穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

記述トリック三兄弟

2010-11-23 21:41:48 | ミステリー書評

前回「死の接吻」が記述トリックであると書いたが、そう言えばロバート・ブロックの「サイコ」がそうだね。多重人格(三つ)を同時に実在する三人のように描いている。評判の高い本だが、私は感心しない。

記述トリックの最大の危機は最後の謎解きの時の説明の仕方に現われるが、うまく処理しているケースは絶無ではないか。

記述トリックで有名なものは

クリスティのアクロイド殺し、レヴィンの死の接吻それにブロックのサイコだろう。このうちで世間の書評屋の通説とことなり、私がややましと思うのはアクロイド殺しくらいのものだ。

びっくりする(しない)回数、なあんだという回数が少ないほどマシなわけだが、その点アクロイドはシンプルでいい。


「死の接吻」アイラ・レヴィン

2010-11-17 19:06:52 | ミステリー書評

かねて評判の高い同書を書店で見た。あまり書店に並んでいないので、その時に買ったのだが。早川文庫の帯にはミステリが読みたい2010年版で第五位だそうだ。

どうかね、勿論凡百の作家に比べればレヴィンの作品がよいのは当然だが、どうかね、あまり感心しない。

アガサ・クリスティはアクロイド殺しでフェアかどうか、論争を呼んだが、この本はなぜそういう批判がないのだろう。

クリスティのはナレイター役が犯人と言うのは読者と作者が知恵比べをするミステリーではフェアじゃないというのだった。この死の接吻は「代名詞」「固有名詞」の使い分けで人物を錯綜させてエッチラホイというのだが、

オイラは中田耕治の誤訳ではないかと280ページ当たりでとうとう我慢が出来なくて放り出してしまった。その時のおいらの評価はC級。

ところが例のS・キングがベタほめらしい。そこで問題点を整理して(今まで読んだところの)最後まで読んだわけ。それで代名詞トリックとわかったわけ。これは謎解きでもなんでもない。アクロイド殺しのあっと驚く記述者イコール犯人と同じで。

この種の頓知としても失敗だ。なんだかおかしいな、と思い違和感を感じながら話のスピードで読者をさらって最後までいってあっと驚かせるなら筆力といえる。しかし、なんどもひっかかるわけよ、これは作者の意図が挫折している。

もっとも、いろんな読者がいるもので、キングを初めてとしてベタほめばかり、オイラはマイノリティらしい。

代名詞トリックというのは、相手は名前いりで、犯人だけは「彼」で押し通す、そうして交互の章で男の名前が出てきて、それがいかにも「彼」らしい。つまり犯人はその男らしいと思わせる。

ところが彼は彼なのね。トンチとしては面白いがミステリーじゃないな。


キング「リーシーの物語」終わり、ご褒美は?

2010-11-06 16:53:15 | 書評

上下巻しめて4800円なりの定食飲み込みました。結局ロングボーイはほのめかしに終わった。これは手なんだろうな。だれかさんにリトルボーイのように。

最後にスコットが妻に残したメモで告白する。かれが10歳のときに酔っぱらって寝ている父親の頭につるはしを振りおろして殺した。これは嘱託尊属殺人なんだね。そんでもって10歳というと無罪か。ま、スコットも妙な感染症で死んでしまったわけだ。


フーダニット?Mrキング

2010-11-05 07:36:06 | 書評

下巻があと100ページたらず残っているところまできた。ここの書評は現在進行形というか、読書実況中継なのであしからず。

ほのめかしも大分種が割れてきた。しかし、リトルボーイかなロングボーイか、まだらの横腹を持ったモノの正体が分からない。これはスコットの父親じゃないかと思うんだが、違うな。

悪霊の島とこれ、リーシーの物語はジャンルのごった煮だ。ファンタジーとホラー味と言う人もいるが、SF味もあるし、ミステリー味もある。なんだか村上春樹の1Q84に似ている。ごった煮というところは特に。時期的に言うと2006年のリーシーを村上がパクっているのかもしれない。

キングのごった煮ものはミステリーのいわゆるフーダニットに忠実であろうとするから、記述が極端につまらなくなる。下手だ。フーダニット、ホワットダニット、ハウダニットをサービスしようとするから破綻をきたす。ミステリー作家でも早川や創元文庫で水準に言っているのは5パーセンもいないのだよ。

純文学、エンターテインメントの他ジャンルの作家がミステリーを試みるとまず成功しない。純文学の偉い先生でミステリーに手を染めた人は多いが成功した人はいないだろう。


許容範囲を超えるキングのほのめかし

2010-11-03 17:48:36 | 書評

どの商売でもちょろまかしはしょうがないし、許されると消費者は思っている。それは駄菓子屋から始まり、コングロマリットに至るまで同じこと。あきんどとはそういうもの。それで飯を食っているプロ作家も商売人、あきんどの常としてある程度のちょろまかしは認められる。ケレン味とでもいうか、はったりというか。

キングの最近の作は許される許容範囲を超えている。たまたま、この欄で取り上げた悪霊の島とリーシーの物語はひどい。ほのめかし、おもわせぶり、ミスティフィケイションであふれている。

どうしてこうなっちゃうのか。筆が枯れたのか。あれだけのページ数を稼ぐために水増ししているのか。企業でもあるが、最初は必死にやるが、ブランド力がついてくると、ある程度手を抜いてブランド力で流してしまう。

キングはそれが通用する大作家なのだろう。新人時代には通用しない商法である。


アスピリン駆動のキング

2010-11-03 09:18:12 | 書評

ハードボイルドのウィスキーにあたるのが、キングの場合、アスピリンである。アスピリンをまず一度に三錠は飲む。よい子の読者は真似をしてはいけません。命は保証しません。

前期の作品ではアルコール駆動ものもあったが、キングと言えばとにかく、鎮痛剤アディクトである。あらゆる鎮痛剤が出てくる。リーシーではヴァイコデンである。

スコットのようにもともと異能者(超能力の持ち主)はともかく、並みの人間が超能力を獲得する過程は限られている。一つは覚醒剤、麻薬などの薬物の影響、

それと大病あるいはみずから求めての苦行。宗教者が幻覚、啓示を受けるのは苦行の過程であることがほとんどである。いろいろな苦行がある。断食も数十日やれば苦行だ。一つ間違えば命にかかわるギリギリまでやれば。

キリストが幻影を見たのは荒野で40日の断食中。それとキリスト教や回教では、自ら鞭うち、宗教的法悦を得る。鞭うち教徒なんてのもいる。

リーシーはその気(ケ)はないが、夫の影響ですこしそういう能力を得る。下巻前半で冥界に夫を取り返しに行く際のトリッガーも上記の二つという「作法」をキングは踏んでいる。

すなわち、キチガイのストーカーにかん・オープナーで乳房を凌辱されて大けがをした後、強力な鎮痛剤ヴァイコデンを服用する。やがて彼女の冥界わたりがはじまる。キングは一応世間の作法を守っているわけね。


キングのリーシー物語、スコット・ランドン異界わたり

2010-11-03 07:37:32 | 書評

異界わたり能力を認めないと話についていけない。故作家のスコットには異界わたりの能力があった。寝ている間に異界にわたる。寝ている間に魂だけが旅行、飛翔するという話はたくさんあるが、スコットは体も一緒だ。しかも他人を連れていくし、物体も持って行く。

証人は妻のリーシーだ。夜トイレに起きる。横に夫がいない。彼もトイレに行ったのか、台所にいったのかと探すが影も形もない。トイレからリーシーが帰ってみると夫は帰っていて何事もなかったようにベッドに寝ている。てな塩梅。

異界に物を持っていく。妻がつとめていたレストランの鐘を異界(ブーヤムン、地名までついている)の森の木にかけてくる。

父が殺した兄の死体を異界まで運び埋めてくる。

スコットはこの異界わたりの能力を他人にもわずかながら伝えることが出来る。妻のリーシーに異界わたりを教えて二人で行く。この能力が夫の死後、リーシーの過去への旅を成立させるわけだ。

そういうわけで、この小説はファンタジーでもあるわけ。

つづく


Sキング「リーシーの物語」アマンダ姉さん

2010-11-02 23:49:37 | 書評

読みかけの本の書評である。読み終わらないうちに書評を書くことが多い。ここにアップしたもので、かって読んでいたものの再読の書評のほかはほとんど現在進行形の書評だ。

だから追加していく。リーシーの物語は「セル」の後に書かれ、「悪霊の島」の前に書かれた。どうもキングは晩年になってから新しいクラフトを仕込んで百貨店を開いたようだ。悪霊の島もそうだが、リーシーもそういう意味では技を取りそろえている。

しかし、残念ながらいずれもまだ手のうちに入っていない。未消化である。キングのファンでもリーシーに反発が多い理由だろう。

ジャンルとしてはファンタジーみたい、ホラーみたいというところ。サイコロジカル・ホラーというそうだ。

この物語には二つの病気、遺伝資質が核になる。一つかカタトニア、これは強硬症、緊張病と訳すらしい。痴呆症に似ているようだが、痴呆症の老人は徘徊癖があったり、異性に対する興味がたがの外れたように強く出る場合がある。カタトニアというのは全くの植物人間のように受け身になるらしい。キングの描写によればね。

もうひとつが遺伝的な殺人狂である。ある日突然人狼化する。少年時代のこともあれば成人してからのこともある。もっとも、ほんとにこんな症例があるのかどうかは医学的な知識がないから分からない。おそらくキングの創作のようだ。ホラーの典型的なキャラだしね。

カタトニアのほうは、実際の病気のようだが。

それでだ、作家夫婦の物語だが、妻のほうの家系にはカタトニアがある。夫のほうには人狼化(悪のぬるぬる)とカタトニアがある。

上巻の相当長い冒頭部分で、妻の長姉の話が出てくるが、この人物がカタトニアになる。だから夫婦の物語のくさびだ。何故延々とこの老女の話が最初に出てくるのか、なかなか理解できないだろうがそういうことだ。

若い時から自傷行為を繰り返していたアマンダ(長姉)がカタトニアで完全に「いってしまう」わけだ。驚いたことに夫の作家(故人)は生前からこの女性の将来を見越して病院の手配までしていた。自分の家系にもあるから自傷行為を繰り返す義理の姉の将来がわかっていたのだろう。そこまで面倒を見るのもちょっと理解しがたいが、自分の家系にもある、作家自身もカタトニアになって死ぬわけだが、ということで他人事とは思えなかったのだろう。

容易に想像できるがカタトニアの看護は大変なことで、アメリカでも対応した完全看護の施設はいつも満杯らしい。だから作家は生前知り合いの医者に頼んでおいた。

とまあ、このくらいの予備知識がないとチンプンカンプンだし、なぜアマンダの話が出てくるのかもぴんとこない。

次回はアスピリン駆動のキングさん、でも書くか。