穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ここがそこ(ロードス島)だ、跳べ

2014-07-31 03:19:46 | 書評
相変わらずヘーゲルの精神現象学でご機嫌を取り結びます。

前半の目次に感覚的確信というのがある。またその次に自己自身の確信の真理、続いて理性の確信と真理という見出しがある。

論証はない。ここで「跳べ」というわけである。「信じるものは救われる」と言っているのである。ドイツの田舎、シュワーベン地方、アメリカで言えばdeep southの神学校出身者らしい言い方である。もっとも、シェリングもヘルダーリンも同級生だったのだから、大した神学校であったにちがいない。シェリングとはルームメイトだったらしい。

確信というのは論証なしにすすめ、ということ、ここを超えないと先へはすすめない、ということである。ここを飛び越えられない人は「不幸な意識」を持つことになる。なぜ不幸な意識なのかは説明がない。不幸な意識とは「懐疑主義」と「ストア主義」であるそうだ。いかにも神学生出身らしい「信じるものは救われる」的な考え方である。

第五章には理性の本能という言葉もある。当時のレベルでの自然科学の方法論を扱った「自然の観察」というところである(5-A-a)。

人間の理性にはぎりぎり考えて行くと一挙に飛び越えて確信に至るという性質があるらしい。もっとも、ラッセルもどこかで認識論を論じているところで「本能的信念」と書いていたのを記憶しているが、人間の書くことだ、正反対の主張の哲学者が結論では驚くほど同じことをいっていることがある。逆にそういう部分は信じてもいいのかもしれない。

しばらく前に科学哲学について書いたが、理論物理学などの物質の根源を探る学問は究極のところでは現代でも形而上学的前提に立脚している。重力とかエネルギーという概念は形而上学的概念で、ここで跳べ、というターニング・ポイントである。ここで飛ばないと気違い扱いされることは間違いない。

見方を変えると、「人間」という機械は「ここがロードスだ」という本能で一致する場所があるらしい。なにももっともらしく「共観性」などと事新しく言う必要はない。

しかし、ここで跳ばないでじっくりと考え直さないと、科学のコペルニクス的転換はあり得ないのかも知れない。学生諸君は(私の言うことを)信じてはいけませんよ。もっとも「統一理論」という難物も一挙に解決出来る可能性もあるのだが。

やはりヘーゲルは腹応えがいいな。


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ヘーゲル座り読み

2014-07-23 19:20:34 | 書評
長谷川宏さん訳の精神現象学が分かりやすい、とインターネットの評判である。そこで本屋で座り読みした。これは大型本でノートパソコンより重いかも知れない。立ち読みすると肘の靭帯が田中将大投手みたいに断裂しかねない。

そこで大型書店の購買検討用の椅子が置いてある店で座り読みをした。ざっと見ただけでは断定は出来ないが、樫山氏の訳の様にあるいは他の類書の様にぎょっとする訳語は目立たないようだ。

後書きを読んだ。ヘーゲルが影響を受けたというか、関連があるという項目がたしか六つぐらい上げているが、ヘルメス思想とかドイツ神秘思想との関連には全く触れていない。おそらく、業界の定番書を下敷きにして書いた解説なんだろうから、神秘思想との関連をいうのはマイナーな意見なのだろう。

結局買わなかった。すみません。財布に二千三円しかなかった。これは4800円とあるから税を入れると5千円以上するだろう。金が出来たら買おう。

ついでに奥付をみたら19刷とある。驚いた、5千円以上する本で、何を書いてあるのか分からない哲学書がこんなに売れるのか。もっとも、1刷で何部印刷するかだが、ま、せいぜい千部としても二万部も売れたわけだ。これには一驚した。とにかく初版がでたのもそんなに古いことではない。文化国家建設という敗戦直後の誓いは達成した物と思われる。


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ヘーゲルの著作はお筆先である。

2014-07-22 20:46:51 | 書評
例のマギーが書いているが、ヘーゲルの著書は自動書記だというのだな。神託を次から次へ文章にしている。いってみれば大本教の出口ナオのお筆先のようなものであると。

そう言われてみるとよく分かるところがある。ときどきすばらしいことを言う。あるいは「すばらしく見える」といったほうがよいかもしれない。それは結論であって、前後にある文章は普通なら、前に来る文章は論証であり、縷々然りしこうして云々となる。結論の後ろに来るのは結論を補足したり、分かりやすく敷衍するものであるが、ヘーゲルの著作はそうではない。論証めいてはいるがそうではない。

冗長な語りではあるが、「しかりしこうして」で積み上げ、畳み掛けてくる書き方ではない。


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今度は断片

2014-07-15 20:23:41 | 書評
前回はヘーゲル研究者からの孫引きが多いと書いたが、今度は「断片」だ。現代でも著述家は死後彼が書いたらしい反古が出てきて研究者が弄くり回すことがある。

この「理性の神話学」でも孫引きのオンパレードに続いて断片(fragment)の連発だ。ヘーゲルの手になるらしい断片、第三者がヘーゲルかこういっていたという伝聞が連続して出てくる。本当かな。本当かも知れない。しかし、こんな物を列挙する必要があるのか。ヘーゲルは大部の著作を残している。それで十分だ。あるいは先行思想家の著作との比較まではいい。「らしい断片」を振り回すのはやり過ぎだ。屋上屋を重ねるものである。

ソクラテス以前のギリシャの哲学者の思想は「断片」でうかがう。書いた物がほかに残っていないからしょうがないのだ。


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Reading Magee Slowly,魔術師の徒弟時代

2014-07-14 21:21:02 | 書評
G.A.Magee の Hegel and the Hermetic Tradition の調子が変わった。

Mageeのほうは面白いと書いたが第一部第三章から渋滞しだした。まったく調子がかわったんだね。

ちなみにこの本の章立てを紹介すると第一部が「魔術師の徒弟時代」というのだ。ヘーゲルが精神現象学を出すまでを書いている。第一章と第二章は錬金術やドイツ神秘思想とヘーゲルの表現(思想)の類似点を述べている。両分野からの引用も豊富かつ適切であり叙述はすっきりとしている。

第三章のタイトルは理性の神話学というのだ。おそらくヘーゲルの若書きだろうと言われているThe Earliest System-Program of German Idealism
の考察という体裁を取っている。あまり聞いたことのない論文だが、一説にはシェリングあるいはヘルダーリンの文章ではないかという説もあるそうだ。

それはいいのだが、この神話学の神話がどの神話をさしているのかマギーは全然ふれていないから、読んでいて不得要領なのである。また、現代研究者と思われる、名前も聞いたことの無いような人たちの論文からの孫引きが多くて、文章が整理されていないせいか、著しく読みにくい。(勿論イポリットなどの知名の人もいるが、大部分はマイナーな研究者と思われる)。

こういう孫引きが大量に本文に混入すると文章が整合性を欠き迫力が無くなり、説得力が弱くなり、そして著しく読みにくくなる。

神話というのはギリシャの神話なのか、キリスト教の神話なのか、ユダヤ教の神話なのか、マニ教とかゾロアスター教の神話なのか、いわゆるグノーシスの神話なのか(もっとも19世紀初頭にはグノーシス神話は知られていなかったと思うが)

ちなみにマギーの第二部のタイトルは「大作業」(Magnum Opus)である。この大作業というのは重要な錬金術用語である。そして第二部は四章に別れ処女作の精神現象学から始まって各著書への神秘思想の影響を記述したものらしい。

どれ、もう少し辛抱して読んでみるか。


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Don't Read D'Hondt

2014-07-12 18:17:55 | 書評
さて、前回ジャック・ドントの「知られざるヘーゲル」に触れたが、これは読む価値がない。駄本である。私の書評で本を買う人はいないであろうが、入手に苦労する本で本体2800円もする。無駄足を踏ませたり、無駄使いをさせては申し訳ないのでね。

もっとも、400ページの本で100ページも読まなかったが間違いない。一応責任があるからそれ以降も全部サラサラページをめくってはみたが。そのとき訳者の後書きを読んだが、これは学位論文の一部らしい。学位論文の本体は(ヘーゲルの歴史哲学)というものらしい。ま、学位論文ならいいだろうが、翻訳して紹介するほどの価値があるのだろうか。しかも副論文を。ゲテモノ受けを狙った物としか思えない。

このときの学位論文の審査委員にはジャン・イポリット教授もいたとある。彼の「精神現象学解説」は定本らしいから、購入予定に入れていたがやめにした。

ヘーゲルの歴史哲学にはフランスの思想家たちが決定的な影響を与えたと主張したい愛国的動機があるようだ。出てくるフランス人の名前はルソー(かれはスイス人だったか)は別にして私などには初めて聞く名前がほとんどだ。

また、フリーメーソン関係の記述もフランス革命直前の話ばかりで十数世紀もあるキリスト教社会での異端思想の系列にまったく触れていないのも異様である。
ヘーゲルの読書体験をいうならそちらの方が圧倒的に多いだろう。それらこそがヘーゲルの思想に深い刻印を残しているのだから。

とにかく、ヘーゲルに限らず青年時代にはあらゆる本をいかもの食いする。日本の現代書生でも同じことだろう。ましてヘーゲルの青年時代は世界史的にも屈指の大事件であるフランス革命があった。当時の青少年が関係する情報をむさぼり読むのは常識であろう。読書日記も残すだろう。しかし、それがヘーゲル晩年の歴史哲学の骨子をなしているという主張は全然説得力がない。

もっとも、翻訳されたせいか、この著書に触れる類書もあることはあるようだ。


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ヘーゲル方言

2014-07-10 16:47:30 | 書評
ヘーゲルにフリーメーソンの匂いがすると書いた。それで調べてみたが、以下の二冊を見つけて最初の方を平行して読んでいる。

* ジャック・ドント著 「知られざるヘーゲル」 1980年に発行された物でフランス語からの翻訳である。大型書店の書棚にもないだろう。書店で注文することは出来るようだ。

* Grenn A. Magee 著 「Hegel and the Heremetic Tradition」 大型洋書店の店頭にもないようだ。注文するとオンデマンドのような体裁の本が手に入る。

なお、前に書いたバートランド・ラッセルの『ヘーゲルの思想の背景には神秘体験があるに違いない』という文章は1910年代のラッセルの論文にあるようだ。

わたしがフリーメーソンに代表させたのは乱暴な表現で、欧州キリスト教の異端思想の長い流れ、というべきだろう。古代末期のヘルメス文書、中世や近世初期のドイツの神秘思想家、近世の、特に18世紀に盛んになりフランス革命と密接に関係した各種秘密結社すべてを一緒くたに代表させて、フリーメーソンと言った訳でいささか乱暴なくくりであった。

さて、上記二著の記述であるが「知られざるヘーゲル」はヘーゲルの一世代前の思想家たちでフランス革命に大きな影響のあった人物群(フランス、ドイツの)と、ヘーゲルの同時代の人物のヘーゲルへの影響といったことを丹念に集めている。

つまり若きヘーゲルの読書記録みたいなものだ。ただ、事実の羅列で各人の主張や内容にはあまり触れていないので退屈といえば退屈である。もっともまだ最初の方しか読んでいないのでこれから面白くなるのかも知れない。

これに対してMageeの著書は最初から面白い。もっとも前者がヘーゲルの同時代人に限っているのに、こちらは古代のヘルメス文書から説き起こしている、退屈しない。これもまだ最初の方で、これからどうなるか。

ヘーゲルを直接読んで「分かった」という人はご立派であるが、普通ヘーゲル方言は理解不能だろう。若きヘーゲルが必死になって読んだヘルメス文書類の調子がヘーゲルに染み付いてしまったのだろう。彼が物を書くとどうしてもヘルメス調になったらしい。

ヘーゲルは老年になっても熱心にヘルメス文書を研究していたようで、急死した彼の蔵書には錬金術などのヘルメス文書が大量に残されていたそうである。かれがコレラ発病後翌日に死亡するという彼自身もおそらく予期していなかった突然死にあわず、70、80の天寿を全うしていたら、これらの秘密危険文書は生前全部処分していたのではないかと推測するのだが。どうだろう。

武道の奥義書もそうだが、宗教の経典なども密教関係は容易に理解出来ない様に韜晦して書くのは常識である。不心得者に悪用されないような用心である。
そうしたものには、一見して悪文あるいは意地悪な表現がある。言ってみれば幕府の隠密を見破るために薩摩藩が独特の方言を意識的に開発したようなものである。

まして18世紀、全ヨーロッパの王制打倒を目標とした秘密結社の文書に暗号的「鍵」をかけるのは常識だろう。

ヘーゲル方言にもそういったところがある。注意して読むべきであろう。

異端として十数世紀に渡ってカトリック教会の弾圧を逃れてきたヘルメス関係文書にそういう文章上の装飾がふんだんに施されているのは常識と言えよう。

ヘーゲルも暗号解読の難しさを嘆いている。


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