穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

道化師の蝶は百歳

2012-02-15 08:12:44 | 書評

円城塔くんの「道化師の蝶」だが、ざっと最後まで流した。飛ばし飛ばしだから正味は三分の一くらいかな。

古臭い小説だね。どうも剽窃というか盗作というか、デジャブ感がぬぐえなかったんで、前回はトリストラムを例えに引いたんだが、前世紀初めからあったFold In とか、Cut Upとか言われる実験的手法だね。

ようするにガラガラポンなんだ。シャッフルなんだ。自分の文章、他人の文章、広告文、論文なんかから細切れにコピーを切り抜いてガラガラポンとシャッフルして並べるというやつさ。

手法の問題だから盗作といっても法律的問題ではないが。

新しいと言うのは芥川賞でSF的でこういうひねくれた作品に賞を出したのが初めてというだけだろう。なにしろSFに賞を出さないと言うので筒井康隆が恨み骨髄で暴露小説を書いたくらいだからね。

ところで、文春に彼のインタビューが出ている。この手法を用いた作家の名前が出てくると思ったが、当然言及すべき作家へのオマージュがない。全然出てこない。本当に読んだことがないのかな。

はしなくも白状しているところはある。「小説製造機械」とか「物語生成プログラム」とかね。

自分の履歴を語っているところもある。大学院では「絶対言語」を研究したそうだ。古臭いテーマだな。文献も山ほどある分野だ。

構造主義のテキスト論に触れて衝撃を受けたというんだな。人には自分の書いた意図通りには伝わらないと言うんだな。そういう場合が多いのは常識じゃないかな。構造主義なるこけおどしの学説を引き合いに出すところが幼い。

「構造や部品そのものを面白がってもらう小説もあるんじゃないか」、とさ。オイラがいつも言っているランダム・リーディングのことだよ。

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既視感が付きまとう「道化師の蝶」

2012-02-13 21:34:54 | 芥川賞および直木賞

芥川賞円城塔氏の「道化師の蝶」だがもう少し読み進んだ。これは新しいタイプなのか。疑問になってきた。デジャブが付きまとう。既読感というかな。

欧米のある種の作品の下敷きがあるんじゃないのかな。彼は文章のセンスはあるから、翻訳臭は感じさせないが。

どの作品とは覚えていないが、似たようなものを読んだような気がする(複数)。一歩譲歩すれば「構造的に」同じものを。

彼の話題の飛び方は、ごく古いところでいえば、18世紀の怪僧ローレンス・スターン作のトリストラム・シャンデイのパロディのようでもある。

やたらに、新しい、新しいというと恥をかくかもしれない。

話題の飛び方や筋の変換にナンセンスの面白さがあるといえる。その手際だがわりかし軽快にこなしているようにみえる。

&ちょいと追加;一部のSF(古典)にもいくつか脈絡のつかないものがあったね。小説に限らなければ、インディジョーンズなんか似たようなシッチャカメッチャカなのがある。スピルバーグの映画なんて、オイラからみればみんな支離滅裂で似ているとも言えようか。

一部の映画なんて、シーン、シーンがあんちゃん向け、あんちゃん受けのインパクトがあれば筋だとか、つながりなんて関係無いのが多い。

一部の芥川賞選考委員のようにメタ言語がどうのこうのとピントはずれなことを知ったかぶりで言わないほうがいい。

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芥川賞「道化師の蝶」

2012-02-11 08:10:00 | 芥川賞および直木賞

円城塔氏の作品三分の一ほど読んだ。それほど読みにくい作品じゃない。理解しようと力むからいけないんじゃないかな。

石原慎太郎氏が尻取りゲーム見たいと言ったが、なかなか適切だ。ま、ジャズのようにアドリブで繋いでいく、アドリブとはいわないのかな、専門家は、インプロヴィアゾとでもいうのかな。

少なくともクラッシックみたいに肩のこる起承転結を期待してはいけない。

選評はざっと見にはここでも山田詠美氏と石原慎太郎氏が一番的を得ている。価値評価は山田氏と石原氏とは真逆だが、いずれも本質をとらえている。

言葉が音のように鍵盤の上を気ままに飛び跳ねていくと思って読めばいいだろう。

さて各選考委員の理解力を査定する。

黒井氏、そんなに真正面から苦しみなさんな。

川上弘美さん、とんちんかん、そんなに難しくひねくりまわすことはない。

高樹のぶ子さん、ご苦労な解釈をしている。もうすこし肩の力を抜きなさい。

島田雅彦氏、どうしてこの人は大上段に学生みたいに振りかぶるんだろうね。

宮田輝氏、すこし持て余し気味だね。

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芥川賞二作選考委員の珍評を批判する

2012-02-10 20:19:50 | 芥川賞および直木賞

共食いを三分の一ほど、道化師を二、三ページ読んだが正直書評する食指が動かない。

まず、共食い。

石原慎太郎氏ではないが、これを読みとおすのは苦行だね、仕事じゃなければとても出来ないんじゃないかな。

ところが書評を見て驚いた。非常にポジティブな評価ばかりだ。もっとも石原氏は、何も言わず、彼はむしろ長編に向いているのではないか、と意味深長なことを言っている。どういう意味だか分からないが。

ただ、前に本屋で二、三行立ち読みして、コンベンショナルな作品(従来型)という印象を書いたが、選考者も一様に従来型の作品と言っている。その点では当たった。数行とサンプルが少なかったので強調してもいいかな。

執拗に女子高生とのセックスが出てくるが、肉感がまったくない。コンクリートの猿がオナニーをしているような、やりきれない印象しか持てない。それを選考各氏は絶賛に近い。どうなっているのかな。

黒井氏は「歴代受賞作と比べても高い位置を占める小説」というが、芥川賞とはその程度の賞なのか。私はほとんど、まったくと言い換えてもいいが、芥川賞作家の本を読んでいないから、黒井氏に言われればへえ、そうですかだが。その程度のレベルなのかね。

高樹のぶ子氏、最後まで「緩むことなく緊張が続き、濃密な空気を持続させている」。へえ、そうですか、というしかない。

山田詠美氏、短いコメントだが、この前の西村賢太氏への評でも感じたが彼女はまともだ。

島田雅彦氏「方言と緊張度の高い地の文が交錯しており、叙事詩の格調さえも漂わす」。この人西村賢太評の時も変なことをいっていた。選考委員は無理なんじゃないかな。

宮本輝。「小説の構成力、筆力などは、候補作中随一であることは認める」。ということはほかの作品は箸にも棒にもかからないと言うことだろう。この人の評は比較的まともだから、この人がそういうなら他の作品はどうしようもない、ということだろう。

さて、道化師の蝶、これは旅の間に読む本にいいんじゃないかな。飛行機の中で一ページ、ホテルで二、三ページなんてね。最初の数ページでそういう感じだ。

いつか書いたが、いい本と言うのはランダム・リーディングに耐えられなければならない。五ページおきに数行読んで見るかな。そういう楽しみ方をする小説じゃないのかな。

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書評するケース

2012-02-10 19:24:40 | 書評

当ブログの書評カテゴリーで取り上げるケースは大体次のような場合である。

1・ニュース性のある場合、ブログなんてのはマスコミ情報に乗っかって二次加工するのだから、社会現象になるとか、トピックになる場合は、自分の好みに関係なく野次馬的にたかるのである。

これが二、三年前の村上春樹のIQ84ほかに加えていくつかの書評である。また、一年前芥川賞で特異な経歴がニュースになった西村賢太氏の場合である。今回の芥川賞もなにかと話題になり、インターネットを賑わしているから取り上げるだけである。

2・既読本に加える書評と言うか感想。大体改版が出て文字が大きくなって読みやすくなったとか、訳者が変わった場合に読みなおしたりする。いわばセンチメンタル・ジャーニーである。

当ブログではドストエフスキー、チャンドラー、ハメットなどを取り上げた。

3・これは臨時一回限りだったが、最近の日本のエンターテインメントで「評論家」という連中がこの十年のランキングなんてので選んだのをいくつか取り上げて感想を述べた。どうもぱっとしたのは無かったのですぐにやめた。

この時東野氏の容疑者Xの献身だったかな、比較的ましだと評価したことぐらいだ。この本の英訳はエドガー賞の候補になったそうだ。最近のアメリカのミステリーも評論家諸君の提灯努力にもかかわらず、ろくなものは無いから東野氏の作品なら候補にはなるだろう。

さて、文芸春秋が発売されましたね。次回は田中慎弥氏の作品でも料理するか。

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