穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

103:あれは論理学ではない、と気が付いてね 五月三十一日

2020-05-31 08:18:33 | 破片

 新馬券師がヘーゲル、ヘーゲルと連呼するものだからレジから憂い顔の女性哲学徒が寄ってきた。断りもなくどっかりと隣に腰を落とすと右足を左の膝の上で乗せた。彼女は左利きらしい。

 おいしそうな膝が露出したあたりに目をやりながら、ヘーゲルって読んだことある?と問いかけた。彼女はフンと馬鹿にしたように漏らしただけであった。彼女をからかうことをあきらめて橘氏は続けた。改めて読んでみてね、彼のいう論理学は論理学じゃないということに気が付きました。「あれは俗にいう形而上学であり、また存在論なんですよ。そうするとなぜそうなるんだなんて考えて頭を悩ます必要がなくなる」
「どういうことなの」
「きっかけはね、昔どこかで、たしかバートランド・ラッセルがどこかで書いていたと思うんだが、ヘーゲルの哲学は彼の神秘体験が元になっているのではないかというのだ。そうすれば、論理学という本のタイトルを素人分かりしては間違えるかもしれない。


「形而上学なら根拠はなんだ、とか、どうしてそんなことが言えるんだとか憤慨しなくてもいい。定義も必要ないし、公理も必要ない。ヘーゲルが唾棄する悟性的分析は必要ではない。そうかい、そうかい、と受け流せばいい。そうしてそんなら次はどうなるの、と手品を見るように見ていればいい」
「手品の出来栄えだけが問題になるのね」と長南さんが総括した。「それで彼の神秘体験は調べたの」
「うん、彼には死ぬまでフリーメイソンの会員だったという疑念があった。プロイセンの秘密警察にも疑問を持たれていたらしい。ヘーゲルが兄事したゲーテはフリーメイソンだったしね。その入会儀式で、イニシエイションというのだが、神秘体験をさせるものだったらしい。しかし、これには確証がない。それでまた考えた。自分が神秘体験をしなくても同時代人か先人で神秘体験をした人の思想とか経験に影響をうけたという可能性があるのではないかと思ったのさ」


彼女は意外に鋭いな、と馬券師は内心で感心した。「なんか無底とか言った人がいたんじゃない」と彼女は第二弾を繰り出したからである。彼はますます彼女を見直した。「たしか靴屋の息子だとかいう人じゃなかったかしら」
「そうヤコーブ・ベーメといってね、まさにヘーゲルが非常に評価した哲学者ですよ」
「たしか、ドイツ最初の哲学者と言われている人でしょう」
「まさにその人ですよ。ヘーゲルの本に哲学史というのがあるが、ベーメについてはカントと同じくらいの紙数を使って紹介している」
じゃあ、どうして「論理学」なんてタイトルをつけたのかしら、と若き哲学徒は疑問を口にした。
さあねえ、世界というか、いや存在の仕組みとかそういう意味で使ったんじゃないのかな、と元パチプロは答えた。ギリシャ語のロゴスにはそういう意味もあるからね、と。

「それでね、長南さん、あなたは実にするどく核心をついている。僕もベーメのことに気が付いて調べたらね、驚くほどヘーゲルの論理学はベーメの思想に似ている。ベーメの思想は最初に全部(オール、英語で言うとね)と無(ナッシング)がある。最初というのは説明の都合でベーメの思想にははじめも終わりもない、つまり円環をなしている」

「ウロボロスのようにね」と若き女性哲学徒は補足した。
ベーメのいうオールとナッシングはヘーゲルの論理学の冒頭の有論のSein(いまだ無規定の存在全体すなわちAll)とNichts(Nothinng)に対応する。

 


102:別の視点からヘーゲルを考えた

2020-05-30 08:03:22 | 破片

「あなたは医学部に転部する前には哲学科だったんですよね」と専業主夫は前に彼から聞いたことを思い出した。「そのころからヘーゲルを読んでいたんですか」
いやいや、というとクタクタになった紙おしぼりを丁寧に伸ばすと耳の穴を拭きだした。
「ま、哲学科の学生としてはいろいろと手を出しますからね。もっともヘーゲルなんて言うのは哲学科の専売特許というわけでもない。法学部であろうと、経済学部であろうと、たいていの学生は興味を持っているでしょう。最近のことは知らないが、学生運動が盛んな時代だったから社会主義や共産主義の遠祖みたいだったヘーゲルにはみんな手を出していましたよ。何しろ初代教祖マルクスだけじゃなくて二代目教祖のレーニンもヘーゲルを大真面目でソ連流に仕立て上げようとしていたんですからね」

「マルクスが彼らの教祖様じゃないんですか」
「そう、そのマルクスが陶酔してヘーゲルを絶賛するからヘーゲルを疑う学生なんかいない」
「どう絶賛するんですか」
「ヘーゲルは頭で歩いている。つまり観念論ですな。それをひっくり返して足で歩かせれば、つまり唯物論でお色直しをすればそっくり使えるというように思いこんだ」
「本当にそんなことが出来るんですか」
「さあね、無理でしょうな」とあっさりと否定した。

マルクスの主著は資本論でしょう、それがどう関係するんですかと言うと、パチプロから馬券師に転身した彼は困ったように第九を見た。
「彼ら、つまり社会主義研究者はヘーゲルの「論理学」と「資本論」をパラレルにみるようですね。もっとも最近では資本論はヘーゲルの「法の哲学」の真似だという意見も出てきたらしい。「いずれにしても死後二百年もしてそういう詮索がなされるということがヘーゲルの偉大なところでしょうな」と橘氏は答えた。

私はね、と彼は話した。最初に「精神現象学」を読んだんですよ。ヘーゲルの処女作、ただし、匿名出版は除きますがね。これは面白く最後まで読みました。それでね、彼の第二作である「論理学」にとっかかったらチンプンカンプンでね。当時のしてきたウィトゲンシュタインや勃興してきた分析哲学の連中が嘲笑ったように「ジャーゴンの堆積」としか思えなかった」

なんですか、ジャーゴンって。
「たわごとということですよ。しかしねえ」と彼は思い入れよろしく大きなため息をついた。「たわごと」と聞いて安心したものの、学会の一部か大部分かしらないが、世評の高いヘーゲルが理解できないのは何となく残念というか不安でね。それでね、今回のコロナ騒ぎで家の喧騒から山手線に避難したときに、もう一度挑戦しようと思った。不思議なことに彼の論理学は捨てないでまだ残してあったんですよ。私はたいていの本は読んだら捨ててしまうんですけどね」

「なんだか気になっていたんでしょうね」

 


101:悪無限

2020-05-28 08:45:53 | 破片

 そりゃ大変ですね、と第九が言うと「まるで鉄板で出来た狭い檻の中で拳銃をぶっ放したようなものですよ。耳を聾する騒音のなかにいるようなものです」
しかし、鉄板で囲われているなら騒音は外には漏れないでしょう、と第九が混ぜ返すと
「それが実際には安マンションの薄い壁なんですから、近所からは苦情が絶えないんですよ」
「それは大変だ」と同情した。「パチンコには行かないとかおっしゃってましたよね」と思い出したように第九が聞くと
「勿論です。善良な市民ですからね。自粛要請を守らない店を探して朝から行列するようなことはしません」というと橘氏はコップの水を一気にあおり、はーっ、と農夫が熱いお茶を飲んだ後のように大きなため息をついた。
「あなたはいいな、専業主夫にはコロナ失業というのはないのでしょう」
「それはそうなんですがね、彼女が在宅勤務で一日中家にいるので、かえって大変です」
「なるほどね、わたしもパチンコができないから馬券師に戻ろうかと思ったんですがね」
「へえ」と第九は改めて彼の多能ぶりに驚いた。「あれはいろいろデータを調べたりするのでしょう。毎日忙しいでしょう」
「ところが、貴方、平日はすることがないんですよ」
「データの下調べはしないんですか」と競馬のことは詳しくない第九が聞くと
「私はオッズ派でね、当日のオッズが出ないことにはすることがないんです」
「というと大穴狙いですか」
「そういうことでもないが、とにかく週末だけが忙しくてね、月曜から金曜まではすることがないのです。そして家の中では鉄板の囲いの中で一日中太鼓を叩くみたいに子供たちがけんかをする、女房は金切声で怒鳴り散らす、進退窮まって私は朝飯を食うと家を飛び出すんですよ」
「公園にでも行くんですか」と第九は暢気な質問を投げかけた。
「いや、貴方、ヘーゲルの本を持って一日中山手線に乗っているので」

 第九が首をひねっているのを見て「いやね、学生時代にやはり狭くて周りが一日中五月蠅い下宿にいた時の習慣を思い出してね。山手線に乗って時間をつぶしたものです。なにか読む文庫本なんか持ってね。それを思い出してね、山手線に逃避したわけで」

「それは安い消暇法ですね」と第九は感心した。
「都県をまたいで移動してはいけないというんでしょう。山手線しかありませんよ。中央線だと市川だともう千葉県だしね、西に行けばうっかりしていると山梨県に入っちゃう。それにコロナ騒ぎで電車はがら空きだしね。座りくたびれれば駅で降りて腰を伸ばす。エキナカの売店でスナックを買ったりドリンクを買ったりして一息いれればいい」
「うまいことを考えましたね。山手線は何回りくらいするんですか」
彼は馬鹿なことを聞いちゃいけないというように、「それはまちまちですよ。べつに規則を決めて乗るわけじゃない」と答えたのである。

「それでどうしてヘーゲルの本なんですか」と第九はまた愚問を投げかけたのである。


100:山手線でヘーゲルを読んでいます

2020-05-27 10:51:05 | 破片

 若き女性哲学徒の長南さんがコーヒーを持ってきた。ドスンとテーブルの上にカップを置いた。中の液体が波を打った。コーヒーが津波をおこしカップのふちを超えた。相変わらず彼女は粗暴だ。「結構久しぶりだね」と彼女はお愛想をいった(お愛想のつもりなのだろう)。
「そう、外出自粛要請以来だからふた月になるかな」
「まだふた月にならないよ」と彼女は訂正した。哲学徒として誤りは容認できないのである。
「大学は休みなんだろう」
「ウン」と短く無愛想に答えた。
「ここはずっと開いていたのか」
「ウン」
「よかったね、ちゃんと収入はあったわけだ」
「ウン」何を聞いてもウンですましてしまう。もう聞きこともなくてカップを口に運ぶと一口啜った。彼女はプイと向こうに行ってしまった。

第九はラックから新聞を取ってくるとざっと目を通した。コロナの記事ばかりだ。近々帝都も自粛要請が解除されるらしい。コーヒーが効きだした。コーヒーが効くというのもおかしいが、このくらい濃いと体にじわじわ効いてくるのがわかる。目を閉じてソファに体を預けているとレジのあたりが騒々しくなった。

「これはお珍しい。すっかりお見限りでしたね。またパチンコで地方遠征でしたか」とママが浮かれた声であいさつをしている。
「いやいや、そんな反社会的な行動はしません。市民の義務は守っていますから」
「そうすると、ずうっと家に籠っていたのですか」
「そういうわけでもないんですがね。おや今日は珍客がいるな」と第九を認めて彼はこちらに寄ってきた。

「時々いらしてたんですか」とおしぼりでごしごしと顔を拭きながら橘さんが聞いた。
「いやふた月ぶりくらいですよ」
「ははあ、それじゃ私と同じだ」
「ずっと、自宅にいらしたんですが」
「それがそうもいかないんですよ。ガキがうるさくてね。それに女房と一日中部屋にいるとイライラしてきますからな」
「お子さんはいくつですか」
「恥ずかしながら、三人もいましてね。上が中学生の娘で、その下に小学生のガキが二人もおります」
「それは賑やかでしょう」
「賑やかなんてものじゃありませんよ。狭いうちに五人も犇めいているんですから」


「破片」まとめ(90ー99)

2020-05-27 10:39:04 | 破片

破片十 五月二日

90:Before and After

化粧品の広告なんかで使用前と使用後といって写真を並べてのせている広告がある。ダイエット用の商品の広告なんかにもそんなのがある。彼の写真をその前後にとって並べたらまさにそのような印象を与えるだろう。しかし順番は逆になるのだが。つまり使用後は薬の副作用で状態が悪化するのである。

彼は記憶がはっきりしないと言っていたが、たしか中学三年の時であった。夏休みが終わって新学期で再会した時の彼は全くの別人になっていた。魂の抜けた幽霊みたいだった。体全体もぐにゃりとした感じを受けて驚いた。

それまでの彼は自信が溢れていて、生気溌剌として何事においてもクラスのリーダーであり、中心的存在であった。再会後の彼は外見のみではなく、成績や行動でもそれ以前と一変していた。それまで、あらゆる学科において彼は試験のたびにトップの成績をおさめていた。試験では答案用紙が配られて1時間以内に答案を提出しなければいけないが、彼はいつも試験会場に十分以上いたことがない。あっという間に答案を書くと、それを提出してさっさと部屋を出てしまう。そしていつも百点満点なのである。授業中でも彼は質問をしたことがない。予習もしていないようだったが、教科書をちらっと眺めるだけで、教師の授業をすこし聞いただけでもうすべて理解してしまう。一般に授業中よく質問する生徒が優秀と言われ、また実際そうなのだが彼は質問をしたことが一度もない。

授業だけではない。スポーツでもずば抜けていた。特に走るのが早かった。徒競走ではいつもぶっちぎりでゴールに入った。また印象に残っているのは走り高跳びが得意だったことだ。誰よりも高く飛んだ。特に三年生になった年には身長が前の年に比べて二十センチも一気に伸びて運動能力も一段と高くなった。

それだけに新学期の彼を見た時にはショックを受けた。身体能力も急降下した。第一全然スポーツに参加しなくなった。成績は急降下して、試験ごとに上位の生徒が発表される掲示にも名前がのることもなくなった。

たしかに、そんなときに、「いったい何があったんだ」と聞いたことがあったような記憶はある。彼の答えを覚えていないから、きっと彼の言うように返事をもらえなかったのだろう。外見のわりには特に病気とかどこか体の具合が悪いというようなことはなかったようである。とにかく、そんな状態でも登校していたし、成績も惨憺たるものだったらしいが、落第もせずに卒業した。しかしその後志望する高等学校の受験には合格せずに、何年か浪人して私立大学の予科に入った。大学時代に偶然一、二度会ったことはあるが、それ以降会うこともなく、彼のことは忘れていた。後年一度彼のことを思い出したことがあった。

陶淵明の詩を読んでいたら、こんな詩に出くわしたことがある。

憶う 我れ少壮の時
***
猛志 四海に逸せ(ハセ)
翼をあげて遠く飛ばんと思えり

   注:一部原文と字が違います。当用漢字を当てたところあり

これだ、とその時彼を思い出した。夏休み前の彼の雄姿を彷彿とさせた。その翼が折れてしまったのだろうか。連想はギリシャ神話のイカロスに向かう。イカロスは翼を得て、父の忠告も聞かずに高く高く飛翔する。そうして太陽に嫉妬されて翼を焼かれてしまう。イカロスは墜死したという神話である。この連想に必然性はない。ぴかりと私の脳裏に一瞬ひらめいただけである。彼は太陽に嫉妬されたのだろうか。彼にとって太陽とはだれなのだろうかと、私は手紙を読むのをやめて目を閉じ座っていた椅子の背もたれにからだをあずけてしばし回想に耽ったのである。

91:父への手紙

*どうして君にこんな手紙を書くつもりになったか不思議に思うだろう。大学以来ご無沙汰しているが、ぼくもどうやら社会人になって、いまは勤め人だ。というと君も驚くだろう。年とともに少しは状態がよくはなってきたらしい。といっても超低空飛行は抜け出せないけどね。だから係長にもなれずずっと平社員だ。これが簡単だが、まずは近況報告だ。

さて、会社の同僚に大学でドイツ文学をやった人間が居てね、このあいだフランツ・カフカの話を聞いた。僕は彼の小説は読んだことはないが、君は昔から小説をよく読んでいたから知っているだろう。有名な作家らしいね。彼は卒論でカフカ論を書いたそうである。

その友人がいうには、カフカの書いたものに「父への手紙」というのが残っているそうだ。36,7歳のころに書いたというが、まだ同居してい同じ屋根の下に暮らしている父親に手紙を書いたというのだ。もっとも手紙は父に渡らなかったらしい。母親を介して渡そうとしたら母親がダメよと言って突き返したそうた。大体これで内容は想像できるね。

直接渡す勇気がなかったのだろう。しかし、カフカとしては考えて考えて、何回も何回も推敲して書き直したものらしい。したがって大事に保存していて死後全集に入れられたという。なんでも原文で70ページにもなる長文だそうだ。邦訳したらその二倍くらいの長さになるだろう。

聞いた内容なんだが、祖父と言うのは極貧のユダヤ人でチェコの寒村で畜殺業や動物の皮をはいだりする仕事をしていた。父親は14歳くらいの年で家を出て行商をしていたという。その後、商人として成功して首都のプラハに店を構えた。子供には大変厳しい親だったらしい。カフカは、というのは小説家になったフランツ・カフカのことだが、幼児の時からの数々の不条理と思える父親の過酷な仕打ちを書き連ねているわけだ。

その父への手紙の中で小さいころの一つの体験が書かれているそうで、夜カフカがどうしても泣き止まないので父がテラスに突き出したという事件がある。カフカ研究者の間では有名なテーマらしい。

それまで、友人の話を漫然と聞いていた僕は不意に昔のことを思い出した。例の中学生の時の話だ。夏休みが終わって登校したときに君に「どうしたんだ」と言われた原因となったと今にして思い当たるのだが、似たような事件が僕の身にも起こったのだ*ーー

はて、カフカか。「父の手紙」と言う作品は読んだことがないな、とJSは思った。もっとも読んだ本の内容をよく忘れるので、あるいは目にしたことがあるかもしれないが、と思いながらも書棚にあるカフカの本を探してみた。しかし、見つからなかった。

インターネットで検索してみると前世紀五十年ほど前に一回か二回違う出版社でカフカ全集と言うのが出版されているらしいが、いまは絶版のようだ。ドイツ語は出来ないので英語の本を検索したがヒットしなかった。しかし、(Kafka Letter to Father)で検索するといくつか出てくるが全文を翻訳したサイトは一つしかない。それでプリントしようかと思って、出所を確認すると何とこれがフロリダの不動産屋なのだ。なぜ不動産屋なのだ。なんだかうさん臭いのでプリントアウトはやめにした。「カフカ研究者の間では有名」というから日本語でもカフカの伝記とか研究書にはあるのかもしれないと思い翌日書店を探すことにして手紙の続きを読んだ。


92:二つのテラス

*友人の話を聞いて自分の「テラス事件」の記憶が長い忘却の深い淵から浮かび上がってきたのだが、カフカと僕のテラス事件には雲泥の差があるのに気が付いた。深刻さでは比較にならないほど僕のほうが深刻なのだ。

カフカは父の行為の原因は分かっていた。夜中に(たぶん、大声で)泣き喚いて父親を困らせた。何とかすかそうとして初めは説得していた父の言うことを聞かないので、父親はとうとう激怒して深夜の寒空に下着一枚の子供を突き出したのだ。これはカフカの手紙に明瞭に書かれてることだそうで、間違えのないはっきりとした記憶が彼にはあった。カフカは言うことを聞かないで泣きじゃくったのは親を困らせようとしたので大した原因があるわけじゃないと書いているそうだ。つまり自分でも親を怒らせた責任があると分かっていたのだ。しかし、そんなことで、子供を下着一枚で夜のテラスに締め出すのはひどいじゃないか、というわけだ。事件の原因もわかっているし、はっきりと記憶に残っている。だから書いているわけだが。

この事件はカフカの心に深い恥辱感を刻み付けた。そしてその後、父の過酷な仕打ちに遭うたびにこの「恥辱感」がよみがえってくる、というような内容らしいのだ。しかしながら、カフカの心理に強烈な記憶を刻み込んだが心身の発育にはまったく影響しなかったらしい。

僕の場合は全く違う。夜ちょうど寝入った頃に酔っぱらって帰ってきた父は無言で僕を布団から引きずり出してフランス窓からテラスに引き出し、二階の手すりから庭に突き落とそうとしたのだ。驚いた母が飛び出してきて止めた。父は家の中に入るとドアに鍵をかけてしまった。

僕はその時になってもまだ完全に目が覚めていなかったと思う。憶えているのは満月の夜で月がやけに大きくて気持ちの悪い赤みがかった色をしていたことだ。そのうちに夏のことで急に嫌な冷たい風が吹き出して、庭木が生き物のようにざわざわと揺れた。にわかに雲が月を覆い暗くなると、遠くで雷が鳴りだした。いきなり激しく雨が降り出したのだ。ようやくこっそりと母がテラスのドアを開けて父には内緒で家の中に入れてくれたのだ。

父は僕をテラスに引き出すあいだ、終始無言だった。だから何が父を怒らせたのか全く分からない。母にも分からないようだった。その後僕がどうしたかは記憶がない。たぶん寝床に倒れこんで前後不覚に寝入ってしまったのだろう。あの夜僕は殺されたのだ。完全に息の根を止められたのだ。君が僕を見て幽霊みたいだと思ったことは正しいのだ。

しかし、これでは君の質問に半分しか答えていないね。君は「どうして」と尋ねた。つまり理由を聞いたのだ。それを答えなければいけないのだが、僕には二十年経っても分からないのだ。質問には半分しか答えられなかったが許してくれたまえ。じつは僕もそれが知りたいのだ。しかし父本人に聞くなどと言うことは思い付きもしなかった。しかし、友人からカフカの話を聞いて手紙で聞いてみる手はあるのかな、と思いついた。しかし、実際にペンを手に取るとそんなことがすらすら書けるものではない。第一父はそんなことなどとっくに忘れているに違いない。あれは突発性の感情の激発だったのだろう。それで君の昔の疑問を思い出して君宛に手紙を出そうと考えたわけだ。

その後父にも、その後の僕の変わりように驚いて自分の行為を行き過ぎたと反省している様子もあった。カフカの手紙にも父親がカフカが病気の時に気遣う様子などを(公平に)書いているそうだが、僕の父も時には僕のことを心配してくれたこともあった。まあね、どんな人間でもいろいろな面がある。そんなことをいろいろ思い出すと面と向かって糾弾するのも難しいのだ。僕は人格と言う矛盾のない性格などと言うものは信じない。人間には、だれにでも表もあれば裏もある。ただ父親はそれが激しすぎるのだ。しかも多くの面がある。六面体くらいはあるね。しかも、悪いことに、書かしてくれ給え、父親のサイコロは鉄火場のサイコロのように目が偏るのだ。どちらかと言えば不条理な感情の爆発が多かった。

例えば一の目が出た時には感情が激発して抑えらず冷酷非情になる。あの満月の夜はそのような父の性格の面が露出していたのだろう。しかし僕が小学生のころには、父は僕には無関心だった。父は僕にとっては無色透明な水のような存在だった。中学に入ったころから、気が付くと時々父親が僕をすさまじい目で睨んでいることに気が付いた。たとえば、机に向かって宿題をしているね、背後を通る人の気配を感じて振り返ると、父親がすごい目で人を瞬殺しかねない目つきで見ているのだ。それも特別な理由が思いつかない。なにか悪戯をしていたとか、机の上でコップをひっくり返したとか、そういうことは一切ないのだ。父の目と言うのが特殊でね、目力というような生易しいものではない。蛇眼というか、いや邪眼か、ようするに瞬殺力のある目つきなのだ。**


93:三変化

*その後に僕に起こったことは君の見聞したとおりだが、身体的には力が抜けたというか無気力になってしまい、スポーツや運動に興味がなくなった。学校の成績も君の知っている通りだ。そうだ、ひとつ君の知らないことがある。最後にそれを書こう。考えてみると実に不思議なのだが、あの事以来それまでの記憶がなくなってしまった。まあ、13、4歳くらいの経験の少ない年齢だから記憶と言っても幼児時代から小学生時代のことだが。人の記憶と言うのは何時頃から後に残るものだろう。3,4歳までの記憶というのは普通誰も残っていないだろうというのは分かる。もっとも三島由紀夫のように気取った男は自分が産湯を使ったことまで覚えているというらしいが。これは小説だからね。

ああ、そうそう身長の伸びがぱたりと止まってしまった。だからいまでも170センチだ。記憶の話を続けると、誰でも小学校時代のことは断片的でも覚えているだろう。幼稚園のこともかなり覚えているらしい。それば僕には全く欠落しているのだ。もっともそれに気づく前から無かったのか、テラス事件後なくなったのか、どうかは分からない。あるとき誰かと話していた時に、彼が幼稚園時代のことを楽しそうに話しているときに自分はまったく記憶がないことに気が付いたのだ。

僕の場合、幼稚園は都電でだいぶ行かないといけない。かなり家からは離れていた。だからかならず誰か付き添っていたはずなのだが、それがまったく思い出せない。その年代の子供にとっては遠方への通園はかなり強く記憶に刻み込まれると思うのに。付き添っていたのは母なのか。家事のある母が毎日付き添っていったとは思えない。しかも午後には迎えに行かなければならない。女中かあるいは年の離れた姉か。その記憶が全くないというのは非常に不思議だ。憶えているのはその幼稚園の前の都電の停留所の近くに大蛇の標本があったことだけだ。おそらく漢方薬局で蛇をホルマリンの入った瓶に入れて店頭に飾っていた。その蛇を見るたびに怖がったから覚えているのだろう。その幼稚園のことが分かるのは記憶ではなくて、手元に残っていた卒園写真なのだ。実際の記憶はない。

そうそう、それ以来妙な夢を見ることがあった。自分が全然知らない場所にいるのだ。しかもその場面に強烈な既視感があるのだ。生々しい体感があるのだ。これは今でも時々ある。四、五日前にも自分が全然行ったことのない新橋駅近くのガード下で飲んでいる夢だ。あまり生々しいので、つまり友人とかバーテンとの会話などもはっきりとしているので、目覚めた後も思い出せるのだ。それで、自分ではひょっとして忘れているかもしれないのか、と思ってその日の帰りわざわざ、そんなバーがあるかどうか近所に寄ってみた。勿論そんな店はない。夢の中ではたしかこの辺だと周りを見回したりしてね。勿論夢に登場する友人も現実世界には該当する友人はいないのだ。

もちろん夢だから突拍子もない表象も出てくる。怪獣も出てくるらしい。僕はないけどね。しかし、全然見たこともない、現実にも、テレビや映画でも見たことのない表象は、たとえどんなにデフォルメされたものであっても夢の中の表象に出てくることはないと思うのだが。心理学者のユンクなら元型とでもいうのかもしれない。それならそれらしい図柄じゃないとおかしいよね。バーテンと話しているなんて言う場面は「元型」からはほど遠い。
その後、つまりテラス事件後、「頭すっきり」系の薬に頼ったり、宗教とかクリスチャンサイエンスみたいな新宗教の本を漁ったりしたから、それの影響でこんな変な夢をみるのだろうか。たしか君は心理学を専攻したんだよね。君の夢解釈を聞きたいな。***

94:似たもの家族

* これが最後だ、なんて書いたが、もう一つある。カフカの生活については様々な研究があるらしいが、友人から聞いたところでは僕の家庭環境とすごく似ているのだ。前に書いたようにカフカの父は僻地の農村出身で苦労して首都に店を構えるまでに出世した。母親はユダヤ人社会の有力者の家系だ。これも似ている。僕の父は自分の実家のことは一切話さなかったし、郷里の人間が訪ねてくることもなかったから一切分からなかった。僕には母親が違って親子ほど年の違う兄がいる。彼が子供のころはまだ田舎の実家と交流があったらしい。実際兄は小学校を卒業するまで田舎で育ったそうだ。僕が成人してから兄から初めて田舎のことを聞いて驚いたのだ。父は東京で出世していく過程で郷里との関係を絶ったのだ。

僕が子供のころにはもう父は出世していて、田舎のことは全く子供たちに聞かせなかった。母は地方の有力者の家庭の出だ。一種のミスマッチだね。結婚当初は仲人口に乗せられたのだろうが、その内に亀裂が表面化して若い母はずいぶん悩んだらしい。母の遺品の中にイプセンの戯曲「人形の家」とロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」という小説を隠し持っていた。しかし、長い間に子供がどんどん生まれてくると、あきらめて順応して、自分の役割を父親と子供たちの仲立ち、ありていに言えば子供たちを夫から守ることが自分の使命だとあきらめたようだ。しかし、それは子供たちが父親の機嫌を損ねて被害を受けないようにするために、父親の代弁者になるという役割だ。これはカフカの母親のとった態度と全く同じらしい。

僕には妹が三人いたがカフカにも妹が三人いたという。伝記などによると、この三人が「かたまってしまい」カフカは孤独な生活を送ったという。これが妹が一人ならまた違っただろう。二人になると女だけで「かたまって」しまう。まして三人となれば完全な排他的集団と化すかもしれない。しかし、妹のなかでも一人とは会話することがあったらしい。そういうところも似ている。

僕とカフカが違うところはカフカが長男であったが、僕には20歳以上年が違う兄がいたということだ。最後に兄のことを書こう。これが本当に最後だ。兄は僕が子供のころはすでに独立して官庁に勤めていた。長い間地方勤務が続いていたから僕と話をする機会もなかった。僕が成人してから聞いた話なのだが、兄にも「テラス事件」があったのだ。舞台はテラスではないから、疑似テラス事件とでもいうのかな。

それがやはり僕と同じ年代のころだという。ドイツの教育制度に私淑していた父は兄にスパルタ式の教育をした。家での勉強を監督していて兄の態度が気に食わないと定規で思い切り頭をなぐったという。殴られるのが前もってわかると兄は手で頭をかばう。そうすると「親に手向かうのか」と怒ったという。打たれる前に手で頭をかばうのは反射的な防御だ。それを「親に手をあげるのか」とくるのである。カミュなら究極のabsurde(不条理)というであろう。とうとう兄は耐えかねて、家を飛び出し酒場の女給をしていた女と風呂屋の二階で同棲を始めたというのだ。

父親は三度結婚した。最初の二人とは死別して僕の母親は三人目だ。兄が言っていたが、彼の母親を含めていずれも女性としては背の高いほうだったという。僕の母親も当時の女性としては背が高いほうだった。父はこれに反してかなり身長が低く150センチあるかないかの短躯である。兄が言うにはだから背の高い女性が好きだったのではないかというのだ。一理ある。ひょっとすると優生学的な配慮かもしれない。兄も僕ぐらいで背は高いほうだ。その話を聞いてふと思いついて兄にいつ頃背が一番伸びたかと聞いてみた。そうすると、僕と同じころなのだ。妙な暗合だと思った。しかし、僕の末の妹は目立つほど背が高い。彼女は父のお気に入りである。背が高い女性は妻でも娘でも好きなのだろう。息子の場合は身長が伸びだすと敵意をむき出しにするのだろうか。

兄が思い出したようにポツンと言った。「田舎にいるときも、父の母違いの姉はすごく背が高くて二人は仲がよかったな」と 言って妙な笑い方をした。***

95:下駄顔老人の回答試案、その一

昨夜は遅くなってから雨が強く振り出し、久しぶりに雷鳴が空を奔るのを寝床の中で聞いた。古い友人が発送するのを忘れていた半世紀前の長い手紙を読んで当時のことがしきりと思い出されてしばらく寝付けなかった。JSはトイレに起きてたついでに時計を見るともう7時である。カーテンを開けるとドブネズミ色の空からまだ雨が執拗に降っている。

外出自粛要請の出ている帝都では外出するような気にはなれない。この頃では別に用もないのに電車や地下鉄に乗っても乗客は一車両に二、三人しか乗っていなくて電車に乗るのも悪いような気にさせられる。さりとて、この土砂降りの中を一時間以上かけてズボンのすそを濡らしながらダウンタウンまで歩いて行くのも酔狂すぎる。この前に行ったときには、やはり休業にしようかと思っていますと女主人が言っていた。もう休業しているのかもしれない。

今日はお籠りさんを決め込んで手紙の返事を書こう。といっても相手はもうこの世にはいないのだが、手紙で投げかけられた質問は興味があるので、答えを考えてみたい。実は彼の手紙を読んでいてフレイザーの「金枝篇」を思い出したのだ。彼が妙に生々しく既視感のある夢を見るというくだりである。

『フレイザーというのはイギリスの民俗学者である。金枝篇というのは彼が書いた有名な本で世界各地の民間伝承を収集したものである。20世紀の初めに書かれ書籍だ。19世紀だったかな』。

記憶で書いているがまあ、詳しい正確なことはあとで調べよう。本当は読み直してから書くべきなのかもしれないが、とJSは肚の中で考えた。

『東南アジアたしかボルネオかマレイシアの原住民の間では寝ている人間をいきなり起こして驚かすのは殺人と同じだと考えられている。理由は寝ている間は人間の魂は体を抜け出してどこかを浮遊していると考えている。あるいは驚いて体から飛び出してしまう、だったかな。だから人間を無理やりに起こすと飛び出した、あるいは浮遊していた魂は着艦する母艦を見失った飛行機のようになるというのだ。これは日本の神道でいう脱魂状態である。朝になっても魂とからだが合体できなければ死んだも同じだというのだ。君の場合もこれに当てはまるようだ。

脱魂状態になるとどうなるか。空中を浮遊しているほかの魂がその魂の抜けて出来た隙間に着陸進入するわけである。神道ではこの状態を憑依という。根拠がないとか、実証できないとか何とでも言え。こんなところで力んでもしょうがないが。

しかし当時を知っている僕にとっては依然<君は君>であった。ひどい損傷を受けたようではあったがA=A(フィヒテ流に表現すれば)であった。するとどうなるのだ。古来魂は分割不可能というのが定説であるが、あるいは一部だけが驚いて体外に飛び出したとするとどうだ。一つの体に二つの魂だ。そして昼間はもともとの君の魂の一部が君の体を動かしている。夜寝ているときは憑依した魂が夢を見る』

しかし、とJSはキーボードの上をさまよう指を止めて考えた。これは多重人格と言うことになるのだろうか。その当時彼は肉体的、精神的に消耗が著しかったが性格が分裂したようには見えなかった。心理学者の間で弄ばれる「二重人格」や「多重人格」という概念が当てはまるとは考えられない。

JSはプリントアウトをしばし睨んで沈思した。うまくまとまったかな。チャネリングの要素も考えないと辻褄が合わないかな。どうもどこかの新興宗教みたいになったと肚の中で考えて苦笑した。

96:下駄顔老人の試案その二

『君の手紙で注意をひかれたのは、父親の「蛇眼」が、君の表現でいえば邪眼か、発顕した時期である』とJSは続けた。
『お兄さんにも同じ時期に同じことがあったという。これは偶然ではないだろう。それでオースターの小説が思い浮かんだ。といっても君が手紙を書いた時期には彼はまだ小説家デビューをしていなかったから知らないだろうが。彼の小説、たしか「オラクル・ナイト」だったと思う。登場人物の老作家が「男の子がかわいいのはせいぜい背が150センチまでだよ」と言うところがある。かれはアメリカ人だから身長が平均だとしても百七、八十センチはあるだろう。そのくらいをイメージしてオースターは書いているはずだ。
手紙によると君のお父さんは背が低かったそうだ、150センチだったか、だから自分より背が高くなった息子から見下ろされるのは嫌だったに違いない。お兄さんがDVに近いしつけを受けるようになったのも身長が父親を上回った頃だというではないか。
さらにいうと、哺乳類のオスの成獣には子殺しの遺伝子があるそうだ。通常はマスクされていて子殺しのDNAサブルーチンはオンにはならない。それが何かのひょうしにマスクが外れることがある。シロクマでは50頭に一頭、ライオンでは百頭に一頭、人間では一万人に一人で発顕するという研究もあるらしい。理由は簡単だ。ボスは一人でいい。ハーレムにオスは一頭しかいらない。自分の縄張りにオスの成獣は一頭しかいらない。北極熊では食糧事情もあるらしい。つまり子を食うわけだ、北極の厳しい環境では。だから北極熊の母親の役割は夫から子供を守ることらしい。最近の日本では子供に対するDV事件が多いが、こういうことを考えないと理解できないケースがある。
話はがらりと変わるが古代の神話には子殺しの話がある。なかでもギリシャ神話の場合は顕著だ。まだネアンデルタール人とせめぎあっていた時代だろう。初代の天帝はウラヌスというが、彼は生まれてくる子供を片っ端から井戸の底に放り込んだ。井戸と言うのは日本的発想だが、神話ではタンタロスの底に投げ落としたとある。タンタロスとは地底奥深くにある地獄である。後に子供たちが反抗して父ウラヌスを殺し、その陰部を切り取って捨ててしまった。二代目の天帝には子供の中からクロノスが選ばれた。
このクロノスが無類の子供っ子食いであった。女房の女神ヘラが生む子を片っ端から食べてしまった。そこでヘラは一計を案じて石を産着でくるみ、赤ん坊だとだまして夫に食わせたのである。そして子供、ゼウスというが、をクレタ島の洞窟に隠してひそかに育てた。さて、ゼウスは成人すると父親クロノスが祖父ウラヌスを殺したように父親を殺して天帝となった。彼は子殺しをしなかったようで、ここにおいて子殺しサブルーチンは一応マスクされたのである。ゼウスは人間の女と交わったりして沢山の子供を産んだ。これが神人といわれるカテゴリーの祖先である。それからどれだけの世紀がたったのか知らないが時々マスクが外れる。時代が段々ソフィスティケイトされてくるとストレイトな子殺しはすくなくなるが躾け、教育などにかこつけて、それは様々な形をとることもある。

日本の神話にもあるが例はギリシャのように多くはない。イザナギノミコトがその子ヒノカクズチノカミの首を切ったなどが古事記に記載されている。
 カフカの小説で言うと「判決」という短編では父親は子供に「溺れて死ね」と命令する。子供は川に飛び込んで死ぬというストーリーである。』
ヤレヤレとJSはため息をつくとキーボードを打つ手を休め、しょぼしょぼする目を上げて向かいの家の女子研修生の部屋を眺めた。昼間は研修に出かけているらしく静かだが外には桃色と黒色のパンティーが風に揺れていた。雨はいつの間にかあがっていた。


97:下駄顔老人回答試案その三


#カフカ作品論、判決および審判

さて、最後にカフカの作品に現れた父を見てみよう。君の場合と写像のように重なり合うのか、合わないのか確かめてくれたまえ。いまはアマゾンがあるから天国からでも注文すれば届けてくれると思う。

カフカの作品でストレイトに父を扱ったのは短編「判決」である。小説であるから実際の状況は全く同じではない。書いたころには父は依然として商店主として、そして父親として家族に君臨していたのであるが、「判決」では息子に商売の経営権を渡した隠居である。息子がある日、暗い部屋で一日中新聞を読んでる父親の部屋に行き、自分の日当たりのいい部屋と交換しようと「親切」に申し出る。突然、唐突に(この特徴を表す二語はカフカ小説の専売特許であるが)激怒する。耄碌したと思って親を馬鹿にするな、というのである。俺は今でも何でもお前のやっていることは知ってるぞ、と息子に怒鳴る。そして息子に命令する。「いますぐ川に飛び込んで溺れ死ね」と判決を下す。息子は家を飛び出して町を流れる川の欄干を乗り越えて川に飛び込むという筋である。

この短編は「変身」だとか、「審判」や「城」などに比べてあまり知られていないのでやや詳しく紹介したが、わずか20ページぐらいの短編で僕もこれは何だ?と全く興味が持てなかった。君の手紙を読んで「不条理な父」という視点から振り返ってこの作品を思い出したのだ。しかし、専門家も父問題を論じるときには「審判」と並べてこの「判決」をあげているようだ。

もうひとつの「審判」は長編で「城」とならびカフカの代表作として「判決」よりもはるかに有名である。この小説では父のかわりに得体のしれない権力、国家というか、組織というか、そういう大きなモノが理由もなく(不条理に)突然市民を逮捕し、訴追し、審判し死刑判決を下す。しかし当人にはどういう判決を下されたのか分からないのだ。本人もそういう重大なことを確認しようともしない。そして一年ぐらい普通に暮らしていると、突然二人の身なりのいい紳士が訪れ丁重に彼を連れ出して郊外の路傍で犬を殺すように処刑するという筋である。名指しされていない大きなモノ(国家、あるいは権力)は世評では父とパラレルにとらえられている。このモノを当時欧州で勃興してきたナチスのような全体主義を暗示していると論じるものもあるようだが、そこまでいくと行きすぎだろう。オーストリア・ハンガリー帝国の末端官僚として、それなりに順調に出世してきたカフカには、そこまでの政治意識はなかっただろう。

「審判」には腐るほどの専門家の意見があるから、その詳細は彼らに譲ろう。「判決」で注目すべきはカフカ自身のこの作品に対する評価である。彼はこの作品で初めて思うように書けたと満足している。この作品でどう描くべきかが分かったという。自分のスタイルを把握したというのである。そういう意味で彼の父小説のアルファであり、もう少し注意して読むべきだろう。
さて次はいよいよ「変身」だ。これを父小説の見る論評はないようだが、僕はこれも父がテーマであると思う。このように思うのは君の手紙を読んだからなのだ。

 

98:「変身」における秘密漏洩

前に父をテーマにした作品は「判決」、「変身」と「審判」だと書いたが、もう一つ「火夫」という作品があるらしい。しかもカフカ自身の言葉として判決、変身、火夫を一つにして「息子もの」として出版したと言っていたという。いずれも短編で三つまとめると本としての分量や体裁が整うということもあったらしい。

「火夫」とはなにか。釜焚きのことであろう。はて、と考えた。読んだかな。これは初期の長編「失踪者(別名アメリカ)」の第一章だという。それなら読んだ、ただし途中までだ。どうにも単調平板で読み切れなかった記憶がある。それでもう一度読んでみた。第一章はせいぜい40ページほどである。苦も無く読める。苦も無く読める、というのは妙な言い方だが。読んだばかりだから、、読後の印象ははっきりしている。

たしかにむすこものだ。女中に子供を孕ませた罰として17歳の主人公はわずかな持ち物だけを与えられてアメリカ行きの汽船に乗せられた。ニューヨークで降りるときに荷物を持ってくるのを忘れて、傘だったかな、船底(三等客室)に戻る途中で、妙な火夫に合う。
火夫というのはかまたきのことで、当時1912年当時は石炭を燃やしてスクリューを回す蒸気レシプロエンジンである。そのボイラーに石炭をくべるのがかまたきである(間違っていたら訂正をこう)。1912年には例の有名なタイタニック号が処女航海で氷山にぶつかって沈没しているが、この船もまだ石炭が燃料だった。

火夫が船長に苦情を言いに行くのについて行ってそこで偶然叔父でアメリカで上院議員にまでなっていた人物に合うという都合のいいはなしである。ちなみに失踪者はカフカの生前未完で死後出版された。カフカはこの第一章はよくできたと思ったのだろう。切り離して出版したらしい。

たしかに父親がテーマだが、判決や変身とはだいぶ違う。唐突、言い換えれば不自然な叔父との出会いがあるが、これは従来型の小説の紋切型の小説にくさるほどある幸運な出会いである。しかも17歳の少年である。他の二作品ではどう見ても30歳より上である。従来型の、つまりありきたりの通俗小説としてはそれなりにまとまってはいる。おそらくカフカとしては、うまく書けたと思って他の作品と一緒に出版したのだろう。なお、この三作品は同じ年に書かれている。

さて、いよいよ変身についてである。ヤノーホの書いた「カフカとの対話」によるとカフカは「変身は決して告白ではありません。ある意味では、秘密漏洩ではありますが」と意味深長なことを言っていたそうである。つまり字義通りの正直な告白ではありませんよ、ということだろう。言い換えれば二重三重に変換してある。象徴的に書いてあるのですよ、ということであろう。

カフカの最大の細工は前夜のことがまるで書かれていないことである。つまり虫に変身する前の夜の出来事がまったく書いていない。あきらかに意図的に書かなかったのだ。

世にこれまで変身譚の類は古来多くある。彼が虫を選んだのは意味がある。変身譚には人間がより高い、何というか進化したというか、より高い次元の存在に変身する場合がある。あるいは変身して神様みたいになる変身譚もある。そして動物に変身する物語もあるが、多くは哺乳類あるいは鳥類になる、つまり温血動物どまりである。ザムサは生物進化の系統樹ではそれよりさらに低い昆虫になるのである。カフカはあきらかに意識して虫を選んでいる。

カフカが虫を選んだ理由は

1:父の仕打ちから受けた深い屈辱感を表すため

2:父から受けた心理的、肉体的な暴力の深刻さを表すため

である。

さて、虫になった彼は、父親から投げられたリンゴが背中にあたった傷が原因で消耗して死ぬわけである。カフカは前夜のことを叙述から省いたが、それでは読者がわからないかな、と心配してダメを押しているのである。殺したのは父親ですよ、と。リンゴ事件が「カフカとの対話」のなかでカフカが言う「秘密漏洩」なのである。

変身する前の父親は、いぎたなくソファでうたた寝ばかりしている痴呆老人に描かれているが、これは判決の父親と同じ手である。判決ではふとしたきっかけで父親は暴君にかわる。変身では、息子が虫になった後、生計のため銀行の警備員になり昔の活力を取り戻す。まったくパラレルな構図である。

君の手紙を読まなければ「秘密漏洩」の意味は分からなかったと思う。世界に雲霞のようにいるカフカ研究者の誰一人として、その真意を理解したものはいないようだ。

今日はいい天気になった。天国も晴れているかい。

敬具(おわり)

99:給湯室が私の部屋です

外出自粛要請下の帝都にあっては、妻のファイナンシャル・プランナーは完全在宅テレワークで仕事をこなしている。データを集めたり、ひねくり回したり、プレゼンテーション用の資料を作成したり、ほとんどの仕事はテレワークで対応できる。だから一日中1DKの部屋にいる。マリー・アントワネット風の天蓋のついたベッドが鎮座する部屋では仕事ができないから一間しかない居間にデンと据えられている大きな机は洋美に占領されてしまう。第九はデスクを使用できない。テレビも同じ部屋にあるから見ることもできない。妻に五月蠅いと怒られてしまう。第九は居場所がなくなってしまった。

個人用住宅ビジネスに不慣れな大手不動産会社が作ったタワーマンションのキッチンは会社の給湯室のようにチマチマしている。専業主夫であるかれは洋美が在宅しているときには外出できない。彼は一日中流しの前に折り畳み式の簡易椅子に座って、そこで洋美のご用命を待っているのである。

「今日は四谷荒木町の物件を見に行くよ」と彼はとうとう我慢ができなくなって恐る恐る洋美に提案した。さっきから腕を組んでパソコンの上の何やらのグラフとにらめっこしていた彼女はジロリと彼のほうを振り返ると「お岩稲荷のほうはどうなったのよ」ときつい口調で尋問した。
「あっちのほうには動きがないな。荒木町のほうはコロナのご時世だから動きがないとも言えない」と彼は意味不明な出まかせを言った。
「じゃあ、一緒にお岩稲荷の坂上のマンションのほうも調べてきて頂戴」という条件で許可が出たのである。「早く帰ってきなさいよ。また夕食が遅れたら承知しないから」という尖った声を背後に聞いて彼は久しくぶりに家を飛び出した。

もとより、四谷の不動産屋に行くつもりはない。目指すは「ダウンタウン」である。外出自粛要請が出てから一度も行っていないから、まだ閉まっているかもしれない、と危惧しながら彼は地下鉄の階段を駆け下りた。なにしろ時間がない。二時間をかけて歩いて行ったら帰るのが遅くなってしまう。彼の乗った車両には乗客は二人しか乗っていない。

着いてみるとダウンタウンは開いていてほっとした。ただし客は一人だけで、知らない顔だった。もともとこのカフェは三密の状態にはならない。椅子とテーブルの配置はもともとスペイシャスだ。それにコーヒー一杯が千円に設定しているわけだ。それに各テーブルの上には一つずつ換気扇が回っている。その上値段が高いから普段でも客で混むこともない。

注文を取りに来たママに「やっていないかと思ったよ」と言うと、美しい目じりに皺をよせて微笑んだ。「いつもの処方でよろしいのですね」。
「うん、忘れていなければね」
「インスタントコーヒーを大匙三倍、グラニュウ糖が15グラムぐらいにしましょうか」と首をかしげた。
かれは了承すると、ほかに人たちは来ているの、と聞いた。
「ええ、たまにお出でになります」というと注文をメモに記して去った。
もともと、趣味というか道楽でやっているから、客が減ってもあんまり気にしないでやっているのだろうな、と彼はママの後姿を見ながら思ったのである。


99:給湯室が私の部屋です

2020-05-27 07:42:05 | 破片

 外出自粛要請下の帝都にあっては、妻のファイナンシャル・プランナーは完全在宅テレワークで仕事をこなしている。データを集めたり、ひねくり回したり、プレゼンテーション用の資料を作成したり、ほとんどの仕事はテレワークで対応できる。だから一日中1DKの部屋にいる。マリー・アントワネット風の天蓋のついたベッドが鎮座する部屋では仕事ができないから一間しかない居間にデンと据えられている大きな机は洋美に占領されてしまう。第九はデスクを使用できない。テレビも同じ部屋にあるから見ることもできない。妻に五月蠅いと怒られてしまう。第九は居場所がなくなってしまった。

 個人用住宅ビジネスに不慣れな大手不動産会社が作ったタワーマンションのキッチンは会社の給湯室のようにチマチマしている。専業主夫であるかれは洋美が在宅しているときには外出できない。彼は一日中流しの前に置いた折り畳み式の簡易椅子に座って、そこで洋美のご用命を待っているのである。

「今日は四谷荒木町の物件を見に行くよ」と彼はとうとう我慢ができなくなって恐る恐る洋美に提案した。さっきから腕を組んでパソコンの上の何やらのグラフとにらめっこしていた彼女はジロリと彼のほうを振り返ると「お岩稲荷のほうはどうなったのよ」ときつい口調で尋問した。
「あっちのほうには動きがないな。荒木町のほうはコロナのご時世だから動きがないとも言えない」と彼は意味不明な出まかせを言った。
「じゃあ、一緒にお岩稲荷の坂上のマンションのほうも調べてきて頂戴」という条件で許可が出たのである。「早く帰ってきなさいよ。また夕食が遅れたら承知しないから」という尖った声を背後に聞いて彼は久しくぶりに家を飛び出した。

 もとより、四谷の不動産屋に行くつもりはない。目指すは「ダウンタウン」である。外出自粛要請が出てから一度も行っていないから、まだ閉まっているかもしれない、と危惧しながら彼は地下鉄の階段を駆け下りた。なにしろ時間がない。二時間をかけて歩いて行ったら帰るのが遅くなってしまう。彼の乗った車両には乗客は二人しか乗っていない。

 着いてみるとダウンタウンは開いていてほっとした。ただし客は一人だけで、知らない顔だった。このカフェは三密の状態にはならない。椅子とテーブルの配置はもともとスペイシャスだ。それにコーヒー一杯が千円に設定しているわけだ。そのうえ各テーブルの上には一つずつ換気扇が回っている。値段が高いから普段でも客で混むこともない。

 注文を取りに来たママに「やっていないかと思ったよ」と言うと、美しい目じりに皺をよせて微笑んだ。「いつもの処方でよろしいのですね」。
「うん、忘れていなければね」
「インスタントコーヒーを大匙三倍、グラニュウ糖が15グラムぐらいにしましょうか」と首をかしげた。
かれは了承すると、ほかに人たちは来ているの、と聞いた。
「ええ、たまにお出でになります」というと注文をメモに記して去った。
もともと、趣味というか道楽でやっているから、客が減ってもあんまり気にしないでやっているのだろうな、と彼はママの後姿を見ながら思ったのである。

 


98:「変身」における秘密漏洩

2020-05-11 07:57:45 | 破片

 前に父をテーマにした作品は「判決」、「変身」と「審判」だと書いたが、もう一つ「火夫」という作品があるらしい。しかもカフカ自身の言葉として判決、変身、火夫を一つにして「息子もの」として出版したと言っていたという。いずれも短編で三つまとめると本としての分量や体裁が整うということもあったらしい。

「火夫」とはなにか。釜焚きのことであろう。はて、と考えた。読んだかな。これは初期の長編「失踪者(別名アメリカ)」の第一章だという。それなら読んだ、ただし途中までだ。どうにも単調平板で読み切れなかった記憶がある。それでもう一度読んでみた。第一章はせいぜい40ページほどである。苦も無く読める。苦も無く読める、というのは妙な言い方だが。読んだばかりだから、、読後の印象ははっきりしている。

 たしかにむすこものだ。女中に子供を孕ませた罰として17歳の主人公はわずかな持ち物だけを与えられてアメリカ行きの汽船に乗せられた。ニューヨークで降りるときに荷物を持ってくるのを忘れて、傘だったかな、船底(三等客室)に戻る途中で、妙な火夫に合う。
 火夫というのはかまたきのことで、当時1912年当時は石炭を燃やしてスクリューを回す蒸気レシプロエンジンである。そのボイラーに石炭をくべるのがかまたきである(間違っていたら訂正をこう)。1912年には例の有名なタイタニック号が処女航海で氷山にぶつかって沈没しているが、この船もまだ石炭が燃料だった。

火夫が船長に苦情を言いに行くのについて行ってそこで偶然叔父でアメリカで上院議員にまでなっていた人物に合うという都合のいいはなしである。ちなみに失踪者はカフカの生前未完で死後出版された。カフカはこの第一章はよくできたと思ったのだろう。切り離して出版したらしい。

たしかに父親がテーマだが、判決や変身とはだいぶ違う。唐突、言い換えれば不自然な叔父との出会いがあるが、これは従来型の小説の紋切型の小説にくさるほどある幸運な出会いである。しかも17歳の少年である。他の二作品ではどう見ても30歳より上である。従来型の、つまりありきたりの通俗小説としてはそれなりにまとまってはいる。おそらくカフカとしては、うまく書けたと思って他の作品と一緒に出版したのだろう。なお、この三作品は同じ年に書かれている。

 さて、いよいよ変身についてである。ヤノーホの書いた「カフカとの対話」によるとカフカは「変身は決して告白ではありません。ある意味では、秘密漏洩ではありますが」と意味深長なことを言っていたそうである。つまり字義通りの正直な告白ではありませんよ、ということだろう。言い換えれば二重三重に変換してある。象徴的に書いてあるのですよ、ということであろう。

 カフカの最大の細工は前夜のことがまるで書かれていないことである。つまり虫に変身する前の夜の出来事がまったく書いていない。あきらかに意図的に書かなかったのだ。

 世にこれまで変身譚の類は古来多くある。彼が虫を選んだのは意味がある。変身譚には人間がより高い、何というか進化したというか、より高い次元の存在に変身する場合がある。あるいは変身して神様みたいになる変身譚もある。そして動物に変身する物語もあるが、多くは哺乳類あるいは鳥類になる、つまり温血動物どまりである。ザムサは生物進化の系統樹ではそれよりさらに低い昆虫になるのである。カフカはあきらかに意識して虫を選んでいる。

カフカが虫を選んだ理由は

1:父の仕打ちから受けた深い屈辱感を表すため

2:父から受けた心理的、肉体的な暴力の深刻さを表すため

である。

 さて、虫になった彼は、父親から投げられたリンゴが背中にあたった傷が原因で消耗して死ぬわけである。カフカは前夜のことを叙述から省いたが、それでは読者がわからないかな、と心配してダメを押しているのである。殺したのは父親ですよ、と。リンゴ事件が「カフカとの対話」のなかでカフカが言う「秘密漏洩」なのである。

 変身する前の父親は、いぎたなくソファでうたた寝ばかりしている痴呆老人に描かれているが、これは判決の父親と同じ手である。判決ではふとしたきっかけで父親は暴君にかわる。変身では、息子が虫になった後、生計のため銀行の警備員になり昔の活力を取り戻す。まったくパラレルな構図である。

 君の手紙を読まなければ「秘密漏洩」の意味は分からなかったと思う。世界に雲霞のようにいるカフカ研究者の誰一人として、その真意を理解したものはいないようだ。

 今日はいい天気になった。天国も晴れているかい。

                           敬具(おわり)

 


97:下駄顔老人回答試案その三

2020-05-10 07:57:08 | 破片

 さて、最後にカフカの作品に現れた父を見てみよう。君の場合と写像のように重なり合うのか、合わないのか確かめてくれたまえ。いまはアマゾンがあるから天国からでも注文すれば届けてくれると思う。

 カフカの作品でストレイトに父を扱ったのは短編「判決」である。小説であるから実際の状況は全く同じではない。書いたころには父は依然として商店主として、そして父親として家族に君臨していたのであるが、「判決」では息子に商売の経営権を渡した隠居である。息子がある日、暗い部屋で一日中新聞を読んでる父親の部屋に行き、自分の日当たりのいい部屋と交換しようと「親切」に申し出る。突然、唐突に(この特徴を表す二語はカフカ小説の専売特許であるが)激怒する。耄碌したと思って親を馬鹿にするな、というのである。俺は今でも何でもお前のやっていることは知ってるぞ、と息子に怒鳴る。そして息子に命令する。「いますぐ川に飛び込んで溺れ死ね」と判決を下す。息子は家を飛び出して町を流れる川の欄干を乗り越えて川に飛び込むという筋である。

 この短編は「変身」だとか、「審判」や「城」などに比べてあまり知られていないのでやや詳しく紹介したが、わずか20ページぐらいの短編で僕もこれは何だ?と全く興味が持てなかった。君の手紙を読んで「不条理な父」という視点から振り返ってこの作品を思い出したのだ。しかし、専門家も父問題を論じるときには「審判」と並べてこの「判決」をあげているようだ。

 もうひとつの「審判」は長編で「城」とならびカフカの代表作として「判決」よりもはるかに有名である。この小説では父のかわりに得体のしれない権力、国家というか、組織というか、そういう大きなモノが理由もなく(不条理に)突然市民を逮捕し、訴追し、審判し死刑判決を下す。しかし当人にはどういう判決を下されたのか分からないのだ。本人もそういう重大なことを確認しようともしない。そして一年ぐらい普通に暮らしていると、突然二人の身なりのいい紳士が訪れ丁重に彼を連れ出して郊外の路傍で犬を殺すように処刑するという筋である。名指しされていない大きなモノ(国家、あるいは権力)は世評では父とパラレルにとらえられている。このモノを当時欧州で勃興してきたナチスのような全体主義を暗示していると論じるものもあるようだが、そこまでいくと行きすぎだろう。オーストリア・ハンガリー帝国の末端官僚として、それなりに順調に出世してきたカフカには、そこまでの政治意識はなかっただろう。

「審判」には腐るほどの専門家の意見があるから、その詳細は彼らに譲ろう。「判決」で注目すべきはカフカ自身のこの作品に対する評価である。彼はこの作品で初めて思うように書けたと満足している。この作品でどう描くべきかが分かったという。自分のスタイルを把握したというのである。そういう意味で彼の父小説のアルファであり、もう少し注意して読むべきだろう。
さて次はいよいよ「変身」だ。これを父小説の見る論評はないようだが、僕はこれも父がテーマであると思う。このように思うのは君の手紙を読んだからなのだ。

 


96:下駄顔老人の回答試案その二

2020-05-09 07:43:20 | 破片

『君の手紙で注意をひかれたのは、父親の「蛇眼」が、君の表現でいえば邪眼か、発顕した時期である』とJSは続けた。

『お兄さんにも同じ時期に似たようなことがあったという。これは偶然ではないだろう。それでオースターの小説が思い浮かんだ。といっても君が手紙を書いた時期には彼はまだ小説家デビューをしていなかったから知らないだろうが。彼の小説、たしか「オラクル・ナイト」だったと思う。登場人物の老作家が「男の子がかわいいのはせいぜい背が150センチまでだよ」と言うところがある。かれはアメリカ人だから身長が平均だとしても百七、八十センチはあるだろう。そのくらいをイメージしてオースターは書いているはずだ。

 手紙によると君のお父さんは背が低かったそうだ、150センチだったか、だから自分より背が高くなった息子から見下ろされるのは嫌だったに違いない。お兄さんがDVに近いしつけを受けるようになったのも身長が父親を上回った頃だというではないか。

 さらにいうと、哺乳類のオスの成獣には子殺しの遺伝子があるそうだ。通常はマスクされていて子殺しのDNAサブルーチンはオンにはならない。それが何かのひょうしにマスクが外れることがある。シロクマでは50頭に一頭、ライオンでは百頭に一頭、人間では一万人に一人で発顕するという研究もあるらしい。理由は簡単だ。ボスは一人でいい。ハーレムにオスは一頭しかいらない。自分の縄張りにオスの成獣は一頭しかいらない。北極熊では食糧事情もあるらしい。つまり子を食うわけだ、北極の厳しい環境では。だから北極熊の母親の役割は夫から子供を守ることらしい。最近の日本では子供に対するDV事件が多いが、こういうことを考えないと理解できないケースがある。

 話はがらりと変わるが古代の神話には子殺しの話がある。なかでもギリシャ神話の場合は顕著だ。まだネアンデルタール人とせめぎあっていた時代だろう。初代の天帝はウラヌスというが、彼は生まれてくる子供を片っ端から井戸の底に放り込んだ。井戸と言うのは日本的発想だが、神話ではタンタロスの底に投げ落としたとある。タンタロスとは地底奥深くにある地獄である。後に子供たちが反抗して父ウラヌスを殺し、その陰部を切り取って捨ててしまった。二代目の天帝には子供の中からクロノスが選ばれた。

 このクロノスが無類の子供っ子食いであった。女房の女神ヘラが生む子を片っ端から食べてしまった。そこでヘラは一計を案じて石を産着でくるみ、赤ん坊だとだまして夫に食わせたのである。そして子供、ゼウスというが、をクレタ島の洞窟に隠してひそかに育てた。さて、ゼウスは成人すると父親クロノスが祖父ウラヌスを殺したように父親を殺して天帝となった。彼は子殺しをしなかったようで、ここにおいて子殺しサブルーチンは一応マスクされたのである。ゼウスは人間の女と交わったりして沢山の子供を産んだ。これが神人といわれるカテゴリーの祖先である。それからどれだけの世紀がたったのか知らないが時々マスクが外れる。時代が段々ソフィスティケイトされてくるとストレイトな子殺しはすくなくなるが躾け、教育などにかこつけて、それは様々な形をとることもある。

 日本の神話にもあるが例はギリシャのように多くはない。イザナギノミコトがその子ヒノカクズチノカミの首を切ったなどが古事記に記載されている。

 カフカの小説で言うと「判決」という短編では父親は子供に「溺れて死ね」と命令する。子供は川に飛び込んで死ぬというストーリーである。』

 ヤレヤレとJSはため息をつくとキーボードを打つ手を休め、しょぼしょぼする目を上げて向かいの家の女子研修生の部屋を眺めた。昼間は研修に出かけているらしく静かだが外には桃色と黒色のパンティーが風に揺れていた。雨はいつの間にかあがっていた。

 


95:下駄顔老人の回答試案、その一

2020-05-08 07:31:50 | 破片

 昨夜は遅くなってから雨が強く振り出し、久しぶりに雷鳴が空を奔るのを寝床の中で聞いた。古い友人が発送するのを忘れていた半世紀前の長い手紙を読んで当時のことがしきりと思い出されてしばらく寝付けなかった。JSはトイレに起きてたついでに時計を見るともう7時である。カーテンを開けるとドブネズミ色の空からまだ雨が執拗に降っている。

 外出自粛要請の出ている帝都では外出するような気にはなれない。この頃では別に用もないのに電車や地下鉄に乗っても乗客は一車両に二、三人しか乗っていなくて電車に乗るのも悪いような気にさせられる。さりとて、この土砂降りの中を一時間以上かけてズボンのすそを濡らしながらダウンタウンまで歩いて行くのも酔狂すぎる。この前に行ったときには、やはり休業にしようかと思っていますと女主人が言っていた。もう休業しているのかもしれない。

今日はお籠りさんを決め込んで手紙の返事を書こう。といっても相手はもうこの世にはいないのだが、手紙で投げかけられた質問は興味があるので、答えを考えてみたい。実は彼の手紙を読んでいてフレイザーの「金枝篇」を思い出したのだ。彼が妙に生々しく既視感のある夢を見るというくだりである。

『フレイザーというのはイギリスの民俗学者である。金枝篇というのは彼が書いた有名な本で世界各地の民間伝承を収集したものである。20世紀の初めに書かれ書籍だ。19世紀だったかな』。

記憶で書いているがまあ、詳しい正確なことはあとで調べよう。本当は読み直してから書くべきなのかもしれないが、とJSは肚の中で考えた。

『東南アジアたしかボルネオかマレイシアの原住民の間では寝ている人間をいきなり起こして驚かすのは殺人と同じだと考えられている。理由は寝ている間は人間の魂は体を抜け出してどこかを浮遊していると考えている。あるいは驚いて体から飛び出してしまう、だったかな。だから人間を無理やりに起こすと飛び出した、あるいは浮遊していた魂は着艦する母艦を見失った飛行機のようになるというのだ。これは日本の神道でいう脱魂状態である。朝になっても魂とからだが合体できなければ死んだも同じだというのだ。君の場合もこれに当てはまるようだ。

脱魂状態になるとどうなるか。空中を浮遊しているほかの魂がその魂の抜けて出来た隙間に着陸進入するわけである。神道ではこの状態を憑依という。根拠がないとか、実証できないとか何とでも言え。こんなところで力んでもしょうがないが。

しかし当時を知っている僕にとっては依然<君は君>であった。ひどい損傷を受けたようではあったがA=A(フィヒテ流に表現すれば)であった。するとどうなるのだ。古来魂は分割不可能というのが定説であるが、あるいは一部だけが驚いて体外に飛び出したとするとどうだ。一つの体に二つの魂だ。そして昼間はもともとの君の魂の一部が君の体を動かしている。夜寝ているときは憑依した魂が夢を見る』

しかし、とJSはキーボードの上をさまよう指を止めて考えた。これは多重人格と言うことになるのだろうか。その当時彼は肉体的、精神的に消耗が著しかったが性格が分裂したようには見えなかった。心理学者の間で弄ばれる「二重人格」や「多重人格」という概念が当てはまるとは考えられない。

JSは手に持ったプリントアウトをしばし睨んで沈思した。うまくまとまったかな。チャネリングの要素も考えないと辻褄が合わないかな。どうもどこかの新興宗教みたいになったと肚の中で考えて苦笑した。

 


94:似たもの家族

2020-05-07 08:45:27 | 破片

* これが最後だ、なんて書いたが、もう一つある。カフカの生活については様々な研究があるらしいが、友人から聞いたところでは僕の家庭環境とすごく似ているのだ。前に書いたようにカフカの父は僻地の農村出身で苦労して首都に店を構えるまでに出世した。母親はユダヤ人社会の有力者の家系だ。これも似ている。僕の父は自分の実家のことは一切話さなかったし、郷里の人間が訪ねてくることもなかったから一切分からなかった。僕には母親が違って親子ほど年の違う兄がいる。彼が子供のころはまだ田舎の実家と交流があったらしい。実際兄は小学校を卒業するまで田舎で育ったそうだ。僕が成人して兄から初めて田舎のことを聞いて驚いたのだ。父は東京で出世していく過程で郷里との関係を絶ったのだ。

 僕が子供のころにはもう父は出世していて、田舎のことは全く子供たちに聞かせなかった。母は地方の有力者の家庭の出だ。一種のミスマッチだね。結婚当初は仲人口に乗せられたのだろうが、その内に亀裂が表面化して若い母はずいぶん悩んだらしい。母の遺品の中にイプセンの戯曲「人形の家」とロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」という小説を隠し持っていた。しかし、長い間に子供がどんどん生まれてくると、あきらめて順応して、自分の役割を父親と子供たちの仲立ち、ありていに言えば子供たちを夫から守ることが自分の使命だとあきらめたようだ。しかし、それは子供たちが父親の機嫌を損ねて被害を受けないようにするために、父親の代弁者になるという役割だ。これはカフカの母親のとった態度と全く同じらしい。

僕には妹が三人いたがカフカにも妹が三人いたという。伝記などによると、この三人が「かたまってしまい」カフカは孤独な生活を送ったという。これが妹が一人ならまた違っただろう。二人になると女だけで「かたまって」しまう。まして三人となれば完全な排他的集団と化すかもしれない。しかし、妹のなかでも一人とは会話することがあったらしい。そういうところも似ている。

僕とカフカが違うところはカフカが長男であったが、僕には20歳以上年が違う兄がいたということだ。最後に兄のことを書こう。これが本当に最後だ。兄は僕が子供のころはすでに独立して官庁に勤めていた。長い間地方勤務が続いていたから僕と話をする機会もなかった。僕が成人してから聞いた話なのだが、兄にも「テラス事件」があったのだ。舞台はテラスではないから、疑似テラス事件とでもいうのかな。

それがやはり僕と同じ年代のころだという。ドイツの教育制度に私淑していた父は兄にスパルタ式の教育をした。家での勉強を監督していて兄の態度が気に食わないと定規で思い切り頭をなぐったという。殴られるのが前もってわかると兄は手で頭をかばう。そうすると「親に手向かうのか」と怒ったという。打たれる前に手で頭をかばうのは反射的な防御だ。それを「親に手をあげるのか」とくるのである。カミュなら究極のabsurde(不条理)というであろう。とうとう兄は耐えかねて、家を飛び出し酒場の女給をしていた女と風呂屋の二階で同棲を始めたというのだ。

 父親は三度結婚した。最初の二人とは死別して僕の母親は三人目だ。兄が言っていたが、彼の母親を含めていずれも女性としては背の高いほうだったという。僕の母親も当時の女性としては背が高いほうだった。父はこれに反してかなり身長が低く150センチあるかないかの短躯である。兄が言うにはだから背の高い女性が好きだったのではないかというのだ。一理ある。ひょっとすると優生学的な配慮かもしれない。兄も僕ぐらいで背は高いほうだ。その話を聞いてふと思いついて兄にいつ頃背が一番伸びたかと聞いてみた。そうすると、僕と同じころなのだ。妙な暗合だと思った。しかし、僕の末の妹は目立つほど背が高い。彼女は父のお気に入りである。背が高い女性は妻でも娘でも好きなのだろう。息子の場合は身長が伸びだすと敵意をむき出しにするのだろうか。

兄が思い出したようにポツンと言った。「田舎にいるときも、父の母違いの姉はすごく背が高くて二人は仲がよかったな」と 言って妙な笑い方をした。***

 

 


93:三変化

2020-05-06 08:27:36 | 破片

*その後に僕に起こったことは君の見聞したとおりだが、身体的には力が抜けたというか無気力になってしまい、スポーツや運動に興味がなくなった。学校の成績も君の知っている通りだ。そうだ、ひとつ君の知らないことがある。最後にそれを書こう。考えてみると実に不思議なのだが、あの事以来それまでの記憶がなくなってしまった。まあ、13、4歳くらいの経験の少ない年齢だから記憶と言っても幼児時代から小学生時代のことだが。人の記憶と言うのは何時頃から後に残るものだろう。3,4歳までの記憶というのは普通誰も残っていないだろうというのは分かる。もっとも三島由紀夫のように気取った男は自分が産湯を使ったことまで覚えているというらしいが。これは小説だからね。

 ああ、そうそう身長の伸びがぱたりと止まってしまった。だからいまでも170センチだ。記憶の話を続けると、誰でも小学校時代のことは断片的でも覚えているだろう。幼稚園のこともかなり覚えているらしい。それば僕には全く欠落しているのだ。もっともそれに気づく前から無かったのか、テラス事件後なくなったのか、どうかは分からない。あるとき誰かと話していた時に、彼が幼稚園時代のことを楽しそうに話しているときに自分はまったく記憶がないことに気が付いたのだ。

 僕の場合、幼稚園は都電でだいぶ行かないといけない。かなり家からは離れていた。だからかならず誰か付き添っていたはずなのだが、それがまったく思い出せない。その年代の子供にとっては遠方への通園はかなり強く記憶に刻み込まれると思うのに。付き添っていたのは母なのか。家事のある母が毎日付き添っていったとは思えない。しかも午後には迎えに行かなければならない。女中かあるいは年の離れた姉か。その記憶が全くないというのは非常に不思議だ。憶えているのはその幼稚園の前の都電の停留所の近くに大蛇の標本があったことだけだ。おそらく漢方薬局で蛇をホルマリンの入った瓶に入れて店頭に飾っていたのだ。その蛇を見るたびに怖がったから覚えているのだろう。その幼稚園のことが分かるのは記憶ではなくて、手元に残っていた卒園写真なのだ。実際の記憶はない。

 そうそう、それ以来妙な夢を見ることがあった。自分が全然知らない場所にいるのだ。しかもその場面に強烈な既視感があるのだ。生々しい体感があるのだ。これは今でも時々ある。四、五日前にも自分が全然行ったことのない新橋駅近くのガード下で飲んでいる夢だ。あまり生々しいので、つまり友人とかバーテンとの会話などもはっきりとしているので、目覚めた後も思い出せるのだ。それで、自分ではひょっとして忘れているかもしれないのか、と思ってその日の帰りわざわざ、そんなバーがあるかどうか近所に寄ってみた。勿論そんな店はない。夢の中ではたしかこの辺だと周りを見回したりしてね。勿論夢に登場する友人も現実世界には該当する友人はいないのだ。

 もちろん夢だから突拍子もない表象も出てくる。怪獣も出てくるらしい。僕はないけどね。しかし、全然見たこともない、現実にも、テレビや映画でも見たことのない表象は、たとえどんなにデフォルメされたものであっても夢の中の表象に出てくることはないと思うのだが。心理学者のユンクなら元型とでもいうのかもしれない。それならそれらしい図柄じゃないとおかしいよね。バーテンと話しているなんて言う場面は「元型」からはほど遠い。
 その後、つまりテラス事件後、「頭すっきり」系の薬に頼ったり、宗教とかクリスチャンサイエンスみたいな新宗教の本を漁ったりしたから、それの影響でこんな変な夢をみるのだろうか。たしか君は心理学を専攻したんだよね。君の夢解釈を聞きたいな。***

 


92:二つのテラス

2020-05-05 06:43:54 | 破片

*友人の話を聞いて自分の「テラス事件」の記憶が深い忘却の深い淵から浮かび上がってきたのだが、カフカと僕のテラス事件には雲泥の差があるのに気が付いた。深刻さでは比較にならないほど僕のほうが深刻なのだ。

カフカは父の行為の原因は分かっていた。夜中に(たぶん、大声で)泣き喚いて父親を困らせた。何とかすかそうとして初めは説得していたが言うことを聞かないので、父親はとうとう激怒して深夜の寒空に下着一枚の子供を突き出したのだ。これはカフカの手紙に明瞭に書かれてることだそうで、間違えのないはっきりとした記憶が彼にはあった。カフカは言うことを聞かないで泣きじゃくったのは親を困らせようとしたので大した原因があるわけじゃないと書いているそうだ。つまり自分でも親を怒らせた責任があると分かっていたのだ。しかし、そんなことで、子供を下着一枚で夜のテラスに締め出すのはひどいじゃないか、というわけだ。事件の原因もわかっているし、はっきりと記憶に残っている。だから書いているわけだが。

 この事件はカフカの心に深い恥辱感を刻み付けた。そしてその後、父の過酷な仕打ちに遭うたびにこの「恥辱感」がよみがえってくる、というような内容らしいのだ。しかしながら、カフカの心理に強い記憶を刻み込んだが心身の発育にはまったく影響しなかったらしい。

僕の場合は全く違う。夜ちょうど寝入った頃に酔っぱらって帰ってきた父は無言で僕を布団から引きずり出してフランス窓からテラスに引き出し、二階の手すりから庭に突き落とそうとしたのだ。驚いた母が飛び出してきて止めた。父は家の中に入るとドアに鍵をかけてしまった。

僕はその時になってもまだ完全に目が覚めていなかったと思う。憶えているのは満月の夜で月がやけに大きくて気持ちの悪い赤みがかった色をしていたことだ。そのうちに夏のことで急に嫌な冷たい風が吹き出して、庭木が生き物のようにざわざわと揺れた。にわかに雲が月を覆い暗くなると、遠くで雷が鳴りだした。いきなり激しく雨が降り出したのだ。ようやくこっそりと母がテラスのドアを開けて父には内緒で家の中に入れてくれたのだ。

父は僕をテラスに引き出すあいだ、終始無言だった。だから何が父を怒らせたのか全く分からない。母にも分からないようだった。その後僕がどうしたかは記憶がない。たぶん寝床に倒れこんで前後不覚に寝入ってしまったのだろう。あの夜僕は殺されたのだ。完全に息の根を止められたのだ。君が僕を見て幽霊みたいだと思ったことは正しいのだ。

しかし、これでは君の質問に半分しか答えていないね。君は「どうして」と尋ねた。つまり理由を聞いたのだ。それを答えなければいけないのだが、僕には二十年経っても分からないのだ。質問には半分しか答えられなかったが許してくれたまえ。じつは僕もそれが知りたいのだ。しかし父本人に聞くなどと言うことは思い付きもしなかった。しかし、友人からカフカの話を聞いて手紙で聞いてみる手はあるのかな、と思いついた。しかし、実際にペンを手に取るとそんなことがすらすら書けるものではない。それで君の昔の疑問を思い出して君宛に手紙を出そうと考えたわけだ。

その後父にも自分の行為を行き過ぎたと反省している様子もあったし、カフカの手紙にも父親がカフカが病気の時に気遣う様子などを(公平に)書いているそうだが、僕の父も時には僕のことを心配してくれたこともあった。まあね、どんな人間でもいろいろな面がある。そんなことをいろいろ思い出すと面と向かって糾弾するのも難しいのだ。僕は人格と言う矛盾のない性格などと言うものは信じない。人間には、だれにでも表もあれば裏もある。ただ父親はそれが激しすぎるのだ。しかも多くの面がある。六面体くらいはあるね。しかも、悪いことに、書かしてくれ給え、父親のサイコロは鉄火場のサイコロのように目が偏るのだ。どちらかと言えば不条理な感情の爆発が多かった。

例えば一の目が出た時には感情が激発して抑えらず冷酷非情になる。あの満月の夜はそのような彼の性格の面が露出していたのだろう。しかし僕が小学生のころには、父は僕には無関心だった。父は僕にとっては無色透明な水のような存在だった。中学に入ったころから、気が付くと時々父親が僕をすさまじい目で睨んでいることに気が付いた。たとえば、机に向かって宿題をしているね、背後を通る人の気配を感じて振り返ると、父親がすごい目で人を瞬殺しかねない目つきで見ているのだ。それも特別な理由が思いつかない。なにか悪戯をしていたとか、机の上でコップをひっくり返したとか、そういうことは一切ないのだ。父の目と言うのが特殊でね、目力というような生易しいものではない。蛇眼というか、いや邪眼か、ようするに瞬殺力のある目つきなのだ。**

 


91:父への手紙

2020-05-04 06:52:12 | 破片

*どうして君にこんな手紙を書くつもりになったか不思議に思うだろう。大学以来ご無沙汰しているが、ぼくもどうやら社会人になって、いまは勤め人だ。というと君も驚くだろう。年とともに少しは状態がよくはなってきたらしい。といっても超低空飛行は抜け出せないけどね。だから係長にもなれずずっと平社員だ。これが簡単だが、まずは近況報告だ。

 さて、会社の同僚に大学でドイツ文学をやった人間が居てね、このあいだフランツ・カフカの話を聞いた。僕は彼の小説は読んだことはないが、君は昔から小説をよく読んでいたから知っているだろう。有名な作家らしいね。彼は卒論でカフカ論を書いたそうである。

 その友人がいうには、カフカの書いたものに「父への手紙」というのが残っているそうだ。36,7歳のころに書いたというが、まだ同居していて同じ屋根の下に暮らしている父親に手紙を書いたというのだ。もっとも手紙は父に渡らなかったらしい。母親を介して渡そうとしたら母親がダメよと言って突き返したそうた。大体これで内容は想像できるね。

 直接渡す勇気がなかったのだろう。しかし、カフカとしては考えて考えて、何回も何回も推敲して書き直したものらしい。したがって大事に保存していて死後全集に入れられたという。なんでも原文で70ページにもなる長文だそうだ。邦訳したらその二倍くらいの長さになるだろう。

 聞いた内容なんだが、祖父と言うのは極貧のユダヤ人でチェコの寒村で畜殺業や動物の皮をはいだりする仕事をしていた。父親は14歳くらいの年で家を出て行商をしていたという。その後、商人として成功して首都のプラハに店を構えた。子供には大変厳しい親だったらしい。カフカは、というのは小説家になったフランツ・カフカのことだが、幼児の時からの数々の不条理と思える父親の過酷な仕打ちを書き連ねているわけだ。

 その父への手紙の中で小さいころの一つの体験が書かれているそうで、夜カフカがどうしても泣き止まないので父がテラスに突き出したという事件がある。カフカ研究者の間では有名な事件でテーマらしい。

 それまで、友人の話を漫然と聞いていた僕は不意に昔のことを思い出した。例の中学生の時の話だ。夏休みが終わって登校したときに君に「どうしたんだ」と言われた原因となったと今にして思い当たるのだが、似たような事件が僕の身にも起こったのだ*ーー

 はて、カフカか。「父の手紙」と言う作品は読んだことがないな、とJSは思った。もっとも読んだ本の内容をよく忘れるので、あるいは目にしたことがあるかもしれないが、と思いながらも書棚にあるカフカの本を探してみた。しかし、見つからなかった。

 インターネットで検索してみると前世紀五十年ほど前に一回か二回違う出版社でカフカ全集と言うのが出版されているらしいが、いまは絶版のようだ。ドイツ語は出来ないので英語の本を検索したがヒットしなかった。しかし、(Kafka Letter to Father)で検索するといくつか出てくるが全文を翻訳したサイトは一つしかない。それでプリントしようかと思って、出所を確認すると何とこれがフロリダの不動産屋なのだ。なぜ不動産屋なのだ。なんだかうさん臭いのでプリントアウトはやめにした。「カフカ研究者の間では有名」というから日本語でもカフカの伝記とか研究書には言及引用したものがあるのかもしれないと思い翌日書店を探すことにして手紙の続きを読んだ。

 

 


90:Before and After

2020-05-02 08:27:01 | 破片

 化粧品の広告なんかで使用前と使用後といって写真を並べてのせている広告がある。ダイエット用の商品の広告なんかにもそんなのがある。彼の写真をその前後にとって並べたらまさにそのような印象を与えるだろう。しかし順番は逆になるのだが。つまり使用後は薬の副作用で状態が悪化するのである。

彼は記憶がはっきりしないと言っていたが、たしか中学三年の時であった。夏休みが終わって新学期で再会した時の彼は全くの別人になっていた。魂の抜けた幽霊みたいだった。体全体もぐにゃりとした感じを受けて驚いた。

それまでの彼は自信が溢れていて、生気溌剌として何事においてもクラスのリーダーであり、中心的存在であった。再会後の彼は外見のみではなく、成績や行動でもそれ以前と一変していた。それまで、あらゆる学科において彼は試験のたびにトップの成績をおさめていた。試験では答案用紙が配られて1時間以内に答案を提出しなければいけないが、彼はいつも試験会場に十分以上いたことがない。あっという間に答案を書くと、それを提出してさっさと部屋を出てしまう。そしていつも百点満点なのである。授業中でも彼は質問をしたことがない。予習もしていないようだったが、教科書をちらっと眺めるだけで、教師の授業をすこし聞いただけでもうすべて理解してしまう。一般に授業中よく質問する生徒が優秀と言われ、また実際そうなのだが彼は質問をしたことが一度もない。

授業だけではない。スポーツでもずば抜けていた。特に走るのが早かった。徒競走ではいつもぶっちぎりでゴールに入った。また印象に残っているのは走り高跳びが得意だったことだ。誰よりも高く飛んだ。特に三年生になった年には身長が前の年に比べて二十センチも一気に伸びて運動能力も一段と高くなった。

それだけに新学期の彼を見た時にはショックを受けた。身体能力も急降下した。第一全然スポーツに参加しなくなった。成績は急降下して、試験ごとに上位の生徒が発表される掲示にも名前がのることもなくなった。

たしかに、そんなときに、「いったい何があったんだ」と聞いたことがあったような記憶はある。彼の答えを覚えていないから、きっと彼の言うように返事をもらえなかったのだろう。外見のわりには特に病気とかどこか体の具合が悪いというようなことはなかったようである。とにかく、そんな状態でも登校していたし、成績も惨憺たるものだったらしいが、落第もせずに卒業した。しかしその後志望する高等学校の受験には合格せずに、何年か浪人して私立大学の予科に入った。大学時代に偶然一、二度会ったことはあるが、それ以降会うこともなく、彼のことは忘れていた。後年一度彼のことを思い出したことがあった。

陶淵明の詩を読んでいたら、こんな詩に出くわしたことがある。

憶う 我れ少壮の時
***
猛志 四海に逸せ(ハセ)
翼をあげて遠く飛ばんと思えり

   注:一部原文と字が違います。当用漢字を当てたところあり

これだ、とその時彼を思い出した。夏休み前の彼の雄姿を彷彿とさせた。その翼が折れてしまったのだろうか。連想はギリシャ神話のイカロスに向かう。イカロスは翼を得て、父の忠告も聞かずに高く高く飛翔する。そうして太陽に嫉妬されて翼を焼かれてしまう。イカロスは墜死したという神話である。この連想に必然性はない。ぴかりと私の脳裏に一瞬ひらめいただけである。彼は太陽に嫉妬されたのだろうか。彼にとって太陽とはだれなのだろうかと、私は手紙を読むのをやめて目を閉じ座っていた椅子の背もたれにからだをあずけてしばし回想に耽ったのである。