穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ディック・フランシス「利腕」

2009-12-28 18:50:22 | ミステリー書評

先にフランシスの「大穴」の書評を書いたときに、事故で引退したチャンピオン・ジョッキーを主人公にした小説が沢山あるらしいと書いたが、大穴とこの利腕の二作だけらしい。利腕の巻末に解説を書いている北上次郎氏による。

これがシッド・ハレーものの第二作だ。もっともこの北上氏の解説が何時書いたものかわからないからその後ハレーものがあるのかもしれない。いつも思うのだが巻末の解説でクロノロジーに触れるようなことを書くときには執筆時点を明記してもらいたいね。この北上氏の文章は1985年以降らしいが、25年も前のことだ。

もし、読者がハレーものを一冊だけ読みたいというなら断然利腕をすすめる。相当に腕力ではない、筆力が向上している。前の大穴が左腕で書いたのなら「利腕」は右手で書いたくらいの違いはある。

大穴は仕掛けが漫画みたいで、あちこちでポンポン、プラスチック爆弾が破裂したがそういう不自然さは「利腕」にはない。

最初にハレーが続けざまに四つも依頼を受けてうけに入るのだが、読み始めてちょっと多すぎるんじゃないの、と心配したがなんとかまとめた。

一つの依頼は前妻が詐欺事件に巻き込まれたものでこれは独立、後の三つは競馬がらみで、さらに三つが二つと一つに分かれる。

最後のまとめはしまらないが、とにかくなるほど三つの依頼が必要な筋書きだったのだな、というのがよく読むと(ゆっくりと繰り返し好意的にかつ前向きに読むと)分かるしかけになっている。

八百長の話だが、ウイルスだか菌だか、特殊なものを目立たないように注射する話がある。こんなことが日本でも出来るのかな、出来そうにも思える。

それと人気になった馬をつぶす方法として直前の強い調教と言うのがある。調教助手はただでさえ、たいていは騎手より体重が重い。それが更に鉛をだいたり、鞍の下に鉛を敷いたりする手があるらしい。馬に猛烈な負荷をかけるから傷んでしまって本番ではびりっけつになったりする。この手はオイラも一応予想する時には考えるんだがイギリスでもあるんだね。


ディック・フランシスの「本命」

2009-12-23 23:43:43 | ミステリー書評

この小説の主役はアマチュア障害騎手と言えるだろう。この早川文庫の巻末に原田俊治氏がイギリス競馬のことを解説している。わずか数ページだが、資料としてこの解説だけでも買いだ。

最近は欧米競馬の知識も日本で流通量が大きいから、このくらいのことはすでに御承知の人も多いだろうが、大分日本と勝手の違うところがあるから、知っておいて読むと興味が増すだろう(必須とは思わないが)。

探偵役、大分ハードボイルド調であるが、はアマチュアの騎手である。この辺も上記の解説などで知っておくといい。とくに障害飛越レースではプロの騎手以上にアマチュアが活躍する。現にこの主役も想定では勝ち鞍数で第二位、第一位もアマチュアでこのベストジョッキーが落馬事故で死亡したことが発端となっている。

自分の馬を自分で調教してレースにも自分で乗る。まさに、アマチュアのだいご味だろう。

作品の出来栄えは彼の作としては並みというところだ。そこで、すこし言葉の問題を取り上げてみる。この前に、最近厩務員といっているのは昔は馬丁と言っていたと書いたが、1976年、翻訳、初版のこの本にはバテイと厩務員という両方の言葉が出てくる。ちょうど言葉狩りで変わっていった端境期がそのころだったのだろう。

おかしいのは断郊競馬という珍妙な訳語である。しばらく頭をひねってみたが、どうもクロスカントリーのことらしい。アマチュアでは馬のクロスカントリーと言うのは日本でもあったらしい。軍隊、騎兵華やかなりしころだ。最近はクロスカントリーのレースと言うのは聞かない。遠乗りとか野外騎乗とか言っているようだ。ただ、競技として存在しているかどうか。

もっとも、オリンピックの馬術ではクロスカントリーが今でもあるはずである。

平地競走ではイギリスでもアマチュアの騎手はいないらしいが、これは体重の関係だろう。障害ではある程度体重がないと馬が御せない。馬そのものがほとんど狩猟馬系統でいわゆる半血種だ。アフターバーナーのエコ使用の技術で済む平地競走とことなり、技術の奥が深いというか面白さが違うのだろう(趣味として)。サラブレッドでハミの柔らかい馬はいないし(後天的に調教でかたくなる)、単調な技術である。

ちょっと、はなしがそれたな。ま、いいだろう、アマチュア騎手の小説だから。

次は「賭け屋」が主役のディック・フランシスの小説を探すか。原田さんの解説にもあるが、賭け屋は日本にはないシステムだからね。賭け屋というのは飲み屋とはちがう。オッズも自分で決める。つまりどんぶり比例配分(日本にはこれしかないが)の方式とは違う。

% タイトルを間違えた。大穴は前回の本だ。「本命」です。


競馬場ころがし、フランシスの「大穴」

2009-12-20 20:14:40 | ミステリー書評

ディック・フランシスの「大穴」、どうして原題のOdds Againstがこうなるのか分からない。私なら「競馬場ころがし」 とか「競馬場乗っ取り」にするかな。さらに言えば原題そのものが内容とどう照応するのかもよくわからないが。

先に紹介したフランシスの「興奮」が八百長を調べるために厩務員のなかにもぐりこむ話で、厩務員の生態が目玉であると書いたが、本作の主役は競馬場である。

たとえれば、大井競馬場をのっとって、更地にして大規模マンション開発業者に転売して大もうけをしようと言う悪党たちの物語である。

乗っ取りの舞台になるのは、あまりはやらなくなった地方の小さな競馬場である。株式は上場してあるから乗っ取りと言う経済行為はなりたつ。一方では庶民の住宅需要は旺盛だから跡地を宅地開発してしこたま儲けようと言う計画がなりたつ。

フランシス初期の作品で1960年代の話のようだが、日本でも昨今左前になってきた地方競馬の廃止問題と妙に似ている。

大井競馬場は儲かっているようだが、かりにそうね、浦和競馬とか、前橋競馬とか、そんなのがあるかどうか知らないが、近頃さっぱり客の入らなくなった競馬場が廃業身売りするようなはなしだ。

それも悪漢たちが故意に誘導する、つまり競馬場で故意に火災を起こしたり、事故を起こしたりして客足が遠のくのを人為的に促進する。そして裏で株を買い占めるといったたぐいの話である。

そういえば、そういうはやらない北関東の競馬場を楽天が買おうとして話がまとまらなかったことがあるよね。楽天はもちろん正攻法でいったのだろうが、フランシスの小説では不法行為すれすれのオンパレードというわけ。

直近の書評で取り上げた「興奮」が澄んだワインとすれば、多少澱の浮いたどぶろくという出来栄えである。お勧め度は平均以上ではある。

なお、この小説の主人公は探偵調査会社に勤める元チャンピオンジョッキー、シド・ハレーである。かれはいくつかのシリーズの主人公らしい。イギリスの興信所みたいな組織のなかに競馬課なんてあるのが、イギリスの実態を反映しているのかどうか、面白い。日本でもそれだけの仕事はあるような気がするけど。

蛇足 巻末に解説はまったく役に立たない。平尾圭吾というんだが、どういう人だか。


ディック・フランシスの「興奮」

2009-12-16 23:40:38 | 社会・経済

イギリスの障害競馬の不正行為を追求するという、スリラーというか、ミステリーと言うか名人D・フランシスの1965年の作品だ(ハヤカワ・ミステリー文庫)。

長さがいい。このごろは活字の目方で売るような長ったらしいエンターテインメントが多いが、文庫で400ページ足らずと手ごろである。長さと緊迫感は反比例する。一部の例外を除いて、いわゆる純文学では例外も稀にあるが、エンターテインメントでこれらが両立しているのを読んだことがない。

空港の売店で買ってエコノミー症候群になるちょっと手前で読み終わる。そんな長さである。

この小説家は多作家で(今の基準で言うとそうでもないかもしれないが)沢山ハヤカワでも出ているが、どれがいいかなと巻末の解説を読む。解説を書いている石川喬司によればその中でもベストということだ。それであがなった次第。

今回の調査探偵役はオーストラリアの牧場主で、イギリスの厩舎にもぐりこんで厩務員たちのなかに紛れ込んで活動する。

私は競馬をしたり、やめたりしていたのだが、かって競馬(馬券)を再開した時に、厩務員と言う言葉を聞いて何のことかしばらく分からなかった。日本ほど立派な日本語があるのに、やたらに言葉を変えるので戸惑ってしまう。

大分経ってから分かったのだが厩務員と言うのは馬丁のことらしいね。むかし、競馬場に言ったら馬丁組合のストライキで開催中止なんて言われたことがあった。

この小説ではイギリスの厩務員の実態が(私もこの言葉をつかう。バテイというのは素直に変換できないのでね)書きこまれているところが私には面白かった。今のイギリス競馬界でもこの小説のようかどうかは承知しないが、社会の落後者、前科者でほかに行き場がない者たちの吹き溜まりである。

日本と比べてどうかな。実際には知らないが、この本の書かれたころ普通の人がバテイという言葉を聞いてイメージで連想した社会は大体D・フランシス描くところと同じだったような気がする。差しさわりがあったらお許しを請うが。

さて小説に戻るが、調教師、馬主は非道、横暴、専制的で厩務員を虫けら以下に扱う。イギリスを議会制民主主義のお手本みたいに日本では見ているが、なかなか社会の底辺までそういうわけにはいかないものだ。あるいは競馬社会というのは特殊なのかもしれない。どこの国でも、というと語弊がありそうだが。

厩務員の宿舎は(といっても馬房の屋根裏だが)は日本の昔の土木工事のタコ部屋と同じである。

この小説には騎手がまったく出てこない。それでいて読み終わっても特別に奇異にも感じず、第一気がつかない。

非常に面白い小説だと思った。

ちなみに「興奮」というタイトルは原題ではFor Kicks、原題はしゃれていると思うが、日本語タイトルにもう少し工夫がなかったかな。

そういえば「利き腕」と言うのもあるが、これも原題はWhip Handじゃなかったかな。これも利き腕よりいい題がありそうだ。

もっとも弓手、いや馬手というのもおかしいか。日本でも競馬の騎手は利き腕で鞭を使っていたっけ。そうだね、、利き腕を使うことが多いかな。昔はどうだったかな、拍車に頼っていたからな。

次は競馬界のさまざまな職業に焦点を合わせたフランシスの小説を探そう(ないかもしれないが)。調教師、馬主、騎手、予想屋、装蹄師などに絞って人間模様を書いてあると、面白そうだ。下駄屋(装蹄師)には昔から大変に興味があるんだけどね。あったら教えてください。

& 彼の作品は原文では読んだことはないから詳細な議論は出来ないが、翻訳がかなりの水準にあるように思われる。菊池光、光はミツと読むそうだから女性だろう。彼女はほかの作家の翻訳もあったようだが、それほど印象に残っていない。ディック・フランシスについては相性がいいというのか、原文も水準以上なのだろうが、翻訳者の功績も大きいと思われる。