アリャアリャが目指していたのは繁華街の雑踏である。無記名の顔のない人間でも安心して歩ける雑踏である。顔は戻ったとはいえ、実体を取り戻したとはいえ、いつ幽体化するかもしれないという恐怖はある。明智のプログラムに全幅に依存するのは危険である。はやく夜でも安心して過ごせる部屋を確保する必要がある。三十世紀にもホテルぐらいはあるだろう、と彼は思った。
雑踏を飲み込んだり吐き出したりしている大きな建物がある。中に入ってみると、どうやらリニアカーの大きな駅が地下にあるらしい。その上に様々な商店がある。ホテルがあった。彼が今なにより欲しているのはプライバシーである。五階にあるホテルのフロントに彼は入った。
「二、三日泊まりたいのだが」というとひょろひょろと背の高いもやしのような若い男は胡散臭そうに客を値踏みするように見た。
『また、顔が無くなったかな』と彼は不安に襲われた。フロント係は客の発散する異様な異世紀的な臭みを職業的カンで捉えたのかもしれない。
「クレジットカードをお願いします」と言われて、はっと気が付いた。二十二世紀のカードなど通用しないだろう。彼は財布を取り出すと現金でもいいかと聞いた。
「二泊で一朱です」
「は?」
「250文です」
そうか、通貨単位もまったく変わったらしい。彼はちょっと迷ったが二十二世の感覚で一万円札を三枚出して、「これでいいですか」と聞いてみた。
フロント係はまるで卑猥な写真を突きつけられたような顔をして「それはなんですか」と吐き捨てるように乱暴に聞いたのである。
「そうか、通貨単位も変わったんだな」と理解した彼はとっさに、「あっ、財布を間違えていた。いま取ってきますから予約だけしておいてください」というと係の返事も待たずにロビーを飛び出した。
彼は考えた。『いま』の現金を得る方法は彼の持っている現金化が可能なものを適当な値段で売るしかない。彼はおのれの手を見下ろした。『そうだ、ダイヤの指輪を売ろう、イマ、ココでも高く売れるのではないか』
彼はビルの中にある商店を片っ端から見て回った。レストランあり、本屋あり、ブティックあり。診療所あり。大体二十二世とそんなに変わりはない。歩きくたびれたころに貴金属商の店を見つけた。
表からガラス窓越しに中を覗くと金の100グラム板が陳列してあった。値段が一両と表記してある。はて、さっきの宿泊代の500文とか一朱といい、これは江戸時代の通貨単位ではないか。彼は職業柄一応日本の経済史を学んでいた。江戸時代は四分法だった。両、分、朱、文だ。そうすると、と彼は暗算した。
つまり二十二世紀の某日の金価格は一グラム確か6000円くらいだった。テーことはと、百グラムは60万円になる。一両が60万円とすると一分は15万円、一朱は四万円弱となる。なるほど、二泊分の宿泊料としては二十二世紀の人間にも違和感はない。
かれは音もなく開いた自動ドアを通って店内に入った。