穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

僧正殺人事件まとめ

2015-06-27 23:14:08 | ミステリー書評

ようやっと読み終わった。(知識ひけららし)の無意味な引用言及がなくなったと前回書いたが、記述者の引用が少なくなったかわりに登場人物の発言内容(会話)に?マークのつく知ったかぶりが増えただけだった。ま、読飛ばせばそんなに気にならないのは著者の文徳?であろうか。日本の現代作家がやると猛烈な臭気を放つ悪癖であるが。

さて、心理的プロファイル(同義反復かな、プロファイルというのは心理的な物だから、私までヴァン・ダイン流キザがうつったらしい)だが、天文学者、数学者、理論物理学者は日頃扱っている対象が巨大あるいは微細だから、人の命なんか、なんとも思わなくなる、というプロファイルである。乱暴と言えば乱暴だが、世の数学者諸君は怒るかな。

それで、著名なそのような学者が半ダースほど登場する。フィロ・ヴァンスには連続殺人事件の犯人はその内のひとりと最初から分かっている。それが「なにがなにして、なんとやら」段々分かってくる。というか犯人候補者が次々と殺されて対象が絞られてくる。最後に二人ほどになったところで、どんでん、どんでん、と二回ほど作法通りにドンデン返しがある。楽しめますぜ。

動機は至って陳腐な嫉妬(娘を取られる嫉妬、後進に学問的に追い越される恐怖嫉妬)ということで、いささか拍子抜け。これって書いちゃうと中学生がいうネタバレにあたるのかな。

これだけ底が割れても一応読めるのが文才であり、古典の徳であろう。

 

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ミステリーの分類

2015-06-25 07:36:32 | 犯罪小説

ヴァン・ダインの僧正殺人事件(創元文庫)を70頁ほど読んだ。処女作ベンスンより数段進歩したようだ。目障りな引用過多も是正されている。叙述の確かさもクリスティなどより数段上だ。 

ところで本格ものなんて中学生の遊戯みたいだと長い間食わず嫌いだったが改めなければなるまい。この機会にミステリーの分類を考えてみた。

ハードボイルドと本格という分け方が一般的らしいが、ハードボイルドはともかく本格というのが何のことだか分からない。非ハードボイルドとハードボイルドという二分法があるかもしれない。もっとも、非本格と本格といってもいいか。

一応ハードボイルドと非ハードボイルドというふうに分けてみた。それぞれの特徴は以下の様になるか。

はじまり::

ハードボイルドは失踪、紛失、脅迫で警察に相談したくない事情がある、あるいは警察が取り合ってくれない(忙しくて、とか)事案を私立探偵に依頼するところから入る。あたり前だがいきなり殺人事件で警察を抜きにして私立探偵がもっぱら捜査すること等ありえない。もっとも、失踪など調査しているうちに必ず死体に遭遇して警察との意地の張り合いに成るのが定番ではある。

それに対して非ハードボイルドではまず死体が出てくる。両者の決定的な違いである。

捜査主体::

ハードボイルドは個人探偵(自前営業、マーロウなど)と民間探偵社(コンチネンタルオプ)

 

非ハードボイルド:

1・警察(刑事、海外では地方検事や予審判事)、司法制度の違いによる。

2・警察と親善関係にある素人、シャーロック・ホームズ、ポワロ、フィロ・ヴァンス 

1・は警察小説とよばれることがある。警察主体でも「はぐれ刑事」とかハードボイルドタッチのものもある。

2・はもっとも非現実的であるが、ミステリーの大半を占める。

ハードボイルド、非ハードボイルドのほかに犯人を主人公にする犯罪小説があり、犯人の視点で記述される小説が有る。ときにノワールと呼ばれることも有る。ジェームス・ケインの郵便配達などが例である。カミユの異邦人なども一例である。最近ではその女、アレックス

この分野は文体によってはハードボイルドと呼ばれることがある。

死体の転がり方::

1・密室や突飛な道具や薬品を使ったもの、非ハードボイルドに多い。私に言わせれば中学生系

2・シンプル・アート系、拳銃、撲殺、刃物、アイスピック

いわゆるハードボイルド分野に多い。

推理の過程の複雑さ(緻密さ)::

心理的、と非心理的とがある。両ジャンルにあるが、非ハードボイルド系に多い(それを売りにする)。

犯人::

ハードボイルド系に際立った特徴があり、ほとんどの場合犯人は美女である。チャンドラーで犯人が美人でないのは高い窓くらいではないか。

てなことで分類もまた楽し。

 

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岩波もシュタイナーものを始めたか、という感慨

2015-06-20 20:01:01 | シュタイナー

過日、当日発売という「シュタイナー哲学入門」(岩波現代文庫)を書店で見た。

シュタイナーさんのことは知らないが「ああ、本屋の精神世界棚の定番ね」くらいに思っていた。それで岩波も精神世界物をてがけるのか、という下衆な興味がはたらいたわけ。 

目次を見るとフィヒテだとかシェリングそれにヘーゲルと比較しているらしい。これが何だろうと思った(無学のしからしむるところです)。で買ってみた。幽霊が出て来たり、難病がけろりとなおった等という話は出てこない、予想に反して。上記のドイツ観念論哲学者についてもなかなか哲学的な記述だ。それが正鵠を得ているかどうかは評価出来ない。なにしろユニークであっけにとられるところが多い。

ヘーゲルの絶対精神もフィヒテの自我も霊のことだと言うのだ。なるほどね、とまでは譲歩出来ないが、ここでもう一つの感慨を得た。親戚に新興宗教の教祖だった人物がいたが、彼の教えとほとんどそっくりなんだな。これに驚いた。大分年が離れていて、学生時代に散々話を聞かされたが、彼の話にはフィヒテもヘーゲルも出てこなかったが言っていることは瓜二つなんだな。もっとも、彼も哲学出身でジンメルの翻訳を出したりしていたのが、どこで道を迷ったのか教祖になってしまった。彼もどちらかというと、新カント学派というよりは観念論系、生の哲学系だったのだろう。

ヘーゲルを理解するには、それまでの西欧文明、キリスト教文明の顕教的、正統的(カトリック)知識だけではだめで異端あるいは秘教的な伝統(すなわちオカルト)を知らなければならないというのが私のかねての持論である(このブログでも書いたことがある)。

そんなことがあるのでこの書名に惹かれたのだが、ヘーゲル以前のことには実質的に全く触れていない。シュタイナーの主張によると彼はドイツ観念論の成果を出発点として、その上に未解決の問題を解決する目的で研究をしたということらしい、著者の高橋巌氏によると。この考え、特にヘーゲル等の解釈は講壇哲学者(特に日本の)には受け入れられているのだろうか。

まだ、全部読んでいない。終わりの方でブレンターノの話が出てくるあたりから面白くなってきた。

 

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ベンスン総括

2015-06-18 10:23:01 | 犯罪小説

 やっとベンスン殺人事件を読み終わった。200−250頁以降無味乾燥、文章に勢い無くなる。読むのが大変だった。

処女作だそうで、文庫の解説でも未完成なところが有ると行っていた。僧正殺人事件がスタイルとしても完成したものだそうだ。次はこれを取り上げようか。

人間の心理的特徴が犯行の行動に刻印されているという主張がミソなんだが、これは今言うプロファイルの考え方だろう。それは現代でも通用するだろうが、それ一辺倒というのが「非現実的」なところだ。

訳者は文章が高踏的だというが、適切に表現すれば「高級俗物」受けを狙った物、スノビッシュとか嫌みなというところだろう。この読者絞り(マーケティング)は当たったらしくて発売直後の売れ行きはよかったそうだ。

高踏的というのは、やたらと絵画や詩文への引用、言及が多いことをいっているのだろうが、非常識なスタイルだ。これが何となく当時のニューヨーカーにはかっこ良く見えたのだろう。

地方検事の友人が捜査にこれだけ介入し、指揮するがことき「非現実的」な記述が許されるなら書くのも楽だろう。

記述トリックに頼るところ大で、探偵小説二十則の作者としてはフェアでないな、と感じた。まあ処女作だからよし、ということにしておこう。

 

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ベンスン殺人事件

2015-06-14 06:51:31 | 犯罪小説

創元文庫、半分ほど読んだ。いいんじゃないか。なぜこれを本格物というのか分からない。「本格」と言うのは後付けのレッテルなのか。たとえばハードボイルドと区別するために。

チャンドラーに「簡単な殺人法」という文章があるが、その基準でいくとベンスンは合格である。拳銃が凶器だから。 

不必要にペダンチックだが、読飛ばせばさして気にならない。叙述はしっかりしているし、話の運びもよろしい。

まだ半分しか読んでいないが、これってひょっとして「密室もの」?ヴァン・ダインも馬鹿みたいに最初から密室だとか不可能犯罪とか叫ばないから分からないが。帯やインターネットの評でも密室とは書いていないようだが。 

ヴァン・ダインはクリスティを酷評したそうだ。どういうふうにか、読んだことはないが、クリちゃんよりは数段勝る作家であることは間違いない。デビュー年次は6年しか違わない(栗のほうが先)が。

どうも小説にも旬というものがあるらしい、あらゆる芸術のジャンルには旬という物があるというのが私の従来からの自説である。たとえばオペラならせいぜい19世紀半ばまでとか、ま、これは個人の嗜好の問題では有る。

ハードボイルドも旬は20世紀前半だったんだろうな。いわゆる「本格もの」も旬はそのころではなかったか。大体小説というものも盛期は19世紀と言う気がしてならない。アメリカだけはすこし遅れて20世紀半ばまでということだろう。ヘミングウェイもフィッツGもそうだし。理由はつけられないが、小説にも旬があるんだな。

クライムノベルも読むなら100年くらい前の物を集中して読めば外れはすくない。北欧ミステリーは、そうすると、遅れて来た旬ということになるか。

 

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何故ハードボイルドは続かなかったか

2015-06-11 07:52:52 | 犯罪小説

 基本的にはその叙述法(文体)が必然的に筆を遅くする。その叙述法が読者を選ぶ(辛抱強くつき合ってくれる読者は少ない)。読者に労力を課するからである。いずれも大量生産には向かない。現代の作家商売は大量生産で「あがり」を掠めとって行かないと生き残って行けない。この辺は出版業界の責任もある。

チャンドラーの場合、本格的に長編に転向してから20年間で7冊しか書いていない。アガサのクリチャンみたいに毎年作品をひりだすことは出来ない。ハメットの場合は、血の収穫からThin Manまで5冊を7年間で書いた。ペースはチャンドラーよりかは早いが、そのうち、物に成ったのは2冊である(管見である)。その後彼は作品を書いていない。

ある書評屋が「書かないのではなく書けなくなった」と言ったがどういう意味か。要するに息があがってしまった、ということだろう。

叙述法の制約はとくにハメットの場合に言える。極言すれば叙述法の問題だけだろう。チャンドラーの場合はどちらかというと文章の作り方全体の問題だろう。推敲を重ねるのが常であったらしい。速筆にはむかない。そしてそれだけの成果が残されている。

文才が抜きん出ていて、かつ文章制作に手間と時間をおしまない、等という作家はその後絶滅したということであろう。

ハメットも引退時にはかなりな収入を得ていて余裕を持って暮らした(らしい)。それも理由であろう。もっとも晩年は貧窮していたとも聞く(要確認)。

チャンドラーの場合、ハリウッドでのシナリオ制作も含めてさしたる収入はなかったであろうが、ほどほどに余裕のある生活であったようである。彼の場合は利殖、財政の知識があったのではないか。彼は作家生活に入る前はたしか石油会社の重役だった。収入的には作家は副業であったような気がして成らない。チャンドラーの伝記を読んでも彼の財政状態にふれたものはないようで、不満である。 

おそらくあったであろう財政的余裕が彼の妥協しない制作態度と関係していたのではないか。ちょっと、日本の永井荷風に似ている。若い時に銀行のニューヨーク駐在員だった彼は利殖の能力も高くて戦前株の配当での生活で余裕綽々であった(芸者遊びの金もほとんどは株の収入かもしれない)。戦争ですべて無に帰したが、戦後は作品がまた売れだして収入が増えると安定した利殖にまわしていたようである。

作品で食おうとする文士に節操は保てないということか。

たしか断腸亭日乗のどこかで、「恒産なきものは恒心なし」という言葉を引用していたような気がする。

 

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本格ものでも読むか

2015-06-10 09:29:01 | 犯罪小説

煎じ詰めるとバードボイルドなる括弧でくくられている作家でも再読に耐えるのはハメット(の一部)とチャンドラーしかない。ケインは読みたくても「郵便配達・」くらいしかないし(カクテルウェイトレスはまあ、現代作家レベルで言えば並)、原文でもケインは入手がむづかしい。もっともケインはノワールというかクライムノベルなんだろうが。 

スピレーンの刺激はすれきった現代では賞味期限が切れている。ロスマグからパーカーとかなんちゃら、かんちゃらいう作家群、ハードボイルドと銘打って早川あたりが出している中には初読に耐える作家すらいない。ようするにHBは一過性のものなんだな。一過性というのは褒め言葉だ。別の表現をすれば屹立する孤峰,秀峰とでもいうのかな。

で本格もののふるいやつでも読もうかと思い立った。幸いほとんどが初読である。ポー、ドイル、クリスティは複数読んだがまったく感興を覚えず、記憶もまったく残っていない。あとチェスタートンもつまらなかったな。彼を本格というのかどうか知らないが。

たしかクロフツという作家がいた? 樽というのは彼の作品だったかな。これは面白いと思った記憶がある。内容はまったく覚えていない。情動記憶とでもいうのかな、そう言うのがあるでしょう。イメージとしての記憶ゼロ、文章的に表現出来る記憶ゼロ、だけどいやなヤツだったとか、面白い本だったとかは覚えている。そういう記憶だ。

思うに、スジの運びとか叙述の過不足がなく水準が高いことが樽という書名を覚えている理由だと思う。でも樽は後回しにして初期本格もの?のヴァン・ダインあたりから始めようかと考えている。

 

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