久しぶりのミステリー書評です。アガサ・クリスティの「うずく親指」
うまい文章家あるいは小説家のミステリーはかならず結末で破綻する。これは帰納的結論であるとともに演繹的推論であります。
クリスティ78歳の作品と言うのにも驚きました。文章に艶があって話の進め方は流れるようで職人芸がさえます。老いてますます円熟です。
うまい一般小説家がミステリーに手を染めると成功しないといいますが、おもしろく書いている話を質面倒くさい落ちでまとめる、これは矛盾です。出来るわけがない。また、ミステリー・プロパーの小説家でも結論まで『読ませる』作家はいません。説明口調で小学生の作文調になります(それなりに特殊なマニアを納得させる技はある)。
さすがにミステリーのプロだから説明に破綻はないが、そんなことは小説の面白さとは無関係です。というよりかは反比例でしょう。一部の篤志ファンにはそれでも満足なのでしょうが。
寡読のオイラが唯一思い出せる成功した結末はレイモンド・チャンドラーのロング・グッド・バイです。これがハードボイルドの小説家だというのも皮肉ですが。ペースはあくまでもゆうゆうと最後まで流れる。無理がない。それでいてひねりもある。十分にスペースを取っている。
断わっておきますが、チャンドラーも他の作品では結論は乱暴です。ロンググッドバイが唯一の成功例でしょう。ちなみにダシール・ハメットも結末部はお粗末です。本格的推理小説もお粗末ですが、言い訳的に叙述に矛盾しないように意識的に作業をしていることが違います。
それでも結末までの話が面白ければ「小説」として読んでなんら差し支えはありません。どうせそういうものしか市場(本屋の棚)にはないのだから。
クリスティの魅力も文章と言うことでしょう。昔何冊か読みましたがおぼろげな記憶で言うと結論は生彩がありません(文章としての)。ただ、若い時はミステリー作家としての『自覚』(責任感?)から生硬な結末部で一応つじつまを合わせて読者を納得させようとしています。
「親指のうずき」は成功せる老大家として(あるいは年を取って面倒くさくなっただけかもしれませんが)、最後の数十頁、中でも最後の十数ページはひどいが、エイヤとやっつけています。それまで面白く話を持ってきたこと、老大家の権威からして許されることなのでしょう。