二年ほど前に文庫だったか新書だったか忘れたが「シュタイナー哲学入門」という岩波の新刊書の書評を書いた。岩波も通俗スピリチャルもの、精神世界もの、オカルトものを手がけるのかという驚きで冷やかしに買った。中身は予想に反してオカルト味は薄かったが。
と思ったら昨年末に文庫でシュタイナーの「ニーチェ みずからの時代と闘う者」が出た。一体神智学とニーチェがどう関係するの、とまた野次馬根性であがなってしまった。
いま40ページほど読んだ所だ。彼の34歳の作で、巻末の年表によると神智学の活動を開始したのはそれから五年後のことらしい。そのせいか、いままで読んだ所ではオカルト臭は感じない。
しきりに本能という言葉が出てくる。これがキーワードらしい。本能尊重者ニーチェという捉え方だ。これでいいのかどうか、専門家ではないから判断出来ない。
哲学者の通弊でもっとも基本的な概念の定義はまったくしない。それも分からないことはない。どんな哲学者でも彼のもっとも重要な概念は定義なしですましている。当然と言えば当然だね、それが哲学なのだから。
しかし、喩えぐらいはサービスしてもらいたい。読者の判断を助けることぐらいはしてもらいたい。最も重要な概念は比喩でしか伝達できないのだから。ところがこれもない。本能といっても読者が百人いれば百通りの捉え方があるのだから。
しかし、これは一種のチカラだろう。意志(盲目的な)、エネルギーに連なる考えだろう。卑見によるとこの種の概念は近現代特有のものらしい。アリストテレスもエネルゲイアというが、これは必ずしも現代のエネルギーという概念にはつながらない。
西洋哲学では質量と形相というのが根本的な区分で「エネルギー、意志」というのは正面概念にはない。嚆矢はショウペンハウアーの「盲目的な意志」だろう。ハルトマンの「無意識の哲学」もその系列だし、フロイト、ユングの無意識はこの哲学的概念を通俗科学化したものである。
シュタイナーはニーチェの根本概念は「本能」だと思ったのだろう。もっとも、ニーチェ自身が本能ということを強調したかどうかはあまり印象が無いのだが。