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穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Wとヒトラー、ウィトゲンシュタインの火かき棒(八)

2018-09-28 08:50:58 | ウィットゲンシュタイン

 彼の伝記評伝で大抵触れられているがWとヒトラーは同時期同じ工業高校に通っていた。Wは上級生であった。証言、証拠がないからだろう、触れているのはここまでで両者に面識があったかどうかに言及しているものはないようだ。

  その当時ヒトラーがどういう生徒であったか不明だが、Wは相当目立つ生徒だったに違いない。あの風貌、性格からして目立つ存在だったろう。W家はオーストリアきっての音楽家や画家のパトロンであって、W家に出入りしていた音楽家名を見ると著名な音楽家を網羅している感じである。Wの兄パウルはピアニストで、第一次大戦で右腕を失ったが、ロシア、イギリスの有名な作曲家を含めてヨーロッパの多くの作曲家がパウルのために「左腕のためのピアノ曲」をかいている。

  ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインの五歳の誕生日にたしかメンデルスゾーンが「ルキ坊やのために」という曲を献呈している。Wの父は画家のパトロンでもあった。クリプトに彼の娘たちの肖像画を描かせている。

 ヒトラーは画家になりたいという希望があったらしいから、有名なW家のことを知っていたことはほぼ間違いないだろう。Wとヒトラーが直接知り合っていたかどうかは勿論不明である。

 

 

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「私はユダヤ人だから」、ウィトゲンシュタインの火かき棒(七)

2018-09-27 07:39:03 | ウィットゲンシュタイン

 Wは「私がユダヤ人だから、こういう考え方しか出来ないのか」と周囲に漏らすことがあったという。もちろん公に著書とか講義でいうわけがないが、親しい知人に言うことがあった。いかにも底の底まで掘り下げて考える人らしい自省である。そこまで下りていかなければ本当の思索家とは言えないのだろう。

  常日頃私が考えていることだが、人間の意識をパソコンに例えて考える。その場合意識と言うのは一部の人間の言うように「無意識」とかフロイトの言うesを含んでいる。皆様すでにご案内のようにパソコンと言う箱は三層構造である。アーキテクチャー(基板)、OS、アプリケイションである。無意識と言うのはパソコン自作者のよく知っている基板にあたる。OSも無意識に含めていいかもしれない。パソコンの基板には多くのメーカーがある。しかし、大体同じ機能である。細部では働きに違いがあるが、たいていの場合どのメーカーの基板をつかっても大体機能は同じである。人類みな兄弟のパソコン版である。短距離に強い人種もいれば、マラソンに強い人種があっても「人類みなきょうだい」というわけである。

  OSはご案内のように一般消費者向けにはマイクロソフトとMacの寡占である。少数Linuxなんてのもある。またOSもマニアでは自作する人がある。アプリケイションは作成者がOSを選んで、そのアルゴリズムに従って作成するから、MSとMac両方で使えるようにプログラムを組んでいない限り、OSを選ぶ。

  人間の意識もこれに類する。Wが「ユダヤ人だから」と言ったのは基板レベルか、OSレベルか、あるいはアプリケイション・レベルか。なお人によっては基板レベルすなわち無意識とかesを「機械」と言う人もいる。

 

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論理哲学論考は詩的な文章、ウィトゲンシュタインの火かき棒(六)

2018-09-26 11:41:17 | ウィットゲンシュタイン

 このシリーズのどこか前に書いたが原文に当たらないといけないという文章の件。その時は記憶で書いたが、改めて日本文と英文で読んだので印象を少々。

  日本文は岩波文庫の野矢茂樹氏の文章である。英文のほうは何種類もあるとも思えないのでどの版と言うのは重要ではないと思う。ドイツ語を英文に訳すに当たっては、Wから何回もダメが入ったようで、ようやく現在の文章に落ち着いたということだ。つまり英文はWの校閲を経ていると考えてよい。

  さて、今回改めて拾い読みした印象はこの本は詩的文章が多い。中盤の論理学的というか、まったく技術的なところはそうでもない。性質上詩的に書いてもはじまらないからである。前半というか冒頭と終わりのほうは詩的な表現が多い。よく伝えられている逸話で論理実証主義者との会合で議論を始めようとすると、Wはみんなに背を向けて壁に向かってインドのタゴールの詩を朗誦したという。これはあちこちに出ている話だから本当なのだろう。

  さて前置きはこのくらいにして、6.522であるが、野矢訳では

「だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である」

英文では 

There are,indeed,things that cannnot be

put into words.They  make themselves 

manifest.They are what is mystical.

 野矢さんはindeedという思い入れたっぷりの挿入語を適切に訳していない。「もちろん」では不適切である。この語は厳密(言語分析流)にいえば不要の語であるが。このWの思い入れは何らかの形で訳すべきではないのか。

Put into wordsもほかに訳し方があるように思う。

Make themselves manifestを「示される」と訳しているがどうだろうか。むしろ「現れる呼びもしないのに」、という感じではないか。ちなみにこの表現には幽霊が表れるという意味がある。

 これはイチャモンではありません。本質的な問題というべきでしょう。

 

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ポパーの空爆は成功したか、ウィトゲンシュタインの火かき棒(五)

2018-09-25 07:35:20 | ウィットゲンシュタイン

 ノンフィクションで「大激論」があったというのがテーマなら双方の主張を紹介して議論の帰趨がどうだったか、軍配はどちらにあげるのか(読者が)、水入り勝負預かりだったのかを読者が判断できるような詳細を述べるべきである。

  ところがくどくど、再三書いている割には議論の内容を読者に示していない。これには二つの理由が考えられる。一番目は著者が議論を理解できなかったということである。第二は縷々事実を述べるとどちらかの側からクレイムが出る。あるいは一方が不利になるように証拠を羅列するとまずい(著者の世俗的な利害関係からみて)と判断したかである。いくらなんでも、一番目の理屈は著者には失礼であろう。おそらく二番目の理由、配慮が働いている。

  当夜の出席者を色分けするとウィトゲンシュタインの親衛隊ともいうべき学生たち。ポパー。それ以外の哲学関係者の色分けはむずかしそうだが公然とウィトゲンシュタインに反対する教授たちは当夜の会合にはいなかったようだ。つまりどちらかと言うとウィトゲンシュタイン側。当夜はバートランド・ラッセルも出席していたが、どうも中立的でややポパーよりらしい。

  この中ではっきりと自分の当夜の主張を書きもので残しているのはポパーだけらしい。彼が事件後30年たって1976年に出版した自伝に当夜のいきさつを書いているそうだ。これを著者は紹介すればよさそうなものだがしていない。これは、かって日本語の翻訳が出たが今は絶版である(果てしなき探求)。小筆も読んでいない。

  ウィトゲンシュタインは事件5年後1951年に死亡しているが、なにも書き残していないようだ。事件後ラッセルとポパーで書簡を交換しているらしいが、ポパーはそのなかでラッセルの協力に感謝しているということだ。それ以外の出席者はなにも書き残していないようだ。

  ポパーは原子爆弾を二発投下したと自慢していたらしい。一つは1930年代に論理実証主義者の「検証」に対して「反証可能性」という爆弾を投下してウィーン学団を破壊した。もっとも、これはウィーン学団のリーダーだったシュリックがかっての自分の教え子に殺されたところも大きいようだ。

  もう一つの爆弾は1946年ウィトゲンシュタインと大喧嘩をした会合で投げつけた。ウィトゲンシュタインを完全にやっつけたと思ったらしい。今日の書店に多数並ぶウィトゲンシュタイン本を見るとそうとも言えないようであるが。

 

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エンジニアとは、ウィトゲンシュタインの火かき棒(四)

2018-09-24 07:54:06 | ウィットゲンシュタイン

 このシリーズの第一回でWはエンジニアであったと述べた。言外に哲学者ではないと示唆したのである。エンジニアとはなにか。与えられた仕事で完璧を期すことである。たとえば新しいモデルの自動車の開発を命じられたとする。かれは与えられたスペックが完全に実現されて瑕疵のない製品を作ることが任務である。つまり具体的な限定された領域で完璧な仕事をすることがエンジニアには求められている。

  Wはそれが言語分析という領域で出来ると考えたのである。そして「悪いことに」それですべての形而上学的な問題は解決すると考えた。この文章の後段は明らかに間違いである。論理哲学論考を読むと最初のうちは勢い込んでいたが、どうもこれだけじゃだめだと気が付いた。だから終わりのほうで、世界には語りえないこともあると譲歩したのである。しかしそれは語りえない、示されるだけであると抵抗を示した。

  論理哲学論考を読むと、基本的な用語のセットは未定義である。語るとはどういうことか、示すとはどういうことか。なにも説明していない。これは原文少なくとも英語版でいかなる表現をされているか調べる必要がある。どういう言葉を「語る」とか「示す」と訳しているのか。いま手元に英語版がないが、こう訳せる英語はおびただしくある。そのうちのどれを充てているのか。

  西洋哲学史上、言語分析が精緻を極めたのは中世のスコラ哲学である。二十世紀前半に勃興した言語分析は二十世紀後半になるとスコラ哲学の成果に注目するようになった。スコラの哲学は神学を補強するために存在した(哲学は神学のしもべである)。現代の言語哲学もせいぜい科学哲学を含めた諸科学のしもべにしかすぎない。もっとも相手のほうは必要としていないだろうが。

  Wはエンジニアであってそれ以上でもないし、それ以下でもない。「それ以上ではない」とはあえてこの言葉を使えば「従来型」の哲学者が言語分析を低く見る立場である。「それ以下ではない」というのはエンジニアとしては「最高」ということで、これはWを取り巻く信奉者、取り巻きの意見である。

 

 

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ウィトゲンシュタインの火かき棒(三)

2018-09-23 08:37:38 | ウィットゲンシュタイン

 たとえば、Wは神秘家だったという記述が数か所である。いずれも取材源は明記していない。そういう評価が彼のまわりで一般的にあったということだろう。

ここで「神秘家」というのはどういうことか、説明があるべきだか全然ない。つまりWは幽霊やたたりを本気で信じていたのか、あるいは彼の性格が傲慢でとっつきにくく、秘密主義的なことをそう表現しただけなのか。おそらく後者の理由で言われていたと推量するが。しかし著者が説明しないから分からない。最初の回で説明したが、論理哲学論考では語りうる世界の外に語りえない存在があると強調している彼であるから、いわゆるオカルティストであった可能性は十分残る。

 

ユダヤの血量について:

 彼および兄弟姉妹のユダヤの血量は75パーセントと言われている。これはナチスの法令では間違いなくユダヤ人として扱われる。彼はユダヤ教徒ではない。祖父の代からキリスト教に改宗している。いわゆる同化ユダヤ人であるがナチスはそんなことは考慮しない。

  ナチスのユダヤ人問題解決が本格化した当時Wはイギリスにいたが、彼の姉二人はウィーンで暮らしていた。亡命を勧めてもオーストリアを離れなかった。Wがナチス高官と直接取引をしたというのは広く伝わる話である。直取引をした相手はナチス副総統ゲーリングであったといわれる。この話は世上有名ではあるが具体的なことは、事の性質上明らかな記録はない。Wは長年求めていたイギリスのパスポートを取得した後直ちにベルリンに単身乗り込んだ。

  最終的に交渉はWおよびきょうだいが相続した海外資産のうち金塊をナチスに提供するということでまとまった。彼の姉二人はドイツ敗戦まで無事にウィーンで暮らしていけた。合意した金塊の量についても諸説あるようだが、この本では1.6トンと明言している。例によって根拠は示されていない。現在の価格でいうと60なし70億円に相当する。この金塊についても世上諸説がある。

  これが多いというのと、思ったより少ない額でうまくWがまとめたという考え方がある。Wの父は成功した実業家でオーストリアの鉄鋼業を支配し、ウィーンの不動産の半分以上を所有していたという。これを考えると70億円というのは少なすぎる。なにしろナチスはユダヤ人の財産を身ぐるみ強奪していたのだから。

  第一次大戦でドイツやオーストリアの経済が壊滅するのを見越してWの父は資産を外国に移していた。どれだけ移していたか、ノンフィクションなら追求すべきなのだろうが、この本の著者は全然調べてもいないようだ。固定資産なんかは海外にそう簡単に移せないから、おそらく動産、つまり内部留保だとか利益分を海外に移したのだろう。それにしても父親の事業規模に比較しても、70億と言うのは少ないようだ。もっとも海外諸国からの送金には厳しい為替制限や監視があったであろうから、銀行を経由しなくても済む金塊ということになったのかもしれない。それなら1.6トンということもありうる。だが、ノンフィクションならそこまで調べなければいけない。

  この種の特例すなわち血統上ボーダーラインにあるユダヤ人をドイツ人として認めてくれ、という申請は数千件あったというが、認められたのはWの場合のほか1,2件しかなかったという。Wはこの種の世俗的な交渉能力も高かったといえる。取り扱いのナチス側の事務取扱責任者はあのアイヒマンであったという。

 

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承前 タイトルおよび著者について、ウィトゲンシュタインの火かき棒(二)

2018-09-22 07:02:47 | ウィットゲンシュタイン

前回取り上げた本についての続きである。

 翻訳のタイトルは「ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」である。さて原題は

Witttgenstein’s Poker; The story of ten-minute argument between two great philosophers

 である。ここは意訳せずに原題を直訳したほうがいい。たとえば「ウィトゲンシュタインの火掻棒(あるいは火かき棒) 二人の偉大な哲学者の間で交わされた十分間の議論」

 火かき棒が分からないって。困ったな。現代の辞書を見た。シャープ電子辞書にはないね。困ったな。おっと待てよ、火掻という言葉は辞書にあるね。じゃあー火掻としておくか。それでも暖炉や石炭ストーブで火をおこしたり、かまどで飯を炊いたりした経験のない連中にはわからないか。俺はしつこいからね、つぎに英和辞典を見た。pokerの訳には火かき棒とあるからいいんじゃないかな。とにかく本のタイトルは訳の分からないほうが売れるらしいしね。

 俺なんかでもヒカキボウという物体を思い出すのに0.2秒かかったからね。骨董屋にしか今は無いかもしれない。

  俺としては珍しく11ページから読み始めたんだが議論の内容の説明がいつまでたっても出てこない。表題の二人の哲学者の生い立ちだとか、性格を表す(と著者が思う)エピソード、そして交友関係が延々と続く。おかしいな、と思って巻末にある訳者の解説を読んだ。普通は著者の紹介があるが、この解説には著者についての解説が一行もない。異常である。それで持ち前の探索癖を出してインターネットで調べてみた。これは二人の共著なんだが一人のほう、エドモンズについてはごく簡単なことしかわからない。どうもBBC関係のジャーナリストらしい。経歴を見ると哲学については学部並みの知識しかないらしい。もうひとりのエーディナウについては情報がない。これでは議論についての満足な掘り下げは期待できない。

  肝心の10分間については、思わせぶりな記述が途中で何回も出てくる。ストリッパーが脱ぐと見せて何回もパンティに手をかけるが最後まで脱がないのに似ている。この種の叙述テクニックは著者の得意とする手らしい。そして最後の2,30ページになるとやや詳しいのが出てくるが、やはり「哲学的な解説」には程遠い。

  ようするにジャーナリストとして周辺人間の取材を幅広く行い、資料もひろく集めているからその辺からWとポパーを中心として交友関係とか社会事情(二人ともユダヤ人でナチスの迫害を逃れるのに必死だった)を知るにはやや興味深いかもしれない。もちろん著者たちの取材、資料収集が適切で信頼できるとしたらであるが。つづく

 

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ウィットゲンシュタインは工学士である、ウィトゲンシュタインの火かき棒(一)

2018-09-21 10:04:01 | ウィットゲンシュタイン

 もともとウィトゲンシュタイン(以下W)は哲学者ではないと思っている。Wは何回か(つまりオン アンド オフで)ケンブリッジ大学の哲学教授ではあったが。

  かれは本質的にエンジニアである。学齢期つまり大学卒業まで工学専門学校で学んだ。父の意志によるものと思われる。工業関係の専門学校出である(要確認)。彼は専門学校当時に同じ年代のギムナジウムの学生がそうであったような、教養としての古典教育、哲学教育は受けていない筈である。

  彼は第二次大戦時ジェットエンジンの開発段階に関連技術で特許を得ている。また、建築に熱中した時期もある。彼の姉の屋敷は彼の設計したものである。彼の考えの根本を支配する概念は工学的な考えである。いわく厳密さ、検証可能性、真理値など。ウィーン学団のメンバーが誤解したように科学哲学でもない。Wが論理実証主義者のメンバーに慫慂されても彼らと距離を置いていた。

  彼はまた神秘主義者であった。無意識領域にも強い関心があった。青年期の彼の愛読書はショーヘンハウアーの「意志と表象としての世界」である。また、フロイトの学説にも強い関心を寄せていた。

  「論理実証主義」の6.5.22、「だがもちろん言い表しえないものは存在する。それは示される。それは神秘である」。これがWの世界観である。現代の科学万能主義者の目から見ればオカルトである。

  彼の「論理哲学論考」は「言葉で言い表せるもの」の分析であり、Wの考える世界のごく一部分にしか過ぎない。前期では言葉は論理的側面に限られていたが、いわゆる後期では日常用語に変わっただけである。

  さて、何をいまさらWか、であるが(このブログでは前にWについては散々書いてきた)、最近ポパーの本を読んだ。かれは自然科学、素粒子理論や量子力学の形而上学上の前提を論じているので興味があったのである。

  大分前に単行本の翻訳で「ポパーとWとの間で交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」というのがあったのを想起したのである。先日なにげなく某書店内をそぞろ歩きしていたところ、この本が文庫になっているのを見たので買った(筑摩文庫)。まだ途中まで読んでいるところである。この本の感想は後便でお伝えしたい。

 

 

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8-1:岡山弁

2018-09-19 08:40:49 | 妊娠五か月

 書籍検索機に左手人差し指でポツンポツンと入力していると、後ろからこんにちは、と声をかけられた。Tが振り返ると長身の綾小路老人が上から覗き込むようにして笑っていた。

汚れた歯を下から見上げながらTは挨拶を返した。

 A駅近くの書店の中である。「ええちょっとね」

老人は検索機の画面を見て「津山三十人殺しですか」といって目をすぼめた。目がギラリと光った。

 検索機の画面が語るところによると新潮文庫にあるらしい。店内在庫なしと表示されている。彼は画面をプリントアウトすると吐き出されたスリップをもぎ取り画面を初期化した。老人のほうを振り返ると「これから碁会所のほうへ」と訊いた。

「いや今出てきたところなんですよ。今日はもう打ちません」

「そうですか、僕もほかに用事があって碁を打つ時間はないけど」と言いながら腕時計を見た。まだ4時だ。いまからマンションに帰るといつも狭い管理室の物陰から彼を監視しているような管理人もまだいるし、彼が苦手なマンションのおばさんたちも続々と買い物から帰ってくる頃だ。

「お茶でも飲みませんか」と言ってみた。

 書店と同じビルにある喫茶店に入った。「喫茶店」といういささか時代がかった呼び名がぴったりとする店だった。近頃はちょっと静かで長居が出来る店はカフェというらしい。

  老人の教え方がうまいのか、Tにあっているのか最近では老人に対して三子で打てるようになっていた。二人ともホットコーヒーを注文した。もっともメニューにはもったいぶった文字が羅列してあってホットコーヒーなんて言う字はなかったが、若いウェイトレスにはホットコーヒーという注文は通ったらしい。客席は半分ぐらいうまっていた。椅子と椅子の間には、近頃はやりのセルフサービスの店と違い隣の客と肘がぶつかり合うこともない。

 「珍しい本をお読みになるんですね」と老人はスプーンで砂糖をかき混ぜながらきいた。

「この間横溝正史の(八墓村)というのを読んだんですが、それのもとになった事件が津山事件だというので興味を持ったんですよ。それに友人に物書きがいましてね。大量殺人事件のノンフィクションを今書いているんですが資料を探してくれなんて言われているものですから」

老人はTを見ると強い口調で言った。「全然関係ありませんよ」

Tは八つ墓村の解説のあとがきで書いてあることと違うのでびっくりして老人を観察した。

「たしかに作品のロケイションは岡山県の中国山地のだが動機は全く横溝正史の創作ですよ。また八つ墓村は連続殺人事件だが津山事件は一晩のうちに29人が殺害された事件です。まったく違う。津山事件をお友達の作家が調べているというなら横溝正史の小説はまったく参考にはなりません」

その自信にあふれた説明にTは驚いて「よくご存じですね」と言った。

「私の家は事件のあった村ではないが割と近くでね。しかも私が生まれる直前に発生している。子供のころから何回も事件のことは聞かされていました」

そうすると、この老人は岡山の人なのだ。

「そうですか。わたしの父も岡山でね。前からなんとなく話し方が似ているなと漠然と感じていたんですが。そうですか、アクセントと言うかイントネーションというかね。とくに語尾のところが」

老人は笑って「岡山弁は特徴がありますからね。もちろん私も東京が長いからさすがに方言は使わないが、イントネーションだけはどうしても抜けないね」

 

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7-7:ごはんですよ

2018-09-16 08:57:11 | 妊娠五か月

「中に入ってください」と彼は二人の刑事に言った。入ってきた二人は三和土の空間を占領した。

「ドアを閉めてくれますか」と彼は頼んだ。ドアを開けたまま応対するとマンションの住民に立ち聞きされるおそれがある。どんな話かまだ分からないが周囲の住民には聞かせないほうが安全だ。ドアを彼らの後ろで閉めると、せせこましい三和土ではいかにも窮屈そうである。しょうがないから彼は二人を室内にいざなった。

  応接セットに二人を座らせた。ソファには汚れたカバーがかけられているが、むしろカバーを外したほうが清潔な感じがするかもしれない。何年間も洗濯しないから最初は乳白色だったカバーも鼠色に変色している。しかも濃淡のグラデーションがついている。女刑事のほうは癇癖らしく一瞬座るのを躊躇していた。

  平敷も彼らの前に腰をおろした。二人は名刺も出さない。警官と言えども話があるならまず刺を通じるのが礼儀だろうに、そうすると俺はすでに容疑者扱いかなと思った。剣呑だから「ご用件は」とも聞かなかった。

向こうも黙っているから「お待たせしましたね」とお愛想を言った。

相手にまず話させることだ。女のほうは無遠慮にじろじろと室内を見まわしていたが、

「なにかしていたんですか」とあからさまに失礼なことを聞いた。

「ええ、女性に見せてはいけないものがありましてね。失礼があってはいけないからどけていたんですよ」とこちらも適当なことを言った。本署に身元確認の電話をしていたなんて言うことは二人が署に戻れば分かることだ。ここで教えてやる必要はない。

  彼女の太くて長い一直線の眉が5ミリほど吊り上がった。この大谷という女刑事はひところ三木のり平が出演していた「ごはんですよ」というコマーシャルに出ていた人物に似ている。鼻筋が太くて高くて、凹凸のほとんどない細身の体で上下真っ黒な服装をしている。そのうえ太い黒縁の眼鏡をかけている。声は男みたいだ。わずかに胸のかすかなふくらみが「おんなかな」と相手を惑わせる。もっともそれはすでにスイッチをオンにしたICレコ-ダーのふくらみかもしれない。

 栗山という男のほうが話し出した。「先月東西線の落合駅で人身事故がありましてね」というと顔をあげて彼を見た。『ははあ、あの日のことか』と彼は思った。「その事故を目撃されたのではないかと思いましてね」

さあ、と彼は天井に目を向けて考えた。「あの駅はよく通りますけどね。どうして私が」と言った。

「監視カメラを調べたのですが、若い男が相手を線路に突き落としたことははっきりとしているんです。この男も確保しているのですが、これがちょっとおかしくて証言がとれないのです」

「おかしいというと」

「頭が弱いというか、精神障碍者なんですね。当日は本人の母親の葬式があって、それに出席するために施設の職員が付き添って帰宅させる途中だったんですが、これは施設のほうで確認したんですが、とにかく言うことが支離滅裂でね。しかもその突き落とした相手が施設から付き添ってきた職員だったのです」

「なるほど。そうするとその障碍者が突然発狂というか発作をおこしたんですかね」

「まあ、そうでしょう。それで調書を作りまして上にあげたんですが、署長が細かくてね。どうして急に暴れだしたのか、施設の職員が監視していたのに」というわけですよ。「もっとその前後のモニターテレビの録画を調べろと言われました」

そこで栗山刑事は無意識のように煙草を取り出したが慌てて引っ込めた。平敷は立ち上がって台所に行くと小皿を持ってきて「気が付きませんで」と言って彼の前に置いた。

 それを見て大谷という女刑事のほうもバッグの中からパッケージを出した。外国製のメンソールだ。栗山はまず彼女の煙草に火を付けてから自分のほうにも火をつけた。

「そうすると、その録画に私が映っていたとでもいうのですか」

「ええそうなんです。事故が起こる少し前なので、しかもその男があなたを蹴っているところがありましてね」

「その犯人はどういう男ですか。年齢とか」

「19歳です。色の白いハンサムな容貌なんですがね。かわいそうに頭は完全にいかれているそうです」

「それなら思い出しました。その男が体を押し付けるようにしてベンチの横に座ったので席を移ったんですがね。それが気に障ったのか、追いかけてきて蹴とばそうとしたんですよ。その時に別の男が駆け寄ってきて後ろから羽交い絞めにした。そうしたらまるで憑き物が落ちたように大人しくなった。わたしは慌てて階段を上って改札を出ましたがね」

「事故のことは見ておられませんか」

「いや見ていないです」

「なるほどね、それで分かりました。じゃあ、その直後また暴れだして、職員が静止しようとしたのを突き飛ばしたんでしょう」というと同僚のほうを見て「いいですか」と確認するように聞いた。女のほうはまだ釈然としない表情をしていた。

「ところで監視カメラの映像が私だとよく分かりましたね」と平敷は聞いた。

「駅員に画像を見せたんですよ。そうしたらそのころ財布を落としたとかで駅員に申告されたでしょう」

「ああそうか」と平敷は思った。

「その時に住所と氏名を書かれた届が残っていて分かったのです」

「なるほどね」

「どうですか、これで書類は完璧だね。署長も満足するだろう」と同意を求めるように同僚に話しかけた。猜疑心の強そうな相棒は黙っていた。まだ不同意らしい。また部屋のなかをじろじろと見まわした。

 ようやく二人の刑事が帰った後で、かれは今度麻耶が来たら今日のことを話してやろうと思った。彼女は面白がるだろう。

 

 

 

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7-6:警察手帳は信用しない(というより出来ない)

2018-09-15 08:23:34 | 妊娠五か月

 窓の外がだいぶ暮れなずんできたので平敷は立ち上がってカーテンを閉めにいった。麻耶が帰ってから小一時間ほど経ったであろうか。人には添ってみよ、いや妻には添って見よだったか、最初は著者の奇妙な言説に驚いたが「ダークヒーロー」にも「本には読んでみよ」かもしれないと思いなおした。別に2500円が惜しかったわけでもないがページを繰ってみた。どこから読めば一番おいしいかなと目次を眺めた。払ってしまったストリップショーの入場料が惜しくて恐ろしいご面相のばばあストリッパーのショウを我慢して見るような気分であった。

  チャイムがなった。この旧式のマンションではオートロックではないからチャイムが鳴るということは見知らぬ訪問者はもうドアの前にいるということである。麻耶かなと思った。忘れ物でもして戻ってきたのだろうか。いや彼女が帰ったのはもう一時間も前だ。忘れ物をしたからと言って戻ってくるとも思えない。彼女の性格を考えると電話をしてきて、確かめては来るかもしれない。しかし、わざわざ戻ってくることもないだろう。

  かれはアポイントメントが無い来客には一切応答しないことにしている。大体新聞の勧誘員か不動産屋か銀行の飛び込み勧誘員しか押し掛けてこない。しかし、こんどの来客は再三しつこくベルを鳴らす。昭和時代に建ったこのマンションには来客を確認できるようなモニターもない。彼は三和土に降りるとスリッパを履いて足を引きずるようにして、のぞき窓の前に行き、カバーを上げて外を見た。二人いた。若い背広を着た男と性別不明な針金のような体をして黒縁の眼鏡をかけている。こちらのほうは男か女か判別できない。

  スリッパを引きずる音を聞きつけたのであろう。男の声で「平敷さん、T警察署です」と大きな声を出した。なんだ、なんだ、なんだと彼は意表をつかれた。このままドアを開けないと外の人物は彼の名前を連呼するだろう。近所の住民もそば耳を立てる。まずいなと思った彼はドアにチェーンをかけると一寸五分ほどドアを開けた。男のほうは黒い手帳を突き出してT警察の栗山です、といった。彼は黙って手帳を見たが何が書いてあるかちらっと見ただけではわからない。男は「ちょっと伺いことがありまして」と丁寧な声をだした。

「栗山さんですか。もう一人の方は」と聞くと「大谷です」と中性的な声で答えた。

「やはりT警察のかたですか」

「はい」

 「ちょっと待ってくださいね」と彼はいうといったんドアを閉めた。区役所から配られたタウンページを本棚から取り出すとT警察署の代表番号に電話した。

 出てきた受付に「お宅に栗山さんと大谷さんという刑事はいますか」と聞いた。どちらも制服ではなかったから刑事だろうと思ったのである。

受付がどちら様ですかというから彼は住所の名前を述べて今こちらに来ているようだが、本当にお宅の署員だか確認したいのですといった。「お宅の」というのはおかしいかな、と思ったがほかに言い方を思いつかなかった。

 受付係は電話を回したらしい。変わって出てきた男性が「交通課ですがおたずねの職員はうちの課員ですが」といった。

「いまいらっしゃいますか」

「いや外出中です」

「念のために二人の容貌、特徴を教えてもらえますか」と聞くとびっくりしたように黙ってしまった。

「いやね、いまこちらにいらしているんですよ。警察手帳を見せてくれたんですよ、ちらっとね。ひったくってじっくり確認するわけにもいかないじゃないですか。このごろは偽警官も多いから一応確認してから応対したいのですよ」と説明すると二人の刑事の特徴を教えてくれた。ドアの外の二人と合致するようだ。やはり痩せたほうの人物は女性らしい。礼を言って電話を切ると三和土に行ってドアチェーンを外した。

 

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7-5:いじめっ子は江戸時代の牢名主

2018-09-13 09:17:29 | 妊娠五か月

 どうも執筆に気が乗らないので平敷はもう一度「大量殺人のダークヒーロー」の拾い読みをはじめた。片付け仕事の手を休めた麻耶が傍に来た。

「さっきの話でいじめられそうでいじめられない人ってどういう人なの」

「同級生とほとんど付き合わない友達でさ、そういうのって目の敵にされるだろう」

「そうよね」

「ところが彼をいじめる連中が一人もいなかった」

「怖そうな人なの。図体が大きいとか」

「そうでもない。ただ彼に誰も近づかないのさ。放っておくんだ」

「そういう場合放っておかれた子供はだいたい相手にしてくれとか、仲間に入れてくれとか尻尾を振ってくるものでしょう。それがいいきっかけになるのよね。待ってましたといじめが始まるわけよ。だから超然としていれば、なんというか取り付くスキがないんじゃない」

「そうだね、彼の場合はそういうことだったのかもしれない。普通はさ、今の子供は家庭では大事にされるだろう。ドメスティック・バイオレンスってのもあるけど例外的だよね。つまり家庭は子供にとっては天国なんだよ。だから学校や社会も同じに扱ってくれると思っていたら相手にされない。それで尻尾を振って集団に近づいていくんだろう。ところが彼らは待っていましたと始めるわけさ」と言うと彼は電子タバコを取り出した。そして思い出すようにゆっくりと麻耶に話した。

「それに彼の家庭は天国じゃなかったらしい。DVもあったらしいが複雑な家庭でね。だから学校の環境が彼に敵対的でもびっくり仰天したわけでもないのかもしれない。そう気にならなかったのかもしれない。人間の集団なんてそんなものと思っていたからショックも無かったんだろう」

「さっきから考えていたんだけどいじめっ子のリーダーって先生と仲がいいのが多いわね」

「ふーん、面白いね。それは最近の傾向だね。昔はいじめたり同級生を差別したりすると、先生が見つけてきびしく叱ったものだけど、最近は先生といじめっ子がグルなんだ。だからいじめがなかなか表面化しないで自殺なんて深刻な結果になる。いじめなんて先生が見つけてしかりつければそれで終わりになる。深刻にはならないものだよ。だから教育委員会の調査でも最初はいじめはありませんでした、と大抵の場合はなるんだ。学校というのは監獄と同じになってしまったんだろうな」

麻耶は眼を丸くして、どういうことよ、と聞いた。

「捕虜収容所の所長と捕虜代表というか内通者というか。今の先生たちは学生時代はみんないじめっ子だったのかもしれないね。だからいじめっ子を使えば生徒全体を楽にコントロールできるということを自分たちの経験で知っているわけだ。昔のように学級紛争も起こらなくなるわけだ。

面白い話があるよ。家畜の群れの中には必ずリーダーが出来るらしい。つまり蓄群のリーダーだな。これが家畜の群れになじまない、つまり同化しない個体があるとみんなでその個体をいじめ殺してしまうという。つまり牧場主にとってはありがたい話なのさ。現代の学校のいじめもこの構図と見て間違いないよ。いじめっ子というのは江戸時代の牢獄の牢名主と同じなんだよ」

 

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7-4:いじめに遭いやすいタイプ

2018-09-12 07:41:49 | 妊娠五か月

 後ろがばかに静かだ。彼が振り返ると摩耶は散らかった室内の整理をほったらかしにして無心にスマホをいじっている。チカチカ・ドンドンと言う派手な音がしないからメールだかSNSでもしているのかもしれない。若者の熱中するほどスマホに魅力があるということが彼は理解できない。彼がはじめてスマホを手にしたのはアンドロイド端末でOSのバージョンはまだ1.5だった。そのころはスマホなんてだれも持っていなかった。たしかカナダのメーカーのものだった。物珍しさから彼はそれを外出時には必ず持ち歩いて今の若者のように(いまやいい年をした勤め人やじいさん、ばあさんまでもいじっているが)、電車の中や駅のホームで弄り回していたものだ。周りの人が物珍しそうに、ある人たちは気持ち悪そうにそんな彼を見ていた時代だった。かれは2,3か月ですぐにスマホに飽きてしまった。スマホは彼のライフスタイルに入りこむ余地はないと見切りをつけたのである。

 「ちょっと聞くけどさ、スマホのどこが面白いんだい」と摩耶に話しかけた。彼女は深い夢から覚めたようにゆっくりと彼を見上げた。目はとろんとして唇には薄笑いの名残りが漂っていた。女性のスマホ・ユーザーがよく見せる気味の悪い表情である。スマホを見ているからいいが、普通街でなかそういう表情をすると、すこし頭が足りないかなと誤解されかねない表情である。友人のTはこの表情を評して「無心に放尿しているときの表情だ」と言ったことがある。かれが驚いて「女性用トイレを覘いているのか」と聞くと「いや男性も放尿の時にそういう表情をするだろう。女性も同じじゃないかね」と答えた。

 平敷は不思議に思って、俺は気が付かなかったなというと、Tは「それは共同便所だろう。人の目があるところでは男もそんな表情はしない。昔は一般の家で二階に便所がある家なんか、換気のために便所の高窓を開けていたろう。ちょうど下の往来を通っていてふと目を上げるとそういう表情にぶつかる。そういうときに相手は誰も見ていないと思って放尿しながら恍惚とした表情をするものだよ、と解説してくれた。「迂闊にションベンも出来ねえな」と平敷も笑った。

 そういえば、と彼は思い出した。日露戦争の従軍記者だった田山花袋が満州の荒野で誰も見ていないと思って脱糞していたら、たまたまそれを見た師団の軍医長だった森鴎外が田山花袋に一句送ったという。上の句は忘れたが「野糞を垂れし君を見るかな」とか。田山花袋は「大変なところを見られましたな」と言ったという。

摩耶は質問の意味をとらえていないようだった。もとより彼も若い女性とスマホ論争をする気もないから質問を繰り返さなかった。話頭を転じて「摩耶はいじめにあったことがあるかい」と聞いた。

「ないわ」

「そうだろうな、摩耶はいじめるほうだものな」

「まったくしつこいわね」と怒り出した。

「だけどいじめを見たことはあるだろう。どこにでもある現象だから」

「まあね」と彼女は妥協した。

「おれは思うんだけどね。いじめようと思ってもいじめられない相手がいるだろう」

摩耶は思い出すような顔をしてしばらく黙っていたが、「そうね、いじめを仕掛けても効果がない場合はあるわね」

「そうするとどうするわけ、いじめっ子たちは」

「さらにエスカレートするわけよ」

「それでもいじめが成功しなかった場合は」

「ほんとうにしつこいんだから。知らないわよ」

「実は俺の高校時代の友人でね。いかにもいじめの対象になりそうなんだけど、ぜんぜんいじめにあわなかったのがいるんだよ」と彼はTのことを思い出しながら話した。

「いったいいじめが成立する条件と言うのはなんだろう」と彼は自問するように言った。

 

 

 

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7-3:「大量殺人のダークヒーロー」をながめる

2018-09-08 10:47:53 | 妊娠五か月

 せっかく麻耶が見つけてきてくれたんだ。覗いてみないと悪いだろうと手に取った。どうもいけない。奇想天外というか生硬な議論が続く。目次を見ると巻末に編集者がまとめた本書で論じられているという事件の要約がある。それによると本書で取り上げられている事件は17件である。横浜の少年がホームレスを襲った事件まで取り上げられている。取り上げた事件の取捨に疑問を感じさせる。それとも翻訳出版で日本というマーケットを意識した選択であろうか。

 アメリカの同時多発テロがあるかと思うとパリのシャルルエブド事件がある。学校の襲撃事件もある。場所はアメリカとパリ、それと意外だったのはフィンランドの事件が三つもある。フィンランドも銃社会のようだ。

  原因というか動機からいうとテロが多い。これは彼がいま考えているテーマと違うから読まない。またカウンター・テロリズムというか反イスラム、移民排斥を主張する事件もかなりある。そうかと思うと相模原事件のように優生思想をうたう者もある。そういう連中は何らかの形で自分の主張をどこかで表明している。これも対象外だ。なにしろ平敷が考えているのは動機が不明な大量殺人なのだ。

  恨みによる事件もある。いじめを恨んだらしいと推測される事件が一件あるようだ。これも脇においておこう。そこで動機不明の事件というのは無いのかな、と探すと二件あった。そこでこれらの事件について著者がどんなに深遠な哲学的議論をしているかと調べた。この本には索引がないから目次で見当をつけるしかないのだが、どうも原因不明の事件については言及は避けているようだ。なんだこれじゃ意味がない。

 取り上げられている17件の事件のうちには、家の前にいる覆面の不審者を撃ったという事件まで上げている。殺したのは自分の息子だったという。死者は息子一人。これが大量殺人のダークヒーローなのかね。分析されるべきは著者自身ではないのか。こんなことはアメリカではままあることではないか。日本人の留学生がハロウィンの仮装をして家の前に現れたら撃ち殺されたというのと同種の間違いの殺人ではないのか。深刻ぶった本のわりには抜けたところがある。ま、暇なときに取っておいて後で読んでみることにしよう。

 

 

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7-2:大量殺人のダークヒーロー

2018-09-07 09:12:50 | 妊娠五か月

 チンとエレベーターの止まる音がした。下駄で校舎の廊下を走りまわるような音がするとドアの前でぴたりと止まった。ドアが開くと姪の麻耶が入ってきた。内野ゴロをショートストップが二塁手にトスするようにハンドバッグをソファの上に放り投げた。「アウト」と平敷が判定を下した。はいこれ、と彼女は持っていた書店のカバーを付けたままの本を机の上に置いた。「これがお釣り」というと千円札七枚と五百円のコインを置いた。中を開くと「大量殺人のダークヒーロー」という翻訳本だった。姪を疑うわけではないがブックカバーをむしって裏表紙をみると定価2400円と印刷してある。そうか消費税だな、と思ったのでお釣りを見て「これじゃ多すぎるんじゃないか」と聞いた。

  あとはあたしのおまけよと彼女は恩着せがましく言う。暗算の苦手な彼はまあ、せいぜい百円未満だろうと思った。「ほかには無かったのかい」

「案外ないみたい。原書売り場を見ればあるのかもしれないけど私は横文字を縦に読むのが得意じゃないから」

本当はカニ文字を横に読むのも得意ではなさそうだ。

巻末を見ると参考文献のリストがある。「いいんだよ、面白そうなのがあれば別にさがすから。有難う」

  さっそく中を見てみるが、どうも参考にはなりそうにないな、と彼は読前診断をつけてしまった。まず索引がない。それなのに参考文献リストはやたらと長い。まるで卒論か大学院生の学位論文みたいだ。きっとうんざりするほど長文の引用が多いのだろう。こういう本ほど迫力があり説得力がある本文があったためしがないのだ。

  次にいつもの手順で訳者のよいしょ解説を読む。まあ、これで見当はついた。彼は本を置くと散らばった書籍や資料の整理を始めた麻耶のほうを向いて「君は卒業したら何になるんだい。就職するんだろうな。弁護士にでもなるつもりかい」と聞いた。

麻耶は顔をあげずに「検事になりたいわ」と答えた。

すこし意表をつかれた形で彼は彼女を見つめた。「なるほどな、向いてるかもしれない。容疑者をぎりぎり責めつけるのも面白いだろうね」

「どうして」と彼女は不思議そうに叔父の顔を見上げた。

「どうしてって、麻耶は弟を苛め抜いていたからな」と彼は納得顔で言った。

「いじめてなんかいなかったわよ」と気色ばんで反撃してきた。甥がまだ子供のころ、自分の弟を振り回して肩を脱臼させたこともあり、事ごとに自分のおもちゃのように扱っていたのを、彼は妹から聞かされてきたものである。

「タレントとか芸能界に入るつもりはないのかな。その美貌をいかして」とからかうと

「失礼ね、バカにしないでよ」と顔を赤く膨張させて怒り出した。

 

 

 

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