出て時空の歪みに引っ張られてワープを始めたらしい。それを付近を通行中であった星人の宇宙船が発見し、全員を救助したというのである。地球人と分かるとすぐに地球に送り返そうと伝えたところ団長の中浜万三郎博士はせっかく宇宙人に出会ったのだから彼らの文明を見物させてくれないかと頼んだという。

 それで地球への送還前に母星へ連れて行き彼らの文明を見分させ、研究させたというのである。中浜教授はそのお礼として日本語を教授したというのだ。その時、未知の感染症が発生した。直ちに対策が取られ、日本人たちに対してもワクチンが接種されたが、生体の組織が違うためか日本人たちは次々と命を落としてしまった。

 一方教授たちが教えた日本語はその弟子から孫弟子へと伝えられて、ここに一群の日本語を完ぺきに操れる通訳が育成されているということである。中浜教授は英語も教えてくれたが断片的であった、充分な時間がなかったらしい。日本人たちの急死で英語の知識は断片的なものにとどまっているそうである。

 

 

 


アップデート要求35:和親条約ついに締結

2021-03-06 09:44:00 | 小説みたいなもの

 応接間にかかっているマチスの裸婦像(本物だろう)の横に据えてある時計を見るとすでに来訪してから一時間を過ぎている。博士の葉巻はまだ五センチ吸い残しているがそろそろお暇しようと切り出すと

「貴方はいろいろな情報源をお持ちでしょう。それをいくつか比較して正解を見つけるのだろうが、今日の話が少しでも役立てばいいですね」と謙遜した。

山野井の怪訝な顔を見ると博士は

「これは私が親しくしているお狐さんからの又聞きですから。自分で検証したわけでもない。また出来るわけもない。だから私も信ずるしかない。理解するわけではない。科学では理解することと信ずることを峻別しなければなりませんからね。ま、少しでも今日の話がお役に立つといいですな」

「金田一博士は大いに語ると書こうと思うんですが」と今の話で念を押しておいたほうがいいと思って彼は確認した。

「いやいや」と博士は笑いながら謙遜した。

「さる星界消息通によると、と言うのはどうでしょうね」と提案したのである。

「なるほど、それではそうしましょう」と山野井は応じた。

 それでは、というと博士は立ち上がって裸像像の横にある壁のボタンを押した。先ほど彼を案内した執事が現れて彼を先導して玄関に出るとふたたび車で坂下の門まで送ってきた。

 情報筋と出所をぼかしたので記事はなかなか自由度が高くまとめられて煽情的で上手く出来上がっていた。掲載誌は発売後たちまち販売部数を伸ばして増刷を二回繰り返した。

 その週の金曜日に日本政府は宇宙船団との和親条約を発表した。

調印者は日本側が井伊直三首相、宇宙船団側はマシュー・カルブレイス・ペリー提督となっていた。

 両者は今後段階的に交流を深めていくとなっている。具体的な交流拡大の方法と段取りは今後両者で協議して決める。また、両者はそれぞれの事情に基づき交流の特定部門を制限することが出来ることになっていた。

 コロナワクチンの開発成功についても、オリジナルな示唆は宇宙船団側からなされたものであることを双方で確認したとあった。すでに条約締結時点で日本国内ではコロナは撲滅されていたので、国民の対宇宙船感情は極めて良好で、それはあだかも(アダカモ)、古代ギリシャの都市テーバイで市民の生命を奪い続けたスフィンクスの謎を解いた異邦人のオイデプス(エディプス)が市民から王に推戴されたように宇宙船団の権威を確立した。

 また、ペリー提督は日本との和親条約をほかの地球の各国とも締結することを希望し、日本政府を通して国連での成立を希望することが明言されていた。

 

 


アップデート要求34:人間は愛玩動物である

2021-03-05 07:08:11 | 小説みたいなもの

 山野井は博士の背中を目を凝らして見つめたが何もおんぶしていない。

「何もいないようですが」と間の抜けた感想を述べた。

「えっ、ああこれ、今はいませんよ。いずれにせよ見えたら大変だ。その宇宙人は技術が未熟だということになる。地上に降りる許可なんか出ませんよ」

「なるほど。そうでしょうな」

「宇宙人が人間社会に来る目的は何でしょうね」。

 彼はいまだに博士を信用しているわけではないのだが、とりあえず相手に歩調を合わせた。取材のコツである。何でもかんでも、議論を吹っかけて反駁していたらかたくなになった相手から情報を引き出せない。

 さあね、色々あるようですがね、と博士は答えた。「宇宙人によっていろいろでしょう。私の判断するところでは好奇心が一番のようですね。実用的な目的や魂胆は感じられません」

「魂胆というと?」

「たとえば、地球を侵略するとか、攻撃するために偵察するとか、ね。よくSFで書くでしょう。そんなことは全くないようですね」

「ははあ、地球を植民地にして搾取するというような目的はないということですか」と山野井は相手の論調にチョイト乗って議論の進行をはかったのであった。

「まったく違いますね」

「好奇心と言うと、それでは?」

「古生物学的な興味でしょうな。発達した彼らから見れば人間は古生物ですよ。我々人間の研究者が恐竜に惹かれるのと同じです。それに、我々がより進化の遅れた動物を愛玩すると同じでしょうな」

「??」

「つまり、子供が公園でハトと戯れるのと同じです。あるいは大人が犬や猫をかわいがるのと変わりがありません」

「なるほど、そういう関係ですか」

「言ってみれば観光旅行とでもいうべきなんでしょうな」

 ふと疑問に思って「ところで先ほどの徳川氏の変身の話ですが、彼の細胞再生の限界と言うのは何回ぐらいなんでしょうかね」

「さあ、それは私の情報源、つまり背乗りの狐系には聞いていないので、回数は分からない。ただ、時間的に言うと、つまり地球の時間で言うと数か月あたりが限度ではないでしょうか」

 そうすると、まもなく日本政府と取り交わされそうな第一次和親条約には「観光旅行の自由化」が入っているのかもしれないな、と山野井は思った。

 


アップデート要求33:変身系

2021-03-04 08:10:34 | 小説みたいなもの

 博士は女性を紹介した。「私の娘です。出戻りでね。私は家内をなくしたものだから娘にドメスティックなことを任せています。こちらはフリーのノンフィクション ライターの山野井さんだ」

女性が挨拶をして応接間を出て行くと、「それで」と話を続けた。「もうすこし、彼のことを話してくれますか。徳川さんですか。貴方は彼に会ったことがありますか。失礼、さっきの話では直接会ったことは無いのでしたね」

「彼に会ったのは北国製薬の研究開発部の部長だけらしいですね。勿論大宮に研究所があったから他に道で会ったような人はいるのでしょうが、彼と知って親しくしていた人はいるかもしれませんが私には分かりません」

「それではその研究開発部長から何か聞いていますか」

「ええ、彼も最初に会ったときには驚いたらしいです。大きな人らしい。身長は優に二メートルを超えている。年齢は三十台後半くらいらしいです。体つきもがっしりとしていて運動選手のような印象だったと言います。それから、例の行方不明事件からあとでは電話で何回か話したらしいですが、ひどい風邪を引いたように咳き込んだしわがれた声で別人かと思ったそうです」

 話を聞いていた博士は葉巻の煙を吐き出した。

「フーン、咳き込んだ声と言うのはどういう声なんですかね」

「最初は別人かと思ったそうです。しかし、話してみると辻褄が合うので本人に違いないと判断したそうです。そうそう、最初は老人がかけてきたと思ったらしいです」

「それで、その後は面会にも来ず、電話を避けてメールでやり取りをするようになったということですな」

「はい」

「なるほどね」と博士は独り言ちた。「それで彼は今、日本上空にいる宇宙船の代理人だと言ったというのですか」

「そうなんです。いうことがどうもかみ合わないので、先生がいつも言われているように、宇宙船と関係があるのかと鎌をかけたんですよ。宇宙船団と関係があるのかと。そうしたら大して躊躇もせずに総代理人事務所の関係者だとあっさりいうものだから、こっちもちょっと驚いたわけです。まさか冗談を言っていることもないようだし」

「ああ、それから最初に会った時の印象で何かほかに河野氏が気が付いたことは無かったのですかね」

「そういえば、肌が異様に不自然なくらいに白くて、人間の肌と言うよりかは大理石のような印象だったそうです。かれが立派な体をしていたからの連想でしょうが、まるでギリシャ彫刻のような印象だったと言っていましたっけ」

「ちょっと待ってくださいよ」というと葉巻の先の灰が1.5センチほどになって落ちそうになっているので、灰皿を引き寄せると先端の灰を慎重に叩き落とした。

「さてとね、おそらく彼は人間じゃありませんね。宇宙船団に乗っている人(モノ、生物)でしょう。先ほど申し上げた擬態系の宇宙人と思われる。もともとの姿はタコ系というか火星人系でしょううな」

「そんな人間に変身できるものですか」

「自然にではありませんよ。彼らの科学ははるかに進歩していますからね。人間の歴史で有史時代はせいぜい一万年でしょう。メソポタミアとかエジプトで文明が開花してからせいぜい一万年しか経っていない。宇宙人のほとんどは人間より百万年は早く文明時代に突入している。科学、技術もけた違いに進歩していますからね」

 ははあと言うと山野井はごくりとさめた茶を飲み込んだ。

「しかし、変身系の技術でまだ完成していないことがある。それは細胞の再生回数ですよ。人間の細胞は場所によって違うが数日から数か月で再生して新しいのに入れ替わる、だから寿命が数十年ある。しかし、宇宙系文明の擬態技術ではまだそこまで回数がかせげない」

「そうするとどうなるのです」

「放っておけば死んでしまいます。だからその前に本来の姿に戻らなければならない」

「なるほど」

「徳川氏が急に老人の声になったというのはそろそろ細胞再生がうまくいかなくなったということでしょう。面会を避けるようになったというのも皮膚などの再生がうまくいかず老人のように容貌が変わっているからでしょう」

「そうすると彼はどうなりますか」

「おそらく、近いうちに宇宙船にもどり、もとの姿に復帰する処置をうけるでしょうね」

 

 


アップデート要求32:うじゃうじゃ居る宇宙人の見分け方

2021-03-03 06:51:29 | 小説みたいなもの

 それで、と博士は視線を窓の外の芝生に遊びに来ているきれいな小鳥に移すと「ご質問はどういうことでしたかな」と客をうながした。

山野井は現在執筆中の記事に出てくる葵研究所の代表徳川虎之介について説明した。

「ほうほう、それで彼が行方不明になったと?」

「そういうわけじゃないんですけど、一時消息不明になりましてね。肝心の提携先の北国製薬でも連絡が取れなくなったそうでして。実は彼の研究所に取材に行ったんですが、行き先を誰にも告げずに引っ越した後でした。それで北国製薬に聞いたんです。担当者も移転の話は聞いていなかったようで、びっくりして慌てて電話で連絡したそうですが音信不明でした」

「ふーん。浮世離れしていますな」というと「所で貴方は煙草をやられないようだが、葉巻を吸ってもいいですかね。葉巻は匂いが独特だから嫌いだという人がいるから」

「いえ、そんなことはありません。どうぞやってください」

相手の家の応接間で、やってくださいなどと許可するようにいうのも妙だが山野井は博士の貫禄に押されてしまって言葉遣いまでおかしくなってしまった。

「それでそのまま連絡がとれないのですか」

「いえ、その後メールで新しい連絡先は伝えてきたのですが、住所は教えないそうです」

「妙だね」

というと博士は考え込んだ。おっと失礼というと極太の葉巻を取り上げると口の中に突っ込んだ。見ていると葉巻の吸い口を犬歯で食いちぎって横を向くとペッと噛みかすを床に吐き出した。

「それからは、メールと電話だけでやり取りをしているそうです。なんでも電話は嫌いなようでしてね。メールのことが多いそうです。私の場合などはもっぱらメールだけでして」

「ところで先生はよく宇宙人はうじゃうじゃいて地球にもしょっちゅう来ていると言われているそうですが、そんな話は一つも報道されていないようですが、宇宙人と言うのは人間と変わらないのですか」

「いやいや全然違います。火星人系、狐系、タコ系とまちまちですよ」

「へー、分かりませんね、街を歩けばすぐばれそうな気がするが」

「それは街を歩くときには人間の姿になるのですよ」

山野井はあんぐりと口を開けた。

「いや、これじゃわからないでしょうかね。説明しましょう。私の知っている方法では二種類あります。一つは擬態というかカメレオンのように姿かたちを相手に似せて変身するタイプの宇宙人がいる。もう一つは背のりと言う方法でね。

これは地球に下りる前に自分の幽体を分離するのですな。つまり自分の肉体を脱ぐんです。そうしてトランクルームかクローゼットに仕舞っておく。そうして地球で目星をつけた相手の背中にくっつくんですよ。昔からの言葉でいえば憑依ですね。狐憑きという言い方もある。現に私の肩にも先週一匹狐系がのっかっていましたよ」というと相手の反応を見るように山野井に顔に目を据えた。

 奥のドアが開いて中年の女性がお茶を持って入ってきた。ドアを開けるときに博士の言葉の最後のほうを聞いたらしく、山直井に向かって信用してはだめですよ、と言った。

「何を言うか。真面目な話をしているのだ。来月文化俊住の記事に出るのだ」

「まあ、大変。まわりからなんといわれるか」と彼女は大きな目を見開いたのである。